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イオ

一日まるごと小谷城(六坊・月所丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

山王丸から尾根道を下って行くと、浅井久政が領内の六つの有力寺院の出張所を置いたとされる六坊が広がり、南部に低い石垣、東辺には数条の竪堀が掘られています。

六坊を抜けて少し行くと、山頂の大嶽、北東尾根の月所丸、南東・南西尾根の間の清水谷への分岐がありますが、まずは月所丸へ。月所丸は越前へ続く山道の付け根に築かれた東西二段の曲輪で、西南部に竪堀、西北部に畝堀(畝状空堀群?)、各曲輪の東辺にそれぞれ分厚い土塁をめぐらせ、東端の土塁下に二重の堀切、さらに東のもう一条の堀切で尾根を遮断しています。越前への道の起点でもあり、朝倉氏の関与により築かれたと考えられますが、土塁といい堀切といい畝堀といい見事な土の城で、寄り道して訪れる価値は充分すぎるほどにありました。

さて、この日は一日かけて小谷城を一周する予定で、6時間もあれば充分かなと考えていましたが、月所丸から分岐に戻った時点ですでに4時間半が経過。この後、大嶽から福寿丸、山崎丸を経て下山するには少なくとも2時間はかかりそうです。日没まではまだ時間があり、行って行けなくはないでしょうが、駆け足で見て回ることになるのも嫌だし…ということで、大嶽から先はまた日を改めることとして、清水谷から下山することにしました。(続く)
 

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にのまる

多摩の山城一気攻めの② (2021/03/17 訪問)

 檜原城に続けて戸倉城に登りました。 西戸倉バス停、駐在所左手の道から神明社側の登城口まで案内が出ています。
 登城口に立てかけてあった何本もの木の枝の杖から下山された方の「持ってけよー!」という無言のメッセージを受け取り、猪用?の箱罠から「出るかもよー」という警告を受け取りましたが、ロッククライミングや罰ゲームのようだったとご投稿のある光厳寺口ではないので大丈夫、きっと行けると自分に言い聞かせて登城開始。
 山頂までの道のりは危険なところはありませんでしたが30分近くかかり、視線の先に石積みを捉えたときは、それが一目で後世のものとわかるものであってもー寧ろ人の手で整備された場所に着いたとわかってー、ほっとしました。
 山頂には小さな郭が二つ。狼煙台や物見台説に首肯します。滝山城主大石定久隠居城説もありますが、それが史実ならば、山頂であれ麓であれ、楽隠居などではなく背負うものがあったと感じます。五日市方面に開けた眺望、周囲の山々の景観がすばらしかったです。説明板を見ながら主郭まわりを偵察中に10円玉を発見。すっかり緑青に覆われていましたが、山の神様へのお賽銭かもしれないと思い三角点の上に置いてきました。これから行かれる方、まだそこにあったら置いたのは私です。
 世界中の山々を巡っておられるというハイカーさんと遭いました。臼杵山から登ってきてこれから光厳寺に下りられるということでしたが臣従は辞退し、登ったのと同じ神明社に下りました。説明板にあった水の手を見つけたかったけれどわからずじまいだったのが心残りです。

 戸倉城は標高434メートル、比高210メートルで先に登った檜原城とほぼ同じですが、こちらの方が急坂だったような気がします。下りは20分ほどでした。
 武蔵五日市駅に戻り、3城目の阿伎留城へ向かいました。

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todo94

尼子十砦2城目 (2021/03/27 訪問)

王子神社から無理矢理登ってみました。堀切、郭らしきものを視認いたしましたが、説明板や標柱など、現地の表示は何もなかったのでなんとも言えません。一応、これが2015年に攻略した十神山城に次いで尼子十砦の2城目になります。

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赤い城

綺麗に整備された城 (2021/04/03 訪問)

城址北側に駐車場があり、説明板もあります。
駐車場にパンフレットが置いてあります。
駐車場脇から登ると北の丸、更に進むと北下段と本丸の間に堀切があります。
二の丸、高見とよく整備されていて歩きやすい。
大手門に周り、東の丸方面に登っていくと竪堀や堀切も確認できます。
全体的によく整備されています。
個人的には本丸と東の丸の間の堀切が良い感じ。
地元の武将、久野氏の居城で久野氏が関東移封後は豊臣家臣の松下氏、徳川時代には北条氏重が治めた城です。
地元の方が力を入れている感じがよくわかりました。

