小牧山城は1563年織田信長が、美濃侵攻のため清州城から小牧山城に移り、山全体を城域とし多数の曲輪と要所に重臣の館を設け、城下町も設けたが、信長にとって小牧山城は美濃攻略のための一時的な拠点でしかなく、1567年に美濃を攻略すると稲葉山城(岐阜城)に居城を移し小牧山城は廃城となった。
歴史の表舞台に再度「小牧山城」の名が出てくるのが、本能寺の変後、信長の後継者争いで、織田信雄・徳川家康の連合軍と羽柴秀吉が激突した、小牧・長久手の合戦で信雄・家康の本陣として使用され、この戦時に、山麓の土塁と堀が整備されたとされています。
江戸時代には、尾張藩により立ち入り禁止の措置がとられている。
現在残っている遺構は、家康が陣城として整備したもので、山麓に残る土塁と堀は見応え十分です。
現在は史跡公園として、聚楽第飛雲閣を模して造られた模擬天守(歴史資料館)と土塁・石垣・空堀・井戸跡が残り今に伝えています。
駐車場は北東山麓にあり、(2時間半駐車し200円でした。(トイレも完備)
史跡情報館・歴史資料館は共通券で100円でした。(JAF会員証提示で60円に割引)
今日は朝8:30頃まで家でダラダラと過ごし、TVで27日は春の陽気で28日は春の嵐とのことで、折角だからお花見ができるところと検索したところ、小牧山城がヒット(^O^)/ 早速、東名・名神と乗り継ぎ1時間半程で到着。
搦手口の桜もほぼ満開で、城跡を散策するもよし、ウォーキングするもよし、Familyでお弁当もよし、マジリフレッシュできた一日でした。
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