満願寺城は満願寺の裏山が城址とされ。お寺の案内板にも山城についての記載があります。訪問しても良さそうな雰囲気が出ているのでありがたくお邪魔しました。西尾根も城址の様なので、まずはそこから見に行くことに。東西のピークの間が堀のようになっていて、西の墓地の周辺に郭の様な雰囲気はありますが、明確な遺構は見当たりません。
ほどほどで引き返していくと東の主郭に至る標識を発見。登って行くとすぐに主郭に到着します。主郭は崩落個所が有るためロープが張ってあるなど、ある程度の制限はありますが、木々の間から宍道湖を見ることが出来ます。
満願寺城は宍道湖の北の丘陵一帯が城址とされ、戦国時代には北側も佐田水海が広がり三方を水に囲まれていたようです。大永元年(1521)湯原信綱によって築かれ(6年後の説も)、後に湯原春綱は毛利元就に下り毛利方の水軍として活躍しました。
永禄12年からの尼子勝久の再挙を図る戦いでは毛利・尼子両氏で満願寺城を巡って激しい戦いが繰り広げられています。
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