お会いした事は勿論無いが、同郷の大先輩であろう「カズサン」の最近の地元城巡りに共感。二俣・鳥羽山城をテーマを持って回った。二俣城は桶狭間の合戦以降に現在の位置に築かれた。それまでは長らく現笹岡城(二俣古城)を本城としていた。勿論石垣は1590年の以降であり、今回はそれ以前の山城としての風景をテーマに、西の丸Ⅲと、本丸北側の腰曲輪に入った。まず、西に向かって天竜川に突き出る形の西の丸Ⅲは、天守台の西側切岸が整備されていて、そこから降りた。西の丸Ⅲの北側に狭い帯曲輪が付いているが、見上げる西の丸Ⅲは垂直に削られた露岩、そこから下の天竜川へもほぼ垂直であった。一方で西の丸Ⅲ南側は西の丸Ⅰと呼ばれる川湊や河渡点を抑える重要な箇所も見渡せ、西の丸Ⅲは戦略上重要な拠点であったと感じた。さて、本丸北側の腰曲輪だが、本丸からは絶壁で降りられず、北の丸との間の4号堀 より入って行った。こちらは天竜川の北側に向かって突き出ており、見上げる本丸はかなりの高低差。天竜川から上がってくる敵はここで一網打尽にしたのだろう。
二俣城は、三方を川に囲まれた尾根を5本の堀切で遮断し、曲輪間へ巧みに高低差を生み出している。天守台石垣や虎口が注目されるが、城の全体像も非常に面白い。
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