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刑部

本丸にある案内板 (2018/05/26 訪問)

かなり広いですが草が生い茂っています。

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刑部

ハッキリわかる堀切跡 (2018/05/26 訪問)

ところどころに遺構が遺っています。

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刑部

駐車場にある案内板 (2018/05/26 訪問)

ここに車が2〜3台停められます。城址は、この案内板の後方へ進むと登城口があります。

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モト

町も城址も...雰囲気ありました (2018/10/24 訪問)

竜子山城とも言う松岡城、小学校や憩いの場になっている公園の裏の山にあります。
メイン通りを走っていますと城址の案内碑があり、すぐ後ろの駐車場に停めて城址まで少し歩きました。
町も城下町といった感じになっていて気分はすっかり戦国へ。
公園に着くと少々整備はされておりますが水堀のようなものがあったり、小学校には蕪木門が復元されておりました。
その奥に城址の入り口があります。
中は登城道、屋形跡の広い空間や、堀切、井戸跡がありました。
登城道、堀切などは雰囲気がありました。
ここも台風の影響で気が倒れているところもあり、行きにくい場所もありましたのでまた改めて来てみたいと思います。

追伸
城址をまわっている時に、事件といいますか...。
携帯のカメラって人の顔を見つけると四角いマークが出て、顔認識機能がついていると思います。
井戸跡を撮ろうとカメラを向けますと顔を認識する四角いマークが画面にいくつかちらほら点灯しました。
1人山にまわっていた私でしたので思わず怖くなってしまいました。
誤作動には違いありませんが、少々怖くなり城址を早歩きで出てしまう私でございました。

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城跡からの雲海の様子です。 (2018/10/30 訪問)

本城からの雲海を見てみたくて行ってきました。

展望台からの雲海と一味違った魅力がありますね😊

二の丸と中太鼓櫓からの景色です。

一時間半後には綺麗に雲海は無くなってしまいました。

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勝野武士

謎多き総石垣の山城。 (2018/10/28 訪問)

やっと来ることが出来ました。念願の感状山城!
このお城を訪れるにはやはりマイカーが良いでしょう。『瓜生羅漢の里』を目指して向かい、第一駐車場かその奥の水車小屋のある駐車場に停めると良いです。そして『羅漢石仏』に向かって歩き、程なく直進と右に曲がる登り坂に分かれます。右側が登城口です。
『ヤマビルに注意!』とか『クマに注意!』とか書いてある看板にビビりながら登って約15分程で物見岩に着きました。
気をつけなければいけないのは、ここが大手門跡ではないということ。
ほとんど何の情報も無しに登ったので、
『大手門跡は物見岩と別のところにある』
『登山口または羅漢の里の売店でパンフレットが置いてある』
といった情報を知ったのは、下山した後でした…超反省。
やはり事前のリサーチは必要です。またきっと、リベンジしよう…!

さてその城跡ですが、想像以上に見応えのあるものでした。
物見岩や広大な三曲輪(倉庫などが建ち並んでいたそうです)、二曲輪周辺を固める石垣の壮観さ、何より個人的には一曲輪の眺望と礎石建物跡が一番の見所かと。あちこち石垣が崩落しかかっていて危険な箇所も多いですが、随所に総石垣のテラスが築かれていて、とても見応えがありました。

しかしこのお城、これだけ規模も大きく総石垣で固めていながら記録が非常に乏しく、いつ誰が築いたのか、誰が総石垣に改修したのか、そしていつ廃絶したのか…あまり詳しく判っていないそうですね。

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刑部

里見氏の城 (2018/05/26 訪問)

往復 シャトルバスを利用させて頂きました。運転手さんは忍者でした。

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刑部

本丸にある城址の石碑 (2018/05/26 訪問)

びわ畑がたくさんあります、下から10分かからず登れます。

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dougen

2016.9.6登城 (2016/09/06 訪問)

西鉄名島駅から徒歩15分ぐらいのところにある名島神社および名島城址公園が名島城址となります。
市街化している現在でも海沿いにあり、海城だった往時を偲ぶことができます。
遺構としてはあまり残っていませんが、土塁や櫓台跡の礎石、大手石垣などが確認できます。

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朝田 辰兵衛

東海エリア登城ツアーの… (2016/08/28 訪問)

オワリは名古屋で。

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にのまる

国営公園の中 (2018/10/27 訪問)

