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カルビン

地域住民の猛烈な反対が(伊奈氏屋敷跡) (2015/05/16 訪問)

埼玉県大宮駅(JR・東武・ニューシャトル)からニューシャトルにて丸山駅より散策
各サイトで地域住民の猛烈な反対で周辺の見学を拒否されていて、今でも現地にその旨の立て看板が至る所に存在する為に、本当に散策していいのか?と危惧してしまう場所。

今は有る程度の和解をされたという情報ありましたが・・・以前余程マナーの悪い連中が酷い痕跡を残したのか、それとも市(県)と地域住民の間に余程の軋轢があったのか。。。詳しくは解りませんが・・・
どちらにしても勝手に人様の居住地域に入ったり、ポイ捨てしたり人の家を撮影するような人として問題無き様マナーを以て見学しましょう。

城域エリア内道中の道沿いの至る所に解説があり、中には消滅してしまった遺構もありますが、意外とそれなりに土塁や堀等が残っていて、逆に良く開発の手で消滅しなかったなと思う程。

アップダウンは全くと言って良い程ありませんが、結構城域が広いので、ウォーキングの距離としては結構良い運動になるかも。
(実際ニューシャトルの一駅分以上歩いてます(汗))

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dougen

2016.9.7登城 (2016/09/07 訪問)

西鉄柳川駅の西側、柳川中学校が本丸跡となります。
近世城郭の平城で、幅の広い水濠が往時を物語っています。
城域もかなり広く、駅でレンタサイクルを借りると散策が楽にできます。
市街化により、遺構としては、水濠の他には本丸跡と石垣がわずかに残るのみです。
広大な水濠は川下り(堀めぐり)が名物の様で、時間があれば楽しめそうです。

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朝田 辰兵衛

城の内部も朱の芸術… (2016/11/29 訪問)

消火栓が全然目立ちません。むしろ,違和感を感じませんでした。意を決してスタッフに言ったら苦笑いで終了…。

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にのまる

縄文時代の痕跡もあったのだそうな。 (2018/10/30 訪問)

ゆるやかな坂を上って行った先に現れたのは、散髪したての3歳児の前髪のように切り揃えられた芝。ハズした?ただの公園だったか?とちょっと凹んでしまったのですが、その先にはちゃんとステキな城址が隠れていました( ◠‿◠ )
古墳を利用した物見台、広めの空堀からの土塁の盛り上がり、土塁と空堀に守られた本曲輪。斜面には腰曲輪がいい感じで巡らされていました。
ただ、腰曲輪の先はひっそりと佇む祠や湧水など、城の看板がある側とは全然違う裏の顔で、とっとと逃げたくなりました。
小さめの城址ですが、入ったところと出たところの雰囲気が違いすぎで、これは意図的なのか何なのか、セブンイレブン越しに小山を見上げながらちょっと考えてしまいました。

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カルビン

車でないと無理 (2014/08/14 訪問)

深夜0時に家を出て米沢に着いたのがAM5時頃・・・そこから更に北上し、かみのやまに次いで長谷堂城にやってきました(´Д`)=3
流石に東京から車で日帰りで行くにはちょっとキツかった・・・でも長谷堂城は車でないと訪問出来ないので・・・


長谷堂城は軽い山城といった感じで、それ程高くない山にそれ程技巧的な遺構も無く(曲輪ばかり)、かと言って急坂で攻め辛いと言う事も無さそうでした。。。

名将と言われた直江兼続さん、実はそれほどでも無かった?・・・とちょっとは思いましたが、逆に上山城や畑谷城をあっという間に抜いた事、撤退時に大きな損害を出さなかった事を考えると、やはり直江兼続は名将なんだと思われ・・・

って事は、最上義光の属将で長谷堂城城主・志村光安とその援軍・鮭延秀綱の2名の能力が突出していたと考えられそうです。


上泉伊勢守が打ち取られた地や直江兼続陣等を見れていないので、また再訪しないと・・・次は山形駅を拠点にレンタカーでの攻略も視野に入れないといけないかも・・・(厳)

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モト

外堀、内堀と郭と縄張りをつかみやすい城跡です。 (2018/10/24 訪問)

