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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

弥勒寺館から、国道346号で南西に進んで行き、泊川を渡ったすぐ脇に鹿ヶ城公園があり、佐沼城址となります。

城址公園として整備されており、主郭と水濠や土塁が残っています。

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カズサン

駿府天下泰平祭り天守閣再現? (2015/09/19 訪問)

 平成27年9月19日から一週間駿府天下泰平祭り、静岡市役所一階で徳川家康展、駿府城公園で駿府城天守閣モックアップの展示が有り浜松より出掛けました、早く出かけ市公会堂地下の駐車場に停めて見学。
 場所は坤櫓の前二の丸富士見広場、どんなもんかと見学に来たのですが早すぎて天守閣の鯱の片方がトラブル有ったようで、降ろされ片方だけの鯱天守閣まだまだ準備中か?裏は木型映画撮影セットの様です、片方の鯱天守閣を撮影それなりの気分には成ります。
 出店、祭りの催しなどが準備中、駿府城公園には良く出かけるのですが紅葉山庭園には一度位しか入った事が無く今回は紅葉山庭園の写真も投稿します。
 坤櫓は平成26年復元。
 天守台の発掘調査は平成28年より開始にて前年の駿府天下泰平祭りでした。

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赤い城

空堀と竹林が素敵 (2020/07/05 訪問)

小机駅から徒歩で15分。
第三京浜沿いの小机城市民の森が主な跡地となります。
入口は根古谷にあたり、登った所に深い空堀があります。
春先はタケノコが沢山ですがこの時期には立派な竹に育っていました。
本丸広場は少年野球の練習場ですがこの日は雨、静かに見学できました。
日産スタジアムからも近い城址ですがさすがに続100名城、見所は多いですね。
お土産はやっぱり崎陽軒となりました。

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小城小次郎

手作り感満載でむしろ微笑ましくさえある (2020/02/15 訪問)

御前崎市の朝比奈川沿いにある小さな城は特に名もなく地元では「城山」と呼ばれていた。尾根筋をすぱすぱと堀切で刻んだ縄張は至ってシンプルで手作り感満載で微笑ましくさえもある。でもちゃんと井戸もある。

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チェブ

手作り「剣城跡」。 (2020/06/20 訪問)

名前が鋭く格好いい「剣城」で苦笑いしました。

鎌倉時代初期に比企氏が築城したそうです。
比企氏、あまり出会わないお名前です。
比企氏は埼玉県の比企郡や東松山市辺りを支配していました。
埼玉県の比企郡には、素晴らしい お城が多いのですが、何か関係があるかもしれません。

そして「剣城」、JR上越線沿いの畑の角っこに「剣城跡」の看板を発見しました。
以上です。
何か「剣城」の遺構らしき物はないか歩いてたら、「日本の真ん中」デザインのマンホールが至るところにありました。渋川市はへそのまち?
北海道の宗谷岬から鹿児島の佐多岬を円で結んだ中心が、渋川市なんだそうです。
えー?ちょっと不公平では、、、。
と、思って調べてみると、いろんな市町村が「日本の真ん中」を叫んでます。
日本城郭協会のような「全国へそのまち協議会」があり、山城サミットのような「へそのまちサミット」があるそうです。
やっぱり、100へそのまちスタンプとか有るのでしょうか(笑)

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赤い城

某大河俳優の実家だとか (2020/07/05 訪問)

小机駅から徒歩で2~3分の所にある雲松寺の裏山。
遺構があるかどうかはわかりませんでした。
地形的にはなんとなくそれっぽい?

雲松寺は小机城代であった笠原氏の墓所でもあります。
小机城を守る砦であったようです。

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ぴーかる

御土居 (2020/06/21 訪問)

【御土居】
<駐車場他>鷹峯旧土居町の御土居は鷹峯街道沿いにコインPあり。
<交通手段>車

<感想>ベターに城びとマークのある鷹峯旧土居町の御土居に行ってみた。御土居のちょうど北西隅部にあたる所のようです。建勲神社北側の北大路通りから坂を上がって、千本北大路から北へ向いて更に坂を少し登った所にあるので、ここの隅部は山裾のそこそこ登った所にあったようです。いろいろと謎や不明な点が多い御土居ですが、ひとつに南北に妙に長いのがあるらしい。この次に行った建勲神社(船岡山)は秀吉が信長の廟所として定めたところなので北側の御土居は建勲神社(船岡山)を内側に入れたかったのではないかと思った。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

