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釜次郎

富山IC近くにあります。 (2021/02/28 訪問)

蜷川館跡は現在の最勝寺境内一帯に位置しています。境内の周囲には土塁が見受けられました。

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赤い城

躑躅ヶ崎館の詰城 (2021/02/23 訪問)

躑躅ヶ崎館の背後、山道を登っていきます。
登城口に駐車場もあります。
登っていくと竪堀や8つの門跡が続いており、それでは枡形状になっています。
守りも固い。
主郭部は周囲を土塁が囲んでいます。
東側の土塁高さもありました。
信玄公誕生之地の石碑も立っています。
搦手側に進むといきなり堀切、石積みのある特徴的なものでした。
尾根筋の堀切をいくつか見ながら出城とされている熊城に向かいました。

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hata

日本100名城 No,007 穏やかな風が流れています。 (2011/08/12 訪問)

■100城の32城目(初登城)
●大東北遠征4泊5日城攻めの3城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:仙台城から渋滞で20km、1.5時間
【駐車場】国府多賀城駅前(無料)
【スタンプ】国府多賀城駅観光案内所
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 大規模な遺構の中にゆったりと時間が流れています。
【お土産】なし
【昼食】「利休」で牛タン定食弁当
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】震災直後に登城。駐車場はガレキの仮置き場になっています。道幅も狭く、駐車場が見つからないので早々に移動しました。埋蔵文化センターは書き込みを見て遠慮しました。心残りです。早期の復興を願っています。
【柴犬のクウ】もっと歩きたいワン!

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pascal

北畠氏再興の夢ならず 五箇篠山城➡城びと未登録(三重県多気郡多気町) (2020/02/19 訪問)

織田信長、信雄親子によって滅ぼされた北畠氏の最後の生き残り、北畠具親が再興を掛けて最後の戦いをした五箇篠山城です。

【アクセス(車)】
伊勢自動車道を勢和多気ICで降り、R368で西へ3㎞走ると多気町朝柄の盆地に出ます。
五箇篠山城は櫛田川沿いに拓けた盆地の独立丘に築かれた山城で、山の形状から城山なのがすぐに判ります。
(多気郡多気町朝柄2966 N34.46 E136.46)
多気町立勢和図書館の駐車場が登城口になっていて、便利です。

【城の歴史】
 鎌倉初期に上野国から移った野呂氏による築城です。
伊勢は平氏の強い地盤で、鎌倉幕府は坂東武者を地頭として多く派遣していますから、野呂氏もその一人だったのでしょう。

 室町時代、国司の北畠氏がこの地方を治め、野呂氏もその傘下に居ましたが、戦国末期に織田信長の侵攻を受けると、野呂氏は伊勢二見に布陣して、寝返った志摩勢(おそらく九鬼善隆)と戦い、討死に滅亡してしまいます。
 その後、北畠具教は信長の二男:信雄を養子に受け入れる事で和睦しましたが、早期の北畠氏の乗っ取りを画策する織田親子は、具教とその一族、重臣達に刺客を送って謀殺し、根絶やしにしてしまいます。
 しかし、奈良興福寺で僧籍にあった具教の末弟の具親は、その報に接するやすぐに還俗して伊勢に戻り、密かに旧臣と連絡を取って再興の機会を窺っていました。

 信長が本能寺に斃れて畿内が混沌とすると、“好機到来”を察した具親は旧臣200余名を集めて五箇篠山城に入り、北畠再興の兵を挙げます。
近隣の城塞を襲撃し勢力を拡げていた具親でしたが、信雄が討伐の大軍を向けると城に籠って籠城戦となります。
 戦いは2日間続きましたが、衆寡敵せず、具親の兵は大半が討死にしてしまい、具親は夜陰に紛れて城を脱出するのですが、夫人が具親の甲冑を着て敵兵の眼を集めている隙の脱出だったそうです。
城を落ちた具親は伊賀に潜伏したと言います。

 信雄が羽柴秀吉によって南伊勢を取り上げられると、近江から蒲生氏郷が移封して来ます。
新領地の人心掌握を重視した氏郷は、北畠具親を客将として呼び寄せたので、北畠氏の再興も成るかに見えましたが、僅か2年後に具親は病没してしまいます。
具親には嗣子が無かったので、これで北畠嫡流の血は完全に絶え、再興の夢は永遠に失われてしまいました。

【見どころ】
山上に連郭を配した典型的中世山城ですが、近年まで杉林の中にあって、遺構の保存状態は良好です。
過半はまだ藪の中ですが、土塁に囲まれた主郭の部分は樹木が伐採されて公園整備され、遺構が見やすくなっています。

