西三河の最北にある城の一つ。高速道路のどのICから行っても結構距離があるが、主要部には石垣が詰まれ、3段に帯曲輪や、広い居館跡が残る。そんな中で特に注目は竪堀郡だ。「ここで止めぞ!」と言う迫力が伝わってくる。石垣は、長篠の合戦以降、戦国末期だと書かれていたが、この奥三河で鉄砲を意識した築城が必要だった事が驚きだ。
樹木は適切に伐採され、城全体的が秋桜と紅葉に包まれている美しい城だ。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2020/12/15 20:04
見所満載!石垣のある山城 (2020/12/12 訪問)
西三河の最北にある城の一つ。高速道路のどのICから行っても結構距離があるが、主要部には石垣が詰まれ、3段に帯曲輪や、広い居館跡が残る。そんな中で特に注目は竪堀郡だ。「ここで止めぞ!」と言う迫力が伝わってくる。石垣は、長篠の合戦以降、戦国末期だと書かれていたが、この奥三河で鉄砲を意識した築城が必要だった事が驚きだ。
樹木は適切に伐採され、城全体的が秋桜と紅葉に包まれている美しい城だ。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2020/12/15 19:51
矢作川を見下ろす川口城 (2020/12/12 訪問)
登山道入口に天神社があり、その裏手に登城道がついている。比高は40mでかなりの急斜面だが、階段が付いているので一気に登れる。山の頂上を削って主曲輪とし、ぐるっと腰曲輪が回っているシンプルな作りに、勝頼がこの城を落とした名残りだろうか堀切が腰曲輪に二条入っている。地図で見ると、眼下を流れる矢作川が蛇行している位置で、支流の合流地点でもある。立地的、縄張り的にも古い城ではないかと感じるが、築城は室町時代のようだ。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2020/12/15 18:53
福岡空港での乗り継ぎの合間に… (2020/12/02 訪問)
福岡空港での乗り継ぎに数時間のインターバルがあったので,福岡地下鉄空港線沿いに手ごろなところを探したところ,ここにたどり着きました。
姪浜駅から徒歩約25分で生の松原地区に到着。向浜地区と脇地区を散策していると時間的にリスキーだったので,このエリアだけにとどめました。
「ほぉ~,こういう構造か」と,実物を見て納得した次第です…<笑>。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2020/12/15 18:24
感動!驚きの城 (2020/12/12 訪問)
この城は位置も名前も資料によってまちまちなので、まずは「城山城そのまま公園」に向かう。案内も全く無い。たまたま会った地元の詳しい方に案内してもらった。写真に掲載するが、「駐車場の裏手の坂を上がってる途中、左手に伸びる山道を行く」
この城は名前が松平城山城、城山城、大田城など、定かでないにも関わらず遺構と城の規模は三河では山中城に匹敵、露岩の迫力は大給城を凌駕すると感じる。何でこれだけの巨石が山頂にそびえているのか実に不思議だ。プレートの隆起と洗掘だけでは説明がつかない。縄張りは、登城して露岩を抜けてからが本番で、連続堀切など武田方を思い出させるような遺構もある。整備も荒れているわけでもなく適当だ。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2020/12/15 18:13
露岩群を攻守に活用した城 (2020/12/12 訪問)
大給松平氏の城。何となく華やか感じの三河奥殿陣屋に行った後でもあり、露岩群を見て大給松平氏へのイメージが一変、驚いた。神々しさすら感じられるが、主曲輪以外の露岩群はロッククライミングの聖地となっているようで巨石毎に若者のグループがいて賑わっていた。勿論、城の作りは露岩を取り込んだ作りとなっていて、攻める側としたら、こんなに攻めにくい城もなかなか無いのでは無かろうかと思った。さらには主郭虎口の石垣は見事だ。内側にも石垣が積まれ、鉄砲での戦いに備えた作りは迫力満点だ。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2020/12/15 18:11
国史跡 (2020/11/22 訪問)
甲賀市独特の方形土塁で本城、支城の城跡です。
築城者、城主は不明です。2〜4mの土塁で囲まれ、西側に副郭があります。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2020/12/15 18:02
国指定松平氏館跡 (2020/12/12 訪問)
松平郷松平家が大正末期まで在住したとある。つい最近まで、ここに御屋敷があった事は驚きだ。石垣や濠などは今でも残されており、貴重な遺構だ。松平城には「日頃は松平郷に住んでいて、いざ戦いになると城にこもった」とある。ただ、松平城からは少し離れており、この距離感には正直疑問も感じる。「産湯井戸」など、家康公にちなんだ遺構もある。葵の御紋が様々な箇所に刻まれており、神聖な地である事が伝わってくる。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2020/12/15 17:56
松平親氏築城の松平城 (2020/12/12 訪問)
