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さわ5540

浜松城 (2017/02/19 訪問)

周辺の木が少しずつ伐採されていて、よくなってきました。

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織田晃司

中世宇土城 (2019/07/25 訪問)

横堀が残ってますが風化を防ぐためモルタルで固めてあります。

宇土城(近世宇土城)はすぐそばにあります。

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織田晃司

近世宇土城 (2019/07/25 訪問)

破却され遺構は少ないですが石垣が残ってます。
駐車場は墓所を抜けたところにあるので夜に通るのはちと怖いかも…

宇土古城(中世宇土城)はすぐそばにあります。

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さわ5540

堀江城 (2019/07/21 訪問)

ホテルの駐車場からの眺めです。足湯があります。

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todo94

雨上がり (2019/07/20 訪問)

戸次川の戦いでこの城側から鶴賀城救援のために、仙石秀久が渡河を強行して島津家久に大敗を喫します。小規模な丘城で見るべき遺構は殆どないと言って良いかと思いますが、大野川の対岸に古戦場の表示、そして長宗我部信親の墓が建っています。

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にのまる

前期と後期 (2019/07/10 訪問)

真田城に続けて岡崎城へ行きました。
約3.8㎞離れていましたが、手っ取り早い徒歩で。
真田義忠は岡崎四郎義実の嫡子、という関係のある二城です。

目指す無量寺は結構な坂道を上ったところにありましたが、入り口の『岡崎城址』の大看板を見た瞬間、疲れも吹っ飛びました。
看板や城址碑の疲労回復効果は絶大です。

ところが、説明板を読むと岡崎城には前期と後期があり、無量寺は後期岡崎城。
岡崎四郎時代の前期岡崎城はここではなく、岡崎神社とのこと(゚o゚;;

岡崎神社もあとで行くことにして、まずは無量寺周辺を偵察。
郭があったと推定される裏山の奥に四郎さんのお墓があるようで、入り口はすぐに見つかったのですが、お墓はここから360m入った先ですと。(写真④)
裏山の遺構を見ながらお墓まで行けそうだったのですが、見るからに藪。

行きたい<行きたくない

自分の気持ちには正直に。撤退。

そして前期岡崎城の岡崎神社に向かったのですが、そちらでは城址を示すものは何も見つけられず、ただでさえ遠い駅までの道のりがさらに約1km遠くなっただけでした_| ̄|○
…でも何もないということがわかったので行ってよかったです(^-^)/

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うさぎ屋

城跡の竹林 (2019/07/18 訪問)

竹林が綺麗なところです。
国道や鉄道で分断されていて大きさを感じます。
意外に起伏が大きく足が疲れました。

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びりー

谷山本城 (2019/07/22 訪問)

谷山隆信が南北朝時代、懐良親王を迎え島津氏と戦った城

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街道おじさん

上田城登城 (2019/05/08 訪問)

天下の徳川軍が二度も落とせなかった城としてあまりにも有名。
西櫓と南櫓が現存しており、見どころが沢山ある。
私が訪れたのは水曜日であり、上田市立博物館にも
入場するつもりだったが、あいにく水曜日は定休日。
博物館・美術館は月曜定休という私の常識が通用しなかった。
ご注意を!

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赤い城

小見川城山公園 (2019/07/27 訪問)

小見川駅から徒歩で20分、大きな公園なので駐車場もあります。
案内所もあるのですが訪問時は鍵がかかっていました。
主郭部分への土橋脇に深い空堀が残っていました。
下に降り、竹藪方面に進むと土塁の向こうに浄水場があります。
この辺りが主郭と思われます。
城山公園なのに城跡がメインではないような気もしますが・・・。

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じゅんじん

駐車場なし (2019/07/13 訪問)

車1台しか通れない道沿いに城址碑がありました。駐車場があればもっと見たかったです(・.・;)

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ヒロケン

関ヶ原の戦い (2019/07/15 訪問)

岩国城は慶長6年に吉川広家入国後、築城が始められ現地調査の後、山麓の御土居建設から着手されました。続いて山上の城郭工事が計画され、慶長8年から開始されました。岩国城の縄張りは山頂部の本丸を中心として北東側に北の丸、東西側に二の丸、西側に水の手郭4つの曲輪で構成され、本丸には山陽道側に天守が設けられていました。

