<オススメ>★★★★☆
蔵王堂城は、南北朝期に北朝方の中条氏が築城したとされる。その後、長尾為重が大改修を行い、上杉氏の会津転封まで軍事拠点として使用された。上杉氏の後は、幼少であった堀鶴千代の後見として堀直寄が入城するも鶴千代がわずか9歳で死去したため断絶。堀直寄も飯山藩へ転封され、松平忠輝の家臣である山田隼人が城代として入城する。松平忠輝が大坂夏の陣の不手際により改易されると、堀直寄が再び蔵王堂城主として戻り、蔵王堂藩を再興する。蔵王堂城の改修を行うが、信濃川の水害により城の一部が侵食され、城の維持が難しかった。そのため、長岡城の築城したとされる。長岡城の完成と共に蔵王堂城は廃城となった。堀直寄はその後、越後村上へと転封され蔵王堂藩は長岡藩へと移行した。現在、土塁等が遺されている。
<アクセス>
JR北長岡駅 徒歩20分
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