歴まちカードをもらいに、湯浅近くを散策。醤油屋や「稲むらの火 の館」などいろいろ。
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2019/02/28 13:01
2019/02/28 07:49
㊗️ (2019/02/24 訪問)
todo94さん、3度目の日本100名城コンプリートおめでとうございます🎊
私には到底踏み込めない山奥の奥の奥の城址など、未知の世界の様子をいつもワクワクしたり驚いたりしながら拝見しております。
お祝いに小田原城天守と満開の河津桜の写真をどうぞ!
=スタンプゲット中間報告=
現在、100名城78個、続100名城67個です。
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2019/02/28 06:40
3度目の日本100名城スタンプラリー・コンプリート (2019/02/24 訪問)
1度目は2008年5月17日、今はなき寝台特急はやぶさに乗って熊本城にてコンプリート。最も好きな城・熊本城で締めたかったのです。本丸御殿と飯田丸五階櫓にも初めて入りました。スタンプ帳は公式ガイドブックに附属のものでした。
2度目は2013年4月28日、自宅から最も近い現存十二天守の松本城にてコンプリート。冷え込みの厳しい日で天守最上階から槍ヶ岳がきれいに見えました。スタンプ帳は、無料で頂いた日本城郭協会のものでした。因みにこの2回目は、1回の旅で1個しかスタンプを捺さないという一翻縛りをかけていたので、スタンプラリーを開始してからコンプリートまで5年近くかかっています。
そして3度目の日本100名城スタンプラリー、今回の締めは世界遺産にして三大連立式平山城の姫路城しかないと心に決めていました。丁度、冬の特別公開小天守群開催期間に当たるという僥倖にも恵まれました。連立式天守の魅力を存分に味わうことのできる貴重な機会です。姫路城マラソンの日に重なってしまって、帰路は大変な大回りをさせられてしまいましたが、朝は開城50分前には並んで待ち始めたので、非常に快適に大天守や櫓群を楽しむことができました。3度目の日本100名城スタンプラリーを開始したきっかけは、第1回お城EXPOにて、「日本100名城に行こう」という公式スタンプ帳が付いた書籍を購入したことによります。2016年12月30日の鹿児島城からスタートして2年1ヶ月26日でのコンプリートとなりました。
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2019/02/27 23:52
土成 (2014/09/21 訪問)
関ヶ原の合戦後に、出羽国に転封となった佐竹氏が築いた土の近世城郭。石垣がある所でも膝上くらいしか高さがなく、徳川氏に遠慮していた姿勢を彷彿させますが、城自体は圧倒的です。うまく言葉にはできませんが、とにかく圧倒的。私では説明が不足しているので、小城小次郎さんの投稿を参考にされた方が城の凄さが伝わると思います。
佐竹氏の本城にして、近世最高の土の城(と自分では思っています)にふさわしい広大な城域と高低差に加えて、大きな水堀や表門や御隅櫓等も復元されており見所がたくさんです。また、城内にある秋田市立佐竹史料館では、佐竹義重公と義宣公の毛虫の前立てが有名な具足や義宣公の御旗等が見ることができるだけでも凄いのに、なんと写真撮影可でした。
御隅櫓にあった城のジオラマの出来も素晴らしく、ジオラマの写真だけで46枚程撮っていました。おそらく城のジオラマで一番写真を撮ったと思います。それほど素晴らしいジオラマでした。
後、城とは直接関係のない話になるのですが、城の東の三ノ丸近くの道路を歩いている時に、自転車を何度も乗り降りしている老紳士の方がいて、「自転車が故障したのかな?」と思い声をかけようと近づくと、いちいち自転車を降りてはポイ捨てのタバコを拾われていました。この時の衝撃と感動は久保田城と同じくらい強烈に私の心に残っています。
まだ暑い季節だったので、中土橋の所でおばあちゃんが「ババヘラアイス」なるものを売っており、綺麗な蓮の花の形に整えてくれました。秋田弁だったので所々会話が聞き取れませんでしたが、本物の秋田弁を聞けたのも今ではいい思い出です。
佐竹氏の久保田城築城を題材にした岩明均先生(寄生獣の著者)の「雪の峠」という漫画あるのですが、かなりおすすめです。久保田城や関ヶ原の合戦後の佐竹氏に興味のある方ならきっと読んで損はないかと思います。
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2019/02/27 23:51