吉川広家といえば何と言っても思い出されるのが「関ヶ原の戦い」ではないでしょうか?最初、石田三成率いる西軍に属していましたが、徳川家康率いる東軍への寝返り組の一人として記憶しています。
西軍の総大将 毛利輝元 毛利一門でありながら、小早川秀秋・吉川広家が寝返ったことにより、西軍が負け、東軍の大勝利となりました。(諸説あるようですが、戦う以前から徳川家康と密約ができており、毛利家領土112万石安堵を条件に決戦前夜に寝返りを決心したと伝わっていますが、結局、毛利輝元が西軍総大将であったことから、密約が反故にされ周防国の東部と長門国30万石に厳封されてしまいます。)毛利元就公の「三本の矢」は生かしきれていなかったと言えますよね(o゚ω゚)チーン
もし、毛利家一門の裏切りがなく、石田三成・毛利家家臣の安国寺恵瓊等と一緒に戦っておれば、歴史は大きく変わったのではないかと
妄想しながら城跡を堪能させて頂きました。 

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にのまる

また行こ。 (2019/07/10 訪問)

東海大学前駅(小田急線)から約1.5㎞の天徳寺に石碑と説明板がありました。
モトさんとカルビンさんのご投稿を拝見し…えっ公園?えっ土塁?と準備不足を反省しているところです(;_;)

くろもりさん、ありがとうございます。長篠城はピンポイントでしか行ったことがないので、勝頼軍団慰霊の旅、憧れです。お城expoで購入した新城市教育委員会の大きな「長篠・設楽原史跡案内図」を床に広げて、今日のご投稿(ありがたすぎます。)と照らし合わせながらエア旅します!

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くろもり

鳥居駅から長篠城の戦いの地巡り (2019/07/15 訪問)

飯田線の鳥居駅から反時計回りに長篠城周辺を散策し、鳥居駅に戻ってくるルートで散策しました。
ルートと各到着時間を書いておくので、鳥居駅から行こうと思ってる方は参考にしてみてください。
飯田線の鳥居駅着(8:15) → 新昌寺の鳥居強右衛門墓碑・武田四将(和気宗勝・高坂助宣・小山田昌晟・横田康景)墓碑(8:17) → 豊川沿いの鳥居強右衛門磔の場(8:31) → 牛渕橋から長篠城と宇連川と寒挟川(現・豊川)の眺望(8:39) → 鳶ヶ巣山砦(9:00) → 姥ヶ懐砦の三枝兄弟の墓入口(9:30) → 長篠駅(9:46) → 長篠城・長篠城址史跡保存館(9:55) → 馬場美濃守信房の墓(10:56) → 鳥居駅着(11:13)
時間は約3時間、歩数は1万歩程で、写真は217枚撮影していました。鳶ヶ巣山砦と姥ヶ懐砦を抜かせば1時間近く短くなるのかなと思います。戻りの電車の時間は気にしていなかったので、歩く速度は普通です。

合戦のあった梅雨時期だったので雨中の散策となりましたが、往時もこのような状況の中、鳥居強右衛門は川を泳いで敵中突破し岡崎城へ救援を求めに行ったのかと、増水した霞がかる豊川を見て思いました。

車での登城の場合、城址に無料駐車場あります。

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うさぎ屋

外濠(四谷見附・真田濠・虎ノ門) (2019/07/21 訪問)

外濠の遺構を通ったので、いくつか写真を撮りました。
虎ノ門は官庁街なので、日曜は人が少ないです。
一部にもかかわらず、江戸城の大きさを感じます。

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ぴーかる

天守・銅門番所・転用石 (2019/06/23 訪問)

【福知山城】
日帰り丹波・丹後攻城の旅1城目。福知山城は3度目の再訪。今回は銅門番所・転用石を中心に見に行ったが、本丸跡・その他が発掘工事中で、銅門番所が間近で見れなかった。また本丸下段も立入禁止。朝9時に来たが曇天模様なのか来訪者が2・3組しか居らずゆっくり観察出来た。来年の大河ドラマ麒麟が来るののぼりが旗めいて、来年はきっと賑わうことだろう。
天守石垣の転用石、銅門番所は望遠でなんとか撮影出来た。次の目的城の猪崎城が由良川ごしに眺められた。

