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弾丸旅程竹田城跡 (2018/11/28 訪問)

山城に行かねば!!という意思のもと、私は飛行機で、友人は新幹線で神戸駅に集合しました。

日程としては、1日目の午後神戸駅集合(ケーキを食べたり…)、そこから宿泊先の和田山駅まで行き、2日目早朝に竹田城跡、午後に姫路城という弾丸スケジュールでした(友人も自分もその週の金曜に〆切の出来事があり、今思うと変な風にテンションが上がっていたのだと思われる)。

竹田駅周辺で宿泊も考えたのですが、移動にお金を使ってしまった身としては竹田駅周辺ホテルで空いている宿は少し料金がお高く、和田山駅での宿泊となりました。

雲海も見たい気持ちがあったので、ホテルの方にタクシーをお願いし(色々情報も教えてくださりました)、宿を5:00出発、5:15頃山城の郷付近に到着、そこから徒歩で40分ほどで竹田城跡に到着しました。

それなりに坂という前情報はあったので、運動靴で行きましたが正解でした。二人とも新陳代謝が良かったのか、11月の早朝でしたが軽く汗をかきました。

日の出までは何も見えず、風も冷たかったので友人とくっついて待っていました。寒がりの方は思っている以上に厚着した方がいいかもしれません…。

日が出てからは展開が早く、日の出!雲海!しっかり見える石垣!!と常に感動でした。本当に雲の中に浮かぶ山城で、自分がこの城の持ち主ならば毎日ドヤ顔だなと思いました。
後々山城の郷の駐車場整備員の方に、ここ最近で一番いい雲海だった、と言われました。

お城ハイになっていたため、帰りは1時間半くらい歩き、竹田駅から姫路方面に向かいました。
弾丸スケジュールではありましたが、天候にも恵まれ山城の雰囲気を味わうことができてとてもとても楽しめました!

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ヒロケン

真田幸村城主伝説 (2019/05/26 訪問)

真田盆地の最北に位置し、真田本城の背後を守る詰城だったとされる。真田本城の別名が「松尾城」のため、「松尾古城」と呼び慣らされているが、真田本城より古いわけではありません。急峻な尾根沿いを登ると、平べったい割石を用いた石塁が次々に現れます。また、主郭後方の堀切も見所の一つです。登山口は向日畑遺跡が目印で、真田幸村が城主であったという伝説が残りますが、真相は不明です。

前日に、岩櫃城・名胡桃城・沼田城ほか2城を攻略し、目覚めると「んっ」「膝が痛え」(>_<)我慢できない程ではないが、歩く度に軽く痛みが「ん〜ん」 今日は、メインの松尾古城!! カルビンさんの投稿を見てどうしても行きたかったお城の一つでした。(以前から知っていましたが、行く機会がなくどの方の投稿を拝見しても、《過酷な城攻め》とのことで、少々敬遠していました。)
この日、真田本城を攻略し、下調べで向日畑遺跡へ直行。遺跡の100m位手前に無料の駐車スペースがあり駐車。その200m位手前に城山を見上げつつ、案内板があります。

城山を登り始めて直ぐに急勾配の尾根沿いに(^_^;)、膝の痛みと息切れで何度も引き返そうかと思いつつ、思い直して登り始めるといった動作を繰り返し、登り始めて200m位(もっと短かったかも)進んだ所に石積み・曲輪跡ヾ(❀╹◡╹)ノ゙❀~~~石積み・曲輪跡が断続的に続き本郭に到達ヾ(❀╹◡╹)ノ゙❀~~~ ここがまた凄い!!狭い曲輪ではあるが、平べったい石積みで囲われている。
本郭とその周りをじっくりと堪能し、主郭後方の堀切へ、これもまた凄い!!膝の痛みと急勾配に負けなくて本当良かったと思いながら膝の痛みと戦い、帰路につきました。

