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チェブ

森林浴。 (2020/09/21 訪問)

順番が飛びましたが、「鶴ヶ岡城」の後に「尾浦城」に行きました。
大宝寺氏(武藤氏)が、まさに「鶴ヶ岡城」から「尾浦城」に引っ越ししました。
当時は「鶴ヶ岡城」=「大宝寺城」です。
移動理由を調べてみると「大宝寺城」が焼失説。砂越氏の攻撃から逃れた説がありました。
砂越氏との戦で焼失がしっくりです。想像ですが、、、。
「大宝寺城」に比べ「尾浦城」は低いけど、山城。安心です。
その後、大宝寺氏は家臣が最上氏と内通し自害に追い込まれました。
秀吉さんの時代には上杉氏が治めました。
北の関ヶ原合戦と言われる慶長出羽合戦で、またまた最上氏のお城になりました。
この頃「大山城」と改名したそうです。

午前中の早い時間に行きました。
「尾浦城」、大山公園に駐車場があります。
その横に「尾浦の館」があり、大宝寺氏関連の資料館かと思ったら、大山祭の展示館なんだそうです。
この日は開いてませんでした。
写真③から歩いて登城しましたが、上まで車で行った方のサイトがあったので、入口が他にも あるようです。
遺構は、見ようによっては、、、です。
まだまだ、勉強不足です。
下りてきたら「最上川さくら回廊」の標柱がありました。将来、みんなを楽しませてくれる、小さな桜の木が並んでます。
んんっ?空堀っぽい。
またしても、予習してない事を後悔です。

大山公園は「森林浴の森100選」に選ばれているそうです。スタンプはありません(笑)

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カルビン

麻場城 [群馬県甘楽郡甘楽町白倉937] (2014/07/26 訪問)

公共交通機関だと上信電鉄の上州新屋駅か上州福島駅どちらからも2kmくらいの距離(普通に歩くなら30分くらいですが、駅に対して坂上にあるのでもうすこし時間見た方が良さそう)のところに城びと未登録の麻場城があります。

現在は城址公園となっており、真ん中に大きな曲輪があり、その周辺を堀と土塁に囲まれた典型的な居館タイプのお城になりますが、これがある場所が丘上になる為、北側が落ち込んでいる事でかなり絶景が見られるお城になっておりました。

この大きな曲輪が主郭だと思う(解説版もそう書いてあった)のですが、どうやら南に別途居館跡があるようなので、もしかしたらここは詰めの城扱いだったのかもしれません。
残念ながら居館跡地へ向かうには坂下にある駐車場から更に離れた場所にあった為、日没間際の訪問だった事もあってソチラには行っておりませんorz

居館タイプではあっても地形的に遺構にいろいろバリエーションがあり、更にダイナミックさもあって、個人的には地域のお城の中ではかなりのお気に入りの部類に入ります。
お城のタイプは違いますが、雰囲気は栃木県の皆川城に似ているかと。


ここから5km圏内には自分が行った事あるお城だけで3ヶ所、10km圏内まで広げると自分の行った事あるお城だけで10ヶ所ありますが、公共交通機関では訪問し辛い場所ばかりの為、車でまとめて訪問が望ましいかと。。。

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ぴーかる

長比城 (2020/10/03 訪問)

【長比城】
<駐車場他>登城口(野瀬山登山口)前に4台程駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>食違い虎口・土塁
<感想>伊吹山資料館の御城印巡り2城目。長比城は元亀元年(1570年)浅井長政が信長に離反した後に美濃の信長の進攻に備える為に北にある上平寺城を改修するとともに築城した。守備に堀秀村・樋口直房を置いたが、信長に内応しすぐに落城した。
 
 城跡は大きく西曲輪と東曲輪の2つの曲輪に分かれていて、間を土橋で結んでいる。西の曲輪は二等辺三角形を横に倒したような形状で周囲を比較的高い土塁で囲んでいる。虎口は西と東にあり、登山道は西の平虎口から入ります。曲輪の西に、埋まって薄くなってはいますが、尾根に沿って竪掘りがあります。西曲輪の東方向は土塁が狭まって切通しのようになっていて食違い虎口があります。曲輪内での面白い防御構造になっています。東曲輪は西曲輪の2倍程の広さで、虎口は最南東面の上下に食違い虎口が2箇所と最西に外枡形のような虎口1箇所がある。南東面の外側は横堀が見られる。いづれも東からの攻撃を意識した構造になっていました。

 標高391m、比高は200m程かなーと思います。登山道は800mですこし岩場になっています。数ヶ所獣よけのドラが吊るしてありますので、鳴らして登れます。東曲輪は結構鬱蒼としていたので、ちょっと曲輪内は見づらいです。土塁も高かったであろうですが、堆積で平地が上がってしまっていると思います。下山途中でチェーンソーを持った、山を管理している方と交わしたので、ぼちぼち整備しているようです。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

