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チェブ

土塁の使用方法。 (2021/01/02 訪問)

埼玉県八潮市の「西袋陣屋」でホッコリしました。

江戸時代、治水事業で活躍した伊奈 忠次さんの家臣、興津 良次さんの「西袋陣屋」です。
『興津』の名前が珍しいと思い、調べると静岡県に地名がありました。
今川 義元さんの家臣団の中に、興津氏の名前があったので、この辺りがルーツかな?
そうそう、静岡県には『今川さん』という、ゆるキャラがいました。左目には涙が!
涙の理由は『400年以上、世間からバカにされて悔しい』との事。
今川 義元さん、桶狭間の敗北イメージが強いですからね。
*「西袋陣屋」と『今川さん』は無関係です。毎度の事ですが、話が脱線しました。

興津 良次さんは、曽根を名乗り江戸に移り住みました。曽根になった理由は分かりません。

「西袋陣屋」は住宅街の中にある公園でした。
『西袋陣屋公園』の標柱の横に柵で堀跡が囲ってあります。
そことは離れてますが、民家と公園の間に水路があり、堀跡を再利用したようです。
公園内には土塁風の小山がありました。
本当に土塁跡かもしれませんが、チビッ子が一気に駆け上がれるか!と、遊んでいたから分からなくなりました。
遺構の土塁が残っていても嬉しいです。
でも、行政が子供達の遊び場として、小山を盛ったとも考えられ、それはそれで嬉しい、、、。

元気なチビッ子達のお陰で、ホッコリしました。

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hata

日本100名城 No,039 天守からの眺望は素晴らしいが…… (2011/06/12 訪問)

■100城の6城目(初登城・前回は大雨で下から見上げただけした)【稲葉山城】
☆1泊2日東海3名城塗りつぶし城攻めの2城目(名古屋城→岐阜城→岡崎城)
【移動手段】車
【駐車場】朝10時でしたが公営駐車場はすべて満車で困りました。気がつけば公園前にファミマとバーミアンが。
【スタンプ】岐阜城資料館△
【天気】曇り
【印象】☆ 絶景かな!
【お土産】なし
【昼食】なし
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】朝からロープウェイは満員電車状態。RCでの復元なのであまり期待しなかったが思ったよりよかったが、天守最上階に売店はいただけない。
ふもとでは大規模な発掘調査が実施されている。
登山人多し。ファミマで買い物をして岡崎に向かう。岐阜はいい土地ですね。またゆっくり来たいです。
【柴犬のクウ】ロープウェイにはだっこ出来るワンコは乗れるらしいが、俺(中型犬)はまた留守番。散歩したいワン!

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hata

日本100名城 No,038 六段壁の石垣は圧倒的です。 (2012/04/28 訪問)

■100城の51城目(初登城)三大山城の1城目
☆三泊三日東海塗りつぶし城攻めの1城目(岩村城→犬山城→長篠城)
【移動手段】車:自宅から山梨県北杜市の宿経由350km
【駐車場】岩村歴史資料館(無料)、出丸駐車場(無料) 
【スタンプ】岩村歴史資料館○
【天気】晴れ(気温28℃)
【印象】☆ 山城ですが出丸まで車でいけるので楽に廻れます。山の中にすばらしい石垣が残っています。
【お土産】なし
【食事】日本大正村の浪漫亭で味噌デミかつ丼△
【夕食】浜松市内でうなぎ(うな重の梅・2800円○)
【同行者】姫、犬(柴)
【他】夜19時30分、東京発で北杜市の宿に22時チェックインし、その足で日帰り温泉◎へ。
 翌日9時に諏訪市の高島城◎に到着し、桜吹雪の中を登城し恵那市に向かう。
 資料館で押印後、出丸前駐車場に車を止めて登城しました。
 復元櫓はもう少し時代感が必要かな?その後、大正村△から浜松城○し、宿へ。
【柴犬のクウ】ここは楽しいワン!

