(続き)
山王丸から尾根道を下って行くと、浅井久政が領内の六つの有力寺院の出張所を置いたとされる六坊が広がり、南部に低い石垣、東辺には数条の竪堀が掘られています。
六坊を抜けて少し行くと、山頂の大嶽、北東尾根の月所丸、南東・南西尾根の間の清水谷への分岐がありますが、まずは月所丸へ。月所丸は越前へ続く山道の付け根に築かれた東西二段の曲輪で、西南部に竪堀、西北部に畝堀(畝状空堀群?)、各曲輪の東辺にそれぞれ分厚い土塁をめぐらせ、東端の土塁下に二重の堀切、さらに東のもう一条の堀切で尾根を遮断しています。越前への道の起点でもあり、朝倉氏の関与により築かれたと考えられますが、土塁といい堀切といい畝堀といい見事な土の城で、寄り道して訪れる価値は充分すぎるほどにありました。
さて、この日は一日かけて小谷城を一周する予定で、6時間もあれば充分かなと考えていましたが、月所丸から分岐に戻った時点ですでに4時間半が経過。この後、大嶽から福寿丸、山崎丸を経て下山するには少なくとも2時間はかかりそうです。日没まではまだ時間があり、行って行けなくはないでしょうが、駆け足で見て回ることになるのも嫌だし…ということで、大嶽から先はまた日を改めることとして、清水谷から下山することにしました。(続く)
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