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カズサン

謙信公の城へ初登城、実城編 (2014/04/19 訪問)

 山城攻めは建物、石垣の現存、復元を問わず優先して全国廻ってましたがいよいよ巡る城郭が乏しく成り謙信公で著名な山城を訪ねようと7年前ですが直前に信濃飯山城を訪ねた後に春日山城初登城しました、飯山城は若干湿った様な空模様でしたが妙高山を越えると雲は有りますが晴天、城探訪日和でした。

 駐車場:春日山神社下の駐車場を利用

 探訪ルート:春日山神社駐車場⇒車道を通って馬場跡茶屋⇒謙信公の銅像を拝む⇒春日山神社、同記念館⇒同裏手より千貫門跡⇒空堀⇒直江屋敷虎口⇒直江屋敷数段の曲輪⇒お花畑⇒毘沙門堂⇒諏訪堂跡、護摩堂跡⇒本丸帯曲輪⇒本丸、天守台、大井戸、残雪を被る妙高山遠望する⇒大手道から二の丸、天守台、本丸を見上げる⇒三の丸、景虎屋敷⇒米蔵、土塁観察⇒甘糟近江守屋敷⇒帰路車道より実城周りを見上げ竪堀を2筋確認⇒謙信公銅像下⇒馬場跡茶店で昼食⇒春日山神社下駐車場⇒林泉寺⇒監物堀、東城砦⇒ものがたり館

 所感:謙信公の大城郭を足の負担を考えてゆっくりと歩き実感させて貰いました、本丸実城からの眺めは素晴らしい、残雪を被った妙高山も素晴らしい、まだ廻って無い所も沢山ありますが取り敢えず大満足です、案内板も要所要所に有り読みながらゆっくり観察出来ました、林泉寺にも寄り謙信公の青年時代、第一義の額の有る山門、春日山城からの移築門である惣門、桜もまだ盛りで美しい、終わりに発掘調査復元した総構跡の監物堀、土塁、東城砦も合わせ探訪立派な復元です、ものがたり館により見学復習しました、大変充実した時間でした。

 写真投稿:本丸実城周辺編、二の丸三の丸曲輪編、登城口から直江屋敷編、林泉寺、監物堀編へと逐次投稿します。だらだらと申し訳ございませんがご容赦ください。

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るるパパ

大阪最北、秀吉に攻められた土の城がそのままに (2021/05/09 訪問)

大阪最北の能勢町、田んぼと里山が広がる大阪とは思えないのどかな地域です。少し離れた場所からホタテ貝を立てたように見えるのが丸山城。比高はわずか50メートルですが、本丸、二の丸、その下の曲輪と三段に整地されていて、その美しさ、当時のままの保存状態に驚かされます。本丸と下の曲輪高低差は5メートル以上。簡単には攻略できません。城の最北の狼煙台からは下を見ると20メートルはあります。堀切や竪堀もきれいに残っています。特にすごいのが本丸。幅30メートル、奥行50メートルが真っ平らです。どんな権力者がいたのか?実は能勢さんだそうです。光秀の配下となり山崎の戦いの後、秀吉軍に攻められ落城。各地を転々とした後、家康に召し抱えられ旧領を与えられました。徳川の世では大名、町の名前にまでなったそうです。戦国時代には何度も何度も戦いの舞台となりました。リアル戦国の城ゆえにこの作り、納得です。なお木がないと、城は横から見るとワッフルのような形(諏訪原城をかなり小さくした舌状台地風)。城の東側の駐車場からはワッフルの背中から登る感じでかなり急です。南側に民家がありその横から西側に回ると大手門跡と大手道があります!こっちのほうが、道路から遠いこともあって、当時の雰囲気を味わえます。なお、石垣や、入り組んだ虎口はありません。土だけです。だからこそ、リアリティーを感じます。行ってみて損はないですよ!それにしても、都会のすぐ近くにこんなに素晴らしい城があるとは思いませんでした。

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にのまる

【武将の像クイズ】

御年500歳

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ぴーかる

若江城/木村重成・山口重信公墓所 (2021/05/09 訪問)

【若江城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾1城目。先日のGWの郊外の山城ハイキングコースでの密を反省し、非接触のバイク旅を実施しました。
 若江城は1382年河内守護となった畠山基国が北朝方の拠点として築城し、守護代の遊佐氏が城代を務めた。戦国末期には三好義継→池田氏と城主が変わり、織田信長軍の猛攻を受けるなどして度々激戦の拠点の城となっている。また足利義昭が信長に京都を追われて入城した城でもある。1583年に大坂城築城に伴い石垣・建物等を持って行き廃城されたとされる。
 若江公民分館から小学校にかけてが城域らしく、公民館にある説明板によると1972年の発掘調査で2重の堀、土塁、瓦片が発掘されたとあります。説明板の発掘写真の場所が説明板のある場所という感じがして、瓦片が大量に写っているので若江城の建物は瓦葺きだったことが分かります。現在残る遺構はありません。公民分館から道路を挟んで南側に城跡碑があります。
 調べなければ気づかなかったのですが、先達のイオさんの投稿が有難く、近くの木村重成・山口重信墓所にも寄りました。木村重成公墓所は幸第一公園内、山口重信公墓所は川を挟んで北側の墓地内にあります。

