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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅳ〜平沙戌 (2021/03/25 訪問)

主郭(1枚目)の他に、平沙戌(2と3枚目)にも、東屋があります。
平沙戌は、出雲国と石見国の国境になり、天平時代には、狼煙台が築かれていたそうです。
ここも残念ながら、羨望は良くないです。

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅲ〜主郭、馬場跡 (2021/03/25 訪問)


主郭?と思いきや、下に道が続いていました。(2枚目)
その後数分で、主郭(1枚目)に到着。
他の方が書かれた通り、看板(4枚目)は倒れていました。
主郭(5〜7枚目)は木々に覆われ、羨望は良くないです。
更に下に続く道が(8枚目)があり、すぐに馬場跡(二の平)の到着(9枚目)
土塁(10枚目)らしいのも発見。

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅱ〜城平側登城道、郭 (2021/03/25 訪問)

主郭(1枚目)へは、駐車場から約20分で到着。
途中、郭っぽい削平地(2、3枚目)も見られます。
山桜(5枚目)も見事です
道標(4;7;9枚目)も随所に設置。
30℃位の傾斜を登り続けると、15分程で平坦な道(8枚目)になり、やがて、ベンチの削平地(10枚目)に到着。主郭?やけに狭いなと思いました。が。
続く

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅰ〜駐車場、城平側登城道、源蔵塚 (2021/03/25 訪問)

主郭(1枚目)へは、駐車場(5枚目)から約20分程で到着。
登城口は3ヶ所位ある様子。今回は城平側→源蔵塚→平沙戌→主郭→ニの平(馬場跡)で攻城。
途中、道標や案内板(2'〜4枚目)があり
遊歩道も整備されており、攻城しやすいです。
駐車場から見える日本海(5枚目)もキレイです。
途中の【源蔵塚】(8枚目)は罪人を匿い、罪に問われた源蔵夫婦を偲ぶ場所だそうです。
整備された広い遊歩道(9、10枚目)を登ります。

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ぴーかる

津和野城南出丸 (2021/03/14 訪問)

【津和野城南出丸】
<見所>曲輪・堀切・土橋
<感想>津和野城跡の続き。近世城郭の津和野城の投稿では載せたい写真が10枚以上になる為別途投稿いたします。南出丸は吉見氏時代の遺構がそのまま残っており、おそらく土で造った曲輪群かと思われます。津和野城南門跡から南に少し下った所に添付写真の案内板と木の立て札があるのですぐ分かると思います。立て札から南出丸の主郭部までは切岸になっていて木の丸太階段が朽ちて無くなっているのでストック要です。主郭部は一部土塁が残っており、中心部に巨石が散乱している。南出丸の南方向には2重堀切になっており南側は土橋があります。案内板の東側にも南北に曲輪群があります。
 土橋から数百㍍南に行った所に吉見氏時代の中荒城(城びと未登録)があります。この次に投稿致します。

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イシテル

壮大な一乗谷山城 (2021/03/26 訪問)

麓の朝倉氏遺跡を2018年7月に訪れ100名城のスタンプも押していましたが、一乗谷山城を巡っていないことが心の中で残っており、登城しました。
管理棟で地図をいただき、「下城戸」、「馬出」、「英林塚」の3コースがあるとの説明を受け、所要時間が約60分の「馬出コース」での登城を決めました。
管理棟前の道路を「馬出コース」のある八幡神社を目指して歩き、目印の八幡神社を左に見ながら進むと登城道入口の看板。これに従って入って行くと、右側に侍屋敷跡と思われる幾つかの広い敷地があり、石垣や石塁の遺構も見られます。
小見放城跡を過ぎると登城道の傾斜も少しきつくなり、ゆっくりと60分程登ると山城の様相に変わってきます。城域入口にある不動清水は、不動明王石仏の下から泉が流れ出ており、唯一の水源と説明があります。そこから上がると千畳敷跡に入り広い郭跡となっています。古絵図には「万畳敷跡」との記載もあると説明があり、次の観音屋敷跡、宿直跡も広く、広大な中心地の郭を形成し、観音屋敷跡と宿直跡の間には土塁で造られた虎口も綺麗に残っています。
ここを過ぎて登って行くと一の丸の表示があり、その先は尾根筋に二の丸、三の丸と続き、それぞれが堀切で区切られていて、堅い防御を備えていたことが伺えます。
大規模な郭と数々の切岸、堀切で構成された要塞、久しぶりに広大な山城を巡り感動しました。麓の朝倉氏遺跡だけでなく、足に自信のある方(翌日、足の疲れが....)は、是非とも一乗谷山城も巡っていただきたいと思います。