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T-Shionoya

騎西城訪問 (2004/05/04 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第5段は埼玉県加須市の騎西城。
忍城の後に寄ったため遅い時間となり、滞在時間は20分程度でした。

騎西城は利根川の氾濫原の、沼と微高地を利用したお城。
おそらく沼を拠点に古くから住居があり、室町中期には古河公方足利氏方と関東管領上杉氏方の境界線に位置したため、城としての強化が進んだと考えられています。

1400年代半ばから古河公方方の佐々木氏、室町末期には小田氏が城主となり、小田氏は成田氏と結びつき忍城の支城に。この頃に発掘調査で見つかった障子堀がつくられたのでしょうか?
家康が関東に入ると、松平康重、大久保氏が城主となった後、江戸初期に廃城となりました。

現在唯一の遺構である土塁は天神曲輪南側の土塁。
模擬天守が立つ場所は元々沼の中で、文化学習センター北の駐車場から住宅地にかけてが二ノ丸、その先に本丸があったようです。

今回、背景を調べるとおもしろみのある城でした。
しかし大手門跡や二の丸跡などの要所に標柱はあるものの、訪問して楽しむにはマニアックな城ですかね。

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にのまる

遺構はなくても。 (2021/01/17 訪問)

その土地の伝承を文字として記し、後世まで伝えていくことの尊さを感じました。
形あるものが消えてしまうのは必定だけれど、記憶のリレーは不可能ではない。

写真は地蔵堂です。

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橋吉

今川義元が最後に軍議を開いた城 (2021/03/03 訪問)

永禄3年5月18日(1560年6月11日)すなわち桶狭間の合戦の前夜、今川義元は前日に沓掛城に入り、(結果的に)最後の軍議を開きました。

現在は沓掛城址公園として整備されています。
10台くらいは駐められそうな駐車場があります。

侍屋敷→本丸→二の丸→諏訪曲輪と見学しても15分くらいでした。

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むらちょ

天守 (2020/11/14 訪問)

久々に天守のある城攻め。

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hata

日本100名城 No,037 発掘、復元されている皆様に感謝です。 (2011/09/23 訪問)

■100城の37城目(初登城)
☆二泊三日北陸城攻めの1城目(一乗谷城→丸岡城→金沢城→七尾城→高岡城)
【移動手段】車:東京から中央道経由で520km
【駐車場】復原町並(北)臨時駐車場(無料)
【スタンプ】復原町並入口入場券売り場(北)。
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 一乗谷川沿いに広がる静かな谷間に遺構がたくさん存在しています。往時のにぎわいを想像しながら散策。無理な復元、再建をしていないところが好印象です。
【お土産】なし
【朝食】復原町並みの茶屋でお抹茶を頂く。朝から食事が出来るところがなく、やっと10時に永平寺の門前「てらぐち」でお蕎麦。相当儲かっていそうなお店です。
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】深夜東京発にて賤ヶ岳SAで3時間仮眠し、福井市内で朝湯。一乗谷ではイベント(彼岸花まつり)の最中で駐車場は臨時を含め朝から満杯でした。普段は静かな谷も、お歴々の長い挨拶が大音量でスピーカーから流されていて賑やかでした。こちらはまだまだ発掘途中のようです。CM効果で来場者が急増しているそうです。お父さん犬は東京に出張中か?丸岡へ向かいます。
【柴犬のクウ】楽しく散歩ができたワン!

