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にのまる

木橋 (2020/12/28 訪問)

 9月に雨の中を中途半端にまわってしまったため、今回仕切り直しです。
 搦手から入り、大堀切、木俣を通って郭馬出西虎口門へ。大堀切の土橋から振り返って眺める馬出の美しい曲線とそれを支える大堀切に、強さだけではない魅せる城の要素を見た気がします。

 本丸を突っ切って、御前曲輪から通仲曲輪に降りると五差路ならぬ五差堀が。こんな素敵なところがあったなんて!新曲輪には丸馬出の備えもありました。

 新曲輪から稲荷曲輪まで行き、通仲曲輪と御前曲輪の間の堀底道を歩いて戻ると、真新しい木橋が現れました。本丸と蔵屋敷の間に架かっています。三か月前に見たときはこの姿を想像することも出来なかったので、景色の違いに驚きました。堂々と聳立する艶々の木の橋は、まだ完成前だというのにすでに十分すぎるほどかっこいいのです。完成予定図を見ると、門や塀もある立派な姿に復元されるようで、郭馬出西虎口門と並ぶ見どころとなりそうです。そうすると、三の丸の方も変わってしまうのかな、というのが気になるところですが、完成に向かう姿は二度と見られるものではないので、春頃にまた進捗状況を見に行きたいです。それまでに疫病が退散してくれているといいのですが。

 三の丸石垣も初めて見ました。現地解説板によると、大手ルートを固めるここの石垣は当時は4.1メートルの高さがあり、関東では有数の規模のものだったそうです。現在の姿に派手さはありませんが、廃城から何百年もの間、新たな役目を与えられることも破壊されることもなく黙然と存在し続けたその強かさと根性はこの石ひとつひとつを積んだ人たちのそれを標榜しているのではないかと思えてきます。

 鍛冶曲輪から大手虎韜門口に抜けて、ここはどこだろう?どうやって帰ればいいんだ?とあたりを見まわしていると、道路の反対側に白川埋門跡の標柱が目に入りました。虎韜門から白川河原に抜ける秘密の通路で、箕輪城と別城一郭の関係にある鷹留城との連絡に利用された埋門があったのだそうです。通路の先には畑地が広がり、その先の林の向こうから川のせせらぎが聞こえてきました。三の丸石垣の丸石もここを通って河原から運ばれてきたのでしょうか。

 今回は約1時間30分の滞在でした。丸戸張と井伊時代の大手門跡を見逃したので、それはまた次回に。

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城好きのメガネ

「国府台城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
国府台城は、扇谷上杉家の家臣であった太田道灌が武蔵千葉氏を支援するために築いた砦が始まりとされる。交通の要衝であったこの地は後北条氏、千葉氏、高城氏、里見氏、太田氏、上杉氏らの度重なる勢力争いの舞台となり城郭も時代に合わせて増改築された。後北条氏が当地を支配するも小田原征伐で落城し、廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR市川駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「鷺沼城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
鷺沼城は、築城時期は不明だが下総千葉氏が築いたとされる。現在は鷺沼城址公園として整備されており、土塁等が遺されている。また、鷺沼古墳群のA号墳とB号墳の2基の前方後円墳、埴輪などが出土している。下総型円筒埴輪、人物埴輪と馬の埴輪の小さな破片が出土しており、鷺沼古墳B号墳箱式石棺も展示されている。

<アクセス>
京成電鉄 京成津田沼駅 徒歩15分

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 9城目 (2020/11/19 訪問)

明けましておめでとうございます。  昨年の夏からお仲間に加えていただき半年が経ちました。
それまでは城を巡り写真を撮っても見返すこともせず、ただHDに保存しておくだけでしたが
ボチボチながらも投稿を始めるようにしてからは、そのために勉強をするようになりました。
文才は望むべくもないので、歩いた順、見たこと、感じたことを書くことしかできません。
なので、どうでもよいことが多くなると思いますが、今後ともよろしくお願いします。

さて、この稿のために大洲市のHPを調べたら、無料の観光駐車場がありました。
そんなことも知らずに市民会館前の有料駐車場に停めました。

すぐに櫓下御門跡の大きな縦石が迎えてくれ、通りには外国の方が好みそうな風情のある
ゲストハウスが並んで建ってます。  ライトアップされた天守を眺めながらのワインが似合いそう。

二の丸のほとんどが市民会館に、そして表御殿跡は私有地になっています。
下台所の説明板には建物が残っているのは珍しく一時期監獄所としても使われたこともあると。
二の丸奥御殿跡は石垣工事の資材置き場となっており、入れず。
玉櫓跡から見える流路に沿った大きな肱川堤防は近代の付け替えのようで、生じた土地には
住宅が立ち並び、ちょうど遠州二俣城の天竜川と二俣川を想起されられる。

