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刑部

SSの裏山にある城址 (2021/07/23 訪問)

ガソリンスタンドの横の道を上り裏山が城址です。案内板の前に車を止めて土橋を渡り主郭部へ! 虫除けを携帯して歩きました。

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六神合体

あ、結構広いね (2021/07/18 訪問)

二条城から二条古城へ行ったのは失敗だと思いました。
駅からだと二条古城→二条城に行くほうが近いのですね。

二条古城、石碑は国際マンガミュージアムの入り口付近にあります。
近くに発掘現場もあるのですが、立ち入り禁止です。

ここからさらに西の京都御苑の東端に石垣(石くら)がありますね。
この石垣は積みなおしされたものだそうですが、場所は同じだとすれば・・・・
マンガミュージアムから結構な距離があるのでどんだけでかいんだ?となります。

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六神合体

御城印、この扱いですか? (2021/07/18 訪問)

本格的な夏到来。
京都駅前から金閣寺まで「徒歩」で行きつつそこまでにある史跡を堪能するという無茶な京都巡りを実行に移したわけです。

というわけで二条城ですが、東本願寺を経由して駅から50分。
二条城前にバイク駐輪場があったことをこの時知ってショックを受けました。

しっかしほんと綺麗な石垣と真四角の縄張り。
豪華な装飾と二条城大変見ごたえのある城でした。

で、売店で御城印を買ったわけですが・・・

「御城印提示でスナックコーナー10%値引き」って・・・・

しかもそのまんま裸で御城印渡されたわけですが・・・・

あれ?これ割引券?

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ふゆづき

土の要塞 (2021/07/22 訪問)

売店の方の話では、16日まで閉鎖されていたということでしたが、この連休から入城は再開されています。
石垣山城からは車で約40から50分くらい(箱根新道経由)の場所、現在の国道一号線を少し離れた旧道沿いにあります。
売店前と城址公園の入り口には駐車場がありますが、大凡20台程度が駐車可能というところだと思います。

豪雨のため、二の丸付近の周遊道が一部閉鎖されていますし、二の丸周囲の障子堀の一部が崩落しているところはありますが、写真のとおり一部の堀は見学可能な状態になっていますし、虎口も綺麗にのこされています。。
また、二の丸の周遊道から富士山方面の展望がよく開けています。
このような箱根の山の中に、旧東海道を扼することを目的として築かれた土の要塞ですが、落城が早かったためか、よく遺構が残っているように思いました。

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イシテル

【お城川柳】 (2021/07/25 訪問)

妻娘cafe ひとり登城 世界遺産

家族の買物で姫路まで運転。
妻と娘が買物とcafeランチの間での城廻り。
4連休の最終日にしては観光客が少なく、待ち時間無しで天守閣へ入れました。

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天守閣復活 (2021/07/24 訪問)

 天守閣の復旧工事が完了し、特別公開(第3弾)が2021年6月28日から始まっていましたので、震災後初めて登城しました。天守閣内部に入ることができます。ただ、全体としては立ち入り禁止区域が、まだまだあります。
中学生のときに初めて来ました。石垣に魅了され、その後、機会があれば来ていました。熊本地震後は来ていなかったのですが崩れた石垣を見たくなかったということでしょう。やはり崩れた石垣を見ると悲しくなります。宇土櫓下の石垣が崩れなかったのは幸いでした。ただ宇土櫓は地震によって付属する続櫓が倒壊し、石垣に崩落や膨らみが生じているとのことで石垣も含め修理が必要とのことで検討されています。多くの場所で復旧作業が続けられていて、すべて完了するのは2037年とのことです。
今回復旧された天守閣は地震に備えて最新技術と伝統技法を融合させて再建されたとのことです。訪れた方々の多くは復旧した天守閣を見て「やっぱり、すごいね」などと声をあげていました。せっかくなら木造でゆっくり再建すればいいのに、とも思いましたが熊本の方にとっては天守閣は特別な存在なのでしょう。新型コロナウィルス感染症で閉塞感のある今日この頃、熊本城天守閣の元気な姿が多くの方に力を与えてくれているのかもしれませんね。

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亀井駅 (2021/07/23 訪問)

 熊本電鉄菊池線「亀井駅」から徒歩5分弱のところにある光照寺付近が城址です。「亀井城跡石垣」の石柱はありますが、見るためには民家の敷地内に入らなければならず断念しました。

