お城としての見所は堀ぐらいのものですね。
中は学校になっているので入るのに気が引けました。
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2020/01/26 01:40
2020/01/26 01:14
2020/01/26 00:11
出張がてら、ホテルから (2016/12/03 訪問)
時間あれば…
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2020/01/25 23:56
雨 (2017/11/03 訪問)
大雨によりゆっくりできず…
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2020/01/25 23:56
太田川沿いにある堅固な山城 (2020/01/25 訪問)
天方城は本城と新城があり、しっかりと勉強しなければならないのだが、今回は新城へ行った。麓からの道中が険しく長いため日没が迫りに不安になったが、着いてビックリ。非常に整備が行き届いた公園となっており、一つ一つの縄張りが大切に保存されていた。
ここは何と言ってもロケーションが最高!見晴らし台が整備されており、さらには、見晴らし台から眼下が見渡せるように適切に伐採が行われてあった。山城にあって伐採された姿は当時の姿であり、本丸から眼下を見渡して当時の状況に想いを馳せる事は、凄く楽しい。
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2020/01/25 23:16
縄張り完成度の高い城 (2020/01/25 訪問)
社山城から飯田城へと夕暮れ時足早にまわる。飯田城や天方城は、遠州の小京都と呼ばれる森町の管轄。森町は、時代を問わず歴史的遺産に対して整備が行き届いている気がする。こと、飯田城はまさに縄張り完成度が高い城!縄張りの一つ一つに管理番号を付けて表記してあり、現地で全体図との整合性が取りやすい。適切に伐採がなされているため主曲輪からの眺望も良い。古城と新城があり地元の豪族である山内氏の城作りの特徴的雰囲気も伝わってくる良い城だ。古城から新城をつなぐ街道なのか車で新城まで行く事ができる道路として整備しつつあるが、旧街道沿いにあったであろう石碑を残しつつ道路整備をしているのも良かった。
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2020/01/25 22:55
石碑があるだけ (2020/01/25 訪問)
室町時代に橋本氏によって築かれた城らしいです。
現状、遺構は消失しており石碑がたっている。
石碑の北に神明社が建っているが、その一帯が城だったらしい。
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2020/01/25 22:36
公園に石碑があるのみ (2020/01/25 訪問)
倉賀野駅から徒歩で10分。
雁児童公園が跡地で石碑と説明板が立っています。
遺構はありません。
烏川の蛇行したところに位置していて自然の堀になっていたようです。
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2020/01/25 22:15
天竜川渡河点の城塞 (2020/01/25 訪問)
我が家から最も近い山城。夕暮れ前にお散歩がてらに初登城。上洛を目指す武田信玄の本陣が一言坂の戦い後、社山城→亀井戸城→二俣城と攻略して行ったのであろう。登城すると木がおいしげって隙間からしか下界が見えないが、当時は眼下に天竜川、約7km先の二俣城まで見渡せただろう。諸説あるようだが、一連の二俣城攻略を信玄公は亀井戸城ではなく、この社山城から指揮を取ったのではないかと私は想像する。なぜなら、武田信玄が陣を張ったと言われる社山城から2キロほど北に行った合代島地域は、つい最近まで北東に鬱蒼とした山を抱えており、奇襲攻撃を受けやすかったと思うからだ。しかも信玄は病持ち。難行不落の二俣城を落とすのを見届けたら、天竜川渡河点の城塞として築かれたこの城からさっさと天竜川を渡って西に急ぎたかったはずだ。徳川対武田の攻防図からも、何となくそう感じる。社山城の縄張りは、典型的な中世期の山城でわかりやすい。
PS.次の日亀井戸城も行ってみた。今は城の面影も寂しく、社山城に比べるとこじんまりとしている。ただ、地元の人に聞くと一般的に言われている位置と違い、もっと高い位置にあったそうだ。これからの発見を期待したい。
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2020/01/25 21:18
二つの有名な戦いで戦場に。 (2020/01/25 訪問)
小牧・長久手の戦いと関ケ原の戦いで戦場となった城です。
遺構は残っていないようです。
看板の後ろに写っているお城風の建物は、羽島市歴史民俗資料館です。
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2020/01/25 21:08
2020/01/25 21:02
名古屋城夜会 (2020/01/02 訪問)
夜の名古屋城も趣きがあって良かったです。
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2020/01/25 20:58
武田氏時代の山城、徳川時代の平城 (2020/02/09 訪問)
諏訪原城が楽しくては5週連続で通ってしまった。やはり、武田時代と徳川時代の両方がその特徴を生かして現在しているところが本当に魅力的だ。いくつか自分の中で課題があった。まず武田時代だが、今は一騎掛けになっている土橋がどうやって本曲輪に行ったかについて。竪土塁を経由して水の手曲輪に出ただろうと実際に歩いてみて感じた。諏訪原城には非常に堅固な出曲輪があり、当時の出丸は出曲輪の後方支援の役割もあったのではないかと想像する。城山延命地蔵尊参道入口から出曲輪にも行ってみたが、非常に堅固で要塞だ。東から来た敵は出曲輪で撃退出来るくらいだ。諏訪原城は西から見れば平城だが、東から見ればまさに武田の山城そのもの。東斜面ゾーンが整備されて、見事な内堀や縦堀を見る事ができる。諏訪原城を東斜面から見上げると、作手町で見た古宮城そっくりだった。ニの曲輪東馬出やニの曲輪南馬出し付近から鉄砲弾が発見されているのも魅力的だ。次に徳川時代だが、ニの曲輪北馬出の復元した門の位置関係がどうしても納得いかなかったが、先月末に島田工業高校から素晴らしいジオラマがビジターセンターに寄贈され、一目瞭然で理解した。1573年に信玄公が亡くなった年に築造された城なので、いわば全盛期の武田方の築城技術が結集された山城で整備も常に行われており、本当に素晴らしい史跡だ。
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2020/01/25 20:50
2020/01/25 20:40
2020/01/25 20:31
2020/01/25 20:21
2020/01/25 18:43
親切な静岡市教育委員会。 (2020/01/02 訪問)
富士山と駿河湾が見えるらしい「蒲原城」に行きました。
時間的に夕日を期待したのですが、、、。
「蒲原城」も戦国時代の戦いの舞台になりました。
築城は室町時代。定かではないようです。
戦国の世、まずは今川家の家臣が城代です。
次に今川家と同盟関係の北条家、北条 新三郎 綱重さん。
「蒲原城」少し北条デザインに改築しました。
信玄さんに攻められ武田方に。
そして家康さんにより落城です。
同じ日に善得寺の「三国同盟の庭」を見て、穏やか~な気持ちの後の「蒲原城」。
やっぱり、皆さんギラギラしてましたね。
で、期待していた夕日には間に合いませんでした。
でも せっかく来たから、まだ明るいので お邪魔します。
駐車場の案内図に、見学所要時間30分。駐車場向かいのトイレをご利用ください。と、親切なコメント。
みんなの30分は私の足なら60分ね、と確認してスタートしました。
すぐに説明板があり登りましたが、大空堀辺りでテンションアップより、高さに怖くなりました。もうちょっと行くとパイロンが立っていて崩落、危険の文字。
暗くなってきたので退陣です。
当たり前ですが、明るい時に見学しましょう。
北条 新三郎 綱重さんは早雲さんのお孫さんです。
命日の12月6日、節目の年に慰霊祭を行っているそうです。
「蒲原城」の歴史は厳しいけど、静岡市のご配慮は、とても優しく感じました。
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2020/01/25 17:17
2020/01/25 17:07
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