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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間④ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の4城目は亀山城です。
前泊した豊橋駅でレンタカーを借りて「道の駅 つくで手作り村」(34.963658、137.420876)に駐車して攻城しました。亀山城は「道の駅 つくで手作り村」の裏手になります。攻城口近くにも駐車場はありますが、道の駅前の国道301号線を挟んだ「石橋城(慈昌院)」も見学したかったので、こちらの駐車場を利用しました。
亀山城は奥平貞俊によって築かれた城で奥平氏が5代居城し、江戸時代には作手藩1万7千石として松平忠明が城主をつとめたようです。国道301号線から「亀山城趾」の大きな看板が見えます。こじんまりした城跡ですが、堀や土塁が確認できます。攻城時間は30分くらいでした。
ちなみに前泊した豊橋の駅のイルミネーションが綺麗でしたので、そちらの写真も投稿します。

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Dokuganryu

国宝犬山城 (2020/02/03 訪問)

名古屋からのアクセスは意外によい。

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Dokuganryu

石垣山一夜城 (2020/11/22 訪問)

穴太衆による野面積みの石垣が素晴らしい。

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チェブ

怖くない仁王様。 (2020/11/07 訪問)

秩父って山奥!のイメージでしたが私が住む東京の端っこから車で1時間30分で到着しました。
高速も使わず、山道も急カーブが少なかったので楽々ドライブでした。
電車なら西武鉄道、秩父鉄道と秩父駅までならアクセスが良さそうです。

「永田城」は築城時期が不明です。
おまけに城主も永田 林四郎さん、諏訪 右衛門さん、寺尾 彦三郎さんの名前は出てきましたが、どんな活躍をした お城かは不明のままです。

「永田城」は住所でナビ設定したら写真⑥の場所に到着しました。写真の橋は「秩父ハープ橋」です。バンジージャンプできそうな高さです。
ナビを頼るより「22番札所 永福寺」を目指して下さい。秩父三十四箇所巡礼でお参りしている方々がいらっしゃいます。お遍路さんです。
道路沿いに『◯◯番→』とありますので、迷わないと思います。
「永田城」=永福寺には駐車場があります。
山門があり仁王様を覗くと、とぼけたお顔の仁王様。
写真①の説明板の中に「永田城」が記載されてました。
童子堂の彫刻が素晴らしく長い時間、見させていただきました。
「永田城」を忘れ、しばし「永福寺」に没頭してしまいました。

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カルビン

新田氏館 [群馬県太田市世良田町3201−4] (2014/09/28 訪問)

太平記の舞台となる南北朝時代、鎌倉幕府の北条政権に立ち向かうべく新田義貞が数騎で新田荘を出て、徐々に仲間を増やし、鎌倉へ攻め入る頃には大軍になって鎌倉幕府討伐に繋がった・・・っていう歴史は戦国時代好きなお城フリークの方々にはいまいちピンと来ない出来事かもしれません。

自分も千早城攻略の際にこの時代の復習をするまで興味無かったのですが、今や太平記の主人公と言っても良い楠木正成ファンになってます(江戸城の騎馬像初めて見た時、「誰?」と思ったのが遠い昔の想い出www)

そんな太平記に登城する、残念な人物として挙げられる事の多い新田義貞の地元が群馬県世良田地区の新田荘になります。

その中で今は總持寺になっている場所が新田氏館跡地になります。
歴代の新田荘家の人物がここに住んでいた事から、新田義貞もここをスタートに鎌倉に乗りこんだんでしょう。

残念ながら遺構は残っておらず、總持寺の山門の所に碑石と解説があるのみです。
(お寺の山門や梵鐘櫓がそれらしく見えるのは良かったです(^_^)b)

更にここから南東にある世良田東照宮を含む歴史公園内にもかなりの見所があります。
そもそも世良田氏は徳川の祖の血筋であり、結構重要な場所なんじゃないでしょうか?