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石垣削り人

狭く急な階段 (2019/06/30 訪問)

天守閣内の狭く急な階段を鎧を装着して昇り降りするのは難しく感じた。武具の間はあるが、そもそも天守閣内では鎧を装着して昇り降りすることは無かったのだろうか。

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街道おじさん

苗木城登城 (2019/03/12 訪問)

高森山の頂上に築かれた素晴らしい山城。
天守台からの眺望も正に絶景。
石垣もこんな高所に良く運んだと思われる。惚れ惚れする。

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まっぴー

家康公の出身地 岡崎城🏯 (2019/07/06 訪問)

遺構度 ★★★☆☆ 復元度 ★★★★★
施設充実度 ★★★★★ 楽しさ度 ★★★★★

天下人として有名な家康公の出身地である岡崎城に行ってきました!
主に復元された建物が多い中でとても立派な空堀や井戸などがありました。
天守や櫓、櫓門などが復元されていました。
天守内は展示物があり、出土したものやジオラマ、シアターなどがあり岡崎城のことをよく知れました!
そして最上階には岡崎城関連の簡単な版画が出来るところもありました!景色も良かったです!
敷地内には家康館があり家康公のことがたくさん知れました!
関ヶ原についてのシアターや今川義元公の木像などもありました!
そして刀を持つ等の体験もありました!
他にも公園内には家康公や竹千代、松平元康公、本田忠勝公の像などもありました!からくり時計などもあり遊び心溢れていました!公衆電話も岡崎城型になっていました!

時間があまりなかったので急いで細かく見れなかったのが残念ですm(._.)m
もしまた行ける機会があったら再訪したいです。

駐車場も広く止めやすかったです!
岡崎城と家康館の共通券は大人510円、子供は270円です!

とても見がいがあり、楽しめます!
予想以上に良いお城でした!さすが家康公の出身城ですね!
1度は是非訪れてほしい城です!是非来てみてください!

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石垣削り人

石垣比較 (2019/06/30 訪問)

700分の1名古屋城プラモデルの石垣を持参し、大天守、小天守の石垣を実物と比較したところ、かなり良く出来ていると思った。工事中のため天守閣の中に入れず残念。

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宗春

大野城 (2017/12/30 訪問)

天守風展望台があり、意外と良い眺望でした。

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宗春

大草城 (2017/12/30 訪問)

天守風展望台があります。思ったより良い眺望でした。

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宗春

大垣城 (2017/08/14 訪問)

普通に城巡りを始めた最初のお城です。

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宗春

苗木城 (2018/11/24 訪問)

某アプリの、美濃山城イベントのため再登城。

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宗春

苗木城 (2017/08/12 訪問)

少し前の登城です。家族と行った時のもの。

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ぴーかる

御館 (2019/04/30 訪問)

【御館】
<駐車場他>駐車場はありません。近辺にコインPもなし。
<交通手段>車

<感想>2泊3日上・越攻城の旅6城目。御館の乱、そもそも上杉景勝が家督争いに勝って当主になったことは知っていたが、御館の乱という名を知ったのは勉強不足でほんの数年前のことでした。城びと方々の御投稿にて何も残っていない場所だとわかっていたが、今回長距離旅で春日山に来たのでせっかくなので見ておこうと思い来ました。
公園がほぼ館の中心部分で堀もあったらしいが、周辺は住宅になっており堀も埋められています。公園は方形になっていますが、案内板の通り館跡の方形との東西南北がちょっとずれています。
 遺構が無い城(この場合館ですが)の訪城は初めてだったので攻め感は全くないですね。(--〆)

<満足度>◆◇◇

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くろもり

土の大城郭と南蛮へ渡った男 (2015/12/29 訪問)

