ややこしいですが、元、元城小学校跡地が二ノ丸で発掘中です。
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2019/08/16 17:50
二ノ丸 (2019/08/16 訪問)
ややこしいですが、元、元城小学校跡地が二ノ丸で発掘中です。
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2019/08/16 17:48
2019/08/16 17:34
2019/08/16 16:50
たまたま見つけた城址 (2019/08/16 訪問)
3年前、スキーの帰りにたまたま見つけた城址です。前回は冬 今回は夏 やはり感じが違いますね。
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2019/08/16 16:44
2019/08/16 14:08
孤高の名城?! (2019/08/14 訪問)
岐阜県中津川市
といえば、苗木城。
って、ちがうか笑
めでたく続日本100名城に選ばれ、どこが調べたかわからないけど、絶景の城No.1らしい。
大きな天然の岩をフルに活用した城は、崖の上に立つ砦で独特の雰囲気に覆われていた。
江戸時代に入り、一国一城令が出されその多くが姿を消す中、苗木城は岩村城の支城でありながら江戸時代を通じて存在し続けた。
普通であれば山城の役目は戦国時代に終り、江戸時代に入っても存続した城は廃城か、残ってもその機能をほぼ麓に移したのだが、苗木城は江戸時代のいつ頃までかは定かではないが、そのまま山頂の本丸で政治を行なっていたと思われる。その証拠に天然の巨石ばかりが目を惹く城ではあるが、よく見ると打ち込みハギや切込みハギなど明らかに近世に入ってからの石垣もしっかりと使われていた。
海賊の城があるように、もし山賊の城があるなら、苗木城はまさに山賊の城といった荒々しい雰囲気だ。一般的に知名度のあるお城とは一線を介した孤高の名城苗木城。またまた今度はもっと時間をかけてみたい城でした。
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2019/08/16 11:17
木造長寿の模擬天守 (2019/08/13 訪問)
お盆の連休を使って大学時代の友人と城巡りを敢行。郡上八幡城は以前から行ってみたかった期待の山城。
普段であれば頂上まで車で行ける楽ルートがあるないに関わらず自力で登るのだが、今回は友人と2人である事、そして猛暑で体力的にも厳しかったため結局駅からタクシーで登城することに。。。
その途中に通った城下町はかなりの観光客で賑わっていた。夜通し踊り続けることで有名な郡上踊りが今日から始まるらしい。
城へはタクシーで程なく到着。山頂にそびえる天守は4層4階で、模擬天守ながらも木造作りで築80年を超える立派なものである。注目はその内部構造。1、2階部分が吹き抜けになっているのだ。これは極めて珍しい作りで今日観られる天守では恐らく唯一のものと思われる。
吹き抜けといえば、織田信長によって築かれた安土城も同じ構造だったとされる。安土城が築かれた時代はまだ戦国時代の真っ只中で、城と言えば防御の要塞であるという認識が一般的であったが、これをも信長はぶち壊した。吹き抜けは芸術的ではあるが有事を想定するととてつもなく愚かな造りとなる。もし天守に火が放たれればあっと言う間に燃え広がってしまうからだ。
話を郡上八幡城に戻す。現代はまずそのような事態は考えられない時代。このちょいと洒落た天守を堪能できる。
郡上八幡はお城だけでなく麓に広がる城下町や、長良川鉄道からみえる農村風景など楽しめる要素がたくさんある。また朝方雲海ができると天空の城の一つとしても注目を浴びている。色々な楽しみ方のある城、城下町なので幅広い趣味嗜好、年代の方々にオススメしたい。
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2019/08/15 22:49
さらに汗だくで… (2019/08/13 訪問)
電車を乗り継ぎ行ったけど、こちらは石碑すらなかった。。。
場所は十三駅の数分先にある武田薬品工業敷地あたり。
ここも細川晴賢を破った三好長慶が支配下に置いたとのこと。
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2019/08/15 22:32
なんもない (2019/08/13 訪問)
炎天下の中、汗だくで歩いたが何もない。
あるのは石柱のみ。しかも、石碑は北にずらし建っているようで、かつての場所を示しているのではないとのこと。柴島神社もしかり。
河川改修が影響しているそうな。
ググっていると、十河一存が築いたかもとか、三好長慶が攻め落としただとか出てくる。
三好で盛り上がったらいいのにな。
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2019/08/15 22:32
二条城 (2019/08/04 訪問)
とにかく暑い。スマホが暑さで機能停止。
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2019/08/15 21:44
2019/08/15 21:11
戦国の気風を伝える天守。 (2019/08/11 訪問)
やっとこさ来ることができました、丸岡城!
