多古城から転戦。車で2~3分くらいで着きました。
多古第一小学校裏門前(35.734784、140.466338)から校内に入り石垣前に駐車して攻城しました。
攻城当日は学校で運動会?をやっていたので校内に駐車できましたが、通常は閉門していると思いますので、近所の多古町役場の駐車場を利用することをお薦めします。
1590年(天正18年)徳川家康の関東入封に従い、信濃国(長野県)高遠城主保科正直(まさなお)が下総国多胡(千葉県香取郡多古町)1万石を与えられ、1600年(慶長5年)関ヶ原の合戦の勝利により徳川家臣の旧領が復活し、子の正光(まさみつ。飯野藩主正貞の兄。会津藩主保科正之の養父)が高遠2万5千石で元の封地に戻るまでの約10年間保科家が統治しました。
江戸時代は1635年(寛永12年)駿河国の旗本久松(松平)勝義が8千石の領主となり、1713年(正徳3年)松平勝以が1万2千石の大名となって多古藩を立藩し、藩丁を陣屋に置きました。
以降明治4年の廃藩までの230年余りの間、久松松平家が藩主でした。
廃藩置県で多古県庁舎になり、多古県廃止後の明治6年に競売にかけられ、明治8年に御殿は多古学校に当てられ、多古小学校に引き継がれました。
昭和8年製作の多古町鳥瞰図の小学校(陣屋跡)の隣に久松子爵邸が描かれているそうです。
現在陣屋跡には多古第一小学校があり、校門脇と校庭に石垣が一部残っています。
現在は、縄張りは、多古小学校となっていて、校門脇や校庭に石垣の一部が遺されていました。
校門入口横に稲荷社 天神社があり、多古藩陣屋跡入口の標識があります。
攻城時間は5分くらいでした。
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