大坂の陣の真実が見えてしまう 茶臼山陣城
(2017/03/04 訪問)
大坂冬の陣では徳川家康が本陣にし、夏の陣では真田信繁が陣を敷いたと言われる茶臼山陣城です。
【アクセス】
最寄り駅は天王寺で、駅の北西に広がる天王寺公園の北東の角にある『茶臼山古墳』が茶臼山陣城跡です。
【城の歴史】
茶臼山古墳は5世紀頃に地元の豪族が造った前方後円墳だと言われていますが、戦国時代の天文15年(1546)、細川晴元の臣の山中又三郎が古墳の後円部分に砦を築き、大塚城と名付けました。
しかし、大塚城は翌年の“舎利寺の戦い”で細川氏綱軍に攻め込まれて落城し、わずか1年の短命に終わってしまいました。
その後の慶長19年(1614)の“大坂冬の陣”では、徳川家康が此処に本陣を置きました。
家康は大坂城下の家屋を壊して資材とし、堅固な陣城を築いたそうですから、土工事も大規模に行われた事でしょう。
冬の陣の和睦から4ヶ月後には“大坂夏の陣”が起こります。
籠城戦が効かなくなった大坂方の諸将は城外に陣を敷き、野戦の布陣となります。
その中で茶臼山を選んで布陣したのは真田信繁の軍3,000で、信繁は此処から平野の家康本陣に向け出撃し、あと一歩の所まで家康を追い詰めますが、力尽きて討死にしてしまいます。
【見どころ】
山上は200坪ほどの削平地になっていて、少し下にも帯曲輪状の地形が認められますが、空堀や土塁遺構は無く、“城”という感じは薄いものです。
どうやら“古墳ではない説”もある様で、奈良時代に和気清麻呂が運河を掘削し始めた跡…とも言われています。
その後の大塚城と家康の陣城、どの遺構がどの時代のものなのか、日本史の幅広い知識が無いと判別の難しい城址でした。
茶臼山の北300mにある安居神社は真田信繁の終焉の地だそうで、境内には信繫の銅像などが有って、観光客もチラホラ居ます。
真田ファンの方は併せて訪ねて見るのも一興かと思います。
【感想】
現地に行って気付く不都合な真実…(^^;
信繁は幾重もの徳川方の布陣を突破して、茶臼山の南東3㎞の平野にあった家康の本陣を襲いました。
家康は堪らず、3里も退いた(奈良県香芝市あたりまで?)と言います。
追撃する信繁はその途中で力尽き、安居神社の地まで戻って休息中のところを松平忠直の家臣に討たれたそうです。
つまり、敵軍がウジャウジャ居る中を、5㎞以上も戻って来た訳ですね…。
真田信繁、というか真田幸村については、あまり深くは調べない方が良さそうです。
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