大雨が集中し、南九州にお住まいの方は大変な時だとは思いますが、エールも込めて宮崎県の都於郡城(とのこおりじょう)の投稿をさせて頂きます。

電車で佐土原駅に着きましたが、都於郡城まで片道12km。バスとコミュニティバスを乗り継げば、城の近くまで行けそうでしたが、コミュニティバスが1日4~5本だったので、タクシーを使いました。片道3000円くらいだったと思います。佐土原駅にコインロッカーがなかったので、お土産の日本酒を抱えたままの登城となりました。

駐車場は普通車75台程と大型車5台の大きな駐車場と普通車10台の駐車場があります。トイレは駐車場に1ヶ所、城内に2ヶ所ありました。

見所は、台地の地形を生かした五つの大きな曲輪、各曲輪を区切る大きな堀、本丸の大きな堀底道と虎口、本丸に高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)ホオリ(天津日高彦火火出見尊:ひこほほでみ の みこと、神武天皇の祖父にあたる人物)の陵があったとの伝説があるのでその碑と、伊東マンショ司祭の銅像と誕生の碑と慰霊の碑があり、二ノ丸には3mを越える大きな土塁もあり、西ノ城の曲輪からは天孫降臨の地・高千穂峰が見えます。

以下、写真の説明です。
1枚目・・・本丸東虎口の堀底道
2枚目・・・本丸の伊東マンショ公銅像
3枚目・・・本丸西と二ノ丸東の間の巨大な堀。カラーコーンが70cmと仮定すると塁壁の高さは15mくらいでしょうか。
4枚目・・・西ノ城の曲輪から見た西の景色。三財川と真ん中奥に天孫降臨の地・高千穂峰が見えます。
5枚目・・・都於郡城の縄張図
6枚目以降は伊東マンショ公の天正遣欧少年使節関連の写真になるので、後ろに説明を書きます。


※ここからは私の都於郡城への抑えきれない想いが続くので、お時間のある方だけお付き合いください。

私は上杉謙信公が好きなので、一番好きな城はどうしても春日山城になるのですが、謙信公関連を除いた時に一番好きな土の城は、間違いなくこの都於郡城になります。

都於郡城は何と言っても日向伊東氏の本城の一つに数えられる城なので、子供の頃から20年以上ずっと訪れたいと思っていた城の一つでしたが、その想いが報われるどころか予想を圧倒的に超える城でした。子供の頃は城=天守のある巨大城郭だったので、中世城郭を訪れると「思っていたより小さいな・・・」等と予想を裏切られる事が多いのですが、この都於郡城は巨大な近世城郭に引けを取らないダイナミックな迫力があり、終始圧倒され続けました。※とは言っても、中世城郭をある程度訪れてからの印象なので、熊本城や大阪城のようなお城からいきなり都於郡城を訪れても「何もない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

従三位に叙せられたので『三位入道』と呼ばれ、日向伊東氏の最盛期を築いたと言われる伊東義祐(いとうよしすけ)公が佐土原城と共に伊東氏の本城としていた城でもあり、天正遣欧少年使節で大友宗麟公の名代を務めた伊東マンショこと祐益(すけます)公が生まれたと伝わる城でもあり、その歴史は九州だけでなく全国でも屈指の輝きを放ちます(と私は思います)。伊東義祐公については松本清張さんの『奥羽の二人』に『三位入道』という短編が収録されています。義祐公を扱った作品は他に知らないので、貴重なものだと思います。

そして各曲輪にある解説板も素晴らしいです。日本語の説明に加えて、必ず英語の説明がついています。それも一言だけではなく、かなり詳細に説明されており感動しました。
例えば『曲輪』の説明は以下のようにされていました。
Fortification Construction
Tonokori Castle was built in typical "mountain castle" style.
Mountain castles used natural surroundings, such as cliffs, for defense.
In addition, moats were constructed and the remaining soil used to build earthen barriers around the fortress.