【感想】
駐車場や登城路は完璧に整備されてハードルが低い割に遺構が判り易く、山上からの眺望にも優れていて、『城に行ったぞ!』感を得られる城址です。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその14 千葉県多古町「分城」 (2021/02/28 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその14

お城EXPOで出展していた多古町の城跡を攻めてみました。
道の駅多古あじさい館に車を停め、徒歩で巡りました。道の駅には電動アシストつき自転車のレンタルがあるのですが、愛犬と一緒だったので歩く事にしました。

並木城、中城と歩いてきてすでに1万歩を超えていて、分城入口の石段がキツかったです。城跡は妙見神社になっていて、土塁・空堀が確認できましたが、ここも私有地のため全て残っている訳では無さそうです。

御城印は道の駅多古あじさい館で入手できます。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその13 千葉県多古町「中城」 (2021/02/28 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその13

お城EXPOで出展していた多古町の城跡を攻めてみました。千葉県多古町「中城」であり、沖縄の「ナカグスク」ではありません。
道の駅多古あじさい館に車を停め、徒歩で巡りました。道の駅には電動アシストつき自転車のレンタルがあるのですが、愛犬と一緒だったので歩く事にしました。

「中城」の立札のすぐ裏には切岸と思しき崖が。その上には、帯曲輪・切岸・帯曲輪・切岸と続き、最後に主郭と思しき広い平地に出ます。期待以上に「城」でした。

御城印は道の駅多古あじさい館で入手できます。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその12 千葉県多古町「並木城」 (2021/02/28 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその12

お城EXPOで出展していた多古町の城跡を攻めてみました。
道の駅多古あじさい館に車を停め、徒歩で巡りました。道の駅には電動アシストつき自転車のレンタルがあるのですが、愛犬と一緒だったので歩く事にしました。

城跡のほとんどは私有地のため、空堀・土塁・枡形虎口・物見台などが見られるのみでした。

御城印は道の駅多古あじさい館で入手できます。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその11 国府台城 (2021/02/27 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその11

緊急事態宣言中なので、移動は自家用車、現地は広い公園なので、登城する事にしました。

城跡は里見公園内にあり、子供が小さい家族連れが多く訪れていました。公園入口は噴水や花畑がある公園なので、城跡という雰囲気はありませんが、奥に進むと高台になり、土塁や堀らしき遺構があります。市川市最高標高地点なんてのもありました。

御城印は、登城の前に道の駅いちかわに立ち寄り、入手しました。

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hata

日本100名城 No,006 石垣に守られた公園です。 (2011/08/12 訪問)

■100城の33城目(初登城)【不来方城】
●大東北遠征4泊5日城攻めの4城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:多賀城から渋滞で180km、3.5時間
【駐車場】「プラザおでって」(30分150円) 岩手公園地下駐車場(30分150円)
【スタンプ】「プラザおでって」2階観光案内所
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆ 大規模石垣が数多く残っています。が、公園です。もう少し城跡整備を期待します。
【お土産】「プラザおでって」にてフルーツなど
【昼食】なし
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】大きな縄張りをゆっくりと歩きました。
【柴犬のクウ】楽しく歩いたワン!

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釜次郎

太田本郷城 (2021/02/28 訪問)

解説版と城跡碑がありましたが、遺構は見当たりませんでした。

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あぽちゃん

興国寺城

2020年12月5日に透明愛鷹PAのスマートICからすぐ近くでした。愛鷹山裾野の斜面に城址が残っています。三の丸が駐車場になっています。

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宗像氏貞

片脇城 (2021/02/27 訪問)

片脇城の出城の秋葉山城までの道を紹介してます。

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hata

日本100名城 No,005 中世の城跡です。 (2011/08/14 訪問)

■100城の35城目(初登城)
●大東北遠征4泊5日城攻めの6城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:宿泊地、青森市浪岡から十和田経由170km、2.5時間
【駐車場】八戸市博物館(無料) 
【スタンプ】八戸市博物館
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 大変きれいに整備してあり、とても清清しい感じ。
【お土産】なし
【昼食】途中で十和田バラ焼きの有名店に寄りましたがお盆休み。八食センターも寄れず。残念!で、盛岡冷麺。
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】予想以上に良かったです。八戸市の南部氏に対しての敬愛の気持ちを感じました。ボランティアの方々が待ち構えています。
【柴犬のクウ】弘前から遠かったワン!

