平成27年5月中旬三河亀山城を終えて直近の道の駅「つくで手づくり村」の国道301号線を渡って直ぐ北に在る石橋城(慈昌院境内)を初登城。車は道の駅にそのまま停めて。
石橋城は国道301号線北の丘陵地先端を活用した方形城館、南、西が崖、北、東が土塁、堀で護られてる、石橋久勝は奥平氏2代貞久の2男でこの地に屋敷を構え石橋氏を称した、天文6年(1537年)石橋繁昌は主君への謀反が露呈し郎党40人余が奥平貞勝により成敗され討死、後年一族の死を哀れみこの地を奥平氏からもらい受け石橋山慈昌院とした。(案内板抜粋)
三河亀山城の投稿にも書きましたが道の駅に旧作手村に点在する城跡の史跡巡り案内板が有る要参考。奥平氏の亀山城、石橋城、文珠山城、川尻城、塞之神城、武田氏侵攻の古宮城と案内図に載ってます、案内図に掲載されてない遺構も周辺に沢山有る様です。
ぶらっと車で来られ一日中旧作手村の城跡を巡るのも一興です、この当時は続100名城に認定されていませんでしたが古宮城も近くに在り圧巻の武田氏土の城です。
土塁、堀の写真を取り損ね投降出来ませんがご勘弁を!!
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