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昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑪:飯沼城 (2019/05/27 訪問)

飯沼陣屋から転戦。車で2~3分くらいでした。
圓福寺・飯沼観音参拝者駐車場(35.731443、140.8402)に駐車して攻城しました。

飯沼城は2回攻城しています。
①2019/05/27(今回) 一人で車で攻城。
②2020/08/28 妻と二人でGO TOトラベルを利用して車で攻城(投稿済)。

飯沼城は築城年代は定かではないが、千葉氏の庶家である海上氏によって築かれたといわれ、海上氏は千葉氏の庶家で中島城を代々の居城とし、飯沼城はその支城と考えられています。
南北朝時代には海上筑後守師胤、海上六郎公胤。文明年間(1469年〜1487年)にも海上備中守師胤など海上氏一族が代々城主であったそうです。
1479年(文明11年)、古河公方・足利成氏と扇谷・山内両上杉方の争いの中、中島城城主・海上師胤は千葉孝胤とともに臼井城を支援したために両上杉方の攻撃を受け、飯沼城は落城したと伝わっています。
現在城址は円福寺の境内になっており、遺構は残っていません。

市街地の平地で地形的な城址感もあまりありません。
屏風ヶ浦や犬吠埼の帰りにでも寄ってみてください。
攻城時間は10分くらいでした。

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まーやん

上林城跡(京都府綾部市八津合町) (2021/02/06 訪問)

山家陣屋から東へ上林川を遡って行くと、綾部温泉の少し手前に独立した小高い山が見えるのが上林城址だ。
城主上林氏は丹波の赤鬼で有名な赤井氏の一族。
光秀に攻められて一族は離散したが、宇治で茶業を興した上林氏はコカ・コーラから発売の綾鷹ブランドを手掛ける上林春松本店だ。
綾鷹は初めて濁りを残した茶飲料として世に衝撃を与えた。
色々と歴史は繋がる面白さをこの小山から感じた。
遺構は本丸に石垣が見られるのと腰曲輪らしきものが見られる程度かな。

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北条氏の水軍基地 (2021/02/27 訪問)

 北条氏に属した富永氏の城で、水軍基地であった城址です。
修善寺駅から東海バスにて土肥丸山公園まで約60分。そこから徒歩1~2分で出丸の登城口に着きます。そこから少し先の道路を挟んで反対側に本丸方面への入口があります。
 出丸へは道路の標識から5分くらいあるけば案内板のある曲輪に着きます。その先も段々となった削平地があると思われますが藪がひどくて探索していません。
 本丸の方へ向かうと段々となった削平地があり石積みを見ることができます。少し海岸方面を探索しましたが、こちらでも石積みを見ることができます。農地のために後世に作られたものかとも思いましたが、本丸の案内板を見ると「当時の曲輪跡や石垣が残っている」と書かれていました。以前の発掘調査でも石積み工法が使われたことが報告されているとのことでした。写真は掲載しておきます。竪堀もあるように描かれていましたがわかりませんでした。
 詰めの城の中心部と言われている津島神社まで行きましたが明瞭な遺構は見つけられませんでした。その先が大空堀ということでしたが、道路や畑があり多分ここかなと思い引き返しました。
この日は天候に恵まれ海越しに富士山が見えました。

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まーやん

山家陣屋~山家城(甲ヶ峯城)(京都府綾部市広瀬町) (2021/02/06 訪問)

綾部市の南、国道27号に程近い由良川と上林川の合流部に谷衛友(モリトモ)が築いた山家陣屋跡があり公園に整備されているが、その横の伊也神社から和久氏の築いた山家(甲ヶ峯)城址に登れる。
和久氏は一旦光秀に従い城郭破棄命令に従うことで許されたが、照福寺境内であるとして応じなかったため攻め滅ぼされたらしい。
遺構としては本丸、二ノ丸が良好に残っている他、土塁や空堀が残っており、特に北側の照福寺側の横堀は圧巻である。
山家陣屋は和久氏滅亡の後、美濃より谷氏が封じられたらしい。
藩祖谷衛友の父衛好は本願寺攻めで功があったが播州三木城攻めで討死する。本能寺の変後、衛友が秀吉より山家に封ぜられ13代にわたってこの地を納めた。
衛友は関ヶ原の時は舞鶴の田辺城に籠る細川幽斉を包囲したが、歌道の師弟関係にある幽斉を討てるはずもなく、全て空鉄砲だったとの逸話が伝わっている。

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響ちゃん

公園でした…ぽい (2021/02/27 訪問)

公園をぐるりと回って、公園西側の富士浅間神社にある外堀跡を見てきたぽい

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チェブ

事前に公開日時をチェック。 (2021/01/02 訪問)

この前 投稿した「宇田家屋敷」と同じように遠くから眺めた「和井田氏屋敷」です。

大阪からお引っ越しして来た、和井田氏のお屋敷です。和井田氏は八條35ヶ村の名主の取締役を務めました。

道沿いに説明板がありました。
路駐して写真を写し、すぐに退陣。
今までのお城攻めで、最短記録です。

こちらの「和井田氏屋敷」は公開日時がありますので、事前にチェックが必要です。

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赤い城

戦国最強、武田氏の居館 (2021/02/23 訪問)