各曲輪だけでなく、『土塁』の説明まで英語でされており、西都(さいと)市の整備の質はもの凄く高いなと本当に感心しました。


※ここからは都於郡城ではなく、伊東マンショ公の天正遣欧少年使節に関する事になるので、興味のある方だけ読んで下さい。

遠藤周作先生の『沈黙』を読んで衝撃を受けて以来、切支丹に興味を持つようになったのですが、今年のゴールデンウィークにポルトガルに旅行に行く機会があり、ポルトガルにはマンショ公の天正遣欧少年使節の軌跡が残っているので、その足跡の地をいくつか巡ってみました。
以下、写真と説明です。
写真6枚目・・・シントラ宮殿。天正遣欧少年使節がポルトガル王族に歓待された時に訪れた宮殿です。「シントラの文化的景観」として世界遺産に登録されています。シントラ宮殿のHPの歴史の項にしっかりと天正遣欧少年使節が1584年に訪れたと記載があります。

写真7枚目・・・シントラ宮殿の紋章の間です。天正遣欧少年使節が到着する前に完成していたので、おそらく天正遣欧少年使節もこの紋章の間を見たはずです。天井にポルトガル王家の紋章があり、その周りに72の王族・貴族の紋章があります。青色の壁はアズレージョと呼ばれる青く装飾されたタイルで、ポルトガルの教会や駅等でよく見られます。

写真8枚目・・・リスボンのサン・ロケ教会。天正遣欧少年使節がリスボン滞在中に宿舎にしていたイエズス会の教会で、リスボン地震でも倒壊を免れました。外観はとてもシンプルです。

写真9枚目・・・サン・ロケ教会の内部。当時、植民地であったブラジルで産出した金を使用した豪華な内装です。往時と変わっている所もあるとは思いますが、伊東マンショ公が見た景色と一致する所もきっとあると思います。

写真10枚目・・・サン・ロケ教会から徒歩2~3分の距離にあるアルカンタラ展望台です。天正遣欧少年使節の一行もここからきっと、サン・ジョルジェ城とリスボンの風景を見たと思います。サン・ジョルジェ城は財団法人日本城郭協会が選定したヨーロッパ100名城になっています。

長文の後にお城とは関係ない話題で申し訳ないのですが、写真10枚目のアルカンタラ展望台は2011年3月に発生した東日本大震災から1ヶ月程経った頃に放映が開始されたエステー社の『消臭力』のCMのロケ地になります。ミゲル君というポルトガル人の男の子が、サン・ジョルジェ城とリスボンの美しい街並みをバックに「ら~ららら~♪」と笑顔で歌うCMで、覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。リスボンは1755年に大きな地震と津波が発生し、数万人の死者が出たと言われる程の被害を受けましたが、現在ではその面影を全く感じない程復興されて美しい街になっています。東日本大震災後の原発事故等が不安でどこか暗く落ち込んで生活している時に、ミゲル君の笑顔と歌は、震災から復興したリスボンから日本にエールを送られているように感じ、とても感動したことを覚えています。日本は地震・津波・台風・水害と災害の多い国で、最近、都於郡城のある南九州でも豪雨による災害が発生し、大きな被害が出ていないか心配しています。

私は真言宗ですが、マンショ公と神のご加護が南九州の方々にあらんことをお祈りしています。

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カルビン

コンビニの有り難さを知る (2019/05/26 訪問)

久しぶりに神社仏閣参拝巡りをすべく、以前より行ってみたかった千葉県柏市にある布施弁天東海寺まで電車・バスで参拝しに行ってきまして。

ついでにそこから西に1.5km離れた「ウィングホール柏斎場」に入口にある布施城の城碑を見に行きました。
遺構が無いのは解っておりましたが、折角なので・・・


駄菓子菓子!