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カズサン

木造復元天守閣 (2018/06/22 訪問)

 昨年6月下旬可後森城を是非探訪したいと四国西部、香川県の城探訪を4泊5日で計画し松山城の乾櫓中心に探訪を終え松山道を南下し大洲IC経由大洲城へ10代最後の夏休み四国一周城廻初登城以来50数年来数回、木造天守復元以来からも15年も何回か探訪してる大洲城ですが夕刻近く雨もチラつき始めましたがちょい寄りして探訪、堪能しました、新しき登城路に土塀が復元したり、下台所櫓の修復と新たな試みが伺えます。
 車は二の丸の市民会館前有料駐車場へ駐車、ビュースポットの肱川堤防からも撮影。
 探訪後の7月上旬肱川氾濫による大雨被害に遭われた大洲市にお見舞い申し上げます、早くの復旧復興をお祈りいたします。

 この後宇和島へ宇和島城をホテルより遠望し、郷土料理店で鯛めし、じゃこ天を美味しく頂き、スナックを紹介して貰い宇和島の夜を常連客と共に楽しまして頂きました。
 翌日は雨の可後森城を探訪へ。

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チェブ

太田 道灌さんが現代にいたら、、。 (2019/07/06 訪問)

東京都品川区の「御殿山城」に行きました。
太田 道灌さんが築城しました。
夢のお告げで江戸城にお引っ越しするまでの間、居城します。
家康さんの時代には「御殿山城」、鷹狩の休憩場所として使用しました。
そして!!幕末に台場建設の為に、ごっそりえぐられてしまったようです。
現在の「御殿山城」はホテルの庭園になってます。
庭園の入り方が分からず上からの写真です。
遺構はもちろん、説明板や石碑等も見つかりませんでした。

太田 道灌さん、どの辺りで夢を見たのでしょうね(笑)

近くに「御殿山の坂」があり、途中に「地元の歴史」の説明板に太田 道灌さんのお名前を見つけました。

太田 道灌さんは関東で忙しく戦った方です。
現代にいらっしゃったら、やっぱり「御殿山城」辺りに住むんだろうな。
品川駅は東海道新幹線や山手線などのJR、私鉄もあります。
リニアモーターカーも通るんじゃなかったかなぁ。
どの戦場にもアクセス抜群です。

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カズサン

搦め手口乾櫓、野原櫓探訪 (2018/06/22 訪問)

 昨年の6月下旬湯築城を終えロープエー駅の周辺有料駐車場に止めロープウェイより10代最後の夏休み初登城から拾数回以上の登城ですが、本丸、天守曲輪、二の丸、三の丸を探訪してるのですが探訪して無い所が登石垣(大手側、搦手側)と本丸乾櫓、野原櫓周辺、今回重点的に乾櫓、野原櫓、乾門を紫竹門から入り天守曲輪を回って艮門、艮門東続櫓に出るルートを探訪させて頂きました。
 時間的に昼食時間を過ぎた頃でしたので本丸の売店食事処で頂きました。
 江戸期最後復元の現存天守閣、重文建造物も多く残り、復元建造物も逐次建てられ、二の丸の復元と貴重な登石垣の修復と三の丸整備されてます大変見ごたえのある城郭です、道後温泉も近くに在り観光にはベストな拠点です、末永い保存管理修復に敬意と感謝です。

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カズサン

道後公園は湯築城 (2018/06/22 訪問)

 港山城を終わって湯築城へ公園の有料駐車場有り。
 以前から松山城、道後温泉を見学し近く復元された中世城館が有る事は認識し通る度にチラチラット見ていたのですが登城は初めて初めに資料館で資料と情報を入手、説明員ボランティアガイドの方と話が弾み外の復元施設も説明頂き長時間お世話に成りましたすっかり写真の撮影を忘れるほど湯築城資料館の方々には大変お世話に成りましたありがとうございます。

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