甲府駅から北に徒歩30分。
武田神社が建っています。
武田氏が拠点とした方形居館で周囲を土塁と堀が囲んでいます。
東側が大手で整備されています。
北側は味噌曲輪などの発掘調査中、途中、主郭の堀に降りることができました。
主郭、西曲輪には石垣が一部残っています。
西曲輪北側には枡形虎口、土橋も良好。
ここ3回目の訪問ですが初めてじっくり観ることができました。

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じっぱ

西尾城 (2021/02/20 訪問)

今回は愛知に足をのばし西尾市に来て見た。歴史公園なる中に三層の建物が一際目を引く。下調べもせず来たので、これが復元?天守かと思ってしまったが、本丸!丑寅櫓とのことで、本瓦葺きの規模の大きな櫓で城内で2番目に高い建物だったようです。足利義氏が築城以来廃藩まで650年?の歴史があり、近年櫓や門が再建され公園として整備されて市民の憩いの場所となっている。西尾城の特徴とされる二之丸天守・天守台が近年一部発掘された石垣の石材を利用して再構築されているとのことです。又野面積みの石垣と本丸表門の礎石が残されています。園内には旧近衛邸の書院、茶室が移転・移築され風情を醸し出しています。

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ぴーかる

高槻城 (2021/02/06 訪問)

【高槻城】
<駐車場他>高槻市立しろあと歴史館
<交通手段>車

<感想>芥川山城登城後のスタンプ押印のお決まりパターンの訪城です。しろあと歴史館内は芥川山城と高槻城に関する展示物もあって無料なのにかなり充実しています。高槻の名産は寒天で、北西部に広がる山々の吹き下ろしの乾いた風が生産に適しているのです。内陸ですが、昔は淀川水運で運ばれてきていたそうです。生産の様子も展示物がありました。

 次に城跡公園に行ったが遊ぶ子供達や散歩のお年寄り等驚くほどの人がいたので、高山右近の銅像を撮影して早々にあとにした。商工会議所傍にある厩郭枡形門の石垣石、永井神社の移築唐門、本行寺の移築城門を見に行って終了した。

<満足度>◆◆◇

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たぬぬ

登城記録 (2021/02/24 訪問)

養老鉄道美濃津屋駅から徒歩5分で城跡とされる本慶寺に至りました。目立った遺構はありませんが、城址碑と案内板がありました。

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にのまる

石垣展示 (2021/01/06 訪問)

 舞鶴城公園に隣接する山梨県庁防災新館(やまなしプラザ)B1Fの「甲府城石垣展示室」に行ってきました。
 防災新館建設工事に伴って行われた発掘調査で確認された石垣の移築復元と、実物の胴木の展示、パネルとビデオでの解説で、石垣内部の構造などをしっかりと学習してきました。
 胴木のハサミ石や敷石など萌えポイントも発見です。あまりお目にかかることができないものなのでうれしい出会いでした。

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たぬぬ

登城記録 (2021/02/24 訪問)

大垣駅からバスで横曽根で下車し、福束大橋を渡って堤防沿いの道を歩いて、案内板のある福満寺に至りました。揖斐川の治水工事で遺構は消滅しています。

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昌官忠

房総日帰り攻城⑩:飯沼陣屋➡城びと未登録(千葉県銚子市) (2019/05/27 訪問)

中島城(琴平陣屋鳥居前)から転戦。車で20分くらいでした。
陣屋町公園北側の道路(35.730505、140.837876)に路駐して攻城しました。

1590年(天正18年)徳川家康の関東入国に伴い松平外記伊昌が飯沼領二千石で入部した。
この時の陣屋は中世の飯沼城跡(飯沼観音の地か?)か、後に高崎藩が用いた陣屋の地かは不明。
その後、幕府領、旗本知行地などとなっていたが、1709年(宝永6年)海上郡17ヵ村、5000石が上野国高崎藩領となった。
その後、1717年(享保2年)幕府領となるが、同年中に海上郡17ヵ村、5619石余が再び高崎藩領となり大河内松平氏によって陣屋が築かれます。
明治五年(1872)高崎県支庁が廃されるまで、百五十余年の間、この地に陣屋が置かれました。
飯沼陣屋は高崎藩の飛び地である銚子領を管轄する出張陣屋で、郡奉行1名と代官2名が派遣常駐していました。
現在の「陣屋町公園」一帯に築かれており、公園の一角に「旧陣屋跡」の石碑と公園内に陣屋の案内板が設置されています。

遺構はなく、公園東側に石碑(写真撮り忘れました)と案内板がありました。
攻城時間は5分くらいでした。

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たぬぬ

登城記録 (2021/02/24 訪問)