松平の祖親氏築城。松平城の北側へ下った谷部に「竹の入」の地名が残っており、僕はここに居館があったのではと言う説に頷けます。さて、城は松平氏館跡と共に国指定を受けており、程よく樹木の伐採や整備が出来ている。主曲輪、曲輪2〜4と、櫓台があり、いたってシンプルな城だ。主曲輪からだいぶ下がった位置に横堀が巻くが、私の好きな主曲輪周りの帯曲輪は見当たらないため、主曲輪の山だけ独立的に見える。ところで、この城周辺の一般民家はまるでお城のような立派な家が点在しており、松平郷の雰囲気を形成している。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2020/12/15 16:44
新鳥栖駅南西に聳える山城 (2020/11/27 訪問)
江迎城を終えて北東に約8~9km程の朝日山城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第28城目、ナビは佐賀県鳥栖市村田町の朝日山公園の頂部駐車場、駐車場は広くトイレも完備。
ガイドは古城盛衰記さんに依り探訪、駐車場より階段が2連、後は尾根道を登って行く、大堀切に橋が架かり見所、主郭下の副郭まで登り坂、主郭には展望台と、神社が鎮座、裏に回り畝状竪掘り数条が確認できる。
歴史は 古代には大宰府と結ぶ烽火台が置かれた場所、建武元年(1334年)少弐一族の朝日氏が築城、享禄元年(1528年)筑紫氏に攻められ朝日氏敗死、その後筑紫氏の持城、天正14年(1584年)島津氏に攻められ落城。明治7年の佐賀の乱では佐賀軍と政府軍の攻防戦の戦場に成った。(案内板より抜粋)
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2020/12/15 15:28
なぜか?三連水車 (2020/11/27 訪問)
直鳥城を終えて北東約8km程の朝田辰兵衛さん城びと初投稿の江迎城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第27城目、ナビは佐賀県三養基郡上峰町江迎字一本柳(三連水車ウォーターランド江迎公園)をナビ地図に落とし走行、駐車場無し道の若干広い所に幅寄せして路駐。
こじんまりした公園でなぜか三連水車、佐賀県の筑後川から有明海の間の田園はクリーク、田圃が広がり水利用灌漑で苦労され水田の象徴、足ふみ灌漑水車が活躍した事でしょう!と考えたり。
案内解説板、石碑、周りがクリークで囲まれてる、発掘調査で遺物や建物跡が検出されたが城主などの伝承が無いと案内板に記載あり。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2020/12/15 14:47
クリーク城郭の典型例良好に保全 (2020/11/27 訪問)
蓮池城を終えて北東に約3km程の近く直鳥クリーク公園として保存管理されてる直鳥城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第26城目、城廻り日程進捗調整日の午後空き時間に繰り込みました。
以前から認識しており何時かはと思って居りましたので良いタイミングでした、ナビは佐賀県神埼市千代田町直鳥の直鳥クリーク公園をナビ地図から国道264号線から南の公園駐車場を合わせて走行、国道264号線沿いに標識が有りすぐ分かります。
公園駐車場に停めて公園内の道に沿って探訪、駐車場に在る案内解説板のみで各島々(曲輪)には説明板も無く散策するのみ、本丸らしき広場が有る、ドロンで上空から眺めないとクリーク環濠城郭の全体はよく分からない、またはタワー施設を造って頂いて眺める事が出来ればありがたいが?
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2020/12/15 09:35
北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り③ (2018/09/17 訪問)
「北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り」の3城目は小田原城(ラストです)です。石垣山城からの転戦です。
小田原城は3回攻城しています。
1回目は2016/11/05に次男と二人で攻城(天守内も見学)
2回目は2017/12/09に八王子城を攻城した際に100名城スタンプを押すためだけに攻城(天守1Fで押印)
3回目が今回(2018/09/17)で小峯御鐘ノ台の大堀切が見たくて攻城しました。
攻城ルートを撮った写真から辿ると
小田原城藤棚観光バス駐車場➡銅門➡常盤木門➡天守前➡西曲輪西堀/三味線堀(天守前からここまで徒歩20分かかってました)➡八幡山古郭➡毒榎平➡小峯御鐘ノ台大堀切東堀/土塁➡小峯御鐘ノ台大堀切中堀➡小峯御鐘ノ台大堀切西堀/土塁➡毒榎平(小田原城天守を望む)➡小田原駅西口(北条早雲公像)➡帰宅。
東掘はもともと三の丸新堀の一部で、中堀と西堀は1590年の小田原合戦の備えとしてとして小田原城の防衛機能を高めるために、総構と一緒に造られたものだそうです。
大堀切、凄いです。個人的には東掘の堀法面の角度や横矢掛りが好きです。西堀は段を持った形状になっていました。
攻城時間は1時間45分くらいでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2020/12/15 08:00