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hata

日本100名城 No,004 日本一の桜が見事です。 (2011/08/13 訪問)

■100城の34城目(4回目の登城)【鷹岡城】現存天守12城の3城目
●大東北遠征4泊5日城攻めの5城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:宿泊地、青森市浪岡から約20km、0.5時間
【駐車場】追手門近くの弘前市立観光館地下駐車場(30分100円) 
【スタンプ】天守内売店
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆☆ 現存天守は趣があり、佇まいに落ち着きがあります。
【お土産】たか丸くんのグッズなど
【昼食】青森市大釈迦の「峠の茶屋」で天ぷらそば950円・美味!
【同行者】姫は熱中症気味ですが北の郭・武徳殿の甘味で姫は復活!
【他】今回の東北廻りのメインです。現存天守以外にも重要文化財として数多くの遺構が現存しています。桜の時期も良いですが、盛夏の緑にも弘前城はあいますね。町並み散策は暑さのため断念し次回に。レンタル自転車人多し。
【柴犬のクウ】有料ゾーンに入れず、ここも駐車場待ちでしたワン!

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hata

日本100名城 No,003 本丸御門は素晴らしい (2012/08/17 訪問)

■100城の57城目(初登城)福山城
☆北海道大遠征、最後の3城目(根室半島チャシ跡群→五稜郭→松前城)
【移動手段】車:五稜郭から片道96km約2時間強、遠かった。
【駐車場】松前城前(無料)
【スタンプ】松前城有料ゾーン受付○
【天気】快晴(気温:最低18℃・最高30℃)
【印象】☆ 道の駅・北前船松前で腹ごしらえ。本州がくっきりと見えます。 復元天守は遠くから見るといい感じ〇 本丸御門◎、石垣、良いですね。
【お土産】色々たくさん買いました。
【昼食】道の駅・北前船松前で「松前殿様丼ぶり」◎¥980 
【夕食】ラッキーピエロ・ベイエリア本店〇
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】旅行8日目、五稜郭→青函トンネル記念館○→横綱記念館○2館セット¥700→道の駅・北前船松前○→松前城○→元町・茶房「無垢里」○→トラピスチヌ修道院→湯の川の共同浴場○→函館ベイエリア○→津軽海峡フェリー→青森市で1泊し東京へ。3500km走破と遠い道のりでした。
今回の北海道3城塗りつぶしで東日本制覇となります。 秋からは西国攻めに出陣します。
【柴犬のクウ】また北海道に来ようねワン!

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hata

日本100名城 No,002 函館は何度でも来たい、大好きな街になりました。 (2012/08/17 訪問)

■100城の56城目(初登城)
☆北海道大遠征の2城目(根室半島チャシ跡群→五稜郭→松前城)
【移動手段】車 函館朝市から約4km、10分
【駐車場】五稜郭タワー前(1時間¥200)
【スタンプ】タワー展望台受付
【天気】晴れ(気温:最低18℃・最高28℃)
【印象】☆ 8時に開館してすぐにタワーに入場。人も少なくゆっくりと五稜郭全体を見ました。その後、五稜郭公園・奉行所など散策〇
こちらは朝一番で訪問するのが良いですね。11時頃に帰る頃には、タワーは人があふれ駐車場も満車状態でした。
【お土産】色々たくさん買いました。
【朝食】函館朝市でイカソーメン定食〇
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】前日に函館に到着。五島軒◎で夕食をとり、ロープウェイで函館山の夜景◎などを堪能。元町エリアのライトアップされた歴史的建物群◎散策。
翌日の旅行8日目、函館山モノレール近くの宿△→函館朝市〇→五稜郭タワー〇入場料¥840△→五稜郭公園〇→松前へ
函館は坂が多く歩き回るのは大変ですが、とても素敵な町です。
【柴犬のクウ】涼しくて気持ち良いワン!

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hata

日本100名城 No,001 ヲンネモトチャシ跡、やっとたどり着きました。 難関な位置の城跡です。 (2012/08/15 訪問)

■日本100城の55城目(初登城)
☆北海道大遠征の1城目(根室半島チャシ跡群→五稜郭→松前城)
※根室駅に離接した、根室市観光インフォメーションセンター(根室市観光協会)でチャシ跡群の案内図を頂きました。
【移動手段】車:東京から1500km 根室駅から約20km、30分程度。
【駐車場】温根元チャシ跡 駐車場(無料)
【スタンプ】根室市観光インフォメーションセンター
【天気】小雨(気温:最低16℃・最高25℃)
【印象】☆ ヲンネモトチャシ、やっとたどり着きました。温根元チャシ跡 駐車場、「コンテナ」から先は草刈などされており、すぐに碑までいけました。“群”なので複数いきたかったのですが、案内所ではあまり勧められませんでした。
車で移動していると、何カ所もチャシ跡のすぐ脇を通り過ぎましたが、どれがなんなのか良くわかりませんでした。こんもりしているところがチャシ跡か?
【お土産】納沙布昆布など。
【昼食】最東端の鈴木商店でサンマ丼セット(花咲ガニ◎)
【夕食】厚床のムートンブラン
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】夏休みに北海道城攻めを敢行。すべて車での移動です。
旅行4日目、阿寒湖の宿◎→釧路湿原→根室駅→納沙布岬→ヲンネモトチャシ→東根室駅(JR最東端)→スワン44ねむろ→厚床ムートンブラン→標津町の宿へ。
【柴犬のクウ】北方領土は雲で見えなかったワン!

