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ブロせ

穴水城跡♪ (2020/11/01 訪問)

駐車場からすぐです(^^)
三の丸?から海が一望できますよ♪

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るぅ

リアル謎解き (2010/09/22 訪問)

館山城でリアル謎解きゲームに参加しました。
舐めてかかったら、結構きつかったです。

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西郷氏の城 (2020/11/03 訪問)

 城址は倒木などありますが、概ね縄張りなど把握できます。井戸と思われる穴がありました。主郭に最初に目に入った立て札が城址の標識かと思ったら「月ヶ谷城址のヤマモモ」となっていて隣にヤマモモの木がありました。主郭中心部に黄色い標柱が立っています。
 豊橋駅前から豊鉄バスに乗り嵩山市場にて下車。徒歩5分くらいで登城口である丸木橋に着きます。登城路は比較的整備されています。補修されていないらしくわかりにくい所もありますが、赤い矢印があり迷うことはありません。想像していたより急峻な道でした。この時期、ひっつき虫にやられて往生しました。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 「増地氏城」 (2019/02/07 訪問)

近鉄奈良駅でレンタカーを返却するまでに少し時間的な余裕があったので急遽、城びと未登録ですが「増地氏城」を攻城することにしました。所在地は「三重県伊賀市島ヶ原字立岩」で目標を付近にある薬師堂に定めて向かいました。
この時分はナビの設定にGPS座標を使用していなかった為、薬師堂までは辿りつきましたが、増地氏城への登城口を見つけることができず付近をウロウロするだけで無駄に時間を費やし、結局は断念しました。攻城時間はウロウロした時間を含めて25分くらいでしたが、辿りつけなかったので参考になりません。すみません。

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BUGTI

湘南の名城 (2020/11/01 訪問)

川に囲まれた台地をうまく利用した縄張は戦国時代に改修されたことが想像できる。郭内は広くて公園となっているが、藪となっている公園周辺のあちこちに堀や土塁、腰郭が残っていた。公園へ登る南側の入り口と東側の入り口は、いずれも空堀や土塁が見え隠れしていて、城址らしい雰囲気を感じることができる。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/07 訪問)

水口城から移動しました。ナビは「伊賀上野城」です。駐車場は「上野公園第一駐車場」を利用しました。
100名城スタンプは天守1Fで押印しました。
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、のちに藤堂高虎が大規模に改修したそうです。
現在は模擬天守が再建されており、黒漆喰の兜などが展示されていました。見所は模擬天守もいいですが、やはり高さ29.7mと日本有数の高さを誇る内堀の高石垣だと思います。「芭蕉翁記念館」もありましたが、自分は見学せずに撤退しました。攻城時間は45分くらいでした。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/07 訪問)

水口岡山城から移動してきました。ナビの目的地は「水口城資料館」ですが、車を駐車する場所が見つけられなかった為、近所の「しまむら水口店」さんに駐車させて頂き攻城しました。
将軍の宿舎用として二条城を模した豪華な御殿が築かれたようですが、将軍の宿舎として使用されたのは築城時の家光上洛の一度だけだったそうです。
自分が攻城した日は木曜日だったのですが、水口城資料館は閉まっていて中に入れず、仕方なく周りを一周して撤退しました。
見所は遺構としての石垣、堀と復元された櫓と門だと思います。攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/07 訪問)

八幡山城から移動しました。ナビの設定は水口岡山城でした。駐車場は「水口岡山城址 登山口駐車場」です。
水口岡山城は豊臣政権の五奉行を務めた「増田長盛」と「長束正家」の二人が入城しています。
遺構として堀切や石垣が残っているようですが、自分は石垣を見つけることはできませんでした。攻城時間は25分くらいでした。

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うさぎ屋

石田堤史跡公園 (2020/07/12 訪問)

石田三成の水攻めの跡です。
忍城を水攻めにするため、築かれた石田堤です。
現在も点在して200メートルくらい残っています。

忍城最後の城主・奥平松平家三代の墓地です。

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じゅんじん

品川 (2020/07/13 訪問)

公園になっています。面影はありませんでした。

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じゅんじん

池田家 (2020/07/04 訪問)

大名屋敷の屋敷門が国立博物館に移築されていました。格式が高い。

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todo94

三社宮 (2020/10/03 訪問)

三社宮は土塁の跡という一段高いところに建っています。谷地城本丸の鬼門にあたります。

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小城小次郎

蜂須賀氏のイジメにも耐え (2020/10/17 訪問)

影が薄すぎる14代将軍・足利義栄を輩出した阿波(平島)公方家は、蜂須賀氏のイジメにも耐え、実に270年もの長きにわたって平島館に居住し続けた。生活のため「足利家」と書いたマムシ除けのアヤシイお札も売っていたらしい。

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カズサン

熊と時雨が強く登城断念、住職と歴史談義 (2020/10/24 訪問)

 下越の大葉沢城を目指して新潟ICから日本海東北道を北上、北方面の雲が黒く成り不気味な様相、時雨模様、朝日三面ICを降り県道349号線を東に約1km超、道端に大葉沢城の大看板、普済寺看板が有り大葉沢会館と駐車場が在ります、車はここに停めて山裾の普済寺へ、お寺で熊情報を確認、ハッキリ駄目とは言われませんでしたが熊被害がここで出ると風評の影響が問題のように言われましたが取り敢えず雨の中お寺の裏からの登城路へ本丸方向、畝形阻塞群を左右に示す標識の所まで登り、雨が強く成り、熊出没の不安と相まって断念しました。
 帰りに又お寺に寄りましたら住職が上がれ上がれとお茶を出して頂き、大葉沢城、普済寺、城主鮎川氏、本庄氏、上杉氏、伊達氏などの話に花が咲き、浜松から来た事を伝えると普済寺と繋がる浜松の寺の話、浜松の友人の話と1時間も過ごしてしまいました。
 春先桜の咲く頃に再度挑戦です?

