中沢城から転戦。車で60分くらいで着きました。
古利根公園入口付近(35.874803、140.075894)に路駐して攻城しました。
1541年(天文10年)に初代河村出羽守勝融が中峠城に入り、1546年(天文15年)には第2代河村修理之亮が城主になります。
1564年(永禄7年)には修理之亮が国府台で北条氏に敗れて戦死し、河村氏は後北条氏の配下となります。
第3代当主は河村山城守、第4代は出羽守で、1590年(天正18年)の小田原城征伐の際には小田原城中に詰めていたが、留守中に中峠城が陥落しました。
その後、同年12月には小金城主の武田信吉が治め、1593年(文禄元年)には徳川家康の料地となり、名前が中峠村(又は芝原村)となりました。
利根川南部の河岸段丘上に築かれた城で、現在は宅地化されていますが一部が自然公園「自然観察の森」として整備されており、空堀や土塁などの遺構を確認することができます。
なお平将門が築城したという伝説もありますが詳細は不明です。
城址の一部が「古利根公園自然観察の森公園」になっているとのことなので、公園入口から攻城しましたが、城址かどうか不安で歩いていると説明板発見。
説明板はあったが、縄張りがよくわからなかった。
攻城時間は15分くらいでした。
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