今回の独自視点記事は第二次上田城合戦の舞台で、関ヶ原合戦に向けて2隊に分かれた徳川軍の、秀忠軍が上田で真田一家の挑発を受けて陣を張った城びと未登録の「染谷(そめや)城」のご紹介させて頂きます。
染谷城は元々真田昌幸の重臣・大熊氏の居館で「大熊屋敷」と呼ばれ、上田城の東を守る拠点だった模様です。
上田城に徳川軍を引きつけて叩く作戦を実施した為、空だった染谷城に陣を張った徳川秀忠軍でしたが、その時点で罠にハマっていたってことですな(汗)
一説によると、本多正信には上田城を無視して進む様に指摘されていたものの、榊原康政等武闘派の武将に押し切られて秀忠は対決を決めたのが有力な説らしいですが・・・
(降伏を匂わせてから対決に持ち込んだ真田昌幸の態度と時間稼ぎに秀忠がキレたっていうのも可能性大ですが(苦笑))
結果散々に叩かれて挙句の果てに関ヶ原合戦に間に合わなかった秀忠は跡継ぎの座を失ったと覚悟した事でしょう。。。
(真田昌幸と信繁が助命されたのは、家康の秀忠に対するメッセージだったのでは?と思ってしまう)
染谷城は上田駅から2km程の場所なので公共交通機関での訪問でも行けると思います。
遺構は少しだけある感じなのでお城としては見るべきものは少ないですが、ロマンを感じる為に訪問するのは大アリかと。
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