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小城小次郎

お城公園っぽくなってきた (2021/01/24 訪問)

かつて駐車場だったところに施されたカラー舗装はよく見ると埋もれた堀の平面復元のようだ。中世浜松城の想像復元図も大きく掲示されているし、周辺施設がなくなってから一気にお城公園っぽくなってきた。

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雨の庭瀬城 (2021/04/04 訪問)

道の細さに恐れをなして、城域の外に駐車して歩いていきました。歩くと、堀や堀を兼ねる川にすぐ行き当たります。雨も降り、かつての低湿地の雰囲気がしました。城の中心地から少し離れたところも歩いたので、城びと先達がアップしてない写真(主に説明板)があり、投稿します。
町並みは、昔栄えた面影が残ります。瀬戸内と内陸部の交易で栄えたと。

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イオ

一日まるごと小谷城(主郭部詰丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

大堀切の先は中丸。南北三段の曲輪で構成され、あちこちに石垣が見られます。上段北東部には刀洗池と呼ばれる井戸跡があり、その脇を登って行くと京極丸に至ります。京極丸は大広間に次ぐ規模の曲輪で、浅井氏の庇護下にあった近江国守護・京極氏の居所があったとされ、東辺を巨大な土塁で守っています。京極丸から西下を見下ろすと大きな帯曲輪があり、石塁で築かれた枡形虎口がある…んですが、切岸は急で高さもあり、下りられそうにないので中丸まで戻って行ってみました。帯曲輪の南西部に苔むした石材が散乱しており、この虎口が羽柴秀吉が攻め上った清水谷からの水の手道に続いています。

京極丸の一段上が浅井久政が自刃したとされる小丸で、東西二段の曲輪で構成されています。さらに上って行くと、崩された石垣が目に飛び込んできて、その前を東側に回り込むと大石垣と呼ばれる小谷城最大の石垣が状態よく残っています。崩された石垣を乗り越えて進んだ先が主郭部の詰めの丸にあたる山王丸で、最高所の土塁にも石垣が見られます。

南東尾根の主郭部はここまでですが、小谷城はまだまだここでお終いではありません。(続く)
 

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todo94

布辨神社より (2021/03/27 訪問)

布辨神社脇の要害山登山道より登城いたしました。毛利対尼子の戦いが行われた地です。小規模な山城ですが、夕景城でのダメージが残っていたのでちょっときつい攻城でした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑪:白金館 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り11城目(ラスト)は白金館です。
目黒駅より徒歩10分ちょっと位で自然教育園内の土塁前(35.637133、139.721202)に着きました。

応永年間(1394~1428)に、柳下上総介という人物がこの地に館を築いたとされます。
上総介は、のちに白金長者と呼ばれるほどの財を成したとされるが、柳下氏と白金館に関しては、これ以上のことは分かっていないようです。
比定地周辺は、江戸時代に高松藩の下屋敷となり、明治維新後、屋敷の跡地は軍の火薬庫に使用され、戦後は国立自然教育園と東京都庭園美術館となっています。

自然教育園の入園料は320円ですが、65歳以上の自分は無料でした(ラッキー)。
お客さんの多くが植物を熱心に観察し写真を撮っていますが、自分は土塁の写真を撮って撤収です(すみません、植物に興味はありません)。
城びとでは遺構は消滅となっていましたので、自然教育園内の土塁は後世のものなのでしょうか?
攻城時間は25分くらいでした。

今回の歩行歩数=40144歩、歩行距離=31.31Kmでした。(2021/03/24の38527歩、30.05Kmを越えましたが、今回は筋肉痛ありません)

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アヤコ

城さんぽ (2021/04/06 訪問)

竹田城へ登って、降りてきて、
立雲峡からも少し見る。

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赤い城

コロナで時間短縮でした (2021/04/03 訪問)