 朝田辰兵衛さん情報有難うございました、登城は断念しましたが住職との話、国道113号線の情報はありがたく、当初長井まで3時間掛ると予想してましたが高速道並みの道で皆さん高速走行、山は紅葉、渓流、ダム湖、細い滝と景色は抜群、所々熊注意看板、道の駅は先の予定を考え寄れませんでした、道は景観も含めて良好でした。

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潮猿

菅谷館 (2020/10/31 訪問)

都幾川を背負った後ろ堅固な館跡

広々とした郭跡を回るとかなりの高さの土塁や空堀を見る事ができます
隣接する資料館(入館料100円)にて、御城印販売中
パンフレットなども充実しているので、先に寄ってマップ片手に見て回るのをお勧めします

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潮猿

土の城 (2020/10/31 訪問)

私有地ですが、遺構がよく残っておりじっくり見て回るなら1時間以上は必須
発掘調査では石積の跡も確認されているようですが、実際目にする限りでは、横矢掛かりがそこかしこに設けられた防御力高そうな土の城

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潮猿

忍城訪問 (2020/10/31 訪問)

のぼうの城で全国区?になった忍城を訪問
水城公園と石田堤跡も是非あわせてまわって欲しい。

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ぴーかる

引田城 (2020/10/18 訪問)

【続百名城40城目】
<駐車場他>引田港側専用駐車場<34.232444, 134.406406>10台程を利用。仮設トイレあり。
<交通手段>車

<見所>本丸石垣・大手門跡・北二の丸石垣・曲輪
<感想>1泊2日讃州・阿波攻城の旅2日目6城目。1日目にここと一宮城を攻城する予定でしたが、1日目はあいにくの雨で予定を入れ替えての攻城となった。なんとか晴れてよかった。
 井筒屋敷でスタンプ押印後に引田港側登山口より登城した。井筒屋敷・登城口にパンフレットがあります。比較的長い登山道、岩場の尾根を北上したら、まず本丸石垣が御出迎えします。櫓台跡のようです。本丸跡は中世山城らしい普通の削平地になっている。天守台跡は石積み遺構が良く残っている。化粧池にも石垣があるがかなり鬱蒼としていて見づらい。戻って北上し大手門跡は鏡石らしき巨石が崩落しており見応えあり。東の丸は石積みの虎口が明確に残っている。この城跡の見所メイン北二の丸の石垣は上段はブルーシートがかけられていて見えず。下段石垣は高さ5~6mあり見応えがあります。北曲輪は生駒氏の手が加えられておらず、石垣遺構は見られない。細長いので馬場跡のようにも見えた。北曲輪まで行くのならば、田の浦キャンプ場側登山口まで降りて麓道から駐車場に戻ったほうが近いし楽です。これにて百・続百名城の香川県制覇。

<満足度>★★☆

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いんげん丸虫

金井山城 長野県松代町 (2020/10/25 訪問)

主郭には土塁が周り1m程の高さで石積が巡ってます。石積の井戸跡もあります。大きな岩がゴロゴロしてる岩山で、岩盤を利用した堀切は圧巻です。

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チェブ

秀吉さんに反発した百姓と豊臣恩顧の加藤家。 (2020/09/21 訪問)

山形県鶴岡市の「丸岡城」で、加藤 清正さんの名前を見つけビックリしました。

前に投稿した「尾浦城」城主 大宝寺氏の弟、丸岡 義興さんが築城したようです。
山形県鶴岡市のお城は、だいたい豊臣 秀吉さんの検地に反発して、やっつけられてしまってます。
尾浦家が滅亡すると上杉家→最上家→一国一城令で廃城しました。
庄内藩 酒井氏の領地になります。
そして、加藤 清正さんの子 忠広さんが11歳で家督を継ぎました。
いろいろ事件があり熊本から庄内藩にお預けの身になりました。
事件の内容を読むと、忠広さんが若いからって言うより、豊臣恩顧の加藤家が邪魔だったんだと思いました。

「丸岡城」は丸岡城跡史跡公園です。
忠広さんの館を「丸岡城」に建てたので、館跡の方が想像できました。
土塁や水堀があります。芝生が青々して穏やかな気持ちになりました。
と、写真④⑤⑥を見つけ忠広さんが 、どのような気持ちで熊本から来たのか、どんより。
メジャーなお城、そうでない お城。
メジャーな武将、そうでない武将。
たくさんの武勇伝と、選ぶ事が許されなかった生き方を覚えておこうと、改めて思いました。

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