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カニカニ

特別公開第2弾(見学通路完成記念)に、行ってきた (2020/11/16 訪問)

所用で福岡県に行くことになり、往復の各地の城をついでに巡ろうと計画しました。
(ホントはこっちがメインかな・・)
出発5日前に、熊本城特別公開第2弾(見学通路完成記念)として熊本城復元整備基金に芳志した人
(復興城主)への特別公開招待券が届き、グッドなタイミング!!

北ルートも見学できる前日の日曜日に予定していたが、一日遅れで南ルートのみの見学となった。
南ルートは、数寄屋丸二階御広間、二様の石垣、連続外枡形、東竹の丸平櫓群を見ながら、闇り通路を
通り、大銀杏と天守の本丸へ。
北ルートは、頬当御門跡から平左衛門丸の横を通り大天守と本丸御殿の間を抜ける工事用通路らしい。

氏名・電話番号・発熱の有無を、調査票QRコードで読み込んでWEB上で回答して入場。(用紙でも可)
以前なら二の丸駐車場から西大手門を入るのだが、元太鼓櫓とともに解体され通行不可。
奉行丸の南側を歩いて進む。
未申櫓は被害がないようだが、奉行丸を囲む長塀は崩壊し石垣には金網が掛けられている。
特別見学通路は、地上5~7m、全長350m、幅も約5mほどもあり、エレベータ完備。
数十メートル間隔で案内を兼ねた警備の方がいらして見学者からの質問にも丁寧に応対されておられた。

高いので違った角度や位置から石垣や建物を見られるのは嬉しいが、被害の酷さ、修復の現況を目の
当たりにすると胸が痛む。
そこにあったはずの飯田丸五階櫓や西櫓御門は、更地になっている。
数寄屋丸二階御広間石垣が一部崩落し建物が歪んでしまっている。  五階櫓石垣も崩落。

私の好きな連続枡形は、崩れた石垣が通路をふさぎ、いまだ手つかず。
仕方のない事とはわかっていても、私の年齢を考えると、もうあそこを歩くことはできないな。
と、眺めていて悲しくなった。

二様の石垣は健在のように見えたが、新しい石垣(細川期)の上部に沈下がみられると、パンフレットに
記されている。
東竹の丸平櫓群は、やや傾いており数本のワイヤーで引っ張られている。
闇り通路は問題なさそうだが本丸御殿内部は壁の破損や床が傾いているそうで外壁が剥がれ落ちている
箇所がある。
修復できる宮大工の匠たちは各地の国宝建築などの修復にかかって、こちらまで手配ができないそうだ。

見学を終え行幸橋方面へ。 馬具櫓は、2年前と同じで一部崩壊した石垣の上になんとか建っている。
2年前は撤去されていた坪井川沿いの長塀は、完全復旧されている。
須戸口門平御櫓の石垣は、金網で補強。
東十八間櫓、北十八間櫓、五間櫓、不開門、平御櫓などは解体され石垣の崩壊面にはセメント(?)で
補修されている。

忘れちゃならない、宇土櫓。
続櫓は倒壊したが宇土櫓や石垣は立派に耐えきった。が、やはり内部の壁や床は破損しているそうだ。
角の石落し上部の漆喰壁が破損しており、ラインの美しい石垣には草木が生えてしまっている。
天守復旧の次は、宇土櫓を最優先で取り掛かってほしいものである。

戌亥櫓の石垣や長塀は、手つかずのまま。  
西出丸には多くのプレハブが建っており、周囲は解体した建物の瓦類の保管場所となっている。
多くの解体した櫓などの木材の部材は、どこに保管しているのだろうか?
余震や風雨からの倒壊や崩壊を防ぎつつの復旧には多くの年月がかかると覚悟せねばならないだろう。

さて熊本市民だけでなく全国の方々が待ち望む天守の内部公開は2021年春(6月頃?)になるらしい。
もしかすると来年夏も所用ができそうなので、復旧が進み変化する熊本城を、また観られるかも。

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じゅんじん

退却 (2020/09/26 訪問)

