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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

岩切館から県道36号で北西に進み、国道4号に入り北上すると、国道の脇に伊治城址の解説板が建っています。城というより古代城柵とのことです。

解説板のある道に入り、しばらく奥に進むと築館町出土文化財管理センターがあり、そこに土塁が残っています。また、近くの照明寺にも解説板が設置されています。

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中川藤兵衛尉

桜井谷陣屋 (2020/07/12 訪問)

大坂城代・阿部(あべ)氏の摂津国内の領地を治める為の陣屋でした。次代で阿部氏は関東に拠点を移しましたが、後に大坂城京橋口定番・安部(あんべ)氏が摂津国内の領地を治める為にこの陣屋を再利用しました。このまま幕末まで安部氏が相続していったそうです。現在は宅地となっており、往時を偲ばせるものは一切ありません

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たぬき親父

工事前に行きましたね (2018/10/07 訪問)

九州から来た子を連れて行きました、10月でも暑い一日でした、もっと中を見せたかったのですが時間が無く入れなかったです

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たぬき親父

家族連れが多かったです (2020/07/05 訪問)

御城印と武将印があると聞いて行ってきました、近くに有り娘が小さい時に来た事が有りますので30年ぶりの訪問です
天守より見える風景は住宅が増して色々なビルが見えるようになりました手始めに身近なお城からチャレンジを進めます

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カズサン

当主在住の代官屋敷、現存長屋門 (2015/09/22 訪問)

 平成27年9月、諏訪原城、勝間田城探訪を終えて小笠原山丘陵を南西方向に横断し途中には横地城山稜を横に見ながら菊川市の黒田代官屋敷へ、何回も訪ねてますが綺麗に保存管理、現在当主黒田氏お住まいに成って居ります。
 車は当屋敷の道を挟んだ東に大型の駐車場が完備され十分に駐車可能。

 茅葺の長屋門が南に構え、方形の濠と土塁で守られ周囲に遊歩道が完備し見学可能、現在住まわれて居りますので静かに探訪見学しましょう。
 濠、土塁、茅葺長屋門と充分に堪能出来る代官屋敷です東名高速菊川ICから約6km程です四季を問わず見学可能です。
 長屋門南に菊川市黒田家代官屋敷資料館が有りますので見学とパンフレットを入手されれば宜しいかと思います。

 黒田氏は高天神城の守将の一人で武田勝頼高天神城攻略落城後帰農した、後旗本本多氏の代官として仕えた。

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にのまる

【家×お城】登城したお城しりとり【250】 (2015/07/21 訪問)

todo94さんの2つのお城からつないで【広島城】にいかせていただきます。

初めて広島城に行ったのは小学校一年生の時です。
以来何度も広島には行きましたが、メインは市民球場。あと三省寮とみっちゃんとバッケンモーツアルト。

次は朝田 辰兵衛さんの遠征ウェイティングでしょうか。
お天気がまだ安定していませんのでお気をつけて。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり【249】

カルビンさん、見事なリカバリー、アプローチショット、ありがとうございます!桔梗の「う」から【薄衣(うすぎぬ)城】(岩手県一関市)→【布広城】(島根県雲南市)。次は、「広」で中国地方最大の都市の100名城、お願いします。

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赤い城

旧城寺に土塁が残る (2020/07/05 訪問)

横浜線の中山駅から徒歩で15分くらい。
旧城寺の周辺が跡地のようです。
旧城寺の山門のあたりが枡形状の虎口となっていて土塁が残っています。
本堂の辺りが二ノ丸で説明板もあります。
主郭は墓地の辺りのようです。
主郭には弓道場が建っていました。
弓道場の裏にひっそりと石碑も立っていました。

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城好きのメガネ

「六浦陣屋」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
米倉氏は甲斐武田氏の家臣であり、米倉重継は武田信玄・勝頼の二代に仕えた。甘利昌忠に属して信濃刈屋原城攻めで功をあげ、武川衆の頭目となるが1575年、長篠の戦いで戦死する。武田氏滅亡後は、徳川家康に属し、旗本となる。米倉昌尹は、3代将軍・徳川家光に拝謁し、御小姓となり、米倉家の家督を継ぐ。信任も厚く、目付や若年寄などを歴任し、1万石を与えられたことで大名として諸侯に列し、武蔵金沢藩主となる。その後、下野皆川に移封されて1万5000石を加増され皆川藩初代藩主となる。米倉忠仰は、5代将軍・徳川綱吉に側用人として仕えた柳沢吉保の子である。皆川藩3代藩主・米倉昌照の養子となり、跡を継ぐ。8代将軍・徳川吉宗に拝謁し、六浦へ移封となり六浦藩初代藩主となり、陣屋を築く。幕末には新政府側に付き、警備や人馬継立などを協力したとされる。陣屋近くにある泥牛庵は藩主の見晴台ともいわれた。*現在、陣屋跡は私有地となっているため六浦陣屋跡ゆかりのある泥牛庵を紹介する。

