9月に雨の中を中途半端にまわってしまったため、今回仕切り直しです。
搦手から入り、大堀切、木俣を通って郭馬出西虎口門へ。大堀切の土橋から振り返って眺める馬出の美しい曲線とそれを支える大堀切に、強さだけではない魅せる城の要素を見た気がします。
本丸を突っ切って、御前曲輪から通仲曲輪に降りると五差路ならぬ五差堀が。こんな素敵なところがあったなんて!新曲輪には丸馬出の備えもありました。
新曲輪から稲荷曲輪まで行き、通仲曲輪と御前曲輪の間の堀底道を歩いて戻ると、真新しい木橋が現れました。本丸と蔵屋敷の間に架かっています。三か月前に見たときはこの姿を想像することも出来なかったので、景色の違いに驚きました。堂々と聳立する艶々の木の橋は、まだ完成前だというのにすでに十分すぎるほどかっこいいのです。完成予定図を見ると、門や塀もある立派な姿に復元されるようで、郭馬出西虎口門と並ぶ見どころとなりそうです。そうすると、三の丸の方も変わってしまうのかな、というのが気になるところですが、完成に向かう姿は二度と見られるものではないので、春頃にまた進捗状況を見に行きたいです。それまでに疫病が退散してくれているといいのですが。
三の丸石垣も初めて見ました。現地解説板によると、大手ルートを固めるここの石垣は当時は4.1メートルの高さがあり、関東では有数の規模のものだったそうです。現在の姿に派手さはありませんが、廃城から何百年もの間、新たな役目を与えられることも破壊されることもなく黙然と存在し続けたその強かさと根性はこの石ひとつひとつを積んだ人たちのそれを標榜しているのではないかと思えてきます。
鍛冶曲輪から大手虎韜門口に抜けて、ここはどこだろう?どうやって帰ればいいんだ?とあたりを見まわしていると、道路の反対側に白川埋門跡の標柱が目に入りました。虎韜門から白川河原に抜ける秘密の通路で、箕輪城と別城一郭の関係にある鷹留城との連絡に利用された埋門があったのだそうです。通路の先には畑地が広がり、その先の林の向こうから川のせせらぎが聞こえてきました。三の丸石垣の丸石もここを通って河原から運ばれてきたのでしょうか。
今回は約1時間30分の滞在でした。丸戸張と井伊時代の大手門跡を見逃したので、それはまた次回に。
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