神戸製鋼所健康保険組合増進センターとなっており退却しました😢

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じゅんじん

漁港 (2020/09/26 訪問)

岩谷港向かいの小山になります。入れませんね。
ちょっと行けば道の駅があります。

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じゅんじん

苗木城 (2020/09/22 訪問)

下の駐車場から行きました。違ったところから見れたのがよかった。名城はコロナでもお客が多いね。

あと中津川の栗きんとんは絶品✨

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昌官忠

越後遠征2日間② (2018/11/10 訪問)

越後遠征2日間の2城目は新発田城です。100名城スタンプは新発田城本丸表門で押印しました。

村上駅から新発田駅まで電車で30分ちょっと、新発田駅から新発田城まで徒歩20分ちょっとで到着。
途中、「義士堀部安兵衛誕生之〇➡なんと読むのかわかりません」を発見し、気分が上がってきます。

見所は三階櫓、旧二の丸隅櫓、本丸表門、本丸辰巳櫓といったところでしょうが、本丸を取り巻く水堀もなかなか良いです。
三階櫓の3匹の鯱や海鼠壁も見ることができましたので満足しました。攻城時間は60分くらいでした。

明日の春日山城攻城の為、上越妙高駅まで戻り、当日はそこで宿泊しました。ちなみに宿泊はアパホテル上越妙高駅です。

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昌官忠

越後遠征2日間① (2018/11/10 訪問)

越後遠征2日間の1城目は村上城です。続100名城スタンプは「おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)」で押印しました。

自宅最寄り駅から新幹線や特急列車を乗り継ぎながら4時間半ちょっとで村上駅に到着。さすがに遠い。
~攻城ルートコース~
村上駅➡おしゃぎり会館(村上駅から徒歩20分ちょっと)➡登山口(おしゃぎり会館から徒歩5分ちょっと)➡一文字門跡➡七曲道(20分弱登ります)➡四ツ門跡➡調連場跡(三の丸)➡御鐘門跡➡二の丸➡出櫓跡➡黒門跡➡平櫓跡➡埋門跡➡冠木門跡➡本丸➡天守櫓跡➡帯曲輪(東虎口方面の竪堀を覗く)➡坂中門跡➡四ツ門跡➡七曲道➡登山口➡村上駅(登山口から徒歩25分弱)
七曲り道(近世の大手道)+中世遺構散策コースの一般的なコースを歩きました。

見所は立派な石垣と土塁、東虎口方面の竪堀が印象的です。
ちなみに天守台にある城跡碑は舞鶴城になっていました。攻城時間(登山口~登山口)は75分くらいでした。

村上は鮭料理が有名みたいですが、新発田城に向かう列車の都合上、食することはできませんでした。

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todo94

立入禁止 (2020/10/31 訪問)

つくば献血ルームに向かう前に立ち寄り、説明板を難なく見つけることができました。その説明板に石碑の位置が明示されていたので何の疑いもなく地下道を通り抜けてしまいましたが、JR東日本は通行を許可していなかったのですね。申し訳ありませんでした。

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奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

河内長野で一番高い山(比高200m)。楠木七城の一つで、その後、畠山義就が立て籠り、畠山政長と家督争い。応仁の乱の2年前となる前哨戦と。
登山口から案内板、道表示がよく整備されていた。猪避けの柵の扉脇に携帯用の小さなベルが用意してある。主要部の草刈りもされていて、ありがたい。
東の大阪湾、西の金剛山方面の眺望もすばらしい。
同じ山体の北側、龍泉寺城(嶽山城)に山づたいに連絡しているはずだが、道が心もとないので、一旦下山して山の東側に回り込んで嶽山城を目指した。猪避けの柵の扉内側に、整備のための協力募金箱があったので、募金しました。

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奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