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カズサン

天守台石垣修復され天守閣復元が待たれます (2014/05/20 訪問)

 7年前の5月下旬JRフルムーンパスを利用した兄弟旅行で三朝温泉、松江城、玉造温泉を終えて岡山に上り、後の旅行日程は兄弟別行動、私達夫婦は瀬戸大橋線で高松へ高松駅から徒歩で高松城探訪へ、小学校の修学旅行が最初でもう50年以上も経っており、その間何回かプライバート、出張中の時間を割いて訪ねて居ります。
 今回は登城の前年H25年3月(2013年)にH18年からの天守台修復工事が竣工し一般公開に成って居ましたので是非見学観察したいと南九州旅行の途中に半日入れ込みました。

 天守台には以前高松松平氏初代頼重を祀った玉藻神社が鎮座してましたが移設され天守台の大修理、石垣の積直し立派に修復復元しました、地階の穴倉も有り、礎石、天守台虎口入口、天守台天端部を登って回れるように登り階段が付き、天守台上部からの眺めは絶景です、案内説明板も完備、天守閣復元を期待してる説明板、復元CG写真、図面で溢れてます。
 後に鞘橋を通って、月見櫓、水手御門、渡櫓、披雲閣庭園、披雲閣陳列館見学高松城天守閣の模型も見学、桜御門跡ここも復元計画が有るそうです、桜馬場、大手門枡形、艮櫓、旭門、旭橋、中堀越しに艮櫓を見学眺望し満足の探訪でした、是非天守閣の復元を望んでおります。
 展望車両のある特急で瀬戸大橋、瀬戸内海を眺め城と海を堪能し岡山駅へ新幹線さくらで鹿児島へ、南九州の旅へ出発。


 

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小城小次郎

行くたびに新たな魅力が見つかるお城だろう (2020/12/31 訪問)

二度目の訪問で初回訪問時に見落としていたところを眺めてきたが、このお城はなにしろでっかいので、訪ねる度に恐らく新しい発見があるのではなかろうかと思う。大手道のガイドツアーもいつかは体験してみたい。

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T-Shionoya

石垣山城訪問 (2004/05/22 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第7段は石垣山城。
秀吉が小田原城攻めのために築いた陣城です。

小田原城の中心部まで早川を挟み約3kmの、箱根外輪山の尾根の上。もともとは笠懸山と呼ばれた場所。
戦国期の箱根越えは湯坂道が主要道でしたが、秀吉軍はほぼ現在のターンパイクを通り、小田原を見渡せるこの地に陣を張ったのだとか。
一夜城伝説が有名ですが、実際は約80日でつくられた模様。完成まで秀吉軍は早雲寺に陣を敷いていました。

現在は石垣山一夜城公園となっており、広場の周囲に大きめの石が転がっていたというのが訪問当時の印象。
今回投稿するにあたり、先週再訪問してきました。
以前より石垣が見やすくなっている印象で、南曲輪や井戸曲輪の野面積み石垣は見応えあり。
南曲輪中門と本丸北虎口では、石垣が行く手を邪魔するように崩れてますが、枡形を確認できます。