北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り② (2018/09/17 訪問)
「北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り」の2城目は石垣山城です。興国寺城からの転戦です。
続100名城スタンプは「石垣山一夜城公園」トイレ入口で押しました。
JR小田原駅東口1番線乗場から観光回遊バス「うめまる号」を利用して攻城しました。料金は乗り放題で500円でした(バッチももらえます)。
石垣山城は豊臣秀吉が小田原征伐の際に築いた陣城として知られています。
小田原城に籠城する北条方の戦意を喪失させるために、一夜にして築城されたかのように見せて驚かせたことから「一夜城」とも呼ばれています。(実際は80日かかっています)
現在は「石垣山一夜城歴史公園」として整備されており、天守台跡や凄い石垣を見ることができます。また、展望台から小田原城を眺めることもできます。
攻城時間はバスの都合上自分は30分くらいで切り上げましたが、現地ボランティアガイドさんが案内してくれますので時間のある方はぜひ。
帰りは「うめまる号」で「小田原城藤棚観光バス駐車場」まで戻り、小田原城へ向かいました。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2020/12/15 07:18
北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り① (2018/09/17 訪問)
「北条氏ゆかりの城(日帰りスタンプ押印)巡り」の1城目は興国寺城です。続100名城スタンプは「穂見神社」で押しました。
JR原駅から30分歩いて興国寺城に着きました。興国寺城は北条早雲の最初の居城として知られています。
現在も石垣、土塁、空堀などの遺構を確認することが出来、特に土塁の高さ、空堀の深さは素晴らしいの一言です。
攻城時間は45分くらいでした。
帰りは根古屋のバス停まで歩き、バスで原駅まで戻りました。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2020/12/15 06:36
2020/12/14 23:08
2020/12/14 21:59
諏訪原城 (2020/11/21 訪問)
【続百名城42城目】
<駐車場他>諏訪原城第一駐車場
<交通手段>新幹線→レンタカー
<見所>馬出・堀
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅1城目。諏訪原城ビジターセンターに最初に寄り、模型・説明板等を見て城跡に行った。順路通りに大手南外堀から大手曲輪は茶畑に、右手に大手馬出の堀、左手に大手北外堀を見つつ城跡最大の見所二の曲輪中馬出が正面に見えてくる。巨大な丸馬出と深い堀に圧巻、土の馬出し今までちょっとなめていました、反省です。二の曲輪北馬出は立入禁止→ニの曲輪→本曲輪→本曲輪より東に降りて切岸・内堀を観察→水の手曲輪→残り4つの馬出を見て終了した。城跡南側の丸馬出群と梯郭式後ろ堅固の特徴ある縄張りと所々にある石積み遺構が良かった。山城扱いだが縄張り内に高低差はあまりなく、平城のような土の城も馴染みがなかったので新鮮な感覚だった。
<満足度>★★★
<グルメ>広大な茶畑のど真中にあるお店「とろろ屋ととろ」この辺はお茶は勿論だが自然薯も有名なんですねえ。以前丸子城で食べ損ねた自然薯を食しました。地元の方はラーメンを注文している人が多かった。何故?
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2020/12/14 21:23
佐賀城東の守りクリーク城郭 (2020/11/27 訪問)
北肥後の阿蘇市内牧城を終えて城廻り日程調整日午後に余裕が出来たので以前より気に成ってた佐賀県の環濠集落的クリークの城跡を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第25城目に蓮池城を初登城、姉川城以来4年振りのクリーク田圃の中を彷徨う、八女ICより西に約20km超程、ナビは佐賀県佐賀市蓮池町蓮池の蓮池公園駐車場に合わせて走行、駐車場には既に公園整備の方々が休憩中他休憩中の車が数台10台は可能、トイレは公園の中に完備。
探訪は公園駐車場から河川改修で陣屋が分断された佐賀江川に架かる橋を北に渡り北の神社エリアに、庭園跡、神社は老朽化で東屋に変わり保全されてる、東の蓮池公民館、蓮池陣屋の配置絵図看板が有る、東の堀、神社跡の西側入り口に南北に堀、特に遺跡らしき物は無いようです?、来た橋の西の橋から公園に戻り公園を探訪、西の堀跡?公園南の男山、幕末軍事調練で藩主の指揮所で合ったと言われてる、東に堀跡らしきクリーク?一周して駐車場へ、鳥のように上部から俯瞰しないと良く分からないクリーク環濠城郭。
歴史は鍋島直茂は関ヶ原後一族を蓮池城に入れ佐賀城の東約5km東の守り対筑後国境の城とした、元和の一国一城令で城は破却、しかしその後鍋島勝茂の三男直澄が寛永16年(1639年)に蓮池藩(5万石)を再建、明治まで続く蓮池鍋島家の居城と成った。現在は蓮池公園として整備され一般公開されてる。古城盛衰記さん抜粋
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2020/12/14 19:45
✕
人が「いいね」しています。