昨年の夏に訪れました。
車を停めてから10分くらい歩きました。
よく復元されており、光秀の郷を堪能しました。
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2021/02/24 21:46
麒麟がくるにあやかって (2020/08/28 訪問)
昨年の夏に訪れました。
車を停めてから10分くらい歩きました。
よく復元されており、光秀の郷を堪能しました。
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2021/02/24 21:38
麒麟がくるにあやかって (2020/08/28 訪問)
昨年の夏に訪れました。
枡形虎口も残っており、保存状態もよく本丸跡から見る景色がきれいでした。
近くには戦国山城ミュージアムがあり復元模型があるので、こちらを見てから攻城すると分かりやすいです。
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2021/02/24 20:56
麒麟がくるにあやかって (2020/08/28 訪問)
昨年の夏に訪れました。
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2021/02/24 20:46
2021/02/24 18:37
2021/02/24 11:49
八雲神社へお参りすると♪ (2020/09/22 訪問)
国宝・鑁阿寺(ばんなじ。足利氏宅跡)。普通読めませんよね。なので、道路案内もひらがな表記。寺ながら元祖100名城のひとつ。当初「?」と思いつつも、行ってみれば納得。オリジナルを堪能できる数少ない現場です。
創建は鎌倉初期。以来、一度も火災にあっていないというのは奇跡に近いのではないでしょうか。地政学の中心から微妙に外れた立地も幸いしたのか、昭和の戦災も免れました。室町幕府を開いたあと、足利一族は京都や鎌倉に移り、当主不在となった館跡に寺だけが残されたそうです。
縄張りはシンプルな単郭方形。土塁と水堀がそれぞれ一重ずつ。土塁断面部は丁寧に保存されています。本尊は源氏相伝の大日如来。また、寺に隣接するのが、戦国時代の最高学府「足利学校」。3000人以上の学生に儒教、易学、兵学を教えたそうです。
東武伊勢崎線の足利市駅、あるいは両毛線の足利駅から徒歩15-20分。季節が良ければ渡良瀬川の河原の風が心地よいです。当然、町を挙げて推してくるあの曲も流れています。歌詞にも登場する八雲神社は足利総鎮守。ヤマトタケル東征の際、出雲大社の御祭神を勧請したのが創建と伝えられています。
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2021/02/24 08:44
最新の城郭 (2021/02/23 訪問)
平成最後の城郭である尼崎城に寄ってみました。
阪神電鉄「尼崎駅」から徒歩5分の場所にあります(大阪方面から来ると左手に見えます)。
道路付けの関係で、改札南出口をでて線路沿いを大阪方面に戻るような形でアクセスになります。
城郭は天守を模した建屋とその周辺に城壁と石垣を模して形成されており、未だ新しいということもあり綺麗すぎるほど綺麗です。
尼崎に城があったということを周知するのは、良いモニュメントだと思いますし、公園施設も整っているので、子供の情操教育には良いと思いますが、綺麗な建屋と人工物のような石垣を見ると、何故か入城料を払って内部を見学しようとは思えず、建屋の周囲を撮影して終わりにしてしまいました。
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2021/02/24 08:19
非常識なまでの土塁 (2021/01/31 訪問)
戦国期に築かれた望月氏(甲賀五十三家筆頭格)の居城で、織田信長に近江を追われた六角氏が、伊賀に落ち延びる際に一時滞在したとされます。
杉谷川南岸の丘陵地先端に築かれた城で、谷をはさんだ南側の望月支城と連携して機能したものと考えられます。
駐車場はないので、北麓の杉谷川にかかる橋の南詰の道が広くなったあたりに路駐し、東側の集落の民家の脇から登城しました(案内標識も何も無し)。登り始めてすぐに祠のある副郭に到着。副郭から横堀の土橋を越えて虎口を抜けると主郭です。主郭に足を踏み入れると新宮支城にも劣らぬ分厚く高い四方土塁に囲まれ、圧倒されてしまいます。土塁上を一周すると、土塁西辺内周に帯曲輪状の中段スペースがあり、中段を設けられるほどの土塁の高さと分厚さって……と非常識なまでの規模を実感させられます。主郭を出て北側に回ると横堀をはさんで帯曲輪があり、北辺を土塁で囲っています。西側にも横堀と土塁がめぐり、南のほうでは大土塁をはさんで二重堀切になっています。
大いに期待して訪れた新宮支城に対して、望月城はノーマークでしたが、新宮支城に勝るとも劣らないとんでもない城でした。こちらもぜひお立ち寄りを!
