土塁と古墳の見分けもつかず「あった、あった」と満足げに写真を撮り、説明板を読んで違う事に気が付いた「総社城」に行きました。
1つ目の勘違いは古墳です。
「遠見山古墳」の説明板には「総社城」の築造の時、遠見の櫓を建てた、とありました。
確かに遠くからでも、古墳が見えました。その上に櫓があるのなら、広範囲が監視できるでしょう。
そして2つ目の勘違いは、築城年数。
「総社城」を調べて城川公園に移動しました。
またまた説明板を読んで1601年に築城した、とあります。
関東管領 山内上杉氏の重臣 総社長尾家の「総社城」と、思ったら意外に新しいお城でした。
あと70年位、古いと思ってました。
築城したのは秋元 長朝さん。
関ヶ原の戦いは家康さん側です。
でも、会津若松城の上杉 景勝さんに降伏の説得をしました。違う場所で大勝負された方です。
そして「総社城」の城川公園は、大勢のチビッ子が遊んでいました。
道の反対側が広くなっているので、もしかすると郭かもしれません。
「総社城」は秋元親子が過ごした30年で廃城になりました。
現在の「総社城」は、地元の方々が楽しく過ごせる公園です。
【しりとり業務連絡】
羽尾城と皿尾城、あります。と、言ってもカルビンさんも登城してますが(´∇`)
あの怖い名前の洞窟が予定日通りなら、今月中にゴールできるのかな?
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