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ヒロケン

堅固な山城 (2021/03/27 訪問)

大桑城は濃尾平野の北端・山県市古城山(407.5m)の山頂一帯にあった、守護大名土岐氏の山城です。土岐氏は室町時代から戦国時代にかけて200余年にわたり美濃を中心に権力を誇っており、戦国時代には美濃一国の守護を務めていました。
美濃国守護・土岐氏の政治拠点として大桑城は栄えましたが、家臣である斎藤道三との間で大規模な戦いがあり、大桑城は落城し守護土岐氏は敗れ去ったと伝わっています。

登山口は南麓の古城山登山口と東側中腹のはじかみ林道登山口の2か所があり、古城山登山口から山頂(主郭部)までは2.1kmで60~90分程かかります。はじかみ林道登山口からは、750mで20~30分程かかります。共に駐車場・トイレも完備されています。
遺構としては、北側に斜面を削って平らに構成された曲輪が90余分布、堀切や竪堀がいくつも設けられ、城域の至る所に石垣も確認でき、切井戸も残されています。(3月27日現在、城域の中央付近に位置している、曲輪群は立ち入り禁止となっています。)

自分は、はじかみ林道登山口から登城し、切井戸→馬場跡→番所跡→主郭部の順で見学し、各部途中に点在している石垣・堀切・竪堀を確認しました。登城していただければ分かりますが、規模も大きく急峻であることで、大桑城は堅固な守りを誇る山城であることが分かります。

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前ちゃん

18切符の旅 (2021/04/06 訪問)

18切符の旅

新大阪ー新山口(新幹線)まで飛び、山口、津和野に立ち寄り、益田で一泊。翌朝この浜田城に寄り、昼過ぎ早々に帰路に。

町の歴史に詳しくないが、あちこちに教会的な史跡が目立ってた気がする

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朝田 辰兵衛

俎板平城(新潟県魚沼市) (2021/04/10 訪問)

【まないたびら じょう】標高:239m,比高:155m。別名を根小屋城。まだ,30~70㎝ぐらいの残雪があります。3回ほど「ズボッ」とハマッてしまいましたが,雪の上を歩いて登城。標柱類は雪対策で抜かれていました。井戸も雪の下で見ることができませんでした。しかし,この時期の山城の空気感はたまらなくイイです。絶景もひとりじめできてサイコーです。通常だと登城には約30分の徒歩ですが,ちょうど倍の時間を要しました。完全に雪が消えるまで,あと2週間程度かかると思います。
登城口は永林寺。直進して関越自動車道下をくぐって右に進むルートと,関越自動車道手前を右に進みちょっと先から関越自動車道下をくぐって直進するルートがあります。私は前者で登り,後者で下山しました。

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赤い城

武田と徳川が奪い合った城 (2021/04/03 訪問)

続100スタンプを掛川駅でゲットしたあと向かいました。
搦手側の駐車場から登ります。
結構急だけどちゃんと整備されています。
途中三日月井戸を過ぎ、的場曲輪から大河内政局石窟を見て主郭に向かいました。
本丸には土塁もあり、さらに三の丸、追手門跡まで。
引き返し西峰へ。
こちらが遺構は素敵。
堀切に横堀、竪堀も。
西の丸の高天神社をさらに進むと馬場曲輪があり、その先に見どころの一つ、犬戻り猿戻りが。
ここを馬で駆けるとは凄い!
元々は今川氏が築いたが武田と徳川が奪い合った激しい攻防の舞台となりました。

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だめなこ

2回目の岐阜城🏯\('ω')/✨ (2021/04/10 訪問)

初めてゎまだコロナの前で
一昨年の秋ぐらいだったから
ホントに久しぶりの岐阜城ο
今回ゎ 信長四城のスタンプをGETしに・・・だけど
最近ゆるゆると登山を始めたから
下から登って行った\('ω')/

ホントゎ馬の背登山道ってとこから
登ってみたかったけど
気付かないでチガウとこから・・・で
馬の背から下山ο
滑って転げ落ちなくてヨカッタw

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ミッピのパパ

番外編 (2021/04/10 訪問)

