けんしょうじょう/たてまさじょう

建昌城

鹿児島県姶良市

別名 : 建晶城、瓜生野城、胡摩ヶ城
旧国名 : 大隅

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土塁と堀切がはっきりわかる二の丸あたりか
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しんちゃん

この城で島津軍と幕府軍が戦ったら?おそらくどっちも大惨事。 (2023/01/06 訪問)

建昌城は標高100m比高90mの広い扁平地にまるで平城のような縄張りで
築かれています。車で簡単に行くことが出来、山城と平山城と平城のすべての
特徴を備えています。東西は300m以上あり(周囲2km以上)本丸の左に二の丸、前の丸、
胡麻ケ城と続きます。本丸の西には櫓の丸、西の丸と続き、南には南の丸、常見の丸、
東の丸が存在します。非常にたくさんの郭があって、それぞれが十分に広いのですが
その間を堀切が仕切っていて本丸、二の丸の周辺には土塁が残っています。
南北を仕切る堀切は非常に大きく、まるでトラクターの通路かと錯覚してしまうほどです。
関ヶ原の合戦後、空き城だった建昌城を徳川軍の襲来に備えて島津氏が防備を強化したらしいですが
この巨城に無敵の島津軍が籠って戦ったら、さすがの幕府軍もさぞかし手を焼いたことでしょう。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/11 訪問)

県道446号の建昌城案内標識(31.731829、130.610158)に沿って東側脇道を進むと駐車場に着きます。
トイレ付き駐車場➡西の丸にある立派な看板(市民農園の看板)➡櫓之丸➡南之丸➡本丸➡本丸南側の堀底を歩く➡常見之丸と廻って駐車場に戻りました。時間の都合で全体の半分くらいしか見学できませんでした。攻城時間は40分くらいでした。
ちなみに縄張図等は余湖図コレクションを参考にしました。➡いつもありがとうございます。感謝してます。

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カズサン

鶴丸城に代わって本城にと計画した山城 (2016/10/25 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り鹿児島県国分城、富隈城を終えて島津義弘在城の加治木館を探訪し同所の郷土館見学の折担当の方から建昌城を推薦され初登城しました、九州道桜島SAの直ぐ北の山稜に有る北から廻り案内標識に従い登って行くと駐車場とトイレ、案内解説板完備。

 加治木郷土館の担当の方からは関ヶ原後、鶴丸城から対徳川対策として本城を建昌城に移すよう島津家久が計画した城と聞きました、が義弘の反対で計画ならず徳川家に配慮したのでしょう。
 探訪時は一面すすき野で曲輪、空堀、土塁が良く分からずススキが伸びすぎて居り前に進めず手前で遠望のみ、帰って余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると立派な土塁、空堀が有り次回ゆっくりと探訪したいものです。

 建昌城を終えて平松城、東福寺城、浜崎城、内城と探訪し鹿児島城(鶴丸城)を車窓から眺め2泊目の鹿児島へ移動。

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todo94

美しい土の城 (2016/12/30 訪問)

土塁、空堀、郭がとても美しい城でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 島津季久
築城年 享徳年間(1452〜1455)
主な城主 島津氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 県史跡(建昌城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 鹿児島県姶良市西餅田字建昌城他
問い合わせ先 姶良市教育委員会社会教育課文化財係
問い合わせ先電話番号 0995-62-2111