烏帽子形城、仁王山城から、河内長野駅にとって返し、金胎寺城へ。さらに、山体の東に回り込んで、龍泉寺城(嶽山城)へ。
山頂に簡保の宿があり、テニスコートがまさに頂にある。東斜面には、みかん畑が拡がっており、金剛山や葛城山も近くに見える。金剛山尾根にある赤坂城も見えている(はず)。東には平地を隔てて烏帽子形城があり、この辺りの城を一望できる要所。
車道をひたすら登り、テニスコートに着くと、「工事中で、城跡には入れません」と😞
西側へ降り、初芝高校脇を経て、滝谷不動駅へ。石川を渡る橋に、石川川床にアケボノ象の足跡が発見されたことの紹介があった。「金剛山が今ほど高くなかった頃」と。一日、よう歩きました。

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ふゆづき

曇天の下で (2020/11/21 訪問)

天気予報では曇天ということだったので、雲海が期待できないことは解っていましたが、その分「密」を避けることができるであろうという判断で、竹田城を訪問しました。
鉄道で行きましたので、先ずは竹田駅で下車。駅のホームから城の石垣が見えるので、気分は高まります。

往路は、竹田駅から10:05発の天空バスに乗車して向かいましたが、駅では空席がありましたが、山城の里で多くの乗車があり、積み残しが出たようでした。
山城の里から竹田城跡までの自動車道は、散策がてら歩いている人もかなりありました。
バス停を降りて、整備された歩道を歩くこと約15分で、登城口に到着。ここで御城印を頂きました。
ただし、雲海の入った御城印は、展望台、山城の里又は駅前の小物屋さんで扱っているとのことで、ここでは入手できませんでした。
写真のとおり、城内の人出はそれほどではなく、ゆっくり見ることができましたが、雲海を期待しないのであれば、午後から登城という方法もあったように思いました。
私としては、南千畳から天守閣方面のアングルが印象的であったように思いました。
城内の滞在時間は1時間というところです。

復路は山道を下りましたが、ゆっくり下って、駅まで約30分というところだと思います。
登山道の途中にも、そこここに石垣があり、注意していないと見過ごしそうです。
途中で紅葉が綺麗でしたので、写真に撮りました(最後のものです)。
登山口を降りると、寺院が並んであり、この城の麓が寺院で固められていたことが解りました。

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火ノ島豊後守正宗

米子城 (2020/11/27 訪問)

続43城目。
米子城に到着。
あいにくの曇天でしたが、山頂からの米子市街地は絶景でした。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑩ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の10城目(ラストです)は二連木城です。
帰りの新幹線の時間まで余裕があったので、吉田城近くの二連木城を急遽攻城しました。
現在城址は大口公園として整備されていますが、駐車場ありません。仕方なく路駐(34.770445、137.414999)し、急ぎ城址碑の写真を撮って撤退しました。本丸を囲む土塁が残っていましたが、見学している余裕なし。何しにきたのやら。攻城時間は5分もなかったと思います。
帰りは豊橋駅からの帰宅なので、駅で名物の「豊橋カレーうどん」を食べてきました。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑨ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の9城目は吉田城です。続100スタンプは鉄櫓で押しました。
車は豊橋公園の駐車場(34.770546、137.395463)に駐車し、裏御門から本丸の鉄櫓を目指しました。(スタンプを置いてある鉄櫓が15:00閉館なので急ぎました)
石垣や空堀、土塁が良く残っています。特に本丸付近の石垣は見事でした。背後を流れる豊川は美しかった。攻城時間は50分くらいでした。

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー28城目 (2020/10/31 訪問)

スタンプ置き場が土浦市立博物館に変わっていました。入館料を支払わなくてもスタンプを押せますが、土浦城東櫓に入館するには博物館の入館券が必要です。東櫓で入館料を支払うことはできませんのでお気をつけください。博物館の入館料は105円です。土浦市立博物館の展示を拝見するのは今回が初めてでした。また、木田余城攻城の後に移築高麗門をチェックすることもできました。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑧ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の8城目は長篠城です。100名城スタンプは長篠城址史跡保存館で押しました。
車は長篠城址史跡保存館駐車場(34.923358、137.560144)に駐車しました。
長篠城は「長篠の戦い」に先立ち、激しい攻防戦が行われたことで知られています。
本丸付近に空堀や土塁を確認することができますが、城址内を電車が走っていることに驚きです。
馬場信房公の墓を見学する為の車の駐車空スペース(34.924023、137.554133)はありますが、歩いてもそんなに離れていません。攻城時間は40分くらいでした。(本丸付近の見学だけなら、そんなにかかりません)

