群馬県埼玉県未踏の城廻りとチョイ寄り登城の2日日目、前橋IC近くのホテルに泊まったので前橋城から西の蒼海城、石倉城、総社城を一挙に巡りました。
先ずは近い蒼海城へ蒼海城跡地図が有る総社神社を訪ね参拝し蒼海城跡地図を撮影、主変見学、車は北側の神社駐車場を利用。
総社神社を後にして徒歩で本丸跡の近く御霊神社を目指すが土地の整備は開発中で工事途中、工事前の入り乱れでアウトプットした周辺地図と現実とが良く分からず洗車されてた地元の方に聞き確認して御霊神社へ御霊神社は本丸の西曲輪に成ってる様、御霊神社には長尾氏の像と「御霊神社と長尾氏由緒」看板、また地元の方に聞くと御霊神社は少し地上げして新しく少し北に移動したよし、元跡は一般住宅に成っていた、本丸は御霊神社の東側の曲輪で工事中の土盛、草の茂りで踏み込みを諦めましたが周辺は微高地と低地が伺えて堀沼地跡だったかな?曲輪だったかなと?思ったりしたり。
歴史的には長尾景忠が建武4年(1337年)上野守護代と成り、越後守護代も兼務、景忠長男が白井城主、4男忠房と父景忠は上野国府を城郭化し蒼海城とす、その後総社長尾氏は9代210年余年続く。その後武田氏との攻防落城、家康関東移封で諏訪氏、秋元氏と続き秋元氏慶長12年(1607年)総社城に移り廃城と成る。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
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