発掘調査され景観見応え有る織豊城郭です
(2014/05/02 訪問)
7年前の5月連休、五條市五條代官所の探訪を終えて石舞台遺跡横を通り宇陀松山城へ「道の駅宇陀路大宇陀」へ着く前あたりから宇陀城の山頂景観が眼前に入り登城前から浮き浮きドキドキ状態、道の駅でトイレ休憩、情報収集?何時もながらガイド情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさん頼り。
宇陀の町並み保存地区を眺めながら春日神社参道より入り銀行裏手の駐車場が連休で空いて居り隅の方に駐車させて頂きました。
登城口の春日口から入り陣屋時代の櫓石垣が見事です、神社に登り宇陀松山城への案内石柱から道なりに登城へ、石柱には杖が沢山置いて有りました、登城者の汗と努力の結晶でしょうか?
登城口から杉木立で鬱蒼としてます、5月で歩けば汗だく比高100m程の登城路ゆっくりと歩いてると杉木立が空けて草に覆われた土塁状の景観が現れる、堀底道か?前面は側面は土塁か?発掘調査で復元整備された屈曲した大手虎口石段石垣が見えて来ます、山頂部は樹木が伐採されて城塁、土塁、大手虎口、帯曲輪、本丸、天守台、大御殿、御加番、段曲輪群、各堀が良く観察出来ます。
二の丸は杉木立が密集し草茂り余り踏み込めずですが二の丸の櫓台は確認、二の丸と大御殿の間の石垣堀も確認、天守台の周囲には石垣が確認できます。
兎に角山頂部の景観が素晴らしい大御殿から眺めると天守台、裾野の残る石垣、往時の石垣に覆われた天守曲輪、本丸が眼前に飛び込んで来るような想像をして仕舞います、関ヶ原、一国一城令まで在った城が廃城破却された事は残念です。
また近年台風、大雨で土砂崩れ被害に遭った事は残念です、お見舞い申し上げます。復旧を祈ってます。
歴史的には南北朝期秋山氏の城、豊臣秀長時代大和百万石の郡山城の支城として高取城、宇陀松山城が織豊系城郭として石垣造り城郭として改修され見事な城郭だった事が想定されます、廃城が実にもったいなく残念。
麓の織田陣屋跡は別途投稿いたします。
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