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新須屋駅より (2021/07/23 訪問)

 熊本電鉄菊池線「新須屋駅」から徒歩1~2分の場所に案内板があります。

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刑部

インター近くの城址 (2021/07/23 訪問)

未だ、誰の投稿もないので下調べをしてから行きました。宇那禰神社前に駐車スペースがあります。堀切が道路になっていてので神社の入口までかなり狭いです。神社の反対側に城址の標柱がありそこから登ると主郭部のようです、でも今は畑になってます。

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小城小次郎

普通の山城にはない迫力と威厳に満ちている (2021/05/03 訪問)

比高400mを超える登りの苦しみも、山上の曲輪群の素晴らしさを見ればすべてが吹っ飛ぶことだろう。この城に籠ってさえいれば無類の強さを発揮したスーパー国人草苅氏の歴史とともに、このお城のことはもっと大きく語られてよい。

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徳渕の津 (2021/07/23 訪問)

 本丸跡に案内板があります。シルバーワークプラザ八代古城館で二の丸の石垣の一部を見ることができるようですが、土日祝日は閉館されていて見ていません。

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日奈久温泉駅より (2021/07/23 訪問)

 肥薩オレンジ鉄道「日奈久温泉駅」より徒歩約15分、墓地の横に「田川内城跡」の標識が立っています。主郭には「日奈久稲荷神社」の小社があると「城郭放浪記」さんのHPに記載してあったので、そのまま上まで行こうとしましたが藪で道もわからず、近くまでは行ったと思っていますが途中で断念しました。付近には曲輪らしい削平地を認めましたが遺構かどうかわかりません。

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天下泰平国土安穏 (2021/07/23 訪問)

 肥薩オレンジ鉄道「佐敷駅」を下りると正面の山の山頂に石垣を見ることができます。周囲に木もなく夏でもよく見えました。近くまで車で行けるのですが、自分は徒歩に登城しました。「しろやまスカイドーム」の反対側にあるテニスコートの裏に登城口があります。道は整備されていて佐敷駅から歩いても20分くらいで上の案内板のある所まで行くことができました。
以前より行きたいと思っていた城址ですが、総石垣の城は予想よりはるかに見ごたえがありました。よく整備されていて夏でも堪能することができます。

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城山公園 (2021/07/23 訪問)

城山公園となっています。グランドに石垣を見ることができます。主郭下には古井戸があります。

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー39城目 (2021/07/10 訪問)

雨の中の攻城でした。無料の大宝館の展示ばかりでなく、初めて藤沢周平記念館にも入館して参りました。想像通り、「蝉しぐれ」の展示ががっつりとありました。藤沢周平の存在なくしてこの城が続100名城に選定されることはなかっただろうと思っていますので、城内に記念館があるのは当然のことのように思います。雨の降りが激しくなってきたので、藩校・致道館にて暫し雨宿りをさせて頂きました。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目:江尻城 (2021/07/02 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の16城目は江尻城(6日目のラスト)です。
渋川館から転戦。魚町自治会館駐車場(35.020286、138.480781)に駐車し、説明板を確認した後、魚町稲荷神社(35.019970、138.480894)に向かいました。

江尻城は1570年(永禄13年)、駿河に侵攻した武田信玄によって築かれた城です。
馬場美濃守信房が縄張りをおこない、山県三郎右兵衛尉昌景が城主をつとめました。
1575年(天正3年)の「長篠の戦い」で昌景が討死にすると穴山梅雪が城主となり、駿河国の拠点として大改修されました。
信君は織田・徳川氏に内通し、1582年(天正10年)2月の織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際しては城を開城し、降伏しています。
武田氏滅亡後は徳川氏の勢力下になり、徳川氏の庇護を受けた穴山勝千代(信治)が城代となるが、勝千代の夭折により1601年(慶長6年)に廃城になったようです。

現在城址には静岡市立清水江尻小学校があり遺構は残っていませんが、校内に石碑(石碑は見ていません)と説明板が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。

6日目の攻城徒歩数=16382歩、攻城徒歩距離=12.77Kmでした。(本日の攻城も雨に祟られました)

