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カズサン

木造復元天守閣 (2018/06/22 訪問)

 昨年6月下旬可後森城を是非探訪したいと四国西部、香川県の城探訪を4泊5日で計画し松山城の乾櫓中心に探訪を終え松山道を南下し大洲IC経由大洲城へ10代最後の夏休み四国一周城廻初登城以来50数年来数回、木造天守復元以来からも15年も何回か探訪してる大洲城ですが夕刻近く雨もチラつき始めましたがちょい寄りして探訪、堪能しました、新しき登城路に土塀が復元したり、下台所櫓の修復と新たな試みが伺えます。
 車は二の丸の市民会館前有料駐車場へ駐車、ビュースポットの肱川堤防からも撮影。
 探訪後の7月上旬肱川氾濫による大雨被害に遭われた大洲市にお見舞い申し上げます、早くの復旧復興をお祈りいたします。

 この後宇和島へ宇和島城をホテルより遠望し、郷土料理店で鯛めし、じゃこ天を美味しく頂き、スナックを紹介して貰い宇和島の夜を常連客と共に楽しまして頂きました。
 翌日は雨の可後森城を探訪へ。

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チェブ

太田 道灌さんが現代にいたら、、。 (2019/07/06 訪問)

東京都品川区の「御殿山城」に行きました。
太田 道灌さんが築城しました。
夢のお告げで江戸城にお引っ越しするまでの間、居城します。
家康さんの時代には「御殿山城」、鷹狩の休憩場所として使用しました。
そして!!幕末に台場建設の為に、ごっそりえぐられてしまったようです。
現在の「御殿山城」はホテルの庭園になってます。
庭園の入り方が分からず上からの写真です。
遺構はもちろん、説明板や石碑等も見つかりませんでした。

太田 道灌さん、どの辺りで夢を見たのでしょうね(笑)

近くに「御殿山の坂」があり、途中に「地元の歴史」の説明板に太田 道灌さんのお名前を見つけました。

太田 道灌さんは関東で忙しく戦った方です。
現代にいらっしゃったら、やっぱり「御殿山城」辺りに住むんだろうな。
品川駅は東海道新幹線や山手線などのJR、私鉄もあります。
リニアモーターカーも通るんじゃなかったかなぁ。
どの戦場にもアクセス抜群です。

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カズサン

搦め手口乾櫓、野原櫓探訪 (2018/06/22 訪問)

 昨年の6月下旬湯築城を終えロープエー駅の周辺有料駐車場に止めロープウェイより10代最後の夏休み初登城から拾数回以上の登城ですが、本丸、天守曲輪、二の丸、三の丸を探訪してるのですが探訪して無い所が登石垣(大手側、搦手側)と本丸乾櫓、野原櫓周辺、今回重点的に乾櫓、野原櫓、乾門を紫竹門から入り天守曲輪を回って艮門、艮門東続櫓に出るルートを探訪させて頂きました。
 時間的に昼食時間を過ぎた頃でしたので本丸の売店食事処で頂きました。
 江戸期最後復元の現存天守閣、重文建造物も多く残り、復元建造物も逐次建てられ、二の丸の復元と貴重な登石垣の修復と三の丸整備されてます大変見ごたえのある城郭です、道後温泉も近くに在り観光にはベストな拠点です、末永い保存管理修復に敬意と感謝です。

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カズサン

道後公園は湯築城 (2018/06/22 訪問)

 港山城を終わって湯築城へ公園の有料駐車場有り。
 以前から松山城、道後温泉を見学し近く復元された中世城館が有る事は認識し通る度にチラチラット見ていたのですが登城は初めて初めに資料館で資料と情報を入手、説明員ボランティアガイドの方と話が弾み外の復元施設も説明頂き長時間お世話に成りましたすっかり写真の撮影を忘れるほど湯築城資料館の方々には大変お世話に成りましたありがとうございます。

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カズサン

伊予灘眺望が素晴らしい別名湊山城 (2018/06/22 訪問)