今日2021年4月10日から7月11日まで名古屋 栄(なごや さかえ)の ど真ん中に、名古屋城 金のシャチホコが降臨。
たまたま、栄に用事があったので、さっそく見学。金シャチのお触りと、写真撮影ができて入場料¥500なり。
この期間で、金シャチを降臨させた諸費用は十分ペイできると思う。尾張名古屋の商魂はすごい。

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風化しつつある花崗岩の急斜面 (2021/04/04 訪問)

岡山市北側の南北に伸びる花崗岩の山体。南北に伸びる尾根は比較的広く平坦なので、どこからでも登ってしまえば横移動は容易。花崗岩の風化が進み、斜面は急で滑り易い。今回は、西側の変電所裏から登った。
尾根は散策道になっており、手作りの標識がたくさん設置されている。北に進み、まず、二ノ丸入口の土橋がある。土橋の向こうの切り岸が高い。二ノ丸には、巨石が露出。2017年11月に登頂されたtodo94さんの写真と見比べると、その後に山火事があったよう。幸い焼けているのは二ノ丸周辺だけ。説明板は枠だけが倒れて残っている。
本丸は、二ノ丸から痩せ尾根を少し降りる。痩せ尾根の道の下を覗き込むと、オーバーハングしていた。本丸の廻りは絶壁。北側は、採石場になっている。本丸の南側、北側に石垣があった。
西側から、見るとなだらかに見える山体だが(4枚目写真)、北から本丸を見るとそそりたっている(5枚目写真)。山から降りて、麓の村を歩くと花崗岩がふんだんに使われていた。まだ、4月上旬なのに、三つ葉つつじが満開であった。

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昌官忠

栄町立栄中学校&駒形神社:大台城 (2021/04/10 訪問)

栄町立栄中学校&駒形神社付近の大台城に行って来ました。
安食駅より徒歩16~17分くらいで、栄町立栄中学校校門前(35.845578、140.237273)に着きました。

山室氏の客将として小池城に在った井田友胤は、1548年(天文17年)に大台城を築き一族とともに移住したそうです。
1555年(弘治元年)山室氏を後ろ盾として坂田城を急襲し、千葉氏の重臣三谷胤興を討ち取り、三谷氏旧領の坂田郷を乗っ取りました。
1574年(天正2年)敵襲によって落城しました。

「城びと」では土塁、横堀の遺構ありとなっているので、栄町立栄中学校と駒形神社付近を見て回りましたが、赤い城さんの口コミ通り、遺構は見つけられませんが、雰囲気はありますね。
駒形神社に簡易トイレあります。
攻城時間は15分くらいでした。

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マー君

神居場所

神聖な場所です。

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マー君

帯広の近くのシャチ

帯広ばんえい競馬近くの城址

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マー君

松本城

やっと氷が溶けて❗️

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淳盛甲斐守

舞鶴城 (2013/10/12 訪問)

地元では舞鶴城という通り名が普通でした。お花見によく利用したものです。稲荷櫓が再建されていてびっくりしたものです。

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todo94

春日神社 (2021/03/27 訪問)

春日神社から登城してみましたが、城を示す表示は何もありませんでした。山頂の三角点は確認することができました。

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淳盛甲斐守

地元の神社 (2012/08/16 訪問)

甲府の人は初詣、お宮参り、七五三と良く利用します。昔は城として意識しませんでしたが今では武田信玄の館跡として観光客も一杯です。桜の季節は神社から武田通りを見下ろすと桜のトンネルです。

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難攻不落 (2020/04/09 訪問)