門前で迷う。 (2020/06/20 訪問)

先日、投稿した「白井城」の後に「渋川城」攻めをしました。
「白井城」の支城かな?と思いましたが、その反対。
「白井城」の長尾氏を攻める武田氏に、見方した渋川の地衆により築城したそうです。
地元民が、武田氏に組するって事は、武田氏が強かったから?
この辺りの人間模様が揉めていたから?
っと想像力が働く「渋川城」です。
結果は、長尾氏が武田氏を破りました。
あ~、渋川の人達~。

みなさんの投稿の情報により、正蓮寺に向かいました。
近くのコンビニの駐車場で位置確認しましたが、なかなかの込み入った細い道と一方通行で迷いました。
なんとか 正蓮寺には到着しましたが、駐車場が分かりません。
門前で厳かな雰囲気に負けて退陣です。

山門の左右が水路のようになっていました。
掘跡かもしれません。

また、豪雨の季節が来ました。昨年の台風も大変な被害で心配しました。
お城もですが、その地域に暮らしている方々が、安心できる日が早く来ますように。
みなさんも、気をつけてお過ごし下さいね。

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赤い城

駅近物件だけど通常は立入禁止 (2020/07/05 訪問)

新横浜駅から徒歩で10分。
住宅地の中にありますが通常は立入禁止になっています。
登城口から空堀や土塁を見ることができますが周辺は私有地となっています。
見学会の時には中に入れるようです。
なんとかその機会に訪問したいものです。

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イシテル

高い土塁と水堀が残る城 (2020/07/05 訪問)

鷺山城から歩いて黒野城へ向かいました。
近くのコンビニの駐車場から水堀に浮かぶ高い土塁が見えます。
土塁の中はグラウンドとなっていますが、土塁の上は整備されていて、櫓跡などが残っています。
戦国時代の末期に造られた土塁と水堀の美しい城です。

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三木城への兵糧道 (2020/07/05 訪問)

播磨藩姫路城主さんの訪問から三年。立札はえー感じに古びてました。「xxxの丘に柵を巡らし」とあるので、海を見渡す丘なのでしょうが、立札の公園辺りは、宅地化してよくわかりません。少しうろうろして、海が見える場所を探しました。海は思いの外、近く、高低差もありました。

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カモン掃部

模擬天守はインパクトのため (2020/07/07 訪問)

秀吉の出世話で有名なこの場所ですが遺構はなく代わりに模擬天守形ミュージアムがあります。
周りは川に囲まれており展望フロアからは北に稲葉山、西に大垣といかに墨俣が重要地点だったことがわかります。
模擬天守に否定的な意見はありますが、私は観光客向けのインパクトのためと思うことにします。

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カルビン

田んぼ造り? (2014/05/22 訪問)

深沢城にはいくつか説があり、その1つが現在東京都立園芸高校になっていて校門前に「兎々呂城」の標柱がある所になります。
(深沢警察署のところも含め、他の推定地には遺構も解説も無い)

高校の敷地の外を1周してみましたが、外見で校内に所々遺構っぽく見える(←たぶん自分の都合良いように解釈してるだけw)場所が見受けられるものの、まぁ整地の関係で何も残っていないのが正しいと思われます。

兎々呂城の名前はすぐ近くにある等々力の地名が由来(逆にお城の名前からその地名になった可能性もあるかも)のではないかと。。。

まぁお城としては見るもの何も無いので、避暑地である等々力渓谷等とセットや、何かのついで程度での訪問で十分かと。
(自分は神社仏閣巡りもするので、等々力不動尊と奥沢城のある浄真寺も合わせて訪問致しました)


そういえば都立園芸高校って、今鉄腕ダッシュで新宿ベースの代わりに田んぼ造りさせてもらっている高校だったような・・・?
(違っていたらスイマセン)

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

浅部茶臼館から、少し南下した仙台地方裁判所付近の丘が寺池城址となります。

城址の石碑はあるものの、裁判所などになっており、土塁や堀切がわずかに確認できるのみです。

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エグ1394

「麒麟がくる」岐阜大河ドラマ館 (2020/07/05 訪問)

岐阜大河ドラマ館へ行ってきました。
大河ドラマ館では、大河ドラマの主人公である明智光秀のみならず、光秀が仕えた斎藤道三、織田信長にもスポットを当て、体験シアター、大河ドラマに登場する衣装や小道具、迫力のあるスタジオ再現セット「体感 道三の館」、稲葉山城下町オープンセットのジオラマなど、大河ドラマに関する展示に加え、歴史博物館の所蔵品を活用した戦国時代の歴史展示などを行っています。