 松前城を終え城郭放浪記さん案内地図の元カーナビにデーターを入れそれに従って進む伊予鉄道高浜線の港山駅を過ぎ踏切を渡って南に港山集落道は狭いが進むと防波堤に出る防波堤エリアに車が数台停まって居り駐車しようとしてるとちょっと離れた民家二階から駐車禁止だときついお叱り困ってると他の住民の方がちょっと離れた空いてる私の駐車場へと案内頂いた大感謝です。
 登城口は堤防から戻って港山集会場当たりの山側に案内板と登城口が有る。
 山頂本丸は草刈りされて居り当日は見学良好、登城路は竹林が生い茂って居り鬱蒼としてる。頂上本丸からの眺望は素晴らしい。

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カズサン

加藤嘉明松山城築城前に在城 (2018/06/22 訪問)

 荏原城を終わって松山市街方向へ北上案内は城郭放浪記さんの余湖図コレクションさんの資料による、探しながら進行中ガソリンを給油に寄り尋ねたらすぐ横との事でご好意に寄りガソリンスタンドの隅に駐車させて戴いた。
 県道22号線に面して工場と住宅に囲まれて居り小高い丘が小公園として城石碑が立って居る。

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カズサン

方形単郭の城、土塁、水堀が素晴らしい (2018/06/22 訪問)

 昨年6月下旬今治城、国分山城を終わって小松道、松山道、松山IC経由南下、グウグルマップ写真で拡大して眺めても水堀で四方囲まれた城跡が良く確認できます、よく開発されず残ったものだと感心しましたし保存会の方々の力添えで見やすく歩きやすくして頂けてる事には大感謝です。
 案内は城郭放浪記さんの資料です、導入路は道が細く狭く不安になりますが小型車なら大丈夫、狭い分駐車場が有りません大手土橋の隙間エリアに駐車。

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カズサン

国分山城 愛媛県今治市 海賊の城 (2018/06/22 訪問)

 ちょい寄りの今治城の後県道38号線を南下城郭放浪記さんの案内で駐車所を目指すが県道38号線を行ったり来たり導入路が狭く細く少し南下して道を発見し細い道を進行し駐車数台の案内板解説のエリアへ到着
 
 一昨年9月下旬しまなに海道沿いの海賊の城と高知県岡豊城の2年限定天守を探訪したくて4泊5日でしまなみ海道、愛媛県東部、高知県中、東部、徳島県、香川県東部と廻ったのですが帰宅後城郭放浪記さんの新規寄稿に海賊の城国分山城が有り今回の探訪に入れました。

 現地は余湖図コレクションさんの俯瞰図縄張りを頼りにと進めましたが草茂み私有地、登城口も鬱蒼としており案内板と唐子山の遠望、居館跡、水堀を確認して終わりにしました。

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カズサン

水堀に写った今治城 (2018/06/22 訪問)

 昨年6月下旬京都の用事を済ませしまなみ海道経由車中泊を入れ4泊5日の四国西部香川城廻をスタート来島海峡SAで車中泊し最初の目的地国分山城に向かう途中ナビに今治城が写って来ましたので10代最後の夏休みに四国一周城廻以来50年以上前からプライベート、出張で拾数回以上訪ねていますがチョットでも寄らなくちゃぁ~と今治城大手堀駐車場を目指したのですが朝早く空いて無く車の通りの少ない西側堀端に路駐しちょうど風も無く水堀に写った今治城を投稿します。

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くり

石垣山城から見る小田原城 (2019/05/03 訪問)

石垣山城から小田原城を見て、小田原城から石垣山城を見上げてきた。天気がよくて、遠くまで見えました。いろんな戦い方があるんだなぁと思い、当時はお互いの城がどんな風に見えてどんな風に思っていろんな決断をしたんだろうと考えました。

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うさぎ屋

旧芝区城山 (2019/07/21 訪問)

地名がかつて城山と言っていたらしいが、
遺構もなく城跡を見つけられなかったです。

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チェブ

蕎麦ととうもろこし。 (2019/06/08 訪問)