こんな高所に、こんな現存の天守や石垣…
馳せ忍ぶと、当時の人達の匠に驚嘆。
いろいろ城を巡ったが、難攻不落の城とは、まさに、この城だろう。
断崖の上に石垣を積み、断崖の上に天守や櫓。
そして、土塀がこんなに多くある城は初めてだった。
重要文化財は、天守と二重櫓と土塀。
臥牛山の八合目、ふいご峠までは車、またはシャトルバスで行ける。
残りは20分くらい自力で登る事になる。
まず、誰もが驚くだろう遺構は大手門の断崖の上に積まれた石垣群。
自然と人工物との融合。
二の丸から眺める下界は最高。
味のある天守に二重櫓。
大松山城までは、かなりの体力を要する為、無理はしない事だ。大堀切は圧巻なので、それだけ見に行くのも良い。
城主の、さんじゅーろーは、気まぐれだが、本丸か二の丸によく居るらしい。
そして、気付いたことは、至る所に瓦が落ちている。そして、先ほども述べたが、土塀が他の城に比べて圧倒的に多い。
政務を行う尾根小屋は、高梁高校の敷地になっている。野面積みの石垣に囲まれた高梁高校の生徒が羨ましい。武家屋敷駐車場に停めて、歩くのが良いだろう。
分からない事は高梁市観光協会にTELすると良い。とても親切だ。
注意事項としては、ふいご峠で水分を買っておく事。それより上には自販機は無い。
大松山城に行くには、トレッキングシューズが好ましい。
ちなみに、スタンプも御城印も本丸入り口券売所にあります。クリアファイル 等も販売している。
しんどい思いをしてでも、行く価値が十分にある城だ。

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にのまる

多摩の山城一気攻めの③ (2021/03/17 訪問)

 朝、自宅を出るときには、一日に山城3城はキツイかもしれないから駅近のここは出直すことになってもいいやと思っていたのですが、檜原城、戸倉城をまわっても時間の余裕があったので行ってみました。
 三内神社に行くためだけにあると思われる踏切を渡って鳥居をくぐった先の階段を登ると拝殿です。ここが目的地であればバンザイなのですが(本音)スタート地点なので、主郭だったと思われる天竺山を目指します。天竺山には奥宮があるということなので無理な登山ではないだろうと思ったものの、どのような道をどのくらい歩けば到着するのかわからないまま進むのはドキドキします。
 藪や倒木でもあれば引き返す言い訳に出来たのですがそこまでの山道ではないので導かれるままに登っていくと、いかにも参道といった雰囲気の長い階段に出ました。崩れかけているようにも見えますが案外大丈夫そうだったので登ります。この日最後のゴールへの道。視線の先に青空も見えてきて脳内BGMはZARDの負けないで♪一択。
 着いてみればあっという間(麓から15分程度)で、先の2城より低い標高310メートル(比高100メートル)。城跡としては解明されていないようでそれを示すものはありません。立地や時代背景、登った感覚や目に焼きつけた景色からいつの日か自分で考察(妄想)できればいいのですが…。
 下りは「石段注意!まわり道」の案内もありましたが、まわり道の方がどこに出るのかわからず怖かったので石段から下りました。
 この日の歩数計の記録は、一日の総歩数と歩行距離は大したことなかったですが、161階分上ったという数字を見てフフフ( *´艸`)ってなりました。3城の比高を足すと500メートルです。
 3城とも狼煙台か物見台か櫓台か…という感じのする山城で歴史の表舞台にはあまり出てこないのかもしれませんが、景色もよくて緑の中でいい運動にもなりました。日常のあれこれから離れてリフレッシュできてよかったです。何百年も前に堀を切ったり土を盛ったりして築いてくださった見知らぬ方々に感謝ですm(._.)m



あきるじょうは、あではじまりるでおわるのでしりとりにはつかえそうにありません。

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赤い城

やっぱり玉石垣 (2021/04/03 訪問)

高天神城攻略のための拠点の城。
駐車場もあります。
天竜川から運ばれた河原石の石垣が特徴的です。
玉石垣は本丸の南側にありよく復元されています。
北の丸はマレットゴルフ?場でお年寄りの憩いの場になっていました。
申し訳なさそうに横切って松尾山へ。
戦国期には本丸だったとされています。
松尾山の外側には深い堀がありますが立入禁止となっていました。
家康の命を受けた大須賀康高が改修し、平時の政庁となった城で幕末まで存続していました。