世田谷吉良氏と後北条氏の空気が漂っていた。 (2019/02/22 訪問)
学生時代に近くに住んでいたことがあり、カルビンさんの投稿を拝見して懐かしくなり行って来ました。
私が住んでいた小杉陣屋町とは駅の反対側の商店街を進むと、大楽院にぶつかります。大楽院は日枝神社の神宮寺で、所蔵する釈迦如来坐像の胎内から武蔵世田谷と蒔田を領有した吉良氏朝(1543〜1603)の家臣名等を記した墨書銘が見つかったそうです。戦国時代の匂いがしてきました。
丸子城跡と伝わる日枝神社には目に見える城の遺構はありませんでしたが、北条氏直の発給文書二通と大久保長安らの連署奉書一通を所有していると解説板にありました。氏直の文書の一通は、多摩川の出水により流路が変わったために生じたこの地域の境界争いを裁決したもので、日付が天正18年3月16日とのこと。
秀吉が北条討伐のため聚楽第を出陣したのが天正18年3月1日。
山中城が落とされたのが3月29日。
年貢に関わってくるから大事なことだとは思うけれど、まもなく小田原城が包囲され、滅亡へのカウントダウンが始まるこの時期に及んでも領国内の揉め事の処理に奔走していたとは。
後北条最後の日々を思いがけず辿り偲ぶこととなりました。
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2019/02/27 23:10
2019/02/27 22:07
周りを囲む空堀と土塁 (2019/01/29 訪問)
本郭を囲む土塁と空堀が見れました。
工場地帯の中にある御前原城は一見、こんな所に城址があるのかと思う立地ですが、どうでしょうちゃんと残ってました。
周りの道に一旦、車を停めて虎口から中に入ります。
本郭は空堀、土塁に囲まれていました。
空堀、土塁と雰囲気があります。
当時の空堀、土塁はもっと深くて高いものだったんであろうことも容易に想像できます。
本郭の中は井戸跡や神社の祠が建っておりましたが、ほとんどは広場になっておりました。
ですが、これだけの遺構が残っていれば、十分に城址の雰囲気を感じることができます。
空堀、土塁の感じは、居館タイプの遺構としては良い城址ではないかと思いました。
皆さまの投稿にもありましたが、工場を作る際に壊さずよくぞ残してくれましたです。
その感想に、ほんとうに同感です。
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2019/02/27 21:27
冬とお城 (2013/01/23 訪問)
6年前の1月に訪れました。
日帰りの予定が雪に閉ざされ、公共交通機関がストップ。
止む得ず東山温泉に一泊、翌日も平常には戻らず高速バスだけが運行していたので帰りは高速バスで帰路に着きました。
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2019/02/27 21:09
節操が無い信玄 (2015/05/09 訪問)
三国同盟を組んで、北条が関東を。。。というのに、さりげなく北関東も狙って信玄が築城したお城。
女癖といい、領土欲といい、節操無いな、信玄w
烏川を挟んで周辺にはお城が乱立してます(北東側に高崎城・倉賀野城等、南西側に根小屋城の他に山名城、茶臼山城、寺尾中城等)
特に南西側のお城はそれぞれ遺構がしっかりしていて、全城オススメで御座います。
根小屋城と山名城は隣なので、おそらく皆さん歩いて同時攻略されていると思いますが、個人的には根小屋城の方に軍配が上がります。
自分はこの日高崎経由で上信電鉄線にて高崎商科大学前駅から根小屋城→山名城→高崎商科大学前駅・・・と攻略しました。
一段高くなった主郭を囲う様に切岸・横堀・土塁が走り、その周辺に土橋、虎口、深堀などが見られました。
5月初旬にして結構草が高く生え、写真映えしない状態になってしまっていたので、出来れば冬の時期に見学するのが良いでしょう。
根小屋城を訪問する1年前の同じ時期に同じ群馬県の山上城で年度初の蚊に刺されましたが、根小屋城でも初被弾しまして・・・群馬県の山中は蚊の発生が早い模様。。。攻略時には要注意です(痒)
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2019/02/27 20:45
晴れたらリフトで松山城 (2017/12/29 訪問)
ゴンドラとリフトが選べるので、寒い日はゴンドラ、晴れたらリフトで城下をみなから快適に^ ^城内は軽い運動にちょうど良い感じ!ハイヒールはやめましょう^_^脚と靴とお城のために!