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エグ1394

稲葉山城 (2020/07/05 訪問)

岐阜公園へ行ってきました。
ロープウェイ乗り場には「麒麟がくる」の
斎藤道三像(本木雅弘)がありました。
稲葉山城の御城印をGETしました。
岐阜城は織田信長が「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった城として知られています。それ以前に斎藤氏の居城だった頃は稲葉山城と呼ばれていました。信長は山麓に居館を設け、城下町を発展させました。その様子は宣教師のルイス・フロイスにより「まるでバビロンの様な混雑なり」と伝えられています。「本能寺の変」の後は織田家以外の城主を迎えますが、最後の城主は信長の孫にあたる織田秀信(幼名・三法師)でした。秀信は「関ケ原の戦い」で西軍につくものの、その前哨戦で福島正則や池田輝政らに攻められて落城し、徳川家康によって廃城を決められます。現在は山頂に復興天守が建てられており、ロープウェイでのぼることができます。天守の廻縁からは長良川や濃尾平野、さらには日本アルプスなどを一望することができます。

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にのまる

小浜城(千葉県いすみ市) (2020/06/27 訪問)

 城びと未登録の小浜(こばま)城です。日在城から足を延ばしてみました。海岸沿いに切り立つ崖の上。
久々の磯の香りと波の音。生憎の曇り空ではありましたが、大海原に向かい大きく湾曲した入江は、多くの文人墨客が好んで訪れ逗留したという見事な景観。ここからいくつもの物語が紡ぎだされたのだなと、暫し佇み物思いに耽ります。
 しかし解説板の小浜城時代(里見氏vs北条氏の頃)の歴史を読みつつ土塁に登ると違った情景が目に浮かんでくるのです。
いくさ場だ〜:(;゙゚'ω゚'):

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小城小次郎

長尾景春の生命力 (2020/02/15 訪問)

伊藤潤「叛鬼」でも描かれた、長尾景春の乱のクライマックス。こんなところまで追いつめられて、それでもなお落ち延びる道を選んだ景春の生命力の強さというか意思の強さの原動力はいったい何だったのだろう。

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チェブ

突き当たりまで行きましょう。 (2020/06/20 訪問)

久しぶりのお城攻め、群馬県の「白井城」に行きました。
「しらい」ではなく「しろい」です。

「白井城」は関東管領山内上杉氏の家臣、長尾 景仲さんが「享徳の乱」の時代頃、築城しました。
享徳の乱は関東の戦国の始まりと言われるほどの戦です。
ややこしい戦いで、超簡単に説明すると
室町幕府VS鎌倉公方、です。
これが治まっても築城した景仲さんの孫、景春さんが「長尾 景春の乱」で関東管領と対立。
武田 信玄さんの時代は真田家が攻略しました。
この後もいろいろ、ありました。
で、家康さんの関東入封後、白井藩を置きますが1623年に廃藩し「白井城」は廃城しました。
「白井城」、どの時代も凄まじく、有名武将のお名前が出てきます。

国道17号を走りナビの案内通り左折すると「白井宿」の石碑を見つけました。
雰囲気の懐かしい街道です。
私は車だったので見逃してしまいましたが「白井城趾」の石碑があり、そちらからも入れるそうです。
車は畑道を進みました。二ノ丸、三ノ丸の石碑が畑にあります。
ここでキョロキョロせず、真っ直ぐ進むと枡形門と野面積みの石垣が出迎えてくれます。
いつの時代の石垣でしょう?
そして奥には土塁。登れます。
三日月掘りも標柱があるので、見逃しません。
帰り道、空堀っぽい所もありました。

また、籠城する日がきたなら「土塁クイズ」「石垣クイズ」に使えそうだ!と写真、たくさん写しましたよ(笑)

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ぴーかる

聚楽第 (2020/06/21 訪問)

【聚楽第】
<駐車場他>中立売通りの石碑の西方向にコインPあり。
<交通手段>徒歩

<感想>JR二条駅前ビルで昼食後、徒歩で行った。小学校側の石碑には行かなかった。中立売通りは車の往来が激しく、石碑を撮るのも一苦労した。豊臣時代、秀次を追放・切腹後に聚楽第を徹底的に破却したあと、こないだ様々な遺構が発見された京都新城を造築することとなる。

<満足度>◆◇◇

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