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hata

日本100名城 No,036 野武士のような貫禄ありです。 (2011/09/23 訪問)

■100城の38城目(初登城)【霞ヶ城】現存天守12城の4城目
☆二泊三日北陸城攻めの2城(一乗谷城→丸岡城→金沢城→七尾城→高岡城)
【移動手段】車:一乗谷城→大本山永平寺→越前竹人形の里→丸岡で約30km
【駐車場】一筆啓上茶屋前駐車場(無料) 
【スタンプ】天守内券売所(GOOD)
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 現存天守(現存最古)は威厳が有り、風格のある佇まいです。
【お土産】途中で竹グッズなど
【昼食】「一筆啓上茶屋」で福井県人セット・想像以上の美味!永平寺の蕎麦よりも美味しい!
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】今回の北陸城廻りのメインです。丸岡城は戦前に国宝に指定されたが、昭和23年の福井地震で倒壊。倒壊材料で再建され、現在天守は重要文化財に。桜の時期が良いようです。犬は入れません。一乗谷城○→大本山永平寺◎→越前竹人形の里○→丸岡城◎→その後、宿泊地の石川県白山へ。
【柴犬のクウ】茶屋から先は、入場禁止だワン!

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hata

日本100名城 No,035 石垣の復元が綺麗すぎて違和感あり。 (2011/09/24 訪問)

■100城の39城目(初登城)【尾山城】
☆二泊三日北陸城攻めの3城目(一乗谷城→丸岡城→金沢城→七尾城→高岡城)
【移動手段】車:宿泊地の白山から40km
【駐車場】NTT出羽町ビル駐車場(1回500円) 
【スタンプ】石川門入口案内所○
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 石川門から入城するが、あまりに綺麗に復元された河北門の石垣に違和感がありガッカリし、城内を散策する意欲がなくなりました。
期待が大きかっただけに、姫はお怒りモード。残念!あちこち工事中(復元、再建)どうなってしまうのでしょうか?
【お土産】いろいろ買いました
【昼食】兼六園内の「三芳庵」でお弁当
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】県立美術館内の「ル ミュゼ ドゥ アッシュ」のオリジナルスイーツ(2個)はとても美味。  
兼六園は人が多すぎて、風情も情緒も何も無し。姫はあまりの人の多さに人酔いする。人が少ない平日の再訪を誓う。
姫は加賀友禅がほしいようですが……。
宿泊地白山◎→県立歴史博物館◎→県立美術館○→兼六園△→金沢城公園△→県立伝統産業工芸館○→なぎさドライブウェイ○→和倉温泉
【柴犬のクウ】5時間待ったワン!

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昌官忠

北総線沿線日帰り攻城⑥:花輪城(ラスト) (2019/05/02 訪問)

松戸城➡松戸駅➡流山駅下車。そこから徒歩15分ちょっとで花輪城跡・琵琶首観音堂跡説明板前(35.867604、139.903216)に着きました。

花輪城は16世紀戦国期に松戸市小金の大谷口城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する城でした。花輪城は高城氏が滅亡した16世紀末には、その役割を終えたと考えられています。
築城年代は定かではないが、高城氏の家臣・平本主膳正定虎によって築かれたと云われる城です。定虎は高城氏の家臣田島時定の妹を室としていました。
現在は「花輪城址公園」として整備されており、遺構としては土橋のかかる空堀や土塁の痕跡が残されています。
また江戸時代中期に建てられた琵琶首観音堂の礎石や基壇が残っています(琵琶首観音像は流山市内の西栄寺に安置されています)。

流山鉄道とほぼ平行に走る大通り沿いにあります。
空堀と土橋が遺されていて、江戸時代にあった琵琶首観音堂跡がありました。
やや高台にあるこじんまりとした公園でした。
攻城時間は25分くらいでした。

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昌官忠

北総線沿線日帰り攻城⑤:松戸城 (2019/05/02 訪問)

相模台城から徒歩10分ちょっとで千葉大学園芸学部校門前(35.775935、139.898690)に着きました。
その後、戸定が丘歴史公園(35.778113、139.899336)に向かいました。