茨城県の城巡りで何気なく立ち寄ったのですが良い意味で期待を裏切る城跡でした。
見学は比較的に平らな道で歩きやすく、規模もそこまで大きくはないのですが遺構は保存状態も良く、縄張りをつかみやすい城跡でした。
入り口からすぐに見えるのは浅い空堀です。
しかし、右にその空堀を奥にすすんでみてください。
カーブした魅力的な空堀につながります。
これはぜひ見て欲しいです。
道に戻って本郭に入ると、郭を囲む土塁が雰囲気があります。
その土塁の上を郭と囲む空堀を見ながら歩けます。
井戸跡などもあり、雰囲気もありますし、城跡全体の造りが把握しやすい城跡でした。
ぜひ気軽に寄ってみてください。
期待を上回っくれると思いますよ。

駐車場は蒼龍寺の駐車場に停めました。
先にご紹介いただいていた通りすぐ横の砂利道から行けて、わかりやすかったです。
またぜひこちらに来た時は寄りたい城跡でした。

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nomisan

藤堂高虎の名城 (2018/09/22 訪問)

天気も良く整備状況も良好でした。

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チェブ

左折よーし! (2018/10/27 訪問)

私の住む街から鉢形城(←何回か城攻めしましたが道に迷い同じ道を何度も通ってます。)に向かう途中、左手にあります。
ここ最近、埼玉県比企郡の城巡りをしていたので場所は分かっていましたが、スタンプ帳を忘れてきてたため寄らずじまいでした。
やっと左折しました!
期待通り、広い館跡でした。深い掘り、何人の方が何日かけて作ったんでしょうね?
で、小学生達が遠足(?) でたくさん遊んでいました。
私も、はしゃいでました。
丹羽 長重君が言ってた通り「バカッチョ」だらけになりました!

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todo94

洲本城に行く前に (2018/10/21 訪問)

続日本100名城の洲本城へ赴く前に、西淡三原ICで下車。インターチェンジほど近くの志知城に立ち寄って行った。なかなか、濠端にとりつくのが困難な城なのだが、主郭、二の丸を囲繞する水濠がしっかりと残っている城であった。

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朝田 辰兵衛

午前中の登城がおすすめとのこと。 (2016/11/29 訪問)

奥へ奥へと足を進めるほどに,生臭い匂いが鼻につきました。「ハブかな…」と思い警戒しながらの登城。帰りに職員の方に伺ったところ,おそらくハブとのこと。ただ,比較的涼しい午前中は確認情報を聞かないそうです。刺激を与えなければ大丈夫とのことでしたが,そんなことを言われても…。

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dougen

2016.9.7登城 (2016/09/07 訪問)

甘木鉄道甘木駅からバスで20分ほどのところにある秋月地区の秋月中学校が秋月城址となります。
近世の城郭(陣屋)ということもあり、小規模ながら石垣や水濠などの遺構が残っており、長屋門や黒門の城門が現存しています。
また秋月地区は城下町が保存地区に指定されていることもあり、周辺の散策も楽しめます。
背後には中世の秋月氏の拠点の山城である古処山もあります。
今回は時間の都合で行けませんでしたが、次回、機会があれば訪れてみたい城址です。

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dougen

2016.9.7登城 (2016/09/07 訪問)

西鉄柳川駅でレンタサイクルを借りて、国道385号を北上、東蒲池の信号付近を入ると崇久寺があり、蒲池城址となります。
田んぼに囲まれた平城で、往時も湿地だったことが伺えます。
特に遺構は残っていない様です。
また、登城時には気づきませんでしが、崇久寺の西側の民家立派な石碑がある様です。

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刑部

城址と桜 (2018/04/12 訪問)

この時期 福島県の城址は、桜が満開のところが多いですね。

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刑部

僅かに遺る遺構 (2018/02/12 訪問)

石垣と堀 縄張り全体をみてみたい。

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SIN

伏見お城まつり2018 (2018/10/14 訪問)

今年も晴天で無事に開催されました!

今回は昼の部と夜の部と別れ、戦国武将に扮した時代活劇、大道芸、音楽ステージや物販・飲食ブース、多数の子供向け体験型イベント、ドローン操作体験があり、夜の部はライトアップされたお城のふもとでダイニングと伏見の清酒と音楽ライブが行われました!