城跡は城山小学校になっています。職員の許可をいただき、校舎裏の本丸跡も見学することができました。土塁や虎口が良好に保存されています。

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑨:中島城 (2019/05/27 訪問)

須賀山城から転戦。車で22~23分くらいでした。
中島城跡説明板前(35.750532、140.762329)に路駐し、説明板の写真を撮った後、本丸跡➡琴平神社と移動して攻城しました。
本丸に向かう為に道路脇(35.751508、140.763169)に路駐。
琴平神社鳥居前(35.751009、140.762676)に路駐。

築城年代は定かではないが、1190年〜1199年(建久年間)に千葉六党の東氏の一族、海上与市常衡によって築かれたと云わっています。
海上氏(うなかみ)は平安時代末期に千葉常兼の子が海上与市常衡を名乗り、その子常幹は海上太郎と呼ばれたが一時途絶えました。
鎌倉時代に千葉介常胤の六男東胤頼を祖とする東系海上氏が現れます。
胤頼の子東平太兵衛尉重胤の次男は海上次郎胤方、その三男は海上四郎胤久、四男は海上五郎胤有(森戸城主)と長子東中務尉丞胤行以外は海上を名乗っている。
戦国時代は北条氏に従属していたため、1590年(天正18年)に北条氏の滅亡とともに徳川方によって廃城とされました。
現在城址には琴平神社(金比羅神社)があり、土塁や空堀などの遺構を確認できます。
また、東側にある銚子市三門町青年館の前と、西側の琴平神社前の道を南へ降りていく途中に案内板が建てられています。

説明板は確認できましたが、本丸(耕作地)を散策するが、石碑は発見できませんでした。
琴平神社(金比羅神社)では、石段に沿って竪堀らしきものがありましたが、遺構かどうか不明です。
攻城時間は25分くらいでした。

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赤い城

水上バスから (2021/02/21 訪問)

浅草から水上バスに乗り隅田川を下りました。
満席だけど密にならないよう予約人数は制限されていました。
隅田川エリアから東京湾エリアに進むと船上に出ることができました。
天気もよく気持ちいい!
しばらく進むとレインボーブリッジが見えて来ます。
品川台場には何度か行きましたが船上からは初めて。
幕末の江戸湾防衛のための軍事施設は今では若者たちで賑わうスポットになっています。

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ダイエティシャン

ライフジャケット必要⁈ (2021/02/26 訪問)

石見国 大田市温泉津町温泉津
櫛島キャンプ城近くの海城。温泉津町観光案内所【ゆうゆう館】から車で約10分で、キャンプ場駐車場に到着。
歩いて約5分でキャンプ場に着きます。そこの屋外テーブルに櫛島城案内図(2枚目)右に進み、岩と海を結ぶコンクリート橋(3枚目)を渡り、
コンクリートの通路を(4枚目)進みます。通路から降りると、岩肌を踏み締めて進みます。満潮や波が高い時は恐らく通れません。海を渡る感じです。浮き輪とか必要かも?と思ってしまいましたよ。
あまりにも波の音が大きく、怖くなり、遠景(1枚目)だけ撮影し、引き返しました。
次回、浮き輪と、心の準備をして攻城します。

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ダイエティシャン

沖泊港 (2021/02/26 訪問)

石見国 大田市温泉津町温泉津
かつて、石見の銀を運び出され、栄えたそうです。
海路は無限大
交易された様子を伺い知れる品が、温泉津町観光案内所【ゆうゆう館】で無料展示中。
銀山グッズと共に、しまねっこグッズも見逃せません。

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ダイエティシャン

鵜丸城跡(うのまるじょうあと) (2021/02/26 訪問)

石見国 大田市温泉津町温泉津にあります。
石見銀山の銀搬送で栄えた、沖泊港の近くの、海城です。
温泉津町観光案内所の【ゆうゆう館】の方に登城口を丁寧に教えて頂きました、ありがとうございました。
ゆうゆう館から、温泉津港管理所を通り過ぎ、釣り人、船を通り過ぎ、車1分程で白い倉庫(2枚目)が見えます。空きスペースを探し、攻城します。猿を2回 見ました。
登城口は、倉庫の左後ろです。(3 4枚目)登城口に説明板あり(5 6枚目)
階段を登り(7枚目)明るくなった(8枚目)と思ったら、本丸に到着
本丸迄は登城口から約5分。灯台があります。
海が見えます。(1枚目)ここで、船の往来を監視していたのでしょyか?
二の丸、三の丸は藪に覆われ、進めませんでした。(10枚目)無理に進み、海城で今年初滑りをしてしまいました。

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ダイエティシャン

福光城Ⅴ 本丸 上の丸 御屋敷 (2021/02/26 訪問)

本丸(1枚目)から、岩肌を越え、(2枚目)シダ植物をかき分け(3枚目)、約10分で、上の丸に(4枚目)到着。
眺めは、木々が生い茂り、イマイチ(5〜7枚目)。攻城は明るいうちに。
下山途中に、広い郭らしい場所を見つけました。もしかしたら、御屋敷跡でしょうか?

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