安城古城に行ってから安城城へ登城した。
松平氏というのは、織田に熾烈なまでに攻撃を受けていたのだろう。なんと10年間で3度に渡って安城城争奪戦が繰り広げられたとある。その中で松平方は今川に頼らざるを得ない状況だったのだろう。
遺構は、本丸が寺で二の丸が神社となっている。立派な歴史博物館が隣接しているので、城巡りというより博物館へ行くとした方が良かったかも。
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2020/12/01 22:49
織田対今川・松平の激戦地 (2020/11/29 訪問)
安城古城に行ってから安城城へ登城した。
松平氏というのは、織田に熾烈なまでに攻撃を受けていたのだろう。なんと10年間で3度に渡って安城城争奪戦が繰り広げられたとある。その中で松平方は今川に頼らざるを得ない状況だったのだろう。
遺構は、本丸が寺で二の丸が神社となっている。立派な歴史博物館が隣接しているので、城巡りというより博物館へ行くとした方が良かったかも。
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2020/12/01 22:43
2020/12/01 22:37
2020/12/01 22:32
三河一向一揆の拠点 (2020/11/29 訪問)
家康公に激しく対決した遺構は、ことごとく潰されていると思いきや、国指定をもらってます。寺の裏が魅力的だと伝え聞き散策した。土塁が大きく回っていて素晴らしいが、何となく立ち入り「迷惑」っぽい雰囲気。
寺の裏手な池だったのか、腐葉土で埋めつくさているが、落ち葉の上を歩くとズブズブと沈んでいくので注意が必要。ただ、寺の中庭は紅葉も色付き圧巻の雰囲気。堀に蓮子が咲く時期にも来てみたい。
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2020/12/01 22:26
3つの顔を持つ城 (2020/11/29 訪問)
今川時代の大浜城、家康時代の羽城、江戸時代の大浜陣屋。結構、似たような場所にあったのでしょうが、基本的には大浜陣屋跡として公園化してあります。
陣屋周辺の道も狭く、当時が忍ばれます。
陣屋でも殺伐とした雰囲気の所もありますが、ここは車通りがあるスーパーのまん前にある殿様的な雰囲気がする陣屋。
ただ、位置的に舟運の重要拠点であったのは間違いなく、陣屋周辺の散策とセットで楽しみたかった所。
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2020/12/01 22:14
屏風折れの土塀と土塁 (2020/11/29 訪問)
見所満載で、観光地としてもお手軽人気の西尾城だが、私の注目ポイントは「屏風折れの土塁」です。
何となく駿府城や浜松城から屏風折れは石垣のイメージがありますが、ここでは土塁も綺麗に折れてます。ライトアップもしているようで、夜はさぞかし綺麗だろうなと思います。
西尾城の特徴として、ニの丸に天守があります。ニの丸の櫓と屏風折れ土塀に1億を超える予算をかけたとか。。。
天守台の石垣も準備万端ですし、近いうちに天守再建が見られるかも。
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2020/12/01 22:03
脇の甘さを露呈した (2020/10/17 訪問)
三好氏の遠い親戚として武田信顕が招聘され三好氏の脇を固めるはずだったが肝心の信顕は長宗我部と三好の間を行ったり来たりと脇の甘さを露呈した。蜂須賀時代には重臣の稲田氏が入り、名脇役(阿波九城)として機能した城でもある。
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2020/12/01 22:01
土塁の虎口に櫓門が収り納得 (2020/11/29 訪問)
虎口における土塁形状の意味がここまでわかりやすい城は初めてで勉強になった。「虎口で横やりをどう打つか」門の手前と、門を突破された場合、イメージがつきやすいように土塁の復元をしてくれてあり、初心者の私には本当にありがたい城だった。遺構も全体的に手入れが良くわかりやすい!!いつも感じるが、帯曲輪が整備されている城は例え小ぶりでも広く見えるし綺麗だ。平山城と呼ぶにはピッタリのサイズ感。好きな城で、また来ます!
