武田家最後の城となった新府城に10年振りに訪問しました。
これまでの訪問は、車で行っていたのですが、今回は青春18切符が使える時期を待って電車で訪問してみました。
最寄りの駅は「新府駅」ですが、無人駅ですので、地図を見ながら方向を確認した方が良いでしょう。
駅を出て(下りのホーム側)、新府城の方角案内に沿って10数分桃畑の中を歩くと、小高い丘が見えてきて、新府城に到着します。
駅かた来た場合、大手門方面や本丸に向けた階段でアクセスしがちですが、今回は出構を右手に見ながら搦手門から登城することとしました。
搦手門から虎口をとおり、帯曲輪に向かうと、城内から東西の出構を確認しつつ、大手門方面に出ることができます(西出構には解説板もついています)。
最初にこの城に来たときから、この出構について疑問があります。これまで読んだ解説では、この出構は横矢掛のために作られたとありますが、この構では塀を巡らした上で兵を配置するほどの十分な幅がなく、一寸中途半端な存在でしかないと思っていたのですが、どうなんですかね。
二の丸、本丸と城内を進んでいくと、二の丸に馬出(図面を見ても現地を見ても丸馬出とは思えませんが)を確認することができます。
本丸の面積は広く、搦手方面には八ヶ岳を望み、大手門方面には樹木の伐採が十分になされているのであれば、富士山を望むことができたのだと思います。
本丸から食い違い小口、三の丸を経て大手門枡形と三日月堀に囲まれた丸馬出に向かいます。
東西に別れた三の丸は、樹木が生い茂り東西の区分が困難ですが、大手門枡形と丸馬出は状態良く復元されています。
この枡形の間からは富士山を望むことができ、また甲州街道に向かった大手門からは、kの城を中核として領国支配を考えた末期の武田氏の考えが良く理解できるように思います。
この城についてのもう一つの疑問は、何人くらいの城兵を入れるつもりだったのかという点です。
確かに武田氏の城とsては、大きな方ですが、末期とはいえ100万石以上の領国を有していた大名の主城としてはいささか小規模であるように思います。
城域の拡張計画はあったのだとは思いますが、現存する城郭の範囲とすると、大凡3000~4000人位の守備隊がいれば十分であり、小田原城のような規模ではありません。
そのように考えると、未完成(半造作)という点は差し引いても、その規模といい、出構といい、いささか中途半端な主城ではないかと思わされる再訪でした。
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