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キンヤ

重要文化財の素晴らしい櫓が二基もある海城 (2019/01/01 訪問)

先ずは重文の月見櫓から巡りました。
水手御門と合わさってとてもカッコいいです。

もう一つ重文の艮櫓は、石落や鉄砲狭間を備え戦闘的かつ美しかったです。
もとは、東の丸の北東の隅櫓でしたが、太鼓櫓跡に移築されています。

解体修理が終了した天守台は立派で、CGにあるような南蛮造りの天守が復元されたら、ぜひ再訪したいです。

綺麗な水堀には鯛が泳いでいて、いかにも海城って感じでした。

さすが、日本三水城とされるだけあって良い城で楽しかったです。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑦・文殊山城 (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の7城目は城びと未登録の「文殊山城」です。
古宮城攻城後に行った「作手歴史民俗資料館」で入手した作手戦国絵巻の資料で作手地区には、6つの城址があることがわかりました。
 ①文殊山城址②塞之神城址③石橋城址④亀山城址⑤古宮城址⑥川尻城址
③④⑤は攻城済でしたので、時間の都合で残り1城しか攻城できない為、攻城時間が短い①文殊山城址を教えて頂き、急遽攻城するこにしました。
文殊山城直下の空スペース(34.969052、137.414978)に駐車可能ですが、グーグルでGPS座標入力すると車で行けないルートを指示されます。車で行くには作手診療所近く(34.974832、137.420948)を入力すれば文殊山城跡の標柱がありますので、そこから車で登ってください。
文殊山城は奥平氏によって一夜にして築かれたので一夜城とも呼ばれています。攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑥ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の6城目は古宮城です。古宮城を攻城する前に作手歴史民俗資料館」(34.976177、137.423451)に寄りましたが、10時前で開いていなかった為、近くのYショップ(34.978624、137.424101)で続100名城のスタンプを押して古宮城に向かいました。
古宮城の駐車場は白鳥神社近くの空きスペース(34.971829、137.428762)に2~3台は駐車可能です。
古宮城は竹田信玄が馬場信春に築かせた城です。「長篠の戦い」に先立つ1573年に武田氏を離反した奥平氏と徳川氏によって落城させられています。
土塁や空堀が綺麗に残っているのに遺構の説明がないのは残念でした。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑤・石橋城 (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の5城目は石橋城です。
石橋城は城びと未登録です。亀山城からの転戦ですが、転戦といっても「道の駅 つくで手作り村」の国道301号線を挟んだ前の「石橋山慈昌院」が城址になりますので、そのまま徒歩で攻城。
石橋城は奥平家2代当主・奥平貞久の次男、石橋弾正久勝の居城です。この人、謀反を企みましたが事前に露見して攻められて討ち死にしたようです。慈昌院の奥に土塁があるようですが、自分は未確認です。攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

岐阜愛知遠征2日間④ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の4城目は亀山城です。
前泊した豊橋駅でレンタカーを借りて「道の駅 つくで手作り村」(34.963658、137.420876)に駐車して攻城しました。亀山城は「道の駅 つくで手作り村」の裏手になります。攻城口近くにも駐車場はありますが、道の駅前の国道301号線を挟んだ「石橋城(慈昌院)」も見学したかったので、こちらの駐車場を利用しました。
亀山城は奥平貞俊によって築かれた城で奥平氏が5代居城し、江戸時代には作手藩1万7千石として松平忠明が城主をつとめたようです。国道301号線から「亀山城趾」の大きな看板が見えます。こじんまりした城跡ですが、堀や土塁が確認できます。攻城時間は30分くらいでした。
ちなみに前泊した豊橋の駅のイルミネーションが綺麗でしたので、そちらの写真も投稿します。

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