松戸城の築城年、築城者などは明らかではありませんが、15~16世紀に原氏や高城氏の支配下にあったことは間違いないようです。
長禄・寛正年間には古河公方足利成氏と堀越公方足利政知や関東管領上杉房顕が関東の各地で闘争を起こしていて、この時に古河方の下総千葉氏家臣原信濃入道とその子息原八郎は将軍足利義政の命令で幕府方の上杉氏と応じ、松渡城(松戸城)に入ったそうです。
その後、1538年(天文7年)の第一次国府台合戦では、北条氏綱・氏康軍が布陣したと考えられています。
小弓公方滅亡後は小金城の支城として使われましたが、1590年(天正18年)の「小田原の役」で小金城の開城とともに廃城になったと推測されています。
明治時代に入ってから、第15代将軍・徳川慶喜の舎弟で水戸徳川家第11代、徳川昭武(あきたけ)の別邸が置かれ、現在は「戸定が丘歴史公園」として整備されています。

こちらも急な高台なので、お城の雰囲気はあります。戸定邸を見るだけでも楽しめると思います
千葉大学校内には入れませんでしたが、戸定邸で藤まつりやっていました。
攻城時間30分くらいでした。

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小城小次郎

なかなか味わえないスケール感 (2020/12/12 訪問)

車で楽々上がれる山の上は広大な公園となっているがその全領域が茂木城。二郭からその全貌を見上げることができる巨大な主郭は切岸に守られ鉄壁そのもの。このスケール感を味わうだけでもこのお城を訪ねる価値はあると思う。

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よしくん

やっぱり凄い安土城 (2021/03/10 訪問)

さまざまな石垣の連続、規模に圧倒された一日でした。また、かっては琵琶湖に突き出た、湖に浮かぶ水城のように見えたというから、なんという美意識の持ち主か、凄い人であったかと驚嘆です。
下山途中にある三重塔、仁王門は虫に食われて、屋根には落ち葉がつもり、朽ちかけているようなのが気にかかりました。

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美作 三星城対岸の支城 林野(倉敷)城 (2021/03/07 訪問)

梶並川を挟んで、三星城の対岸の山上にある。一枚目の写真の想像復元図にあるように、梶並川側は、断崖。山は、三星城よりも少し高い。
左右の斜面は、切り立っているが、尾根上に並んだ郭は、わりと広い。登山道、城域とも良く維持、管理され、訪問して良かったと思える城だった。

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イオ

歴史の中心地 (2021/02/20 訪問)

(山麓編から続く)

巨石で築かれた黒金門からは主郭部です。伝長谷川邸に寄り道して織田信雄公四代供養塔に手をあわせてから二の丸へ。見事な野面積みの高石垣を眺めながら二の丸に上がると、羽柴秀吉が織田信長ゆかりの太刀や烏帽子、直垂などを埋葬したとされる織田信長公御廟があります。「麒麟がくる」を見終えて間もない頃だったので、感慨もひとしおです。
そして本丸へ。地面から見えている石列は本丸御殿の礎石でしょうか。本丸は天主台、本丸取付台、伝三の丸の石垣に囲まれ、東虎口や南虎口の先にもまだまだ曲輪は続いているようですが、見学できるのはここまで。本丸取付台から天守台に上がると、写真でよく見るあの礎石群が並ぶ光景が! ここにかの豪壮華麗な天主が建っていたかと思うと不思議な感覚です。今いるこの地がまさにあの時代の歴史の中心地なんですよね…。

主郭部を後にして摠見寺の本堂跡や三重塔、二王門を見学し、百々橋口…へは下りられないので、伝羽柴秀吉邸下段を経て登城口に戻り、100名城のスタンプを押して帰途につきました。

安土城といえば、100名城スタンプラリーを始めたばかりの頃のことが思い出されます。当時の私は「城=天守(櫓)」であり、天守や櫓などの建造物がない城は「城」でなく「城跡」という認識でしたので、歴史的意義を考えれば安土城が100名城に選ばれるのは至極当然だとは思うけど、あんな何も残っていない城跡に行ってもなぁ…と思っていました。この圧倒的な総石垣をつかまえて「何も残っていない」って…ねぇ(笑)