掛川駅から徒歩で10分。
車なら大手門駐車場が良いかと。
前回9時開門だったのでそれに合わせて行ったところコロナで開門は10時。
終わりも15時半の時短営業中でした。
なので天守には入れませんでしたが散り際の桜を見ながら周辺散策しました。
元は朝比奈泰能が築城、徳川期になると山内一豊が入り天守が築かれ近世城郭となりました。
この街のシンボル的存在。
最近は山城が多かったけど建物のある城も悪くないと思いました。

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牛若丸

中世山城の遺構が良く残ってます。 (2021/04/06 訪問)

駐車場からすぐに登城できます。
遺構の保存状態もかなり良好で、枡形虎口や角馬出しなど随所に見受けられます。
さすが、関東の北西を抑える拠点だけあり、防御の固さがよく分かります。一見の価値があります。

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牛若丸

かなりキツイです。 (2021/04/06 訪問)

本日訪れました。
階段を登り天神社の裏が初沢城になってます。
かなり急な坂道で、本丸があったと思われる頂上までは30分くらいかかります。
遺構は郭が少し残っているぐらいです。

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牛若丸

結構広い山城です。 (2021/04/06 訪問)

本日訪れました。
整備されており、遺構も残っています。
途中から、男坂と女坂に分かれており男坂はかなり急。
先にビジターセンターに寄ってから案内図をもらってから見学すると楽しめます。

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前ちゃん

多忙な日々の中の癒やし (2021/04/05 訪問)

癒やされるなぁ

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イオ

一日まるごと小谷城(本丸周辺) (2021/03/14 訪問)

(続き)

黒金門から大広間に入る前に桜馬場へ。東西二段の曲輪で、琵琶湖方面の眺望がひらけ、浅井氏及家臣供養塔や大河ドラマロケ地の案内板があり、南下には御馬屋が広がっています。西下には広い帯曲輪が北東にのびており、竪堀は麓まで落ち込んでいます。また帯曲輪には苔むした石が散乱しており、かつては石垣で覆われていたようです。

石造りの黒金門を抜けると大広間に至ります。小谷城最大の曲輪で、建物礎石があちこちに残り、北東部には石組みの井戸もあって、居住空間だった痕跡が見られます。大広間の北端には本丸の石垣がそびえ、本丸に上がっていくと南北二段になっており、天守に相当する建物が建てられていたようです。

本丸から下りて、東西の帯曲輪を経て奥に進もうとすると、本丸からの竪土塁が立ち塞がり(東側は通行止め)、その先の大堀切とで奥の曲輪群との間を断ち切っています。その大堀切、巨大とは聞いていましたが、カメラに両端をおさめるのに苦労するほどの幅広さで、圧倒的な土木量に唖然とさせられました。大堀切の東端まで行って、下を覗いてみると腰曲輪があるので、何の気なしに下りてみると、ここにもなかなかの規模の石垣がありました。これも下調べではわからなかったものなので、あるいは小谷城の至るところにこういう特段取り上げられない石垣があるのかもしれません。小谷城おそるべし…。

さらに大堀切を越えて(御局屋敷を見落としました…)、山王丸を目指します。(続く)
 

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todo94

尼子十旗コンプリート (2021/03/27 訪問)

尼子十旗の第九旗・夕景城(馬木城)。2019年11月に攻城を断念した城です。県道沿いの標柱を確認して林道を上っていきました。沢を渡って尾根をガンガン登って行くと前回と同じ衝撃の光景が。進行方向右手に夕景城である矢筈山が聳えていたのです。またしても間違えた山に登ってしまったかと下って別の尾根筋に突入するものの灌木に阻まれ断念。指にとげまで刺さって心が折れてしまいましたが、冷静に考えてみるとこのあたりにいくつも山があるはずがない。もう一度、最初の尾根をとことん登っていくことにしました。ピンクのテープの目印がついているこの尾根は、大きく弧を描いて矢筈山に続いていました。遂に念願の尼子十旗コンプリートを果たすことができました。比高が500mほどもあり、下山時も迷って一筋縄ではいかない山城です。冬枯れかつ雪のない時期と攻城時期もかなり絞られてしまうかと思います。雨中や雨上がりなど無理な攻城はお薦めできません。馬木氏がこの城から移った小林城から、遠景を望むこともできました。車なら奥出雲おろちループに脚を伸ばすこともできますよ。私は道の駅で昼食を頂きました。

