鹿集城、と書いて『かたかりじょう』と読みます。所見では読めまい。
兵庫県丹波市市島町、一つ山を越えればすぐ福知山というところにあります。
福知山城からの帰路、そんな所見殺しの城に立ち寄ってみました。
説明板によると、元々の城名は『鹿聚(ろくしゅう)城』と名付けられ、後に『鹿集城』と書くようになったとのこと。
承久三年(1221)源範頼の次男の吉見資重が氷上郡鹿集の庄に地頭として入り、上垣集落に続く小高い丘に築城したと推定されますが、詳細な年代は不明。
戦国時代には居館に防御施設を施すなどして拡張、城塞化したもので、平時の生活の場でもあったようです。
また、鹿集城の下を流れる川を天然の堀として利用したことでしょう。
その他、詳しいことはわかっていないようですが、天正七年(1579)丹波平定を目指す明智光秀の軍勢によって落城したといわれていることから、丹波の有力豪族である赤井氏や波多野氏に属する勢力の城であったことは確かなようです。
現在、城跡には市島中学校が建っており、地形的には何となくお城があったっぽいかなーという感じはありますが、明確な遺構は残っていません。土塁のようなものはあるのですが…。
また、城跡を示す石碑が建っているのですが、これがいけない。思いっきり中学校の敷地内…。
ということで石碑の撮影は諦め、そそくさと退散しました…。
中学校の敷地や立地から察するに、そんなに大きい城ではなく、規模や形式としてはやはり城館に近いのかなーと感じました。
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