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2019/02/27 20:35
石戸城と一夜堤。 (2019/02/24 訪問)
扇谷上杉氏の家臣 藤田氏の居城「石戸城」に行きました。
まず車で埼玉県自然学習センターに向かいました。
広大な自然観察公園の中に城跡があります。
しかし「石戸城」の場所が自然学習センターから離れているので荒川の河川敷にある天神公園の駐車場に車を止めて自然観察公園の端から攻めました。
ちょうど「一夜堤口」でした。
ずっと湿地帯が続き、案内板を見つけました。
北条 氏邦さんが土橋を一夜にして築き一気に攻め勝利したそうです。
現在、一夜堤遊歩道として使用してます。
予習もしないで歩いて来た道は氏邦さんの勝利への「一夜堤」だったんですね。
少々、反省。
帰りは戦国に思いを馳せて歩きました。
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2019/02/27 18:45
冬とお城 (2019/01/13 訪問)
真田絡みの山城は雪の中の石垣が見物です。
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2019/02/27 18:35
冬とお城 (2018/01/14 訪問)
石垣にまとわりつく雪が良い景色となっています。
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2019/02/27 18:32
冬とお城 (2018/02/03 訪問)
雪が合う城です。
堀の凍りも寒さを感じます。
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2019/02/27 17:31
本丸にある櫓門には必見!! (2019/01/20 訪問)
土浦市立博物館の専用駐車場に車を停めて土浦市立博物館を見て、登城開始!まず見えてくるのが東櫓です。この櫓は、明治時代に焼失してしまいましたが、平成10年(1998年)に復元されました。土浦市立博物館の付属展示館として、土浦城について紹介しています。木造で復元されていて江戸時代の姿がよく伝わってきます。櫓の中にいる係の人に言えば東櫓の復元画像を見せていただくこともできます。東櫓を出て本丸を見ていると、櫓門を発見!この櫓門は、本丸にある櫓門として関東で唯一現存している櫓門です。それに、大興奮!!!櫓門を見たら今度は、堀の周りを歩きます。水堀の本丸側には土塁があります。その上に塀があって城って感じです。パンフレットは、土浦市立博物館の中にあります。 駐車場・・・無料
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2019/02/27 17:09
「常普請」の城 (2019/02/17 訪問)
大手門の内側だけでも石垣分はお腹いっぱい状態でしたが、続いては「城内」(壺阪口門、二ノ門、吉野口門の内側)を回り尽くすべく、まずは二ノ門に向かいます。
正直、大手門内の石垣がいくら凄くても、登城道沿いの石垣となると門周辺にあるくらいだろうと思っていましたが、道の左右に広がる屋敷跡の斜面もほとんどが石垣で固められていて、大手門内とは違う意味で驚かされてしまいました。
途中、国見櫓からの眺望を堪能したり、屋敷跡で藪漕ぎしたりしながら二ノ門に到着。水堀と猿石を見た後、また大手門前まで戻って今度は吉野口門へ。こちらも、本丸下部を取り巻く石垣に吉野口門付近の竪石垣や堀切など、見どころ盛りだくさんです。さらに進んだ先の赤土郭には大堀切があるようですが、この日は時間切れのためここまで。吉野口郭を少し散策して、帰宅の途につきました。
この日歩いた「城内」のほぼ全域にわたって石垣が見られましたが、中心部から離れた場所の石垣はあちこちで崩落が進んでおり、昨秋「大和の城めぐり」と題した講演で、千田先生が高取城の石垣が危機的な状況にあると話されていたのを思い出し、その現状を目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。高取城は、現役だった江戸期にあっても、修理に際して幕府の許可を要しない「常普請」の城とされていたとのことですし、この高い山中の、広大な城域全体を維持していくのはやはり並大抵のことではないのでしょうね。それだけに、高取城が「最強の城」に選ばれたことをひとつの契機に、
「最強の城」に選ばれる → 訪れる人が増える → こんなに人が来るのなら、と国や県が史跡としての価値を見直す → 保全が進む
という流れになってくれれば…と願わずにいられません。
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2019/02/27 06:38
海防 (2019/02/19 訪問)