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2021/02/24 06:53
光の八十八ヶ所 (2021/02/11 訪問)
徳島県は、20世紀中の開発は困難と言われていた高輝度青色LEDを世界で初めて製品化しており、光の八十八ヶ所なるものを選定しています。まだ63ヶ所しかないようですが。近くの牛岐城も選定されていますが、ここ西方城も「夜青龍」として選定されています。眼下の企業の尽力のたまものなのでしょう。登城路の木の手すりにもずっとイルミネーションが取り付けられていました。少し離れたところにある駐車場への案内もあり、ありがたい限りであります。
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2021/02/24 06:52
好きな場所 (2021/01/06 訪問)
昨年3月に訪れた際に重機が入り整備をしていた三日月堀と丸馬出がどうなったのかが気になっていたので見に行ってきました。
ビューポイントにベンチがひとつ。物思いに耽るのにいい感じです。でも、かと言って遺構が残念なことになっているということはなく、天正10年の丁度この時期に思いを致しながら過ごせる、やっぱりお気に入りの場所です。
久しぶりに民俗資料館へも行きました。前回は新府駅を抜けて歩きましたが今回は七里岩ラインをてくてくと。途中まで歩道がなくて車が横をビュンビュン通るのが怖かったです。民俗資料館からは韮崎駅に出てみました。気づかないうちに登っていたようで意外と下りでした。
写真10枚目の「レイリ」、お気に入りです。武田信勝くん(の影武者)が主人公で、信勝くん推しとしては、待ってました!の逸品。勝頼くんがすっかりおじさんなのがクラクラしてきますが、高天神城に行った時に諦めた甚五郎抜け道を通りたい熱が再発してしまっています。
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2021/02/24 06:40
利根川沿日帰り攻城④:山崎城➡城びと未登録(千葉県香取市) (2019/05/27 訪問)
大崎城(白幡神社石碑前)から転戦。車で15分くらいで着きました。
側高神社入口前の駐車場(35.890208、140.531561)に駐車して攻城しました。
山崎城の詳細は不明ですが、飯篠氏の居城であったと伝えられています。
山崎に住した剣豪、飯篠長威斎がこの城と関係があったのではないかと言われています。
現在城址には側高神社があり、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。
側高神社入口前に5~6台が駐車できる駐車場があります。
神社参道は整備されていますが、神社から先は結構なヤブでした。
側高神社本殿に向かって左側奥に堀切があります。
攻城時間は25分くらいでした。
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2021/02/24 06:31
利根川沿日帰り攻城③:大崎城 (2019/05/27 訪問)
神崎城(神崎町消防団消防機具庫前)から転戦。車で17~18分くらいで着きました。
本命寺駐車場(35.869892、140.488301)に駐車して説明板と標柱の写真を撮った後、白幡神社に向かいました。
白幡神社石碑前(35.865874、140.484200)に路駐して攻城しました。
鎌倉時代末頃、香取地域の在地領主であった千葉氏の一族国分氏5代泰胤が本矢作より城替えして移ったとされます。
戦国時代にはほかの千葉氏一族と同様、北条氏に属し、里見氏の攻撃をたびたび撃退していましたが、1590年(天正18年)の「小田原の役」では城を捨てて逃亡しました。
その後、徳川家康が関東に移封になると、その家臣・鳥居元忠が入りましたが、岩ヶ崎城を築いて居城としたため、廃城となりました。
現在も城趾には切岸や堀切など残っています。また、国分氏累代の墓がある本命寺の前に城址碑や説明板があります。
登上口手前にはトラロープと、スズメバチ被害ありの看板がありました。
白幡神社に廻って空堀を確認しました。
攻城時間は30分くらいでした。
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2021/02/23 21:51
