今年の2月に八王子城を訪れたときに、前年の台風19号で露出した御主殿の滝の石をガイドさんに案内していただいたのですが、その時の、大手道を歩きながらのガイドさんとのやりとりを猿さんのご投稿を読んで思い出しました。
ガ:「古い石垣と新しい石垣の境目はどこでしょう?」
私:「全然わかりません!」
ガ:「この上の曲輪は何段あるでしょう?」
私:「2段!」
ガ:「3段です。」
ガ:「御主殿虎口の石段はあるお城と似ていますがどこでしょう?」
私:「安土城!」(←これは知っていた。)
ガ:「信長のところに北条氏照に遣わされて行った間宮綱信が安土城の築城に携わり、安土城に似せて御主殿の石垣を築いたという説がありますが、では間宮と言ったら?」
私:「間宮海峡!」(←ボケたつもり。)
ガ:「そのとおり。」
私:「えっ?」
…とこんな感じでした。
間宮海峡の間宮林蔵は間宮綱信の後裔で、綱信は北条氏滅亡後、家康に取り立てられ大出世したということです。
(「北条のお城なのに何故石垣が多いのか」という猿さんの問いの答えにはなっていませんが、素人の私が検索して貼るのもアレなので…。)
猿さん、お城EXPOでは平山先生の講演にもいらしていたのですね。戦国の忍びの話。かまり、透波、乱波…。非正規雇用でアウトローな存在だった名もなき人たちの忍び働きなくして城も戦も成り立たなかったというお話はたいへん興味深く、現代社会と変わらない側面もあるのではないかと思いながら拝聴しました。
昌官忠さん、いつも美しいお写真を拝見させていただいております。仰せのとおり滝山城は(ざっくり)我が領域内です。どうぞお通りくださいませ(^^)/
と言いましても私は脱藩してきた流れ者で(奥方様と同郷のようで!)、領民感覚はあまりないのですが。
城びとさんのなかにはこのあたりが(多分)“庭”の方もいらっしゃるようです。。。
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