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橋吉

鳴海城→丹下砦→善照寺砦→中島砦と徒歩でまわりました (2021/02/23 訪問)

永禄3年5月19日(1560年6月12日)、丹下砦に寄った織田信長は、善照寺砦へ移動。今川軍の先陣を確認したのち、多くの旗指物を掲げ、大軍がいるかのように見せつけた後、2,000の兵と共に善照寺砦を発ち、中島砦に移動を開始しました。

これに従い、私も善照寺砦を後にして、徒歩にて中島砦跡に向かいました。

途中、旧東海道を通りました。
街道の名残を残す建物や昭和の香りがする商店があり見ていて楽しいのですが、新しくできた空き地も点在し寂しい気持ちも感じざるを得ませんでした。

やがて、扇川に突き当たります。
中島砦は扇川とその支流の分岐点あたりにありました。

現在、中島砦は私有地にありますが、所有者のご厚意により自由に見学できます。
よって、感謝の気持ちをもって、ご迷惑がかからないように注意して訪問しましょう。

遺構はとくになく、塚が残されている程度です。
その中に中島城祉の碑が建っていました。

(鳴海駅)→鳴海城→丹下砦→(成海神社)→善照寺砦→中島砦→(鳴海駅)と徒歩でまわりました。
5.7km、1時間39分の散策でした。

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ヒロケン

大和三大山城 (2021/02/20 訪問)

信貴山城は河内国守護職であった畠山氏の家臣、木沢長政が1536年に築城したと云われています。1542年河内太平寺の戦いで木沢長政が討死し、信貴山城は廃城同然となったが、この城を大改修したのが戦国時代三大梟雄と云われた”松永弾正久秀”です。
三好長慶の家臣であった松永久秀だが、長慶が亡くなると大和一円に勢力を伸ばし、畿内随一の実力者にのしあがった。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、久秀は天下の名器「付藻茄子」を信長に献上し大和一国の所領を安堵されたが、織田信長に反旗を翻して、この信貴山城に立て籠もったが、2万3千の大軍で信貴山城を取り囲まれ、「古天明平蜘蛛」とともに久秀は爆死したとあります。

大和三大山城と云われる信貴山城は標高433m、河内国と大和国を結ぶ要衝の地で、山上に東西・南北とも500mを超す放射状連郭の城です。現在は郭・土塁・堀切が残されていて、特に松永屋敷跡はよく整備されており、散策しやすくなっています。

この日、大和三大山城の一つ、信貴山城を攻略すべく豊橋を朝4時に出発。朝護孫子寺をナビにセット、迷わず朝護孫子寺に到着。駐車場代500円を支払い駐車。朝護孫子寺を抜け城跡に。山上から下りながら城跡を散策したが、正直、城址が広過ぎるのと、松永屋敷以外は整備されていないため、縄張り図で確認したところ、半分も巡り切れていませんでした。ちょっと残念でしたが、城跡で戦国の世を妄想しているだけで幸せな気分に浸れました。

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑫:桜井城 (2019/05/27 訪問)

飯沼城から転戦。車で35分くらいでした。
桜井城址付近(35.783981、140.646445)に着き、車で麓を一周すれど登城口も駐車場所も見つからずに攻城を断念しました。

桜井城は鎌倉時代初期、源頼朝より東ノ荘、三崎郷を与えられた千葉常胤六男・東六郎胤頼により築城されたといわれています。
それ以前は上代越後守が居城し、東庄町小南の御門城に移る際に胤頼に譲ったとされています。
その後、千葉氏一族上代氏が居城としたが、1565年(永禄8年)掃部助胤正(かもんのすけたねまさ)の代に里見義弘の侵攻を受け落城しました。
1592年(文禄元年)徳川家康の臣・松平家忠が忍城から桜井城(上代城)に入りましたが、1594年(文禄3年)に家忠が小見川城に移されると廃城となりました。
現在城址では土塁、空堀などの遺構を確認することができるそうです。(残念ながら自分は攻城できませんでした)

まだ、どなたも投稿されていません。せめて遠景でも写真を撮っていればと悔やまれます。
攻城時間は15分くらいでした。(麓をウロウロした時間です)

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