杉林の中に城石碑がひっそりと (2020/10/11 訪問)

 下坂氏館、三田村城を終えて城とらさんの最近の投稿で認識した小室城を初登城しました。
 三田村城から北に約5km程国道365号線から県道276号線を北へ、ガイドは城郭放浪記さんGoogleMapより、ナビを滋賀県長浜市小室町600に合わせ弥勒堂辺りへ、小室城の石柱城名碑に到着、側に車2台の駐車エリアが有る。
 皆さんの投稿の様に少し奥に入って庭園風の自然石城名碑が立ってるのみ、周辺案内の看板は倒れ一部朽ち果ててる、杉林の中寂しい雰囲気、後で表門跡に小室城陣屋図案内板が有り陣屋図によると自然石城名碑の建ってる所が陣屋の中心御殿跡の様子。
 弥勒堂、日吉神社を散策参拝し、表門跡の用水側に立ってる陣屋図を確認し撮影。

 歴史的には小堀遠州没後遺領を正保4年(1648年)継ぎ小堀氏5代が継承し天明8年(1788年)改易と成り廃城、徹底的に壊され跡地は田畑になった様子。(陣屋図案内板抜粋)

 ここは小谷城に西2,3km程と近く、国道365号線沿いの道の駅「浅井三姉妹の郷」お市の方と三姉妹の石像が有ります、昼も近く地元産の自然薯を使った冷やしとろろそばを昼食で頂きました、道の駅は結構混んでいました。
 この後国道365号線を使い西美濃の城廻りへ、関ヶ原には裏街道365号線が近い。

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イオ

守護所と明智光秀伝説 (2020/09/27 訪問)

(前回からの続き)

大桑城登城の後は、城下と周辺の史跡めぐりを。

さすがに守護所だけあって、城下には惣構の跡とされる四国堀や、土岐氏の菩提寺の南泉寺、土岐氏の氏神を祀った十五社神社など、往時の繁栄ぶりをうかがわせる史跡が数多く残っています。また、四国堀から東に徒歩2分行くと、斎藤道三との戦いでの戦死者を弔ったと伝わる六万墓があります。南泉寺には土岐頼芸が描いたとされる鷹画が所蔵されており、十五社神社には朝倉氏との深い関係を示す笏谷石の狛犬が伝わっていますが、いずれも現物を見ることはできませんでした。

また、大桑城とは無関係ながら、大桑城東部の中洞地区には明智光秀の生誕地とする伝承があり、土岐元頼と地元豪族の娘の間に生まれ、やがて明智光綱の養子になったとのことで、白山神社には産湯の井戸が、近くの武儀川には光秀を身ごもった母が「たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったと伝わる行徳岩があります。光秀の母が住んでいたとされる庵の庭にも行こうとしましたが、道がわからない(藪に沈んでいる?)ために諦めました。
さらに、中洞地区には「実は光秀は生きていた」との伝承もあり、山崎の戦いで討たれたのは影武者で、光秀本人は故郷の中洞に落ち延びて暮らした後、徳川家康の求めに応じて関ケ原の戦いに向かう途中、増水した川に流されて亡くなったんだとか。白山神社近くの林の中には光秀の墓とされる桔梗塚があります。

光秀生誕地を訪れるのはこの地で4か所目。「たとえ三日でも…」はありがちな伝承だと思いますし、「実は生きていた」もよくある話ですが、「川に流されて…」は斬新というか、あまりに締まらなさすぎて、かえって信憑性が感じられますね!?
 

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todo94

城カードのリニューアル (2020/08/10 訪問)

函館からの帰途、新青森で途中下車して弘前城に立ち寄っていきました。目的は城カードのゲットです。なんとリニューアルされていて300円になっていました。紙封筒入りの200円のカードは松山城、高知城、松江城の3城で打ち止めとなってしまいました。弘前城資料館ができていたので中をのぞいていきました。また、今回初めて3施設共通券を購入して植物園と藤田記念館も見学してまいりました。

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にのまる

【総選挙】のあとで。 (2020/09/27 訪問)

 このたびは鍛治曲輪門から入り、内松陰門から退出しました。激しい夕立ちのあと、天守台の上に雲が妖しげに広がり、遥か西の空は茜色に染まってゆきます。
 建ち並ぶビルに囲まれた駅前の城跡ですが、いにしえの世に誘われたような感覚に陥りました。

 そして帰ろうと思ったら乗車予定の「あずさ」が長野県内で起きたトラブルのため動いていなくてどうしよう(゚o゚;;となったのですが、甲府始発の「かいじ」で無事帰れました。