神奈川県愛甲郡の「田代城」に行きました。
北条 氏康さんの命により、内藤 秀勝さんが築城します。子の秀行さんと2代にわたり活躍したお城です。
武田VS北条の三増峠合戦で背後の富士居山に北条軍が陣を構えました。
「田代城」は盾になったのでしょうか?武田軍により攻められ落城してしまいました。

高い所に中学校があります。
こちらに説明板がありました。
本丸跡が中学校のようです。ちょうど野球の試合中で説明板の写真を写し退陣です。

ちょっと悲しいエピソードがありました。
武田軍の武者が蕎麦畑の白い花を海と見間違えてしまいました。北条軍の地の奥まで入ってしまい、戻れず自刃します。
北条軍にも同じような勘違いがありました。
収穫後のとうもろこしの茎を武田軍の槍と見間違えます。観念し自刃します。
その後、村人は蕎麦ととうもろこしを作らないんだとか。
当時の緊迫感に苦しくなりました。

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たくわん

城址公園広い (2019/07/24 訪問)

守谷駅からどうやって行くかわからないし今日は暑いので、タクシー780円。城址公園到着。案内図見てめぼし付けて歩いて行ったけど、変な所へ行っちゃいましたので、振出しに戻り、城跡目指す。広いし暑いし歩くのも大変だ。城跡も入れないところもあるし説明板とか少ないからよくわからない。曲輪とか堀とかはなんとなくわかった。もうちょっと整備されるともうちょっとわかりやすくなるかもね。

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カズサン

古・高松城 (2018/06/25 訪問)

 昨年の6月下旬十河城、前田城を終えて屋島の麓近くのむかし高松城と言われた喜岡城を探訪しましたナビは城郭放浪記さん、道が細く電車線が走って居り心配しながら到着、しかし駐車場が無い北面角に公園が有るが駐車場無し、公園北面の交通量の少ない片側離合出来るように路駐急ぎ足で探訪。
 公園、喜岡寺が1区画で小高くなっておりここが本丸か?、城石碑、解説板が有るのみ周辺に土塁的高まりの有る所が散見されます。

 ここを終わり勝賀城を見たいと車で登れる案内板解説板の有る中腹まで登り中腹より遠望する、四国の探訪を終わり瀬戸大橋より備中高越山城、備前沼城、三石城へ向かう。

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カズサン

本曲輪は墓所 (2018/06/25 訪問)

 昨年の6月下旬十河城の探訪を終え北上して高松道も越え屋島方面に近づきます、ナビガイドはいつもの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんです、近くに来てるのですが道が細すぎて何度か行ったり来たりを繰り返し車を路肩に置き歩いて道を探しやっと辿り着けたのですが駐車場が無い農道の交差する若干広い三角コーナーに路駐しました、時点交通量は無し。
 本曲輪は墓所、南にⅡの曲輪で寺、北にⅢの曲輪が有りような様子南北に連郭式城郭、畑田圃から一段高まってる丘陵に築城されてます。

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カズサン

本丸は称念寺 (2018/06/25 訪問)

 昨年6月下旬朝駆けで丸亀城を訪ね高松道高松東IC経由で十河城、前田城、喜岡城を狙い攻城、県道30号線を南下し丘陵上の段々畑の頂上部に称念寺で本丸跡に成ってる。ナビガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションによる。
 駐車場は門前の駐車場が整備中でお寺正面を右北に行き標識に従いお寺北側の数台の駐車場利用。
 お寺の東面が段々畑で曲輪が段々に連なってる様に見受けられます、裏側に西方面はお墓ですが段丘で堀を思わせるため池が南北に広がってます。

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朝田 辰兵衛

片道約25分の登山道で本丸へ。 (2018/09/01 訪問)

途中,重厚な(?)獣柵を通過します。私の場合,ちょっと上の方で声がしたので,ためらうことなく歩みを進めました。声の主は,登城道を整備してくれていた作業員の方たちでした。おかげさまで,無事登城。感謝です。