<アクセス>
京急電鉄 金沢八景駅 徒歩15分

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カルビン

【家×お城】登城したお城しりとり【248】 (2015/10/18 訪問)

すいません、北ノ庄城は以前自分が無駄にしりとり投稿してしまっているので、責任もって代わりの手札で展開させて頂きます。

イオさんの「赤木城」から

茂木城の別名・桔梗(ききょう)城


以前同城投稿済なので、写真は最低限で。
公園化しておりますが、それなりに遺構も残っており、ここだけ見に訪問しても損は無いくらいのものはありました。

最寄りの茂木駅からはちょっと距離ある+結構な高所まで行く必要がある為、山上に駐車場有る事から車での訪問推奨地です。
ちなみに駅から桔梗城の間・市役所の駐車場のところに茂木陣屋の碑石もあるので、一緒に訪問されると宜しいかと(コチラは遺構は無さそう)

todo94さん、お手数ですが「う」から「ぬ」に繋げて下さいませm(_ _)m

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todo94

布広アプローチの手札 (2020/07/11 訪問)

本日、攻略完了いたしました。幸い、雨は上がっていましたが、通り雨があったらしく、下草はたっぷり水滴を抱えていて、靴はびしょ濡れになってしまいました。豊臣秀吉の奥州仕置きで落城した歴史の地。九州ほどの降水量はないはずの東北ですが、北上川の水量はなかなかのものでした。

【しりとり業務連絡】しりとり、赤木城で止まっているかと思います。「北ノ庄城」でつないでいただければ、すぐに薄衣→布広と展開できますので、よろしくお願いいたします。

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カルビン

石田城 [神奈川県伊勢原市石田] (2019/12/19 訪問)

個人的コロナ自粛継続中の為、城びとに登録されているお城のネタが乏しくなってきましたので、暫くこの形式での投稿が多くなると思いますので宜しくです。


小田急線愛甲石田駅から南に徒歩10分強の所に石田城址があります。

ちゃんとした解説や城碑はありませんが、子安神社が管理する水神様の傍の掲示板に周辺が石田城であった事の説明書きがあります。

そして高確率で私有地内と思われる場所になってしまいますが、道路から土塁や切岸と思われる地形も見る事が出来ます・・・ま、お城として残っているのはそれだけなんですが(汗)
現在周辺は住宅地となっておりほぼ整備されてしまっているので、それが残っているだけでも儲けものなんですが(^ω^;)ゞ

東京周辺の近郊で遺構が残っているor解説や城碑だけでも存在する場所は難所数ヶ所を残しておそらく行き尽してしまったと思われる為、昨年中頃から石田城みたいに知られざる史跡情報得ると、猫まっしぐらで訪問してましたw


同じ愛甲石田駅からの徒歩圏内でやはり城びとに登録されていない愛甲氏館が駅の北西にあります(こちらは碑石のみ残る・後日投稿予定)が、両方合わせてもここだけ狙って訪問するのは勿体ないので、同じ小田急線沿線の近隣のお城(波多野城や眞田城、岡崎城、丸山城、他に城びとに登録されていない土屋城等)と合わせての訪問が良いかと思います。

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まっちゃん88

西方城、二条城発掘調査 (2020/07/11 訪問)

令和2年、西方城、二条城の発掘調査が始まりました。
秋頃には、現地説明会があると思われます。乞うご期待。
前回の説明会資料より、航空レザー写真、西方図書館の西方城縄張り模型、1947年頃の上空写真です。

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赤日子神社より (2020/07/11 訪問)

 赤日子神社の西側の駐車場に案内板がありパンフレットが置いてあります。主郭に大きな看板が設置されていて下から見えるのですが、時期的なものなのか草木のため一部しか見えません。城址へは標識が各所にあり迷うことなく行くことができます。土塁の上に石碑があります。熊ヶ池は堀の一部と言われています。

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がっくん

国史跡であったが初攻城 (2020/06/27 訪問)

八幡太郎義家の庶子を家祖とする横地氏の本城。
標高100mほどで東西に1.5㎞ほど広い山城域だが尾根伝いに車で巡る事が出来る。
ただすれ違い不可であるのでかなりドキドキしながらであった。(ゆっくり見るのであれば徒歩がおすすめ)
詰の城の散策へは麓の池そばのメイン駐車場から歩いてすぐ登城出来る。
本丸下の段々曲輪と堀切は遺構の保存状態良く、茂った草に臆することなく踏み入れた価値があった。
「金〇落としの谷」は説明板を見ると自分が思っていたのと違った命名由来がそこには書かれてあり、
面白いなぁと感じると共に勉強になった。
あと、二の丸である横地神社前の案内板にパンフレットが置いてあったが、
一部毎クリアケースに入っていたのが初めての経験で地元菊川市の誠意が感じられた。