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2020/12/01 20:09
特別公開(昼と夜、2度訪問しました) (2020/11/28 訪問)
熊本城の特別公開に昼・夜の2回訪問しました。
土曜日に訪問したので、昼と夜のルートが一部異なり、本丸では夜の方がより詳しく見ることができました。
天守はとりあえず外観復興は終わったようですが、宇土櫓も外見では殆ど被害が無いように見えましたが、本丸方向から見るとかなり痛んでいる様子が見て取れました。
また、石垣の崩落は酷く、あちらこちらに積み直しを予定している個々の石の番号が振られて保管してありましたが、完全な復旧までには未だ10年以上かかるそうです。
スタッフの方のお話では、未申櫓とこれを支える石垣のみは被害が無く、落ちない櫓として受験生に評判になっているとのこと。
せめてもの支援と考えて訪問し、御城印などを購入しました。
なお、スタッフの方々は親切・丁寧に対応されており、訪問者に何とか楽しんで貰おうという姿勢を感じました。
限られた範囲ですが、訪問させて頂き、この名城の復興を心から応援したいと感じました。
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2020/12/01 19:47
「清水山城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★★★★
清水山城は1591年に文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に際し、本営である名護屋城(佐賀県唐津市・日本100名城)と朝鮮半島の釜山を結ぶ輸送及び兵站の中継拠点として秀吉の命により築城された。宗義智を主に相良長毎、高橋直次、筑紫廣門らが合力したとされる。現在、横矢桝形や内桝形虎口など織豊系城郭の特徴が遺されている。
<アクセス>
対馬やまねこ空港よりタクシー30分
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2020/12/01 19:38
「金石城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★★★★☆
1528年に宗将盛(宗家第14代)によって築城され、宗家代々の居城となった。朝鮮通信使を迎えるために、近世城郭に改築したとされる。1669年に宗義真が櫓門を築き、天守の代用としていた。「旧金石城庭園」は国指定名勝、日本遺産構成文化財にも指定されており「殿様の池」としても知られている。併せて散策することをオススメしたい。現在、石垣などが遺されている。
<アクセス>
対馬やまねこ空港よりタクシー30分
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2020/12/01 19:24
北条幻庵屋敷 [神奈川県小田原市久野1590] (2015/02/07 訪問)
伊豆箱根鉄道大雄山線沿線の遺跡巡りをした際、岩原城→沼田(古)城→西念寺(徳川幕府三奉行・どちへんなしの天野康景墓所)と回った次に北条幻庵屋敷跡へ向かいました。
自分は五百羅漢駅から向かいましたが、小田急線足柄駅からも同じくらいの距離・・・徒歩30分強とちょいと距離あります。
(駅の案内には20分と書いてありましたが・・・余程健脚の人ベースにして無いかい?(汗))
以前籠城期間にしりとりでも掲載しましたが、改めて投稿させて頂きます。
現地には特に遺構が残っている訳ではありませんが、入口に立派な碑石があり、ちょっとした庭園(幻庵池と言うそうな)と小さなお堂(北条幻庵の廟所)があり、しっかりとした解説版もあります。
北条幻庵と言えば伊勢新九郎(早雲)の4男と言われ、歴代の北条家の主君に参謀として仕え、新九郎の息子(氏綱)や孫(氏康)、ひ孫(氏政)、玄孫(氏直)と、北条5代目の時代まで生きた人物になります。
北条家に仕えた風魔一族は実質幻庵個人に仕えていたともされており、幻庵亡き後すぐに北条家滅亡したくらい重要人物だった様です。
あくまでも色々な小説に書かれた幻庵像しか知らないので、刷り込まれた感はありますが、個人的にはやはり好きな武将に入ります。
どうも自分は主君タイプより陰で支える参謀的な人物が好きな様です(ー∀ー;)
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2020/12/01 17:43
妻と二人で養老渓谷紅葉鑑賞の帰り② (2020/12/01 訪問)
妻と二人で養老渓谷紅葉鑑賞の帰りの2城目は根古屋城です。高塔城からの転戦です。
城址入口付近(35.638651、140.258762)に邪魔にならないように車を寄せて攻城。
先人の皆さんの私有地情報があり、私有地らしき所は避け(民家が見えたら引き返す)て攻城しましたので、1郭の天神社付近が中心になりました。それでも土塁と堀の確認はできます。攻城時間は20分くらいでした。
あと、モトさんの投稿メモにあった「寝釈迦」の確認もできました。確かにお釈迦さまが寝ているように見えます。
寝釈迦が見える場所は(35.637509、140.257966)です。城址入口付近から徒歩1~2分の場所です。
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2020/12/01 17:19