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くろもり

長篠城を眼下にとらえる (2019/07/15 訪問)

飯田線の鳥居駅から新昌寺の鳥居強右衛門墓碑、武田四将(和気宗勝・高坂助宣・小山田昌晟・横田康景)墓碑をお参りし、豊川沿いの鳥居強右衛門磔の場を訪れた後、牛渕橋を渡り鳶ヶ巣山へ登りました。車での訪問の場合、砦入口付近の路肩が駐車場となっています(5台くらい)。

想像していたより比高のある山でした。Google Earthだと牛渕橋の辺りとは80~90m程の比高があるようです。少し下った西の曲輪跡と思われる所から、長篠城がまさに手に取るように見ることができました。砦跡には砦の碑?や説明板、慰霊碑等がありました。はっきりとした遺構は分かりませんでしたが、土塁跡のような地形等は見ることができました。

ここを守っていて討ち死にした武田(河窪)信実公も、まさか奇襲されるとは思ってなかったのではないでしょうか・・・信実公にはこんな逸話が残されています。「ある時、徳川家康の家臣篠瀬某が、主命に背いて怒りを買い、信実の許に逃げ込んできたので信実はこれを保護した。しばらくすると、家康の勘気も解けたので帰参を許すとの知らせが届いた。帰参を希望したものの、信実に対して何の恩返しもしていない。篠瀬は苦悩の末、その胸中を信実に告白すると、信実は「少し待て」と言って座を立ち、しばらくすると2羽の立派な鷹を携えて戻ってきて「三河殿は鷹狩りを好むと聞く。帰参の折にこれを献上いたせば、お主への心証も良くなるであろう」と言って鷹を与えた。この話を聞いた家康は、信実の爽やかな心根に深く感じ入ったと言う。 」以上Wikipediaより 家臣に信頼される将だったであろうと想像できる逸話です。

本当は、長篠・設楽原の戦いがあった6月29日(旧暦ではなく新暦)に訪れたかったのですが、その日は雨で、翌週も都合が合わず、この日も天気は怪しかったのですが、ここを逃すとまた1年行かないだろうと思い、雨の中の散策になりました。最後の後押しをしてくれたのは、他サイトで恐縮ですが、『お城めぐりFAN』の「梅雨時の土砂降りの頃(合戦の季節)いらっしゃった方、川の様子を御覧下さい。城を抜け岡崎に援軍を頼みに走った鳥居強右衛門はこの濁流を泳いで下ったんですよ。死んじゃうよな。」[長篠村の田吾作 (1999.03.24)] の書き込みを見て、決心がつきました。長篠村の田吾作さんありがとうございました<(_ _)>
こんな季節に鳥居強右衛門は豊川を泳ぎ、雨が見込める季節だからこそ勝頼公も決戦の地へと向かってしまったのかと考えてしまいました。

鳶ヶ巣山砦跡から東隣にある姥ヶ懐(うばがふところ)砦跡に三枝守友・守義兄弟の墓があるとの情報があったので、行ってみましたが、柵が鎖でがっちり閉じられており、お参りに行くことができませんでした。三枝守友公のお墓があるとは知らなかったので、この付近の散策では一番楽しみにしていた所でしたが、参れず残念です・・・最近では、三枝昌貞となっているようですが、私の中では守友の印象が強いです。武田二十四将の一人に数えられる方です。

にのまるさん。城郭検定1級合格おめでとうございます!三枝兄弟の墓の情報が合格祝いになるといいのですが、既にご存知でしたら申し訳ありません!ぴーかるさんも準1級合格おめでとうございます🌻

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うさぎ屋

滝山城趾 (2019/07/21 訪問)

全体的によく整備されていて、まわりやすかったです。
ただ、雨の後に訪れたためところどころ滑りやすかったです。

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小城小次郎

松江城

南側から訪ねた時と北側から訪ねた時とでは、お城の雰囲気も石垣も全然違って見える。整備された南側と、比較的古い姿を残す北側と、どちらが好きかはきっと人それぞれだろう。

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