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カズサン

茶畑の奥に発掘復元中世山城 (2015/09/22 訪問)

 武漢コロナウイルス禍、梅雨時夏季城廻り何かと躊躇しがちなこの頃です、古くなりますが5年前の登城を投稿させて頂きます。

 平成27年9月22日遠江諏訪原城、遠江勝間田城、遠江黒田代官屋敷と廻りました。諏訪原城から牧之原の茶畑を南へ勝間田城麓の駐車場へ10台位は駐車可。
 駐車場に大きな勝間田城概要案内図、良く城内が分かります、案内図に従い茶畑舗装された農道を登って行く、舗装が砂利道に成る辺りに茶畑に成ってますが出丸跡、進んで三の曲輪下に城名石柱、西に廻って新しく造った?と思われる虎口、三の曲輪、西三の曲輪の間に入る。
 西三の曲輪、三の曲輪、二の曲輪へ二の曲輪は建物跡が平面表示されてる、各案内解説板、北尾根曲輪、本曲輪、南曲輪、まだ9月夏草も深く東尾根曲輪の5連堀は見逃して仕舞いました。残念です。 草刈り前ですが全体良く保全管理されてます、冬場に登城をお勧めです。天気が良ければ富士山を望む事が出来ます。

 勝間田氏は平安末期からの在地領主で鎌倉期御家人、室町期奉公衆と活躍、応仁の乱以降駿河守護今川氏と対立し今川義忠の攻撃で勝間田城は落城。(文明8年1476年) 離散した勝間田氏一族は現在の御殿場市印野などに移り住み各地の発展に尽力した。(案内板より抜粋)

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赤い☆稲妻

盛岡城 (2020/06/30 訪問)

新幹線盛岡駅からでんでんむしにて訪問。
徒歩でも全然いけちゃいそうな距離でした。
とても広い城域で見事な石垣を堪能。

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ぴーかる

船岡山城 (2020/06/21 訪問)

【船岡山城】
<駐車場他>北側の公園入口横にコインPあり。
<交通手段>車

<感想>船岡山城は、応仁の乱の西軍の城として船岡山に築かれた。翌年、東軍によって落城しその後城として使用されなかったため、城としての期間は短かった。西軍の陣城的なものだったらしい。船岡山を含む一帯は現在も西陣の名で呼ばれている。
 御土居のある鷹峯から徒歩で来城した。北側からの遊歩道を登って山頂へ。山頂は東西に伸びた細長の削平地があり、公園整備されている。山頂部の東側は岩場になっていた。山頂部と建勲神社の間は柵がめぐらしてあり、中には入れないが土塁等の遺構がありそうな雰囲気がかなりあった。山頂から東へ下って建勲神社へ行った。建勲神社は明治期に信長を祀ったところ。「けんくん神社」は俗称で正式名称は「たけいさお神社」と呼ぶ。この辺昔なじみがあって、てっきり「けんくん神社」かと思ってた。

<満足度>◆◆◇

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ロマンが凄い‼️ (2020/02/18 訪問)

初めて愛知県へ。
愛媛県松山市から飛行機でセントレアまで。
名鉄に乗り換えて岐阜駅まで、なんとか💦
岐阜駅からバスに乗り、15分くらいで岐阜城公園へ到着。
普段、公共の交通機関を使わないので乗り換えでクタクタ💦
信長が見た天下を見ようとロープウェイに乗り、山頂へ。
駅から天守閣までは歩いて15分くらい。
独特のチャートと呼ばれる石の上を歩く。
天守閣からの眺めは最高‼️
信長も見たであろう絶景…
思いを馳せる…
それだけで、感涙😭
愛知の移動は名鉄が便利でしたよ。
岐阜駅から岐阜公営までのバス🚌は、Nが付いた番号で15分くらいです。Nは長良川のNだそうです。
降り場と乗り場が違うので、そこが注意点です。
岐阜公園は、5月くらいが美しいのではないかと思います。

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赤い城

宅地となっていて遺構はありません (2020/07/05 訪問)

鴨居駅から徒歩で20分。
ららぽーと横浜の北が跡地ですが住宅地で遺構はありません。
近くにある宗忠寺に地名由緒の碑がありました。
宗忠寺は小笠原宗忠が父の菩提寺として建てたと言われています。
周辺に何か有るわけでもなく、お買い物ついでにどうぞ。

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