ここまでさほどの技巧的な防御は感じられないまま本丸にきてしまった。  チョット拍子抜け。
暗り門跡の説明をみても、イメージできず ピンとこない。

本丸から周囲を見渡すと、小高い山々に囲まれた小さな盆地。
西と北には川が流れ、南には山が連なっている。
東側も川に山が急に迫って狭くなり、袋小路的なこじんまりとした城下である。

二の丸へ下りかかると、オリエンテーション中の5、6人の高校生のグループと行き会う。
皆々が 「コンニチハ!」 「コンニチハ!」 「コンニチハ!」 と挨拶を投げかけてくれるので、
こちらも 「こんにちは」、 「こんにちは」、 「こんにちは」  と応えるのだが、多勢に無勢。 
声を発する回数は、圧倒的にこちらが多い。
しかも何組ものグループと行き会うので、ちょっと マイッタ。

三の丸南隅櫓に面する外堀は高校のテニスコートやグラウンドになっている。
南隅櫓内部は、太鼓壁で造られており隠狭間もあった。
大手門跡横の水門をくぐり川面に出ると、5、6艙の鵜飼い船が係留されていた。
ここ大洲は岐阜や日田とならぶ鵜飼いで有名なところである。
苧綿櫓の石垣の上部は昭和34年に2.6m積み上げられており、私が見ても境目がよくわかる。
2018年の豪雨の際は、どこまで水がきたのだろうか?  積み上げが功を奏したってことだろう。
市民会館裏手の川沿いの道を回り込むと、本丸北側下の”水の手櫓・水の手御門跡”に出た。

ふたたび二の丸を降り街中を歩いていると、またオリエンテーションのグループと遭遇。
「コンニチハ!」 の連呼のあと、背中の後ろの方で 「あの人、まだ歩いてるよ」 の声が・・・。

「迷子じゃないよ」    おもわず口から出たつぶやきに、自分で笑ってしまった。

スーパーで買った弁当を食べながらの、対岸の公園からの夕景がステキでした。

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城好きのメガネ

「夏見城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆
夏見城は、国人領主であった夏見加賀守政芳が築いたとされ、荒廃していた長福寺を再興したとも伝わる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR船橋駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「伝米ケ崎城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆
米ケ崎城は国人領主であった夏見氏が築いたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR船橋駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「伝高根城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆
高根城は、下総小金城主であった高城氏の一族が築いたとされる。遺構は消滅している。

<アクセス>
東武鉄道野田線 馬込沢駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「伝金杉城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
金杉城は下総を治めていた高城氏の砦跡とされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武鉄道野田線 馬込沢駅 徒歩25分

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刑部

地図からだと探すのが困難 (2020/12/30 訪問)

雷神社を探してそこの駐車場を利用します。駐車場脇の細い道を行けば城址です。本丸跡に城址の石碑があります。

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刑部

主郭は梨畑 (2020/12/30 訪問)

堀が道路ですかね? 城址だと思って見ないとダメですね。

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刑部

お寺が城址 (2020/12/30 訪問)

道路が堀切ですかね?

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チェブ

明けまして、おめでとうございます。 (2020/12/30 訪問)

今年も、楽しくお城攻めします。
それから、皆さんの投稿を楽しく拝読します。
そんでもって お城から、ちょっとそれるトホホな投稿をします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

今年最初の投稿は「千葉城」です。
お正月の100名城 ・続100名城スタンプ旅行は中止。日帰りで1城でも「行った」をポチっと押したかったので千葉県に侵攻しました。
アクアラインを通れば旅行気分です。

「千葉城」は千葉 常重さんのお城です。
1126年6月1日、 常重さんが本拠地にしました。
ちなみに6月1日は『千葉開府の日』なんだそうです。
すごいぞ、常重さん!
1455年、千葉氏が「本佐倉城」に移るまでの居城のようです。
千葉氏がみんなでお引っ越し、と言うより千葉氏の内紛が移す理由のようです。
千葉 常重さんを調べてみると息子の常胤さんは、鎌倉幕府の筆頭御家人です。
2022年の大河ドラマに千葉氏、でないかな~っと少々の期待。

「千葉城」は遠くからでも、立派な天守が見え堂々と、、、んんっ!
千葉氏の「千葉城」は天守のあるお城の時代ではないのですが、、、、!
お正月なので許します。郷土博物館ですし。