近場にも新田氏関連の史跡(反町館や江田館等)多く、新田義貞の像は自分が知っているだけでも太田市内に3体はあります。

公共交通機関では回り辛いので、車でまとめて訪問されるのが良いかと。

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奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

南海電車河内長野駅から高野街道をたどり、烏帽子形城は近い。烏帽子形城から西方の仁王山城を目指した。この辺りの高台は、○○台とか○○が丘と名付けられた宅地がたくさんある。元は平坦な土地を川が侵食した地形に思われる。
仁王山城がある、旭ヶ丘は、烏帽子形城の麓も流れる石川が東側と南側を削り、急斜面を成している。仁王山城の比高は、70mほどであるが、比高の元の旭ヶ丘が既に高台である。地図を見ると、旭ヶ丘内の南東の小山が汐の山城と。仁王山城は、旭ヶ丘団地を全部含む大きさだったとあるから、仁王山城の一部であろう。仁王山城本郭では、堀切(らしき)と頂上の平削地を認識した。
旭ヶ丘から見た烏帽子形山は、烏帽子に見えないことはない。河内長野駅側からは、なだらかな外見だが。

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BUGTI

関東郡代伊奈氏の拠点城 (2020/11/24 訪問)

赤山陣屋とも言われるが、城域は広くて立派な城である。廃城後は田畑になったようだが、空堀がきれいに整備されていてわかりやすい。特に北堀は当時の面影をよく残している。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間③ (2018/11/23 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の3城目は岩村城です。100名城スタンプは岩村歴史資料館で押しました。
小牧山城からの転戦です。小牧山城➡小牧市市役所前(名鉄バス)➡名鉄バスセンター➡名古屋駅➡恵那駅➡岩村駅に到着。そこから徒歩30分弱で岩村城に着きました。
日本三大山城のひとつ(残り二つは備中松山城と高取城)であり、織田信長の叔母にあたり絶世の美女だったと伝わる「おつやの方」が女城主として守っていたことで知られています。
この城の見所は何といっても石垣でしょう。石垣の中でも圧巻は六段からなる本丸の石垣。雛壇に築かれた石垣は背面の高石垣の崩落を防ぐ補強の石垣だそうです。
城下町は「半分、青い。」ドラマロケ地だったそうですが、自分は見ていませんでした。攻城時間は100分くらいでした。
帰りは岩村駅から本日の宿泊先の豊橋駅に向かいました。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間② (2018/11/23 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の2城目は小牧山城です。続100名城スタンプは模擬天守(小牧市歴史館)で押しました。
岡崎城からの転戦です。岡崎城➡東岡崎駅➡金山駅➡平安通駅➡小牧駅に到着。そこから徒歩25分弱で小牧山城に着きました。
1563年に織田信長が築城し、清州から移ってきました。
模擬天守の小牧市歴史館は、名古屋在住の実業家、平松茂氏が私財を投じて建設し小牧市に寄贈されたものだそうです。
鉄筋コンクリート造、3層4階建てで高さは19.3m、4階の展望室からは濃尾平野が一望できます。
遺構として石垣や堀、土塁が確認できます。攻城時間はバス待ちの都合もあり65分でした。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間① (2018/11/23 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の1城目は岡崎城です。100名城スタンプは天守1Fで押しました。
岡崎城は2回攻城しています。1回目は2016/09/18に次男と二人で、2回目は100名城スタンプを押印する為だけに攻城しました。
岡崎駅から徒歩15分弱で岡崎城に着きました。着いた時が9:00前だったので天守が開くまで付近を散策。開城とともにスタンプをゲットして撤退しました。
岡崎城は徳川家康の生まれた城として知られています。せっかく時間があったのだから「二十七曲の碑」を捜せば良かったと思い、後から「二十七曲の碑」の場所を調べたら、岡崎城から2.4Km、岡崎駅から4.6Km離れていて、徒歩圏内としてはちょった厳しい距離です。ちなみに場所は(34.951501、137.181441)でした。興味のある方は行かれてはどうでしょうか。