因みに、金言寺の城址碑は2019年11月に撮影いたしました。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑩:目黒氏館 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り10城目は目黒氏館です。
GPS座標の入力ミスにより、恵比寿駅より防衛省施設を一周して目黒川経由で目黒学院校門前(35.644416、139.702377)に着きました。徒歩25分位かかってしまいました。間違えなけく歩けば、10分ちょっとで歩けます。

目黒氏館は平安時代末から鎌倉時代初期にかけての武士目黒氏の居館とされ、目黒川と蛇崩川の合流点近く、字別所(目黒学院高校付近)に館があったとされます。
目黒氏館については、比定地が2つ存在します。原因は、『目黒区史』や『日本城郭大系』で「目黒高校」が館跡としているものの、目黒区内に「目黒高校」が2つあることにあるようです。
『大系』では、目黒高校の所在地を祐天寺1丁目としていて、ここには現在「都立目黒高等学校」があります。
他方、その解説のなかでは、館の位置について「恵比寿方面から張り出している台地が西進して目黒川とぶつかる。この台地の先端」としています。
この条件に見合うあたりには、かつて「私立目黒高等学校」と称していた目黒学院高校があります。
どちらが正しいのかはわかりませんが、自分は「目黒学院高校」を訪れました。

遺構も再建造物も何もありません。訪れたという自己満足だけですが、目黒川を経由したので桜の写真を撮りました。時期的にちょっと遅かったようで、散り始めていました。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑨:渋谷城 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り9城目は渋谷城です。
渋谷駅周辺をウロウロしたので、渋谷駅より徒歩12~13分位かかってで金王八幡宮(35.657290、139.706129)に着きました。すんなりと歩けば5~6分ですが、渋谷駅のどこを起点とするかで時間は違ってきます。自分は半蔵門線の渋谷駅だったので、ちょっと離れていました。

平安時代に河崎基家が没した後、息子の渋谷金王丸が渋谷城の城主になったようです。
金王丸は源頼朝の父であり、「八幡太郎」の名で知られる源義朝に仕えた人物です。
戦国時代に入り、1524年(大永4年)に北条氏綱が江戸城を攻略すると、この城も後北条氏の別働隊によって焼失し、渋谷氏は滅んだと考えられています。
城域は現在の渋谷川を堀として、金王八幡宮あたりが城址です。
遺構は石垣の一部だけが残っており、金王八幡宮に「渋谷城砦の石」と書かれた石碑があります。

若かりしころ何度も遊びに行った渋谷。結婚してからも仕事で何度か行った渋谷ですが、ここ10年近くは行っていなかったので、渋谷駅付近の変わりように驚くばかり(ヒカリエて何、スクランブルスクエアて何?、そんな物、自分が知っている渋谷にはなかった)。渋谷駅構内を抜けるだけで結構、時間がかかりました。
渋谷城の遺構は、石一つですが、跡地にある金王八幡宮は、宝物館には、都内に現存する最古の神輿があるなど、見所の多い神社です。
攻城時間は10分くらいでした。

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キンヤ

コンパクトながら織豊系のテクニカルな縄張りの陣城 (2014/04/20 訪問)

賤ヶ岳合戦の前に堀秀政が構築した羽柴秀吉側の陣城です。

録画していたNHK BS「英雄たちの選択 山城スペシャル 戦国武将の知恵の結晶 」を見ました。
柴田勝家側の玄蕃尾城に対するマニア向けな付城の東野山城がテレビで紹介されて驚きました。

城びとでは、お一方しか投稿されておらず、ずいぶん前に行った時のものですみませんが投稿させて頂きます。

かなり高い山にあり、林道を車で登れますが、悪路で狭く土砂崩れもあり、1度目は普通車で途中で断念しました。
2度目は軽自動車の方に乗せて頂きリベンジでき感謝です。

コンパクトな城ですが、織豊系のテクニカルな縄張りです。

春に行きましたが、結構草があり、遺構は確認し辛いですが、曲輪と堀は良く確認できました。

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