妻と二人で養老渓谷紅葉鑑賞の帰り① (2020/12/01 訪問)
前日に北海道の稚内から帰ったばかりでしたが、妻の紅葉が見たいというリクエストにより養老渓谷に行った帰りに寄りました。
城址入口(35.354680、140.347643)付近に車の駐車スペースがあります。
城址入口から登城路を数分登れば1郭に着きます。
「余湖くんのお城のページ」の図面によれば、6郭や7郭方面にたくさんの堀がありそうなので向かおうとしましたが、2郭や5郭からの道が籔がひどくて見つけられずに断念しました。
見学は1郭/2郭/3郭中心で撤退しました(堀切と土塁は確認できました)。攻城時間は30分くらいでした。
養老渓谷の写真も併せて投稿しますが、今年の紅葉はサッパリダメでした。(地元の方も嘆いていました)
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2020/12/01 14:15
福島盆地が一望できる山城 (2020/11/30 訪問)
南に小川、北に赤川、東に摺上川に囲まれた山に築城されています。
本丸の脇まで車で登ることができる山城です。
公園として整備されており、空堀や土塁跡、井戸跡などの遺構の案内板も設置されています。
本丸には、吉川英二撰文の大鳥城誌碑、佐藤基治公一族供養塔、大鳥神社祠などがあります。
本丸からの眺望は、信夫山をはじめ、麓の飯坂温泉、福島市街地や伊達市の桃園など福島盆地が一望できます。
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2020/12/01 08:46
総石垣の巨大山城 (2020/11/21 訪問)
丹波国支配のため、京と若狭を結ぶ周山街道と大堰川(桂川)の水運を押さえるべく明智光秀が築いた城で、山崎の戦いの後は一時 羽柴秀吉が領しましたが、ほどなく廃城となったようです。
城山山頂から四方にのびる各尾根に曲輪群を配した大規模山城で、山頂の本丸には天守台跡と思しき石塁が見られ、天守台の北西部(本丸北側虎口脇)には石組みの窪地があり、貯水施設とも堀とも考えられます。本丸東側虎口から二ノ丸に至る坂道には苔むした石材が散乱していますが、これは両脇に設けられていた竪石塁が破城により崩されたもののようで、南尾根の曲輪群にも崩れた竪石塁が見られます。
本丸の周囲は石垣で覆われていますが、東尾根の二ノ丸や兵糧蔵、二ノ丸北下の曲輪、北尾根の曲輪群、南曲輪群など、中心部だけでなく曲輪群の先端に至るまで石垣が設けられており、多くは破城で崩されてはいるものの、こんな山中にこれほどの規模の総石垣の山城が存在していたということに驚かされます。その極めつけが西尾根の曲輪群で、石垣造りの喰違い虎口を抜けた先の小姓曲輪には石垣が状態良く残っており、北側の高石垣は往時の壮麗な総石垣の姿を今に伝えています。また、小姓曲輪から北に少し下りて行った先には石組みの井戸があります。
さて、周山城は東側の総石垣の城だけでなく、西曲輪群から尾根伝いにさらに西に進むと、西の城と呼ばれる土の城があります。
(続く)
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2020/12/01 06:36
数度にわたり朝倉郡を籠城戦で撃退 (2020/11/01 訪問)
佐柿国吉城は若狭武田氏の重臣である粟屋勝久の居城です。
武田氏の内部分裂、衰退後は越前の朝倉義景によって数度にわたり攻められますが、籠城戦で撃退しています。
1570(元亀元)年の織田信長による越前攻めの際には、信長はこの城を本陣としました。
その後、木村定光、浅野長吉、京極高次が支配しましたが、「元和の一国一城令」で廃城となりました。
無料駐車場にバイクを駐めました。。
続日本100名城スタンプは、若狭国吉城歴史資料館の入り口で押すことができます。
ここは、移築された旧田辺半太夫家住宅の母屋と佐柿町奉行所の座敷が使われています。
佐柿国吉城についての展示解説はもちろん、全国の御城印や天主のペーパーモデルも展示されており楽しむことができました。
資料館脇からいざ登城
戦国時代の山城らしく
麓に城主の居館があり、山の上に詰城が置かれています。
頂上に本丸、尾根沿いに西曲輪群、少し下に二ノ丸が配置されていました。
資料館でゲットしたパンフレットはポケットサイズであり、使いやすいです。
資料館も含め、現地の所要時間は1時間くらいでした。
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2020/12/01 06:36
工場の入り口に (2020/10/31 訪問)
工場の入口に立派な城址碑と土塁があります。工場の敷地に入らなくても土塁が確認できるのはありがたい限りです。
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2020/12/01 02:24
三重周遊時に訪問 (2020/11/20 訪問)
昼間に訪問したが、ライトアップの為の模擬天守風構造物や石垣にコードがあった。
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2020/12/01 02:20
三重周遊時に登城 (2020/11/20 訪問)
車で田丸城より訪問
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