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小城小次郎

距離が近い城が近いのではない (2020/09/12 訪問)

犬猿の仲だった松尾城との距離の近さが話題だが、橋がある今でさえ相当な高低差を乗り越えた先にお互いの城がある。橋がなかったら往来はおよそ絶望的だろう。距離が近いことだけが「近い城」ではないことを思い知らされた。

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カズサン

方形城館北を除く三方に土塁、堀が残存 (2020/10/11 訪問)

 下坂氏館を終えて同じく国指定史跡北近江城館跡群に指定されてる三田村城を初登城。 下坂氏館から北方約6km程、ナビは滋賀県長浜市三田町1126に合わせ北側の三田公会堂の駐車場を利用、すぐ南が城跡に在る伝正寺、同駐車場に案内解説板が有る。
 
 歴史的には京極氏浅井氏に仕えた三田村氏の城館、姉川合戦の時には朝倉景健の本陣が置かれ、三田村氏は小谷城に退く。(案内板抜粋)

 現在は伝正寺となり、東に土塁と堀(現在畑)中間に虎口(現在寺の入口)、南に土塁と堀、西に土塁と堀、北は破壊され土塁は北東にカギ型で残ってる。(ガイドは城郭放浪記さん)

 

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中川藤兵衛尉

白鳥砦 (2020/10/12 訪問)

壺笠山城の鞍部向かいに建てられた砦。曲輪が分かりやすく残っています

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中川藤兵衛尉

壺笠山城 (2020/10/12 訪問)

湖西かと思いきや湖南に属する山城。石積みや曲輪が確りと残っています

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中川藤兵衛尉

打下城 (2020/10/12 訪問)

津田七兵衛尉信澄らが拠った山城。曲輪・堀切が良好に残り、石積みも所々にあります

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チェブ

ダッシュ、横山城、ダッシュ。 (2020/09/21 訪問)

山形県の「横山城」、一番乗りしました。

「横山城」と検索すると、まずは近江の「横山城」がヒットします。秀吉さんが城番した有名なお城ですもんね。
二番が信濃の「横山城」。
こちら山形県の「横山城」は詳しい情報が、なかなか見つかりません。

「横山城」城址碑、説明板がありました。
築城年代は不明です。
1512年、押切備前守が城主となり、その後は横山大膳 武藤 氏廣さんが治めました。1615年に廃城です。

こんもりした土塁の上に稲荷神社の祠がお祀りしてあります。
鳥居に「正一位稲荷大明神」とあります。位が高い神社のようです。
城址碑の後ろに、中台 直矢さんの横山城墟詩が説明板より大きくありました。
中台さんも調べましたが、漢学者だった事しか分かりません。
詩の内容、きちんと理解できた訳ではありませんが、雰囲気は伝わってきます。
ただ「横山城」、前の道が狭く車一台が通れる程度の幅です。近くに車を駐車し、ダッシュで写真を写し、遺構を探し、詩を理解しようと目を瞑り、またダッシュです。
ちなみに、近くの横山小学校が、とても楽しそうな色とデザインの学校でした。
、、、あとは二番槍の方、お願いいたします。

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イオ

石垣の城 (2020/09/27 訪問)

(前回からの続き)

「英雄たちの選択」を観ていて、大桑城で特に興味を惹かれたのは、当時の先端技術である石垣が随所に設けられているということ。

…とはいっても、そんなに大したこともないのでは? とも思いつつ、登城口のパンフレットケースに置かれていた「大桑城跡石垣見学マップ」を見てびっくり。10か所以上もあるやん! さらに、各石垣の周辺には見学ポイントの案内板を配して見落としがないよう配慮されています。おかげで、途中で見学マップをなくしてしまった(切井戸からの斜面を登っている際に落とした模様)私でも全て確認することができました。

もちろん近世山城のような大規模な石垣はありませんが、主郭周辺や井戸周辺、番所跡などの要所は石垣で固められており、谷筋の曲輪群の切岸も石垣だったようで(未確認)、当時としてはなかなかの石垣の城ですね。当初は斎藤道三に濃尾平野を追われて落ち延びた山中の城、程度に思っていましたが、背後の越美山地を越えれば縁戚関係のある朝倉氏の越前ですし、朝倉氏の支援のもと、先端技術を駆使した大桑城で本気で再起を図ろうとしていたんだな、と感じました。…まぁ、結果としては十数年で滅ぼされてしまうわけですが(^^;

(さらに続きます)
 

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todo94

立ち入りできず (2020/08/09 訪問)

太田神社から北海道最西端の尾花岬を遥拝し、北海道最西端の道路を通行してアプローチしました。恐らくこの丘陵で間違いないかなと思います。主郭へと続く道らしきものもありましたが、草刈りがなされておらず、藪漕ぎする気力はありませんでしたので、城内に立ち入ることはできませんでした。