<満足度>◆◇◇

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たら吉

頂上からの眺め

前日までの雨のせいで結構登るの大変でした💦でも頂上からの眺めは👍

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織田晃司

岩槻城址公園 (2021/05/03 訪問)

岩槻城本丸は住宅地となって、岩槻城公園には岩槻城城門(黒門)、裏門、鍛冶曲輪、堀底、藪化した馬出が残る。

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織田晃司

マスオさん (2021/05/03 訪問)

増尾城址公園に堀切、曲輪、櫓台が残る。

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織田晃司

印旛沼公園 (2021/05/03 訪問)

師戸城跡を印旛沼公園としていて遺構は少ないかと思えば…
空堀や曲輪を利用して公園を作っており、城跡としても楽しめました。

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織田晃司

本佐倉城 (2021/05/03 訪問)

駐車場からすぐに本佐倉城に着きますが、駐車場までの道は狭く、対向車が来ると離合が難しい。

一昨年の台風や大雨でセッテイ付近は倒木があり危険です。
危ないと思えば無理せず引き返しましょう。

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ミッピのパパ

石垣の上は危険です。 (2021/04/21 訪問)

今回で3度目の松阪城。蒲生氏郷が築城した見事な石垣の良さを改めて感じた。

かつては塀があったと思われる高い石垣の上の場所は、自由に登れるも、幅が
狭く柵も何もないので足がすくみ、一歩間違えれば転落の危険がありスリル満点。

城下は松阪牛に代表されるグルメと商人の歴史が点在。

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織田晃司

なんちゃって (2021/05/02 訪問)

天守と櫓。
本来の豊田城はここより南東の小貝川のそばになります。

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織田晃司

土塁の城 (2021/05/02 訪問)

土塁、堀、虎口、馬出とほとんど兼ね備えた土の城です。

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織田晃司

中世の城 (2021/05/02 訪問)

復元考証をしっかりとして復元された二重櫓や井楼矢倉。
16:30以降は建物は閉鎖しますが公園自体は解放してあるので外観散策はできます。でも主殿は見る事はできません。

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Yosihiko

天守閣無し (2021/05/08 訪問)

攻城址🏯6城、攻城址2

行って見ましたけど、う~ん。
御城印は、売ってましたけど
城無しの場所は、集めるの辞めました。

金魚で有名な町みたいでした。
数台の無料駐車場も有りました。

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織田晃司

関宿城の本丸は… (2021/05/02 訪問)

模擬天守より土手沿いを進んだ場所になります。

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織田晃司

古河公方公園 (2021/05/02 訪問)

公園内に土塁が静かに佇んでおります。

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織田晃司

古河城 (2021/05/02 訪問)

河川改修の為消滅したと聞きました。
獅子ヶ崎土塁と古河城乾門が残る。

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T-Shionoya

偶然立ち寄った居館跡に驚愕の土塁 (2021/04/24 訪問)

龍岡城五稜郭の移築門が野沢成田山薬師寺にあるとのことで行くと、隣にあったのが伴野城。
何もなければスルーする居館の遺構でしたが、あまりにも立派な土塁があったため、お城巡りの104城目として2周ほど回ってきました。

佐久盆地の中央からやや南、千曲川の西岸の平地に位置する伴野城。
鎌倉時代に伴野荘の地頭となった伴野時長が築いたとされる、戦国初期に山側の前山城へ本拠を移すまでの伴野氏の居館。
居館部を中心に曲輪を増築した野沢城時代を経て、廃城後も江戸期に年貢米の貯蔵所などとして利用されたようです。

現在は、約100m四方の嘗ての居館部が公園になっており、南東部以外は高さ3m以上あるような土塁で囲まれてました。
この大きな土塁が商店街の裏にあるからインパクトも強烈。
大伴神社が祀られている土塁の南西隅には櫓があったようで、四方を囲む水路も水堀の名残がありました。

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織田晃司

♪そうさ100%結城 (2021/05/02 訪問)

名門結城氏の城跡としては残念ながら遺構があまりにも少ない。

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城好きのメガネ

「由良台場」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★★★
由良台場は、高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎が総指揮を行い築城した。鳥取藩は関ヶ原の戦い後、池田恒興の三男、長吉が6万石で立藩する。幕末には12代藩主・池田慶徳が徳川家15代将軍・徳川慶喜の実兄であったこともあり、佐幕・尊王の微妙な立場であった。藩内での対立が激しくなるも、鳥羽伏見の戦いでは新政府軍に味方した。現在、東西125m、南北80m、土塁の高さ5mの土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR由良駅 徒歩20分

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