それでも、お正月の最初の投稿写真には模擬でも天守があった方がおめでたい気がしますけどね。

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加茂 真明

宮城県多賀城市にある多賀城遺跡は続日本紀に記された多賀城ではない。

賀美郡部内の多賀柵が改修されて多賀城になった。従って、名取郡近くの多賀城碑出土地は続日本紀に記された多賀城跡ではない。
大伴家持は伊治城の乱で多賀城が侵掠されたことを受け、多賀は名取以南十四郡から遠くはなれているので多賀、階上に権郡を置く提言をした。なんと、多賀城碑は名取郡近くで江戸時代に発見された。しかも、虚偽がきされている。大野東人は神亀元年に按察使や鎮守将軍に任ぜられていない事も続日本紀にきされている。多賀城碑は偽物であり、多賀城が名取郡ちかくにあるはずがないのです。
養老律縁辺諸郡人居条(令羲解) 凡縁二東辺北辺西辺一諸郡人居、皆於二城堡内一安置、其営田之所、唯置二庄舎一、到二農時一、堪二営作一者、出就二庄田一、収斂訖、勒還、其城堡崩頽者、役二当処居戸一、随レ閑修理、とあるように、多賀城は北辺の城堡であり、近くの諸郡人が農閑期に居る所であり、鎮守府や国府ではありません。宝亀十一年の条に国司治所とあるのは多賀は未だ、賀美郡部内であり郡さえなかった所ゆえに、諸郡人を国司が治めていたのです。古代辺縁城郭は外寇から身を守る所であり戦国時代の城郭とはことなるのです。一二レ点をうまく表示できませんでした。

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カルビン

明けましておめでとうございます<(_ _)> (2014/09/21 訪問)

新年明けましておめでとうございます。

正直昨年1年は無かったものとしてカウントしたいくらい酷い1年だったと思います。
来年の初めに同じ事書かなくて済むようになれば嬉しいんですが。。。今の行政を含め緊張感無い人々を見ていると難しいかな(ー”ー#)

と、不安な事ばかり考えているとよろしくないのでポジティブ且つ慎重に行こうと思います。


年明け1発目は忍城投稿です。
個人的に模擬天守や櫓が近代的過ぎる&撮影禁止な場所が近隣に多かった(小田原城とかも)為に天守や櫓の興味が急激に薄れ、土の遺構に目覚めたきっかけになったのがここ忍城でした(ーωー;)

後に忍城にも遺構が残っており、更に忍城合戦に関する遺構が近隣に存在していた事でこの手のお城への評価を一転させたのも忍城なんですよね~(遠い目)
結果お城巡りを始めた2013年終盤に訪問したのを皮 切りに5回以上は訪問しておりますw

折角なので今回は忍城の周辺の関連場所を写真掲載させて頂きました。
(忍城模擬櫓/現存土塁、忍城支城・皿尾城碑、さきたま古墳内にある石田三成陣と石田堤跡、成田家重臣 正木丹波守の菩提寺・高源寺、忍城攻略戦・佐間口跡地となる佐間天神社)


本年も正攻法ではない記事が多くなると思いますが、生暖かい目で見て頂ければと思います(笑)
本年も宜しくお願い致しますm(_ _)m

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にのまる

今年もよろしくおねがいいたします。

あけましておめでとうございます。
昨年は思い出深い時間を過ごさせていただき、ありがとうございます。
小さな画面から見た大きな世界に、ますます訪城意欲が湧いてきました。
どんな形であれ、今年もたくさん楽しみたいと思っています。
どうぞよろしくおねがいいたします。

 昨年は年賀状に使えるような写真が撮れなかったので、籠城中に作った熊本城をベランダから手を伸ばし、空に向かって撮ってみました。東京は元旦からいいお天気です。今年が澄み渡る青空のように明るい一年になりますように🎍

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ぴーかる

日出城 (2020/11/27 訪問)

<はじめに>新年あけましておめでとうございます。昨年は疫災の影響で緊急事態や自粛期間があり思いきった攻め城ができずに、悶々とした日々も多かったことと思います。終息し安心して攻城旅ができる日が来ることを祈念しております。また皆様方もお体ご自愛ください。あい変わらず拙く伝わりにくい文章ですが少しでも皆様の攻城時の情報としてお役に立てたら良いかと思います。応援もまたよろしくお願い致します。
引き続いて昨年11・12月に行ったお城、未投稿分十数城がありますのでそこから始めたいと思います。