この日とんでもない猛暑に加え、東海寺から布施城碑までの直線の道には日影がほぼ皆無と言う事でかなり危ない状態に。。。
たかが1.5kmの歩きでここまでフラフラになるとは思いませんでした (゚ω゚)~~゚

斎場の近くにある道沿いにある林の日影で回復をはかり、なんとか復活して城碑を見て、あと周辺の地形をざっと見て即日陰に引き返し

滞在時間3分程でしょうか・・・何もないからねww
しいて言えば川沿いの地形がもしかしたら・・・くらいでしょうか。

地形的には先程涼んだ場所がちょっとした崖下にあたり、もし布施城の範囲がそこまで伸びていたとしたら、開発の手が進む前は崖端城としてみられたのかもしれません。
と、何も無いのを妄想でごまかしつつ引き続き猛暑に悩まされながら進み、ようやくたどり着いたバス停へ。

ここで30分待ちを喰らいましたが、目の前にあったコンビニのおかげで完全に生き返りました(;`ω´)9

ここ数年の猛暑で熱中症患者が増えております(自分も昨年影響受けた)が、危険時の救いとなるのはコンビニになるのかもしれません。
その有り難さを実感しました・・・皆様も熱中症対策をしっかりしてお出かけしましょうね(危)

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todo94

立派な城址碑 (2019/06/29 訪問)

城主の千徳政氏は南部を裏切り津軽為信と結びますが、南部氏に攻められた際、津軽為信が援軍を送らなかったことで津軽氏との同盟は破綻を来し、津軽軍に攻められて廃城となったそうです。

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たくわん

広いです (2019/07/05 訪問)

辻堂駅北口からバスに乗って大庭小学校で降りて10分くらい歩くと大庭城址公園に着きました。本丸二の丸三の丸四の丸などあるから広いです。一周1kmくらい。30分くらいで一周しました。堀とか縄張り残ってます。

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チェブ

水分補給。 (2019/05/25 訪問)

埼玉県の「江ヶ崎城」に行きました。
昨日、投稿した「岩槻城」の後に向かいました。
30度越えの暑い日でした。
「江ヶ崎城」はセブンイレブンの駐車場に石碑があるとの皆さんの情報です。
これはもう、アイス買って「江ヶ崎城」攻めですよ。
鬼窪 繁政さんの居城と言われる、「江ヶ崎城」。
鬼窪氏のお名前を調べても、あまり詳しく出てきません。
でも、とても立派な石碑が立ってました。
ちなみに石碑は民家の入口近くにあります。

また、暑い夏がきますね。
水分補給しながらお城巡りしましょうね。

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イオ

狼煙の中継所 (2019/06/24 訪問)

鎌倉期に築かれ、近接する栂山城、豊田城とあわせて鼎城と呼ばれた小谷氏の城で、南北朝期には南朝方で千早城からの狼煙の中継所としての役割を果たし、戦国期には三好氏と争い、織田信長の紀州攻めの際に根来党であるとして落城させられたようです。

阪和第一泉北病院の裏山が城址として整備されており、病院の玄関脇の道を上っていくと、本丸と思しき頂部に城趾碑や説明板が設けられていますが、遺構は特にありません。ただ、眺望はなかなか良く、狼煙の中継所だったというのも納得です。
病院の下(南西)には小谷城郷土館があり、こちらにも城趾碑や説明板がありますが、休館日だったため館内には入っていません。また、郷土館入口の長屋門は伯太陣屋から移築されたものです。

アクセスは、泉北高速鉄道・泉ヶ丘駅から徒歩約18分、車なら小谷城郷土館の無料駐車場に駐めて徒歩7分くらいでしょうか。
 

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街道おじさん

大垣城登城 (2019/03/01 訪問)

関ケ原の戦いの舞台となり、歴史に名を残した。
美濃路を歩いた際に立ち寄った。
個々の天守は戦前国宝の指定を受けていたが、惜しくも戦災で焼失。

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退会済み
ユーザー

4年ぶり (2019/07/05 訪問)

久しぶりに行きました。4年ぶりです。若干ですが前に比べ説明文が薄くなった様な。

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