佐紀城と隆光大僧正
(2020/10/14 訪問)
超昇寺城から南東に徒歩5分の佐紀神社(亀畑・御前池東岸のほう)あたりにあった佐紀城は超昇寺城の出城と考えられますので、超昇寺城で投稿します。
佐紀城は、詳細は不明ながら室町期に超昇寺氏が築いた城で、佐紀神社境内に櫓台が、境内東下(南下も?)に空堀が見られます。空堀を挟んだ東側も曲輪かもしれません(未確認)。
ところで、佐紀神社の辺りにかつてあった超昇寺は超昇寺氏の出自と考えられますが、戦国期の戦乱のなか衰亡していた超昇寺を再建したのが、超昇寺村出身の僧・隆光でした。徳川綱吉と桂昌院をそそのかして生類憐みの令を出させたとされる、あの護持院・隆光大僧正ですね。綱吉の死後、江戸を追われた隆光は故郷の超昇寺に隠棲し亡くなりますが、佐紀神社南側の保育園の裏手(超昇寺跡地)には隆光の墓石がひっそりと祀られています。
忠臣蔵など元禄期を舞台とするドラマでは将軍をたぶらかす悪僧として描かれることの多い隆光ですが、近年の研究では、最初に生類憐みの令が発布された時点では隆光はまだ江戸で綱吉に取り立てられておらず、発案者の汚名は濡れ衣であって、奈良においては東大寺大仏殿など社寺の再興に尽力した功績が賞されているようです。
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