家督と岐阜城を嫡男 織田信忠に譲った織田信長が、京と北陸、東海に睨みをきかせ、琵琶湖湖上交通をおさえる新たな拠点として、丹羽長秀を総奉行として築いた城で、総石垣と地上6階の壮麗な天主を擁し威容を誇りましたが、本能寺の変での信長の死により明智秀満が入城し、山崎の戦いの後、天主と本丸は謎の焼失をとげました。清須会議の後は織田秀信(信忠嫡男の三法師)が二の丸に入城しましたが、羽柴秀次の近江八幡城築城に際して城下町ごと移転して廃城となり、以降は信長の廟所として摠見寺により守り伝えられてきました。
安土山の頂部に天主台を擁する主郭部を、南麓に大手道と両脇に雛壇状の曲輪群(家臣団屋敷跡)を、百々橋口からの南西尾根に摠見寺を、その他 全山に数多の曲輪を配した巨大城郭ですが、残念ながら現在 見学できるのはその一部に限られています。
南麓の駐車場に車を駐めて登城開始。有料エリアに入る前に大手三門や南山裾帯郭、西側上段郭、北上段郭と発掘調査に基づき復元された石塁や虎口などを見て回りましたが、説明板も充実していて、これだけでもなかなかの見応えです。有料エリアに入ると、山上に真っ直ぐのびる石造りの大手道と、両脇の家臣団屋敷跡の石垣が壁のように聳え立っています。写真では何度も目にしていても、実際にその場に立ってみると開いた口が塞がらないような圧倒的な迫力です。さすがは見せる(魅せる)城ですね。…と言っても、伝前田利家邸も伝羽柴秀吉邸も見せかけだけの居館でなく、隅櫓や櫓門、枡形虎口に蔀石塁まで備えた実戦的な造りで、大手道の両側を守っています。
大手道の石段に転用された石仏を数えたり、摠見寺仮本堂(伝徳川家康邸)の鐘を撞いたりしながら登って行き、伝武井夕庵邸、伝織田信忠邸を抜けると、いよいよ主郭部です。(続く)
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