やはりここの見所は『日本最古』といわれていた天守ですね。
残念ながら最近の調査によって寛永年間の建造である事が判明してしまい、その座は松本城もしくは犬山城に明け渡すことになりそうですが、それでもこの古式の姿を伝える天守の価値が落ちることは決してないでしょう。
さて早速、丸岡城へ。
明治以降建物は取り壊され、内堀も次第に埋め立てられ、現在は外堀の一部と本丸跡を残すだけとなってしまいました。石垣も天守台とその周辺に残すのみです。
しかしその石垣は天守に劣らず、野面積みの古風な石垣で見応えありです。しっかり見ておきましょう。
天守の南側に門跡がありますが、そこを下るとすぐに『雲の井』という井戸があります。丸岡城における現存唯一の井戸ですが、城が敵に包囲されたときにこの井戸に住む大蛇が霞を吐いて城の姿を隠して危機を救ったという伝説があります。別名『霞ヶ城』といいますが、その名はここからきています。
天守の東側には『お静の碑』があります。
天正四年(1576)に柴田勝家の甥の柴田勝豊が築城の際、天守台を築きますが何度も石垣が崩れるので、ついに人柱を立てることになりました。
そこで選ばれたのがお静さん。夫に先立たれ、二人の子を育てながら苦しい生活を送り、しかも片目のハンデを持っていたという後家さんでした。
お静さんは、息子を侍に取り立てることを条件に人柱になることを受け入れ、天守の中柱の下あたり深くに埋められました。
かくして天守台は崩れることなく完成、天守も建ちました。
しかし勝豊が移封になってしまったために約束はついに果たされることはありませんでした。
お静さんの怨みは亡霊となって片目の蛇になり、城の井戸深くに棲みつき、時折現れては恨み言を述べ立てたそうです。
また、人柱に立たされた四月中旬になると長雨が降り続き、『お静の涙雨』と呼ばれるようになったとか。
さらに、城の堀の藻を刈り取る時の小唄にもお静さんは登場します。
『堀の藻刈りに 降るこの雨は いとしお静の血の涙』と。
いよいよ天守へ。
天守台の野面積みの石垣も見事ですが、石段の周りにも注目。元々は付け櫓があったのではないかと推測されていますが、はてさて。
天守内部はかなり実用的。狭間や格子出窓などはもちろん出部屋と呼ばれる武者隠しも完備。外観もそうですが、無駄を省いた機能性重視の天守といえます。
また、姫路城などのような心柱が存在しておらず、一階の柱が多いのも特徴です。これは、高層建築の技術がまだ確立しきっていなかった時代における貴重な例といいます。
最上階の廻縁と欄干を頂いた望楼型というのも古い形式と言えますね。
何より大きい特徴は、天守の屋根に葺かれた笏谷石(?)製の石瓦です。北陸の酷寒にも強く、雨が降れば青みがかった石の色がより鮮やかになり見た目にも美しい表情を見せます。最大の欠点はやはり重さですね。もちろん、復元建物を除いて現存唯一の石瓦葺きの建物です。
なるほど、知らないことがかなりあったので、いろいろと勉強させていただきました。
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2019/08/15 20:51
2019/08/15 19:56
草刈して。たのみます。 (2019/08/10 訪問)
【尾高城】
<駐車場他>城跡に多々あり。
<交通手段>車
<見所>曲輪・堀・土塁
<感想>日帰り米子御城印取得と鳥取県の城攻めの旅1城目。米子到着後に米子歴史資料館にて御城印を購入し、そこで尾高城のパンフレットを駄目もとで尋ねたら奥から出してきていただけたのでよかったです。
この城跡は本丸・二の丸が平山城の一番比高が低い位置にあり、連郭の曲輪はなだらかに上がっていく形となっていて変わっている。一番離れた天神丸曲輪がシャトー尾高というホテルとレストランの施設があり、駐車場に城跡の石碑もあった。とりあえずまず、城跡では最上部にあたる南大首郭そばの駐車場に停めて南大首郭から攻めたが、写真の通りすごい雑草で、以前の方々の投稿のお写真とは状態が「全然違うー」と少し怒々でつぶやきながら、雑草を掻き分け掻き分けの城攻めとなった。南大首郭は三方を高さ2~3メートルの土塁で囲んだいい曲輪で、そこを突っ切ると、次に中の丸という本丸のすぐ北側に位置する重要な曲輪だろう、ここは横掘で囲んでいた。2番目の添付写真の通り、黄色矢印の先が曲輪の虎口で、赤矢印の先が虎口にある説明板なのですが、雑草がすごくて入れない状態、本丸・二の丸は私有地となっているため元々入れないが、その前に雑草が酷くて近づくことすら出来なかった。