行かれた方が高い!と思われる理由に納得^_^
城址があるのは広大な公園の片隅、入り口入ってすぐのところ。しかも今年の4月に入場料450円に値上がりしてました。しかし、だからといって、東京ドーム65個分の隅々まで遊び倒そうなんて思うはずもなく…。
肝心の山田城は、蜘蛛の巣張り放題、雑草繁茂し放題、藪蚊繁殖し放題のなかなか攻めにくい城でした。季節的に仕方がないです。パンフレットを振り回しながら戦いました。
せっかく450円払ったんで、行けるところまで行ってみました。案内板に「だいたい二重に見える(原文ママ)」とある通り、土塁はだいたい二重に見えました。見取図がかなりざっくりと描かれていましたが、S字クランクぶりもいい感じで、実は技巧的な縄張りなのかもしれません。

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tsuchinari

新しい日本の礎に (2018/10/29 訪問)

一般的な日本の城と違い、堀の内側が低くなっている。銃弾などの攻撃に備えたもののようだが、当時の最新の技術はそれを完全に凌駕したものだった。この辺りからも当時の幕府が後手後手にまわってしまっていたことが伺える。
五稜郭の中心にたつ箱館奉行所は木造で再建されている。
独特の尖った縄張りに、水堀、土塁、空堀がならぶ場所もあり、楽しみながら散策ができた。
五稜郭を設計した武田斐三郎、旧幕軍として徹底抗戦した榎本武揚。この偉人は覚えておきたい。

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刑部

攻城口の虎口 (2018/05/26 訪問)

駐車場から直ぐに入口があります、いきなり虎口の石積がお出迎え。

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刑部

見事な天守閣 (2018/05/27 訪問)

ここは、3回目です。最初は35年前くらいですが余り変わり映えありません。

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モト

海から守る為の海防城 (2018/10/24 訪問)

城址には曲輪や土塁や、模擬のようでしたが石垣もありました。
元々は海からの防衛のために作られた海防城で、日本には2箇所しかない海防城だとのことです。
跡地は公園になっていますので歩きやすかったです。
石垣は遺構ではなく模擬だとのことですが、これがなかなか雰囲気がありました。
私は、たとえ模擬でもこの石垣に満足してしまいました。
また、石垣のある頂上付近までの道のりも土が盛り上がった土塁や建物が建っていた跡など、城址であったことを十分に感じさせてくれました。

小高い山にあったこの城址は、遺構こそそこまで多くは残ってはいないものの、日本で2つしかない海防城という貴重なこと、雰囲気のある石垣、土塁がとても印象的でございました。

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刑部

主郭部にある案内板 (2018/09/13 訪問)

神社の裏をずっと入り ぐるっと左回り行くと住宅地、その間を抜けるとあります。

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刑部

神社 鳥居 (2018/09/13 訪問)

城址が神社として今にあります

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カルビン

日帰りですよ、奥さんw (2016/05/01 訪問)

日帰りで敦賀を散策した帰り道に賤ヶ岳古戦場に立ち寄りました。
木之本駅でバスが見つからず、結局歩いてリフト乗り場に行く事に(汗)・・・タクシー使えばよかったorz
30分近くかかってようやく麓のリフト乗り場に。。。早速七本槍の宣伝がw

足が地面に付くくらい低空な場所が多いリフトの降り口から結構急な登り坂を進む事10分くらいで賤ヶ岳頂上に到着。

ただの古戦場と思いきや、砦としての役割もはたしており、明確な堀が確認できました。
なにせ日帰りな為、じっくり遺構を探せる時間が無かったのがちょっと残念・・・

山頂の平場の至る所に、これでもかっ!ってくらい七本槍orその名前の入った標柱や幟・顔出し人形等がありますw

琵琶湖と余呉湖の絶景が見られますので、史跡めぐり以外の訪問客も多かった模様。
駐車場はそれなりの広さではありましたが、GW訪問した時には駐車待ちの車の渋滞していたのでご注意を。

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チェブ

ありがとう嵐山町のみなさん! (2018/10/27 訪問)

続100名城のスタンプがなければ見逃しているかもって位、知らないお城でした。
山内上杉氏が城主とあります。
私 只今、北条氏の初期の話を読んでいるんですが、扇谷上杉氏と山内上杉氏が非常にややこしく山内上杉氏は鎌倉じゃないの? 戦の為のお城?疑問符のまま攻めました。
が!!山城初心者の私でも分かるように説明板がしっかりしてます。山内上杉君は一旦、忘れよう!
草刈りもきちんとしてあります。
ボランティアの方、麓の中学生達も頑張って刈ってくれたんだろうな。
嬉しかったのは、スタンプの上下が分かるようにしてくれてた事です。
実は私…スタンプ帳のスタンプいろんな方向に押してしまっていて、押した後に確認すれば良かったって、いつも後悔してます。
嵐山町のみなさん、ありがとうございます。

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オダリン

琉球守を名乗る亀井氏の城 (2015/10/16 訪問)

亀井氏は南蛮貿易を行い鹿野城にオランダ櫓や朝鮮櫓などの櫓があったという。山頂に天守台の礎石が残っている。

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