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todo94

散策しやすい城址 (2020/10/31 訪問)

阿波崎城、神宮寺城、江戸崎城と進んで土浦に向かう途中にあった城なので立ち寄ってみましたが、想像以上に素晴らしい城でとても得した気分です。攻城前に城びとの記事くらいは読んでおいた方が良いなあと投稿する段になって漸く気づいた次第です。順路に従ってくまなく城内を散策できますし、手作り感のある曲輪の表示も好感が持てました。

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ぴちょまる

多層の曲輪 (2020/11/22 訪問)

亀山に建てられた、綺麗に多層構造となった曲輪で、丸亀?
丸亀城と同じく、大手門と天守が現存する高知城と似た印象の写真となるのが面白い。
三の丸まで一気に登る見返坂が有名だが、実は後半の方が一段と急勾配となっていて進軍時の足止め
となるように設計されているのが面白い。
とはいえ大手門から続く坂道が一直線なのは珍しいし、南側の搦手の方がつづら折になっていて、
こちらの方が城郭らしさを感じられるな、と思っていたら山崎時代は、搦手側の方が大手だったらしい。
搦手の方が勾配が緩やかで、讃岐富士を見ながら下りることができるので、遠回りにはなるが本丸から
下るときは、搦手側の方がおすすめ。

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ぴちょまる

高松城 (2020/11/21 訪問)

昔から雨が少なく観光向きと言われていたが、今回もその通りで快晴。
海辺の高松城ならではの水手御門という舟に乗って出るための門とそこにつながる月見櫓が特徴。
月見というのも後の当て字らしく、城主の船が着くのを見る「着き見」が由来とのこと。
艮櫓は、東南にあるのになぜ北東(うしとら)と呼ぶのかと思ったら、本来あった場所から移されたので、
方角があっていないのだそう。
写真を撮るために入らせて貰った、艮櫓近くにある駐車場の管理人のおじさんが色々教えてくれました。

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ぴちょまる

鶴ヶ城 (2020/11/01 訪問)

春に行こうとしていた、鶴ヶ城へ。
今回はどちらかというと食事が目的。曲輪飯、みそ田楽、そば、ラーメン、饅頭各種と食べたいものがたくさんある。
何を食べても美味しい、という印象しかない。

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ぴちょまる

江戸城 GFX 50R (2020/09/12 訪問)

コロナ禍の中で、人数を絞って、集合時間もズラして、モデルさんと一定距離を保って、など色々対策を施した富士フィルムの中判カメラ、GFX 50R の貸し出しイベントに参加。
あいにくの雨模様だったが、むしろ濡れた感じの再現こそ、中判カメラの得意とするところとばかりに嬉々として東京駅近辺と江戸城を散策。

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藤咲

岐阜城 (2020/01/31 訪問)

今年の一月、QUEENのライブで名古屋へ行ったついでに初めての岐阜城へ。
まさに大河ドラマがはじまったばかり。

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にのまる

さまざまな時代の。 (2020/10/03 訪問)

 二本松駅から、大手門通りの坂道をかつての城下町の風景を思い描きながらのぼって下って向かいました。
 二本松少年隊の像の前では自然と足が止まってしまいます。縫い物をする母の姿が切なすぎて。。。
 この日は先に行った白石城とここのほかに予定を入れなかったので、のんびりじっくりと三の丸の石垣を眺め、築石の隙間にアーティスティックに詰められた間石や、矢穴に嵌って抜けなくなったっぽい小石なども楽しんでみました。
お天気に恵まれたので天守台からの眺めがとても美しく気持ちよくて、戦場だったことを忘れてしまいそうなくらいでした。しかし、その天守台の傍らには割腹した藩士の自尽の碑。戊辰戦争のことを思うと心が痛くなります…長州人なのでm(__)m
 二本松城はその長い歴史の中で何度もつくりかえられているので異なる時代の石積みを同時に見ることができます。説明板のあるところは読みながら、ないところは想像しながら見てまわりました。侍屋敷跡と推測される平場の低い石垣はどこにつながっていたのだろうとか、足元の草に埋もれた平たい石は礎石かもしれないなどなど。天守台西面下の二重石垣は布積みでも乱積みでもない布積み崩しというのだそうですが、すべての石が横長に積まれていて安定感がありました。
 とっくり井戸、搦手門の石垣を見て、新城館(少年隊の丘)へ。洗心亭の方に抜けようと思ったら工事をしているところに出たのでそろそろ菊祭りの準備かな?と思ったら三の丸上段で発掘調査中でした。
<続く>

