岸和田城から、畠中城→積善寺城→千石堀城と大阪湾側から葛城山系に向けて歩みました。土地はだんだん高くなり、東西に流れる近木川は、小さな川ながら、積善寺城あたりから東では、激しく浸食して深い谷を成しています。積善寺城、千石堀城は、根来衆が秀吉軍に対し立て籠った城ですが、近木川の南側にあり、秀吉軍に対し、近木川は掘となったと思います。
川が谷の下にあるので、水利のために溜池も増えてきます。千石堀城のそばにも大きな溜池がありました。これらも堀として機能したと思われます。
千石堀城の丘の北側がレストラン等の建設工事中で、城への取りつき口がわからず、西側の堀跡である舗装道路を経て、南側の畑作地を回り込みました。すぐに木を伐採した箇所が目につき、麓に「千石堀城」の立て札があったし、更に、頂部には城の説明板もあるのですが、先達の書き込みから、ここは、城でなく、現在の見晴らし台と認識😅
北に進むと左手に平削地と土塁が見え、そこから登頂しました。
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