井戸曲輪は城の北東部を守る堀のようでもあり、急斜面な城の北西部は箱根路の監視も可能。
関東から西への関所にする計画もあったのではないかと思える城でした。

※写真は先週撮影したもので、案内図と井戸のみ2004年のもの

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ミッピのパパ

これぞ日本の城 (2021/03/29 訪問)

人生で3回目の姫路城は、桜が咲き誇る最高の日和。
ただただ、その 美しさ と 壮大さ に圧倒された。
おかげでお城ファンとしての、
城を見る、観察する、歴史に思いをはせる が
全く機能しなかった。

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ミッピのパパ

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で知った御着城 (2021/03/29 訪問)

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で御着城のことを知り、念願かなって訪れてみた。
” ここに昔、御着城がありました ” という碑があるくらいで、残念ながら城の痕跡を
垣間見るものはなかった。

でも、現場で城主の小寺政職(こでらまさもと)を演じる片岡鶴太郎さんの顔が
ちらつくのはなぜだろう。

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カズサン

安土城にそっくり直登大手道 (2014/05/04 訪問)

 名神高速道を何回となく上り下りし車窓眺めてる小牧山城ですが7年前の5月連休に平成大修理で修復成った伊勢亀山城を探訪散策終えて小牧山城を初登城しました。
 車は麓の駐車場と狙い走行するも入れず小牧市役所駐車場、隣接の商業施設駐車場と廻り昼食を兼ねて商業施設の駐車場を利用。

 昼食後、直登で有名な大手道からスタート、大手道を登り切った所から曲がりくねって本丸、天守曲輪へ天守閣風の歴史館を見学、本丸周辺は発掘調査中、発掘後の調査結果展示が所々地表表示さる、来た道を戻り大手道の上部より桜の馬場経由発掘調査後復元整備されてる史跡公園を探訪散策、小牧山全体が城域ですが全てを観察するのは大仕事です。
 大手道を見た時には安土城の大手道とは小造ですが同じ思想を感じました、天気も良く本丸の歴史館からの眺望、史跡公園散策とゆっくりさせて頂きました。

 古い投稿で同日重なり「だめなこ」さん ごめんなさい。投稿観てますよ❣

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小城小次郎

尊徳さんの治績 (2020/12/19 訪問)

小田原藩から分知された旗本・宇津(大久保)家の陣屋だが、荒廃した田畑を見事復興した二宮尊徳(今風に言えば再建請負人?)の治績を残す地としての評価があまりにも高く、戦前に国史跡の指定も受けている。

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だめなこ

山の上のお城\('ω')/ (2021/04/03 訪問)

先週ゎ足が痛かったし
時間もなくて行けなかったから、
今週またチャレンジしに小牧山城へ\('ω')/


アスファルトだからフツーにお散歩出来るけど
落ち葉が凄かったりで
滑ってこわいところもあったけど
横道が結構あって色々歩けたし楽しかった♪

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ヒロケン

金鯱は何処? (2021/04/03 訪問)

「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は 城でもつ」と歌われた名古屋城は江戸幕府御三家筆頭、尾張徳川家61万9500石の居城です。(尾張初代藩主 家康公の九男 義直公)
 関ヶ原合戦を制した徳川家康公は1609年旧城跡(那古野城)を拡大しての築城を命じ、牧助右衛門が検知縄張りを行い、西国の大名20家が築城に関わった「天下普請」です。
現在は、名古屋空襲で焼失を免れた、西南隅櫓・東南隅櫓・北西隅櫓・表二之門・旧二の丸東二之門等が国の重要文化財に指定されています。また、本丸御殿が再建されるなど、見所の多い御城です。

現在、天守閣の木造復元が進められており、天守閣の最上階に聳えていた「金鯱」が地上に下ろされ、二の丸にて公開されているとのことで、見学に行ってきましたが、4月2日で公開が終了されており、見学することができませんでした。((+_+))
また、鉄筋コンクリートで復元されている天守閣にも耐震性の問題で、入館できません。((+_+))ですが、圧倒的な壮大さと、圧倒的な華麗さで何度見ても、引き付けられずにはいられません(*^▽^*)。また、高くて長大な石垣・深くて広い堀・華麗で優美な三棟の隅櫓が彩を飾り、1年2か月ぶりの訪問ですが、何度来ても飽きさせません(*^▽^*)