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カズサン

素晴らしい城館です、8月8日より土日祝一般公開 (2020/10/11 訪問)

 以前は長浜市教育委員会に許可を得て入館が可能でしたが今年令和2年8月8日(土)より土日祝に一般公開されました、城情報ネットで公開の情報を得て直ぐ行きたかったのですが武漢コロナウイルス禍、今夏の酷暑にて今回10月11日の探訪と成りました。
 下坂氏館跡は国指定史跡・北近江城館群。入館料は大人300円、開館日は土日祝、午前9時~午後4時、12月1日から2月末までは休館(冬季ご注意を)
 駐車場は南西角に入館者、下坂クリニック併せて10台以上の駐車可
 ナビは滋賀県長浜市下坂中町177-1に合わせ、浜松浜北ICより新東名東名名神北陸道を使い長浜ICを降り道の広い4車線R8号線を南下約15分前後で到着、開門の9時前でしたので約30分ほど城館の周囲をぐるっと回り観察、9時に入りました。
 琵琶湖の西湖の葦葺きの主屋、表門、菩提寺不断光院、主郭と副郭を備え、主郭は二重土塁と堀で囲まれてる、代々下坂氏が居住され平成期に家屋敷を長浜市に寄贈された、表側に下坂クリニックを子孫の方が営んでる。
 歴史的には下坂氏は清和源氏の流れで南北朝時代湖北地方で活躍した国人領主、京極氏、浅井氏に仕え小谷城落城後帰農した江戸期井伊氏彦根藩に郷士として関りを持っていた。(パンフレット抜粋) (情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん)
 大変綺麗に整備されスタッフさんも親切丁寧に説明頂き有難うございました。

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赤い城

堀がすごい (2020/10/04 訪問)

阿弥陀寺の墓地を抜けて城址に。
阿弥陀寺の駐車場には説明板も立っています。
畑になった堀を見ながら進むと堀底道。
結構深い。右に登ると主郭部で土塁が囲んでいます。
周囲を堀が囲んでいて主郭と二郭の間の堀も深い。
二の丸一部花畑になっていました。
二の丸と三の丸の間の堀も深く折れも見られます。
佐竹の城は土木量も多く見応えありでした。

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カルビン

武田信義館 [山梨県韮崎市神山町武田556−2] (2014/10/18 訪問)

最寄りの駅(JR中央本線韮崎駅)からギリギリ徒歩圏内(道のりで約2.5km)のところに、甲斐武田氏の始祖・武田信義が拠点とした武田信義館があります。

田畑に囲まれた一画が武田信義館跡として残されておりました(標柱や解説がある)が、そこには遺構は見当たりませんでした。
が、ここに来る途中の道・カーブのところに明らかに土塁跡と思える場所がありました。

おそらく周辺の結構広い範囲が居館跡地だったと思われます。。。もしかしたら他にも遺構の名残が残されているかも。。。
但し自分の知る限りではここをメインに訪問するにはちと勿体ないかと。

自分は車での訪問でしたが、近くに車を停める場所が無い為、ここから4、500m離れた場所にある、おそらくここも城域内にあったと思われます、初期の甲斐武田一族菩提寺となる願成寺に駐車させて頂いて歩いてセット訪問されるほうが無難でしょう。


車でなら圏内に武田八幡宮と白山城があるので、熊出没シーズンを避けて合わせて訪問されれば満足の行くお城巡りとなるでしょう。
(更にそこから南にある扇子平山城も素晴らしいみたいですが・・・熊出没地帯の上、山の中真っただ中の為行くに行けない場所になってます(涙))

韮崎駅から歩いて武田信義館訪問されるのでしたら、道中にある韮山市役所に武田信義の立派な騎馬像があるので是非立ち寄ってみて下さい。

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バリィ

空堀 (2020/10/08 訪問)

シラス台地に築かれた城で、シラス台地など火山灰が降り積もった地に築かれたお城の特徴の空堀、堀切は断崖絶壁のようです。
駅からも近く、駐車場も完備されていますし、山城とは言うもの低い山ですし、本当にリア攻めに適している割には素晴らしい土の城です。

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昌官忠

週末パス東北遠征 (2019/07/13 訪問)

北目城跡から広瀬川を渡り北方向に徒歩30分弱で若林城跡(宮城刑務所)に着きます。刑務所入口前(攻城時は作業展示場に入ることはできませんでした)に城跡碑と説明板があります。攻城時間は10分くらいでした。
攻城後、最寄りの徒歩で20分くらいの仙台市営南北線「河原町駅」に向かい、船岡城攻城の為、R東北本線「船岡駅」を目指しました。

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