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昌官忠

ちょっとそこまで2城巡り②:城ノ台城 (2021/04/09 訪問)

ちょっとそこまで2城巡り2城目は城ノ台城です。
西船橋駅より徒歩16~17分くらいで多聞寺門前(35.713807、139.949053)に着きました。

城ノ台城は天文年間(1532~1555年)に、北条氏康が里見氏への備えとして築かれたようです。
しかし、当城に関する文献資料等はなく、発掘調査でも城館の存在を裏付ける遺物は発見されなかったそうです。
ただ現地には土塁、虎口、櫓台状の地形などが見られるため、「城ノ台城」の存在については今も結論が出されていないそうです。 

多聞寺北の高台が城跡のようですが、遺構はないようです。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

ちょっとそこまで2城巡り①:長島高城 (2021/04/09 訪問)

ちょっとそこまで2城巡り1城目は長島高城です。
浦安駅より徒歩15~16分くらいで、清光寺門前(35.668242、139.882346)に着き、その後、長島之碑を確認する為、香取神社鳥居前(35.667778、139.880679)に向かいました。

小田原北条氏が関東一円を支配していた時代の記録「小田原衆所領約帳」には江戸川区内十六の郷村名が登場とし、その中に「長島高城」という記載があるそうです。
1749年(寛延2年)青山某の書いた「葛飾記」に「此所は昔、長島殿と申す城主の城下の湊のよし」と記述されていることから、これが「長島高城」とよばれた中世の館の存在をうかがわせる発端になったそうです。
長島高城が館とすれば、現在の清光寺の境域にあったのではないかと考えられています。
浄土宗寺院の清光寺は、一向山無量院と号し、徳誉法印が1502年(文亀2年)に開山したといいます。

香取神社の周りは神社がたくさんありました。香取神社付近が葛西蓮根栽培の中心地だそうです。
「長島之碑」は香取神社の境内にあって、旧町名の長島町の由来や当地に館があったと伝えられている事が記されています。
攻城時間は20分くらいでした。

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カズサン

【三河川尻城】愛知県新城市 奥平氏初の作手築城 (2021/03/26 訪問)

 古宮城を終えて作手歴史民俗資料館に寄り情報と資料を得る、持参の弁当を資料館駐車場車中で食べ密と接触を控える。
 川尻城住所:愛知県新城市作手高里字城山、城山公園と成ってる。
 駐車場:川尻城の裾道を通って東に広場兼駐車場非舗装、余裕の有る広さ。
 案内:古宮城から北に約1km、国道301号線を高里駐在所手前の小川を渡って直ぐの細い道を右折東へ、細いので判りづらく行き過ぎるかも?入ると食事処が有り裾道を駐車場へ、斜め上の道は本曲輪までの細い道軽なら可能かも? 駐車場に車を置き歩いて探訪も良いかも。
 探訪ルート:登城路は斜め上の道を登って行く、駐車場側からも登城路が有り途中で合流します、本曲輪下枡形に冠木門、柵列、案内板が有る、登り切って本曲輪、本曲輪の櫓台か?物見台か?上に忠魂碑が在ります、本曲輪は結構広く、東屋、トイレ、北奥に土塁、周囲にも在ったような痕跡、北土塁下に2曲輪、その下に尾根上の上に3曲輪北西側に土塁が連なってる、引き返して本丸下冠木門へ。
 歴史:奥平氏は播磨赤松氏の流れ上野甘楽郡奥平郷より天授年間(1375~80年)川手領主山崎氏を頼って作手に移り最初に川尻城を築城その後手狭に成り亀山城を築城し移る、作手初代貞俊応永31年1424年の事。(作手歴史民俗資料館入手奥平氏年譜抜粋)

 2回目の登城、こじんまりした歩きやすい城跡です自然公園として忠魂慰霊の地として静かな環境でゆっくり出来ます。メジャーな城郭では有りませんが古宮城、亀山城とセットで車で来れます。

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