この日、野暮用で名古屋に来ており、早めに用事が済んだことから、密を避けるため敬遠していた名古屋城に行くことを決め行ってきました。4月3日多くの出店が出て多くの人でがあり、本丸御殿には1時間待ち、特別公開されていた西南隅櫓は30分待ちと、どちらも諦めましたが、公園内に咲いていた桜が綺麗で御城と合わせ十分に満足できる訪城でした。

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織田晃司

円通寺より (2021/04/03 訪問)

10分程で主郭にたどり着きますが多くの郭を回っていると1時間はかかるでしょう。

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織田晃司

大堀切まで車で (2021/04/03 訪問)

登る事ができます。
大堀切から15分程で主郭にたどり着きます。

林道のそばに畝状竪堀群があり、南側の遺構も合わせると広大な城跡となってます。

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todo94

リニューアル城カード (2021/03/26 訪問)

リニューアル城カードのゲットを目的に松江城へ。入城料をEdyで支払おうとしたところ、カードが見当たらない。昼食を購入した石見銀山のローソンのセルフレジに置き忘れてきてしまいました。城カードだけ購入して慌てて80km以上も戻ることになってしまいましたのでこの日の攻城はこれでおしまい。国宝天守周りの桜がきれいに咲いていたのでのんびり楽しみたかったなあ。残念。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑥:烏山城 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り6城目は烏山城です。
千歳烏山駅から徒歩5~6分くらいでに烏山神社鳥居前(35.668142、139.605684)着き、その後、世田谷文学館(35.666882、139.608510)に向かいました。

烏山神社付近はかつて半城塞寺院だったと言われる泉沢寺(現川崎市)があったそうです(神社内の案内板にも記されています)。
泉沢寺は世田谷城城主でもあった吉良氏ゆかりと伝えられています。
後北条氏が、同じく近くの深大寺城の扇谷上杉氏の備えで近くの豪族であった高橋氏をこの地に烏山砦を築かせ守らせたと言われているそうですが、明確なことはあまりわかっていないようです。

烏山塁(烏山砦)は時代的に前期と後期に分かれ、城址の場所も少し異なるようです。
しかしいずれも烏山川上流部の低湿地に面した微高地に築かれたとされています。
前期の城址は世田谷城の吉良氏により築かれ、川の西岸に面した烏山神社の境内地にあったとされています。
後期の城址は江戸城の奪還をうかがう深大寺城の上杉氏に対抗する為、北条家重臣の高橋氏により東岸のウテナ本社付近の緩い丘の上に築かれたようです。

土塁などの遺構はなにも無いが石碑はありました。
世田谷文学館横の芦花翠風邸門前に「あしたのジョー」展の案内がありましたが、~3/31(昨日)まででした。自分の少年時代のヒーローです。懐かしい、見たかった、白く燃え尽きた。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑤:金子氏館 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り5城目は金子氏館です。
狛江入道館より徒歩27~28分くらいで島屋敷遺跡解説板前(35.673647、139.573923)に着きました。

築城年代は定かではないが、金子時光の居館があり、天正年間(1573年〜1592年)には金子弾正がいたといわれています。
江戸時代には柴田勝家の孫柴田勝重が徳川家康に仕えて三千五百石の旗本となり、1614年(慶長19年)頃に陣屋を構え、1698年(元禄11年)頃まで続き、柴田氏転封の後には代官所として利用されたようです。
その当時の様子が周囲の低湿地に囲まれ島のようだった事から島屋敷と呼ばれたそうです。

島屋敷は現在の新川団地の辺りに築かれており、発掘調査によって中世から近世の遺構が検出され、団地内にはそれを示す案内板が設置されています。
攻城時間は5分くらいでした。

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