【日出城】
<駐車場他>二の丸館駐車場
<交通手段>飛行機→レンタカー

<見所>鬼門櫓・鐘櫓・天守台・穴太積高石垣
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅1城目。日出城は1602年に高台院(おね)の兄木下家定の3男、日出藩初代藩主木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援・縄張りをしてもらい築城した。日出藩木下家は外様なのに転封も減封もされることなく明治まで続いた珍しい家である。城跡は本丸内は日出小学校になっていて入ることはできないが、本丸を中心とする石垣は大部分が残っており周辺散策を楽しむことができる。二の丸館横に移築現存の鐘櫓(内部入れず)、本丸北西堀外に移築現存の鬼門櫓があります。鬼門櫓は自由に内部見学できて修復時の資料等があります。修復前の倒壊寸前の写真を見ると見事に修復されたことに感心しました。本丸北堀底から見上げる櫓は雰囲気あって見応えあり。鬼門切落し箇所もしっかり確認。本丸大手門跡は現在の小学校正門になっているが大手土橋の石垣塀は上部がかまぼこ石になっています。最大の見応えは天守台を含む穴太積みの高石垣です。天守は破風がいっさい無い層塔型3重の初期型のもの(細川忠興縄張りなので小倉城と似た天守だったかもしれないと想像する)だったそうだが、天守台は巨大で圧巻です。本丸東面の裏御門跡から天守台にかけての堀石垣も2段に分けてはいるが、海を引き込んだ堀となっていて見応えがあります。本丸西側に致道館という藩校が現存しており立寄った。続百名城にも負けてない見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆
<グルメ>勿論城下かれいを食べました。旬が5月頃で今は時期外れなので、下調べして1年中提供してくれる「能良玄屋(のらくろや)」をチョイス。ミニセットをいただきました。かれい独特の脂のくせが全く無く刺身が特に美味しかった。

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todo94

小雨の中の攻城 (2020/12/12 訪問)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。昨年の攻城ですが、新年の初投稿とさせていただきます。説明板の下に駐車し、1から3まで防堀(竪堀)井戸を越えて三の丸に到達。二の丸にも脚を伸ばして山頂の本丸にたどり着きました。地元小学生の手による案内板はありがたい限りです。吉川弘文館の「甲信越の名城を歩く」の縄張図を見ると本丸下の帯郭の奥に畝状竪堀があるようです。雨が降っていたので本を持っての攻城はできませんでしたし、整備の手も入っていないようなので帯郭までの攻城に終わっていますが、いつか機会を見て確認できたらいいなと思います。整備の手が入っていない畝城竪堀では見栄えは期待できないのですが。

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 眺望部門 (2020/03/11 訪問)

ベストナイン最後の発表は眺望部門です。ここでは旭山城を選出。
善光寺平を一望でき、川中島の戦いに深く関与したことを素晴らしい眺望から体感できます。破城の痕跡である散乱した石が歴史を物語っており遺構面でも十分楽しむことができました。


2020年は歴史に残る1年となってしまいました。一方、お城では新発見や復元が相次ぎ今後の楽しみが増えたことだと思います。私はこの楽しみをコロナ終息後に取って置き今しばらく北条領国内で籠城生活を続けるつもりです。皆様もどうか感染しないようそして城欠乏症にならないようベストなバランスを保ち生活していかれることを願います。
2021年が良い年になりますように。(花園城訪問前に北条氏邦夫妻の墓前で祈願して参りました。)

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退会済み
ユーザー

小川城に行きました。 (2020/12/29 訪問)

小川城に行きました。
この城は1492年(明慶元年)に
沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして築城。
次男の小川次郎景秋に七百貫文を与え、
住まわせたのが始まりの城です。
また、小川・名胡桃・明徳寺の三つの城の三角形のちいきは重要な戦略点で、
長尾景虎(のちの上杉謙信)の関東出陣時にも
三国峠から上州に入り宮野(猿ヶ京)を通り小川城を経て
沼田に出陣。武田信玄も沼田城を通り名胡桃、小川城を通っている。
やはりこの城はすごいですね。
真田も使ってますから
皆さんも行ってみてください
行った当時は12月29日なので雪が降っています。
(小川城の投稿は少しずつ説明などを入れていきます。
ご了承ください)

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 中世城郭(石積)部門 (2020/03/20 訪問)

中世城郭部門ラストは石積。本栖城を選出しました。
樹海の中から現れる石積や郭の城壁となる溶岩でできた石積は見事です。戦国時代の東国史を語る上で欠かせないのが中道往還。そこを押さえる拠点が本栖城です。
樹海を歩かなければならず、街道封鎖と関わりのない石積も存在するので下調べと同行者は必須です。情報を仕入れてから複数人で訪れれば迷う確率は減ると思います。尾根づたいに烏帽子岳へ登れば富士山と樹海を一望できるので余力があれば足を伸ばすことをオススメします。

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