本荘城は本荘公園として整備されており、堀や土塁が残り、三の丸跡には模擬の大手門が建てられています。戦国期は最上義光の重臣・楯岡満茂が4万5千石で入り、最上氏が改易の後は本多正純が5万5千石で入り城は破却されたそうです。元和9年(1623)六郷氏が2万2千石で入り、城は縮小されたものの再興されたようです。訪問時にはすでに暗くなりかけていましたが、本丸跡には本荘神社や修身館があり、南東には展望台があります。本丸の周囲を二の丸が囲み、市役所や温水プールのあるあたりが、かつての三の丸のようです。
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