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キンヤ

桶狭間の戦いの砦群で最も砦らしい丸根砦 (2019/06/23 訪問)

桶狭間の戦い以前に、今川方の鳴海城と大高城の連絡を断ち、大高城を兵糧攻めする為に信長が築かせた砦とされます。
今川軍に攻められ砦は落ち全滅し、信長はその様子を熱田神宮から見ていたといわれます。

桶狭間合戦に関する砦群の中でも、さすが国史跡だけあって、丸根砦は雰囲気がよく残っています。

同じ国史跡でも、鷲津砦は石碑がある場所ではなく、もう少し北側に砦があったとの説があり、気になって北側に行ってみると、そこの方が鳴海城と大高城を見渡すことができる急斜面の立地で砦に適しているかもと思いました。

でも、丸根砦はいかにも砦らしい小山にあり、ここは間違いなく砦があったと思いました。
曲輪を囲っていた横堀と思われる遺構もあり、桶狭間の戦いの砦で一番好きな所です。

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ぴーかる

浅野陣屋 (2020/11/03 訪問)

【若狭野陣屋】
<駐車場他>陣屋跡(法界庵)前のゴミ置場横に1台分駐車出来そうな場所あり。または<34.836535, 134.415692>の地点が空き地です。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>若狭野陣屋は1671年、赤穂藩主浅野長直の孫である浅野長恒が分家し、江戸幕府の旗本となり、三千石の知行が認められ、若狭野の地に陣屋を構えました。本家は御存じの通り改易になったが、若狭野浅野家は幕末まで7代、旗本として続きました。現存している建物は藩札を発行した札座で、邸宅跡には若狭野須賀神社、薬師堂、石碑があります。
 法界庵は立入禁止となっていました。須賀神社鳥居横に邸宅跡の石垣、更に北側に階段状の石垣が見受けられました。須賀神社本殿裏に邸宅跡の土塀もありました。

<満足度>◆◆◇

<グルメ>和食館「から橋の里」冬場限定の地元相生産の牡蠣フライ定食がお勧めです。身が大きく食べ応えあります。JRで1駅離れますが上郡駅前にあります。

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びーこ

菊と栗と笠間城 (2020/11/19 訪問)

まずは続100名城のスタンプをもらうために「かさま歴史交流館井筒屋」に向かった。菊祭りの真っ只中とは知っていたが、まさか井筒屋がどこにあるか分からなくなるほど菊まみれになっているとは!!しばし登城のことを忘れて菊を堪能・・・
井筒屋で笠間城に行くと伝えると、最寄の千人溜駐車場までの行き方と駐車場から本丸までの詳しい道順を、写真を使って丁寧に教えてくれた。城内には案内板が殆どないので、登場前にはこちらで情報収集することをお勧めする。
大手門から趣のある石垣を見ながら石段を登って本丸を目指した。
天守曲輪には佐志能神社が祀られているが、東日本大震災の影響で支えている石垣がかなり崩れていた。いつ崩壊してもおかしくない状態である。城内の案内版も欲しいが、まずはここを修復して欲しい。事故が起きてからでは遅い・・
城内にあった八幡台櫓が移築された真浄寺にもぜひ立ち寄って欲しい。城郭らしい面構えで「城を見に来た!」という気分になれる。
登城後は、お待ちかねのグルメ三昧。名物の常陸秋そばと、栗のパフェを堪能。笠間の秋を満喫しました!

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