ともあれ、石垣にも心惹かれるようになった今の私には大満足の安土城でしたが、未整備で見学できないところもまだまだたくさんありますし、令和8年の築城450年に向けて滋賀県で「幻の安土城」復元プロジェクトが進められているようですので、今後の整備の進展を楽しみに待ちたいと思います。
 

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天守が眩しいけど (2021/03/09 訪問)

敢えて、堀や曲輪跡を見るバリエーションルートで歩く。

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー35城目 (2021/02/27 訪問)

高知県立歴史民俗資料館は4月28日まで休館ですので、山村民家にてスタンプを捺しました。休館中に実施されているスタンプラリーに喜び勇んで参加させて頂き、御城印を頂くことができました。

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昌官忠

北総線沿線日帰り攻城④:相模台城➡城びと未登録(千葉県千葉市) (2019/05/02 訪問)

葛西城➡青砥駅➡松戸駅下車。そこから徒歩5分で相模台公園登り口(35.781207、139.901423)に着きました。

相模台城は1241年(建長元年)房総三国守護で第六代執権となった北条長時が館を構えたことに始まるそうです。
その子久時、久時の子守時と続き、嘉暦年間に十五代執権で北条得宗家最後の執権となった北条相模守高時が入道して崇鑑と号し、この地に居住したため「相模台」と呼ばれるようになったそうです。
鎌倉陥落後、相模台城も陥ち、1359年(延文4年)、足利尊氏の家臣で下野出身の芳賀兵衛入道が在城したが、翌1360年(延文5年)には新田義徳に奪われ、その後和睦して一時廃城になったようです。
1538年(永禄7年)の第一次国府台合戦では、里見義堯らから北条氏綱・氏康父子の渡河中に攻撃することを進言されたが、足利義明はこれを聞かず、けっきょく相模台地で合戦となり、足利義明は討ち死に、小弓公方は滅亡します。
氏綱はその勢いのまま小弓城、真里谷城を攻略すると下総まで北条氏の勢力を広げることになりました。
その後は小金城の支配下となりますが、1590年(天正18年)の小田原の役まで城郭として取り立てられていたかどうかは定かではないようです。
現在、城址は相模台公園となっており周囲は宅地化が進み遺構はほぼ残っていません。
松戸市立相模台小学校や千葉地方法務局に土塁が一部残っていますが当時のものかは不明だそうです。

急に高台となっていてお城の雰囲気はありますが、遊具のある公園でした。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

北総線沿線日帰り攻城③:葛西城 (2019/05/02 訪問)

国府台城➡矢切駅➡青砥駅下車。そこから徒歩15分で御殿山公園(35.755143、139.854667)に着きました。

鎌倉時代に桓武平氏の流れをくむ葛西氏が城館として築いたという伝承もあるが、その詳細は不明だそうです。
確実なところでは、関東地方における享徳の乱において旧利根川筋をはさんで西側に上杉・幕府方、東側に古河公方の勢力が対峙する情勢のなか、15世紀中葉に関東管領家の上杉方の城として築城されたと考えられています。
下総国への重要な進出拠点として、扇谷上杉氏や北条氏によって争奪されました。
北条氏康が里見氏を攻略した国府台合戦の際には北条氏側の最前線として利用されました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐では戸田忠次らによって攻められ落城しています。
その後は廃城となりますが、徳川家康の関東入封後はここに「青戸御殿(葛西御殿)」と呼ばれる陣屋が建てられました。
この陣屋は3代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用されましたが、明暦の大火(明暦3年(1657年)頃)で焼失した江戸城再建の資材に利用するため破却されています。
現在は城址の中心部を南北に環七通りが横切っており、東西それぞれの城郭跡が「御殿山公園」「葛西城址公園」として整備されています。

葛西城址公園と御殿山公園とに分かれていますが、自分は御殿山公園のみ散策しました。
御殿山公園には、発掘の出土品の写真や青砥藤綱城址の城址碑がありました。
攻城時間は10分くらいでした。

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