稲村城を手に入れた義堯と次の義弘は、里見氏歴代でも特に優れた武将だった様で、安房の枠を超えて上総に討って出ると、久留里城に本拠を替えて、下総南部まで手中にし、最大版図を得ました。
義弘は次に来る北条氏とのガチンコ対決に備え、相模湾に面した麾下の海賊:岡本氏の海城を譲り受けて、水軍力の強化を図ります。
それが岡本城です。
館山からR127を北上して豊浦に入り、豊浦小学校を越えた切通しの所に『里見公園』の看板があります。
此処が岡本城址ですが、周辺に駐車場が見当たりません。
地図で近くに『豊浦海水浴場』の表記を見つけたので、『海水浴場なら駐車場は有るだろう』と、行って見たら、有りました(^^;
クルマを降りて、振り返った背後の山が岡本城です。
漁師町特有の狭い路地を抜けて国道に出て、隧道の手前に『岡本城入口』の看板と階段があるので、登って行きます。
城址は整備は不十分で、山全体に常緑樹が生い茂っているので、殆ど見通しが効きません。
削平した平坦地はというと、特産のビワの果樹園に活用されていて、特に城の遺構などは見当たりませんでした。
一番上まで登ると、樹木が伐り払われて芝生の広場になっています。
ここを里見公園と称してるのかな? と思いますが、主郭というほどの広さはありません。
これでは御殿も建たないから、見張り所機能が主で、御殿は浜に近い場所に有ったのかな?
ただ、此処から見える景色は格別で、洲崎から三浦半島、遠く大島や伊豆半島まで見渡せます。
里見の城の何処かに別荘建てていいよ と言われたら、迷わず此処にするなぁ(^^;
水軍は海が戦場だから、海城も堀や土塁などと言った陸の城と概念が違うのかも知れませんね。
里見義弘はこの岡本城を里見水軍の拠点とし、岡本氏、正木氏などの水軍を育てて、北条氏との戦いに使います。
義弘の子:義頼はこの岡本城で育ちましたが、当主になると本拠を久留里城から岡本城に替えました。
そして次の義康が天正19年(1591)館山城を築いて移るまでの間、里見氏の中心でした。
最後にクルマに戻るついでに、山上から目星をつけた船着き場の遺構を確認します。
基本は砂浜ですが、所々に岩礁があるので、運が良ければ遺構が見られる筈ですが… 果たして、有りました(^^;
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