城一帯はかつて福祉センターの施設になっていたらしく、現在は施設も寂れて運営している様子はないので他の曲輪がゲートボール場や梅林になっていたが今は寂れていた。
おそらく雑草を刈る時があるのだろう、タイミング良ければ遺構が現わになりとてもいい城跡が楽しめると思うのでもったいなかった。規模・見応えは◆◆◆だが、雑草で一つ減らします。
<満足度>◆◆◇
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2019/08/15 19:15
鬼怒川を見下ろす景勝地 (2019/08/10 訪問)
勝山城は鬼怒川を見下ろす崖端城として宇都宮城とともに廃城になるまで300年の歴史があります。南北朝から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっていて、その間に改修が行われ城の各所に堅固な設備が見られます。
城域は南北450m、東西は北辺で約320m、南辺で約200mあり、段丘先端部の本丸をL字型に二の丸・三の丸が囲む連郭式の縄張りが想定されます。本丸は方形で東西80m、南北70mで、本丸を一周する土塁は堀底から7~8mあり大手口には橋が架かり、横矢掛けの構造を備えています。
皆さんの投稿を拝見して登城を決めましたが、「土の城」ということもあり、あまり期待していませんでしたが、予想に反して素晴らしい城跡でした('∀`)スンヴァラッッスィィィィィィィ。
さくら市ミュージアム駐車場(無料)に車を駐車し、ミュージアムをぐるりと半周したところに、橋が架かる大手口。大手口周辺の堀が深く、土塁が高い。゚+.(*`・∀・´*)゚+.゚良い!。本丸を囲む、高い土塁、深い堀をパシャパシャ写真に収め気分はマックス。
綺麗に整備され、手入れが行き届いている。ハーフパンツ・サンダルで臨んだが全然問題なく、楽しむことができる城跡でした。
PS.この後、登城した川崎城址にも同じ格好で挑んだが、本丸・南丸で断念(>_<)。草がボーボーで二の丸・三の丸に達することが出来ず。それでも、二の丸に行こうと草露を我慢しながら果敢に挑んだが、途中で蛇(・┰・)を発見。一目散に退散です。
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2019/08/15 18:20
2019/08/15 18:05
2019/08/15 17:42
2019/08/15 16:54
北ノ庄城、おまけ。 (2019/08/11 訪問)
画像をいろいろ撮ってましたが、紹介しきれなかったものもありますので、今暫くおつきあいを(_ _)
公園内にある石碑は日本画家として世界的にも有名な平山郁夫画伯の筆です。
画伯、なんと柴田勝家公の末裔なんだそうですよ!初めて知りました…。
今回福井城関連で見れなかったもの…福井城本丸内(御廊下橋と山里口御門、天守台など)、中央公園(御座所跡)、養浩館庭園、舎人門、瑞源寺(本丸御殿の一部が本堂、書院として残っています)。見れなさすぎでしょ(T_T)
次回への課題ということで…。
とりあえず越前にきたら、おろしそばを食わぬ訳にはゆかぬ。私のオススメは、つくも地区にある老舗『三井屋』です。約20年前もここでいただきました。やっぱり美味い…!
あとは、南条SAの土産物コーナーにて見つけた、マエダセイカ様の羽二重餅。
包み紙がなんと福井城の古図!お城好きにはたまらないでしょう。
気がつけばコレ持ってレジに並んでました(笑)。
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2019/08/15 16:28
刈谷わんさか祭特別版御城印 登城!
初代藩主水野勝成ゆかりの場所である愛知県刈谷市で行われる「刈谷わんさか祭り」にて
今年の初代藩主水野勝成入封400年を記念して・・・
刈谷わんさか祭り限定の御城印を特別に販売します!
販売価格:200円(税込)
枚数:限定200枚
また協賛事業である福山城築城400年カープコラボTシャツも販売。
販売価格:2600円(税込)
ぜひ刈谷わんさか祭りへ!!
【刈谷わんさか祭り】
日時:8月17日(土)11:00~21:00(花火大会 19:00~20:15)
場所:刈谷市総合運動公園(愛知県刈谷市築地町荒田1番地)
詳しくはこちら→https://www.kariya-guide.com/festival/000006.html
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