善光寺平に来ましたので足腰に優しい平場の城をと長沼城を目指しました、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図で、目的地を貞心寺(長野市穂保167)に定め走行し門前の墓地駐車場に停める。
案内板が門柱前に在り、堤防側を見るとネット写真で見慣れてた大木が目に入り城跡の中心地、リンゴ園の道を歩き堤防に寄り添ってる土塁の跡地へ、城名石碑、祠、土塁に隣接していた構造物、二の丸跡、南三日月堀跡、天王宮の案内看板が立ってる、案内看板の縄張り図によると東側の外堀と千曲川を背にし本丸を二の丸、三の丸で囲む悌郭式水堀で三重に護っていた。
現在は千曲川の河川改修で本丸辺りは消滅し堤防脇に土塁がほんの一部残り天王宮の祠、欅の大木、クヌギの大木が植わってる、周りはリンゴ園で囲まれてる、二の丸三の丸は果樹園と住宅街に成っている。
ちなみに貞心寺は看板によるとぐるりと水堀に囲また元因藩守屋敷跡と有りました。(因幡守ではなかろうか?)
歴史的には島津氏の一族が地頭として築き、武田氏の北信濃侵攻により海津城から長沼城が北信濃の前線基地へ、武田氏滅亡の後織田方の森長可支配化へ、本能寺の変で信長が倒れ上杉氏支配と成り元の島津氏が城主へ、上杉氏会津転封で島津氏も会津へ、森忠政が入封するが津山に転封後佐久間氏が1万8千石で入封し長沼藩の居城と成った元禄元年(1688年)4代勝親が幕命に従わず改易廃城。
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