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目:城びと未登録(静岡県静岡市)渋川館 (2021/07/02 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の15城目は渋川館です。
北脇城から転戦。説明板前(35.021942、138.468870)に路駐しました。

鎌倉御家人で入江一族の渋川権守遠兼より始まる渋川氏の館と伝えられます。
「曽我物語」・「吾妻鏡」に散見される渋川中務丞兼貞・渋川孫次郎朝貞がおり、朝貞は梶原討伐で活躍しました。
南北朝時代には入江左衛門尉春倫が渋川氏の後に居住したとも伝えられます。

説明板の写真を撮って撤収です。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目:城びと未登録(静岡県静岡市)北脇城 (2021/07/02 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の14城目は北脇城です。
吉川氏館から転戦。西照寺入口(35.019896、138.462013)と白髭神社入口(35.020281、138.464738)に駐車し、写真を撮って撤収しました。
今川氏の部将北脇喜十郎光定の居城であったが、1568年(永禄11年)武田信玄の駿河国侵攻により高橋城とともに落城したとされます。

白髭神社から西脇寺一帯に北脇城があったとされますが遺構は残っていないようです。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目:城びと未登録(静岡県静岡市)吉川氏館 (2021/07/02 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の13城目は吉川氏館です。
久能山城から転戦。説明板前(35.021110、138.460178)に路駐しました。

戦国時代、安芸毛利氏の有力国人衆として活躍した吉川氏の出自は駿河豪族の入江氏とされ、1183年(寿永2年)頃、初代吉川経義がこの地に所領を与えられ館を構えたとされます。
鎌倉幕府を開幕した源頼朝の死後、幕府御家人達の政争が勃発。当主吉川小次郎友兼は京に向かう梶原景茂を討ち取るが、自らも交戦時の傷により没しています。
友兼の子朝経は亡父の戦功により播磨国福井庄に領地を与えられ、1221年(承久三年)の承久の乱では宇治橋合戦の活躍により安芸国大朝本荘の地を与えられるなど、吉川氏はその名声を高めていった。
のちも吉川氏はこの地より播磨・安芸の領地を支配するが、1313年(正和2年)五代吉川経高のときこの地より大朝庄に移住したようです。
この家系が後に毛利元就の次男吉川元春を養子に迎え、江戸時代周防国岩国3万石の領主となりました。

説明板の写真を撮って撤収です。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目:久能山城 (2021/07/02 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の12城目は久能山城です。
八幡山城から転戦。久能山参道付近の富久屋土産店駐車場(34.960097、138.468218)に駐車しました。

久能山城は、1568年(永禄11年)武田信玄は久能山にあった久能寺を移転させて跡地に久能山城を築き、板垣信安が城主でした。
1572年(元亀3年)板垣信安が田中城へ移動すると、今福浄閑斎・昌和父子が守将となります。
1582年(天正10年)徳川家康が駿河へと侵攻して江尻城主穴山信君が徳川氏に降ると、今福昌和も開城して甲斐へと去り、1583年(天正11年)には家康の家臣松平松平康俊が在番しました。
1586年(天正14年)松平康俊が病没。養子・松平勝政が家督を相続します。
1586年(天正14年)家康が秀吉の要請に応じ、徳川家が豊臣家に臣従します。
1590年(天正18年)小田原征伐の論功行賞で徳川家が関東に移封、中村一氏の所領となり松下吉綱が城主になります。
1600年(慶長5年)中村一氏が関ヶ原の戦いの直前に病死。死の前に家康への味方を約しており、嫡男・中村一忠は東軍へ参陣します。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの論功行賞において、中村一忠が伯耆米子城へ移封。久能城は大久保忠政が城主になります。
1607年(慶長12年)徳川家康の要請を受け榊原清政が久能城の城主になります。
1607年(慶長12年)榊原清政が病没。三男・榊原照久が家督を相続します。
1616年(元和2年)徳川家康が死去。家康の遺言により愛宕曲輪に埋葬され、久能城は廃城となり久能山東照宮が造営されました。

ロープウェイ休止中。付近のお店は全て閉まっていました。(お土産を買う予定でしたのでガッカリ、強雨&ロープウェイ休止なら来るお客さんもいないので閉まっていて当然ですね)
強雨の中、石段を登る根性なし。参道入口付近で引き返しました。
攻城時間は15分くらいでした。

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