湯坂城 神奈川県足柄下郡箱根町 (2021/02/20 訪問)
鷹の巣城から湯坂路を下り90分くらい。
小田原城の支城。湯坂路を押さえる要所だったようです。
ハイキングコースになっていて歩きやすいですが虎口のように見える部分は遺構ではなさそうです。
尾根上に曲輪が直列していて各曲輪間には堀切があり、竪堀も落ちていました。
この日は天気も良かったですが緊急事態宣言のせいかハイカーは少なかったです。
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2021/02/23 21:27
2021/02/23 21:15
千早城に行きました。 (2021/02/06 訪問)
登りがきつかったです。
(T_T)
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2021/02/23 21:12
古墳を利用 (2021/02/20 訪問)
小高い墳丘と環濠をもつ古墳を城砦に利用した例の一つです。
三好長慶の弟の三好実休が、久米田の戦いで、ここを本陣にしました。根来衆が味方した畠山高政の反撃を受け、本陣にいたところを鉄砲で狙撃され討死したと。
この辺りは、紀州から和泉山脈を越えて、根来衆の勢力が及んでおり、後に、秀吉軍に対し、根来衆が立て籠った城がいくつかあります。
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2021/02/23 20:13
杉、杉、杉、杉、杉花粉。 (2021/02/20 訪問)
私、東京の端っこに住んでいますが、もーっと端っこ、檜原村の「檜原城」で、花粉症が覚醒しました。
築城時期は不明です。
戦国時代には北条家の家臣 平山氏の居城でした。
武田軍の侵略を防衛する為、パワーアップし準備万端です。甲斐から檜原街道を通り最初の お城が「檜原城」なんだそうです。
境目の城、任務重要です。
なのに、武田軍は別の街道を通り、北条家の拠点「滝山城」を直接攻撃しました。
戦国の街道事情は分かりませんが 現在、東京都から山梨県に行く場合、檜原街道 あまり通りません。
昔、こちらが大きな街道になっていれば、檜原村も村ではなく市になっていたかもしれませんね。
吉祥寺に車を置き「檜原城」攻めスタートです。
至るところに、北条家の家紋『三つ鱗』がありました。
正面に墓地があり、アーチ型の『十三仏巡拝入口』をくぐると、山城感です。
途中『城山→』と案内されます。
ジグザグと登り、ゼイッハァする頃、ヘ~クションが始まりました。
一面、杉です。
これが竪堀かと確認して、ギブアップ。
竪堀も、皆さんの投稿で分かりました。
車の移動中、道横に上から水が流れている窪み(?)があり、竪堀と勘違いしたもので、、、見逃さずにすみました。
自然地形か遺構かは、まだまだ、私には分かりません。
この辺りの森林の7割が杉なんだそうです。
江戸の都市化に伴い木材として使用されてました。
江戸の街を造った杉、、、。
ありがとう杉、、、。ヘ~クション!
花粉症の時期を外して、攻略がお勧めです。
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2021/02/23 17:33
『日本100名城、続日本100名城に負けない名城』ということで行ってみた。 (2021/02/22 訪問)
よそ者にとって、その城の攻略には徒歩しかない。車は近くの あいの丘文化公園に止めるとよい。その城は、国道1号線からもほど近いが、道幅の狭い田舎の住宅地域を通らなければならず、(大手道?は)家と家のひと1人しか通れない狭~い道を、「決して怪しいものではありません」と心に思いつつ、(門番の?)犬にワンワン吠えられながらしか行けない。攻略が難しい城ではないが、城域に入るまでの警護が厳しい。地元の方の手入れのおかげだろう、木も切り倒され、遺構もしっかりと残りわかりやすい城跡であった。攻略後も、もちろんワンワン吠えられ手強い。
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2021/02/23 17:10
一宮城 (2021/02/23 訪問)
さくらがキレイでした。
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