ほんじょうじょう

本荘城

秋田県由利本荘市

別名 : 鶴舞城、尾崎城
旧国名 : 出羽

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんしんちゃん

本多正信の嫡男、本多正純が入った城 (2021/05/03 訪問)

本荘城は本荘公園として整備されており、堀や土塁が残り、三の丸跡には模擬の大手門が建てられています。戦国期は最上義光の重臣・楯岡満茂が4万5千石で入り、最上氏が改易の後は本多正純が5万5千石で入り城は破却されたそうです。元和9年(1623)六郷氏が2万2千石で入り、城は縮小されたものの再興されたようです。訪問時にはすでに暗くなりかけていましたが、本丸跡には本荘神社や修身館があり、南東には展望台があります。本丸の周囲を二の丸が囲み、市役所や温水プールのあるあたりが、かつての三の丸のようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぎりょう

最上氏時代の築城、後に六郷氏二万二千石の居城となる (2022/08/14 訪問)

所用で山形県遊佐町を訪問したついでに、足を延ばして秋田県由利本荘市に。市内中心部、旧三ノ丸跡地に由利本荘市役所が建っており、その南側比高30mほどの独立丘陵が本荘城の本丸・二ノ丸である。
この城は由利郡が山形最上氏の所領であった慶長8年(1603)、秋田佐竹氏に備える目的で最上氏家臣楯岡氏によって築城された。その後本多氏を経て元和9年(1623)に六郷氏が入封して近世城郭に改修し維新まで続いた。戊辰戦争時は久保田藩同様新政府軍に組みしたため庄内藩に攻められ、11代藩主政鑑(まさかね/まさあきら)が城に火を放ち秋田に撤退したと云う。
遺構は曲輪、三ノ丸北側の水堀、虎口、土塁が残っている。特に本丸土塁は高さも有り中世城郭の縄張を感じさせる。また三ノ丸には精巧に復元された大手門があり、水掘越しに見る城址の景観はなかなかの雰囲気。
駐車場は本荘公園駐車場か市役所駐車場が利用できる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

本荘城 (2020/06/29 訪問)

本荘公園第2駐車場(39.385506、140.0459)に駐車して攻城。月曜日の攻城の為、修身館等は閉館中でしたが、復元大手門や水堀、二の丸の復元土塀等を見学しました。攻城時間は45分位でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

立体輪郭式の土の城 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻り由利本荘市亀田陣屋を終わり秋田最後の本荘城を初登城、車は公園南西奥の公園駐車場に停めて南側奥より二の丸、本丸の櫓台に登り本丸修身館で本荘城の勉強、本丸廻り、二の丸北正面から石垣で整備された階段を降りて三の丸広場復元城門と左右の水堀を探訪、時期的に土塁上にはつつじが色とりどり色鮮やかに咲き誇って居ました、奇麗に公園管理されてます。
 この後国道107号線で横手市秋田道横手ICより岩手県の城廻りへ向う。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 なし
築城主 楯岡満茂
築城年 慶長17年(1612)
主な城主 楯岡氏、本多正純、六郷氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)
再建造物 冠木門、石碑、説明板
住所 秋田県由利本荘市尾崎(本荘公園)
問い合わせ先 由利本荘市観光振興課
問い合わせ先電話番号 0184-24-6349