6月に発生した地震の影響で天守には近づけなかったのが残念です…。

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チェブ

土手ではなーいっ! (2018/10/28 訪問)

偶然にも、ここの近くに住む会社の同僚と山口城の話になりました。
少し行くとメットライフドームがあり渋滞していたので「何のイベントだったの?」から話は始まったんですけどね。
よく彼は山口城近くを通るらしいのですが「たまーに土手の写真、撮っている人がいる。」との発言に「土手ではない土塁!ど!る!いっ!」と訂正しておきました。
ここも、秀吉さんにやっつけられました。
そして、その後も かなり放ったらかしになってしまった為に商業施設が並んでしまったそうです。
でも私は、ちょこっとの土塁でも見つけた時は嬉しかったです。

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カルビン

お笑いウルトラクイズに使えそう (2014/12/12 訪問)

栃木県北部のお城を見学した帰り道に勝山城に立ち寄りました。
最寄りの駅は東北本線氏家駅になりますが、30分前後歩く必要があります(車推奨)
お城を目指すと場所が解り辛いですが、[さくら市ミュージアム]を目的地に設定すると解りやすいかと(隣接しているので)

勝山城は宇都宮氏の改易(秀吉の惣無事令に背いた為)に伴い廃城になったらしいです。

それ程広いお城ではありませんが、お笑い芸人が一旦落ちると這い上がるのに笑いを取れそうな深い堀(南東から南西)や二重(三重?)堀(北東から東)、復元門等、なかなか面白い遺構が見られました・・・お笑い番組のロケに使えそうです(笑)
※本当にそれやられてしまうと遺構破壊につながるのでNGですけど(汗)

西を流れる鬼怒川が天然の堀の役目を果たす為、崖端城ですが四方を堀・土塁で囲まれているので、崖側以外隙が無く、かなり堅固なお城だったと思われます。

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勝野武士

三田市内に残る伝承の門。 (2018/10/31 訪問)

三田市内、九鬼家の菩提寺である心月院に、湯山御殿から移築されたと伝わる門が残っています。
全体的に堂々としていて、デザインはシンプルながらも梁の上部に菱形に組まれた建具が、豪壮な中にも軽やかなエッセンスを加えていて、カッコいい門です。
梁や柱も太くて、とても立派です。
三田陣屋に寄ったら、是非。

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モト

空堀の魅力を存分に味わえます (2018/10/24 訪問)

深く見事な空堀が周囲を囲っていて、空堀の魅力を味わうならかなりオススメの城址です。
阿弥陀寺に車を停めて、脇を奥に進むとその城址はありました。
入り口からすぐに深い空堀が見え、私はすでにニヤニヤです。
主郭、二の丸を空堀が囲っていて堀底などを歩いて見学できるようになっています。
私は主郭からまわったのですが、二の丸からまわるコースがオススメです。
なぜなら主郭の空堀も見事ですが、二の丸を囲む空堀も見事だからです。
二の丸からまわりますとロスなく全部をまわれると思います。
私は主郭を囲む堀を見たり歩いたり、本丸に行って土塁を見たりして、それでも十分に満足いたしました。
が、満足してそのまま見逃して帰りそうになりましたが二の丸を思い出して行ってみると、なんとこれまた見事っす。

まさかこれほどすばらしい城址の雰囲気が味わえる場所だとは思わず、大満足でした。
ぜひ、水戸、ひたちなか方面の城巡りの際は足を延ばしていただきたい城址でした。

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勝野武士

九鬼家、決して矜持を失わず。 (2018/10/31 訪問)

三田は何度か行ったことはあるのですが、じっくりと街を歩いたのは初めてだったりします。

三田城は武庫川を天然の堀として、すぐ南西の段丘上に築かれたお城です。
最初に築かれたのははっきりしないようですが、室町時代半ばには既に車瀬城として存在していたようです。
荒木村重の家臣である荒木平太夫が、その車瀬城を近世城郭に作り替え、城下町を整備したようです。
村重が謀反の末に出奔した後、織田方家臣の山崎堅家が入り、また後に徳川の天下となると九鬼久隆がお家騒動を理由に志摩國鳥羽から石高を削られた上で移封となり、車瀬城の一帯を三田陣屋として再整備、以降明治を迎えたのです。

時代とともに城主や城そのものの姿、城の名称さえも目まぐるしく変化したこのお城、現在は旧三田城だった曲輪が有馬高校に、九鬼家の居館だった曲輪は三田小学校となっています。当然入れません(タイーホされちゃいますね)が、周囲に水堀や空堀が残っています。
そして、水軍の技術を忘れない為に船を浮かべて調練をしていたという三田御池もしっかり残っています。跡地がそのままそっくり学校敷地となったおかげか、全体的に江戸時代の頃の面影が良く残っていました。
あと、小学校の校長室の床下に台所の跡が保存されているそうです。井戸跡も敷地内に残されているそうですが、どうあがいても学校敷地内には入れませんので、コンプライアンスの遵守をお願い申し上げます(笑)。

唯一の建造物遺構として、近くの金心寺には御下屋敷の黒門が山門として移築され現存しています。
但し随分と改変されているそうで、当時は控え門付きの薬医門だったようです。

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