JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の2目は白山城です。
日ノ出城から転戦。分岐点(35.699472、138.425631)から西へ進む細い道へ入り、白山神社入口の防獣ゲートを開けて中へ入り空スペース(35.699527、138.424516)に駐車しました。
白山城は甲斐武田氏の祖である武田信義によって築かれた城です。山麓にある武田信義館の詰の城として築かれました。
1186年(文治2年)に信義が死去すると、居館とともに一時廃城になったようです。
その後、武田氏が本拠を躑躅ヶ崎館に移すと、信義の次男・忠頼を祖として武田信長が再興した一条氏、武川衆の青木氏、山寺氏が城主となったとされます。
1582年(天正10年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏は滅亡します。
1582年(天正10年)6月、本能寺の変で織田信長が死去すると甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生し、甲斐では三河国の徳川家康が新府城を本陣に七里岩台上に布陣し、若神子城に本陣を置く北条氏直と対峙しました。
天正壬午の乱において武田遺臣の一部は徳川家康に臣従し、白山城には武川衆の青木氏・山寺氏が配置され、諏訪口の監視を行いました。
白山城は天正壬午の乱において修築されていると考えられています。
江戸時代初期の寛文年間(1661年-1673年)廃城となりました。
現在城址は国指定史跡として整備されており、馬出しや枡形虎口などの遺構を確認できます。南東山腹にある白山神社に登山道があります。
城址はコンパクトながら土塁・空堀があり遺構の状態は良いです。発達した虎口が目を引きます。
攻城時間は40分くらいでした。
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