四国の城めぐりの締めは、港山城。湯築城を本拠とする河野氏が海防のために築いた城とのこと。簡単に主郭にたどり着くことができましたが、素晴らしい眺望を楽しむことができました。興居島の小富士がとてもよく目だって見えます。マイナーな城めぐりをしていて中国人団体に出くわしたのは初めてです。親子連れやカップルもいてなかなか賑わっていました。
今回の城めぐりは四国の西側をくるっと一周。2日間のレンタカーの走行距離は500kmを越えていました。
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2019/02/26 23:52
夜叉九郎 (2014/09/20 訪問)
夜叉九郎こと戸沢盛安公の戸沢氏が築城したと伝わる城で、関ヶ原の合戦の後は蘆名氏・佐竹氏が城主を務めました。戸沢盛安公は小田原の役で参陣した時に亡くなってしまったので、石垣山城の麓にある海蔵寺にお墓があるそうなのですが、明治以降に不明になっているそうで、私も石垣山城を訪れた時にお墓を探してみましたが、見つけられませんでした。
角館城は横手盆地の北端の小山に築かれた城で、本丸跡からは横手盆地を一望することができました。遺構は土塁らしい地形等はあるのですが、確信がもてるような規模ではありませんでした。ただ、縄張は明確に残っていたので散策は楽しかったです。
城の南に広がる武家屋敷通りには、青柳家や岩橋家や石黒家等の侍屋敷が残っており、特に青柳家の資料の展示は地方都市の小さな博物館よりも豊富だったと記憶しています。内部撮影可で、写真を見かえしても甲冑だけで10以上ありました。武家屋敷通りは海外の方も多く訪れる観光地で、お城・歴史に興味がない方でも楽しめると思います。
角館城主の佐竹北家ですが、秋田県知事の佐竹敬久氏は第21代御当主です。「龍角散のど飴」のCMに殿様役として出演されていたので、記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。「龍角散」は佐竹家宗家のお殿様(佐竹義堯公)の為に改良された薬なので、その縁でCM出演となったようです。
戸沢氏、佐竹北氏とゆかりが深い所ですが、個人的には武家屋敷通りから東に入った所にある天寧寺を訪れることができたのが一番の喜びでした。会津の名門・蘆名氏がここで断絶したので蘆名氏のお墓があります。恥ずかしい話、お墓参り中に号泣してしまいました。蘆名氏の墓碑と家臣の墓碑があるその一段下に草履取りと言われる二人の小さな名前のない墓があり、それを見た途端涙が止まらなくなってしまいました・・・蘆名氏がそれほど好きというわけではないので、自分でも驚いてしまいました。蘆名氏のお墓の下りに共感してくれる方がどれくらいいるか分かりませんが・・・角館とにかく最高です。いい思い出をありがとう。
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2019/02/26 23:35
約30年ぶりに登ると… (2018/05/26 訪問)
ビミョーに変わってました。城郭よりも約30年ぶりの変化のほうが新鮮に感じてしまいました。登りやすくルートを変えているところがありました。それから,三の丸に当時あった無線局舎はなくなってましたねぇ…。立入禁止のロープが張られて発掘調査が進んでいるようでした。おそらく,撤退させられたのでしょう。
そうそう,ここは日本海のロケーションがイイので,晴れてる日に登らないと損だと思います。佐渡もしっかり見えますから。
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2019/02/26 23:25
行って損なし苗木城 (2019/02/22 訪問)
天然の巨岩と人工的に作られた石垣を巧みに配置した城郭は、一見の価値有りです!
岐阜県中津川の市街地から、国道257号線を北上して木曽川を渡る城山大橋まで来ると右手に城跡を確認でき、期待に胸が高鳴ります。
お城を登る前に中津川市苗木遠山資料館に立ち寄ることをおすすめします。「続日本100名城」スタンプもそうですが、3月末まで「東美濃の山城周遊スタンプラリー」も催され、限定の山城カードをゲットできます!資料館で新鮮な情報と見所を確認して、いざ!
凄いです! まず巨岩の迫力に圧倒され、バラエティーに富んだ様々な積み方の石垣が保存状態の良い形で残されていることに驚かせられます。戦国時代・江戸時代には、赤い土壁と懸造による張り出した建築物、巨岩の上に建つ天守が存在していたようです。壮観ですよね!
天守跡展望台からの眺望も素晴らしく、恵那山や木曽川周辺、中津川市街も一望できます。
これからの桜咲く時期、新緑の季節、栗の収穫期、紅葉の頃、いつ行っても楽しめると思います。
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