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ぶーたろー

本丸の先は黄色いロープがあり、進軍できませんでした! (2021/04/03 訪問)

https://youtu.be/kpixdxM7RQk
↑この動画が参考になります。
宇利城に行ってきました!その道中をノリノリの音楽で紹介しまーす!
<説明>
宇利城は三河統一を目指す松平清康によって攻められた「宇利城の戦い」の舞台として知られているよ!今川氏に属していた城主・熊谷実長はこの戦いに敗れ、功績のあった近藤満用に城が与えられた。その後、清康が「森山崩れ」で暗殺されると、近藤氏は今川氏に降りるけど、さらに1568年(永禄11年)に徳川家康が遠江侵攻を開始すると徳川方に帰参しちゃう。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑧:世田谷城 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り8城目は世田谷城です。
赤堤砦より徒歩15分ちょっとで城址公園案内板前(35.646091、139.646976)に着きました。

1366年(貞治5年)吉良治家が世田谷郷を与えられます。
1394年 - 1426年(応永年間)頃、居館として整備されたと考えられています。
吉良成高の頃、城郭として修築されたものと考えられています。
吉良氏8代、二百数十年の間、栄えましたが、1590年(天正18年)、吉良氏朝の代に豊臣秀吉の小田原征伐が行なわれ、豊臣方に接収され廃城となりました。
世田谷城の石材は江戸城改修に使用されたそうです。
現在、城址は開発が進んでいますが、豪徳寺付近に本丸を置き、世田谷城址公園付近まで城域が拡がっていたと考えられています。
世田谷城址公園内から北に向けて延びる、空堀と土塁が現存しています。

公園内の短いながら堀跡を歩いてみました。豪徳寺も近くにあります。
比較的大きな土塁はフェンスに囲われていました。説明板もトイレもあります。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑦:赤堤砦 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り7城目は赤堤砦です。
松原駅より徒歩3~4分くらいで六所神社鳥居前(35.657913、139.643392)に着き、その後、善性寺地蔵堂前(35.655746、139.646769)に向かいました。

築城年代は明らかではないが、世田谷城の北方を守る支城として、吉良氏により築かれたとされます。
その位置については善性寺、または北にある六所神社付近ともいわれているが、明らかでないようです。
善性寺がある付近はその昔、北・東・南三方を水田に囲まれた半島状台地で「砦山」と呼ばれていたそうです。
その後、砦址西側台地に服部貞信が小さな陣屋を構えたそうです。

遺構は残っていないので、想像の中で当時を偲びます。
攻城時間は20分くらいでした。

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ぴちょまる

関宿城(博物館) (2021/04/03 訪問)

チーバくんの鼻の先にある関宿城。
千葉県民であっても、一度埼玉県の東武動物公園駅に行ってからバスで向かった方が便が良いという場所。
そして、富士山と模擬櫓を一緒に納める有名撮影スポットは、利根川を渡った茨城県。
利根川と江戸川に挟まれた重要拠点であったことは地図からでも想像に難くない。
但し、河川工事により遺構は殆ど残っておらず、模擬櫓の関宿城博物館は、本来の城跡から少し離れた北側にある。

運が良ければ、菜の花と桜、富士山を見ることができる。

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Nabeppu

この季節ならではの三色コントラスト (2021/03/27 訪問)

この時期の桜と菜の花と櫓を同画面に綺麗に収めて撮影出来るのは、やはり東側からが一番ですね。

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ダイエティシャン

石見城Ⅱ (2021/03/25 訪問)

案内板はありましたが、登城口からは、道標や道を見つける事が出来ず、攻城を断念。
石垣(8枚目)は、民家跡らしいです。

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ダイエティシャン

石見城Ⅰ 遠景 登城口 (2021/02/25 訪問)

石見銀山遺跡である【石見城】を目指しましたが、攻城出来ず。
石見城遠景(1枚目)案内看板()3;4;5枚目
バス停から左折し、コンクリート道を進み、民家の倉庫の浦に山に登る草の山道あり、登城口です。

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姫街道

藤堂高虎の高石垣 (2021/04/03 訪問)

徳川家康の家臣となった藤堂氏が、豊臣方に備えて大改修を行った伊賀上野城。よって西側への防御を厚くするのはわかりますが、高さ30mに及ぶ石垣を目の当たりにすると本当に驚きます。時はまだ家康の天下統一前。この時期の日本の築城技術の飛躍的発達は、産業革命と呼んでも過言ではないと感じます。
 築城もさる事ながら、いったいどうやって保存しているか調べてみると、自衛隊に訓練兼ねて保存整備に協力してもらう事もあるとか。
 ところで、尊敬する同郷の大先輩「カズサン」の写真には、地元浜松城は勿論の事、日本各地の桜が綺麗なお城がよく登場する。私もいずれ各地を訪れてみたいと楽しく拝見させて頂いている。桜とお城は本当によく似合う。

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅳ〜平沙戌 (2021/03/25 訪問)

主郭(1枚目)の他に、平沙戌(2と3枚目)にも、東屋があります。
平沙戌は、出雲国と石見国の国境になり、天平時代には、狼煙台が築かれていたそうです。
ここも残念ながら、羨望は良くないです。

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅲ〜主郭、馬場跡 (2021/03/25 訪問)


主郭?と思いきや、下に道が続いていました。(2枚目)
その後数分で、主郭(1枚目)に到着。
他の方が書かれた通り、看板(4枚目)は倒れていました。
主郭(5〜7枚目)は木々に覆われ、羨望は良くないです。
更に下に続く道が(8枚目)があり、すぐに馬場跡(二の平)の到着(9枚目)
土塁(10枚目)らしいのも発見。

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅱ〜城平側登城道、郭 (2021/03/25 訪問)

主郭(1枚目)へは、駐車場から約20分で到着。
途中、郭っぽい削平地(2、3枚目)も見られます。
山桜(5枚目)も見事です
道標(4;7;9枚目)も随所に設置。
30℃位の傾斜を登り続けると、15分程で平坦な道(8枚目)になり、やがて、ベンチの削平地(10枚目)に到着。主郭?やけに狭いなと思いました。が。
続く

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ダイエティシャン

鶴ヶ城(田儀城)Ⅰ〜駐車場、城平側登城道、源蔵塚 (2021/03/25 訪問)

主郭(1枚目)へは、駐車場(5枚目)から約20分程で到着。
登城口は3ヶ所位ある様子。今回は城平側→源蔵塚→平沙戌→主郭→ニの平(馬場跡)で攻城。
途中、道標や案内板(2'〜4枚目)があり
遊歩道も整備されており、攻城しやすいです。
駐車場から見える日本海(5枚目)もキレイです。
途中の【源蔵塚】(8枚目)は罪人を匿い、罪に問われた源蔵夫婦を偲ぶ場所だそうです。
整備された広い遊歩道(9、10枚目)を登ります。

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ぴーかる

津和野城南出丸 (2021/03/14 訪問)

【津和野城南出丸】
<見所>曲輪・堀切・土橋
<感想>津和野城跡の続き。近世城郭の津和野城の投稿では載せたい写真が10枚以上になる為別途投稿いたします。南出丸は吉見氏時代の遺構がそのまま残っており、おそらく土で造った曲輪群かと思われます。津和野城南門跡から南に少し下った所に添付写真の案内板と木の立て札があるのですぐ分かると思います。立て札から南出丸の主郭部までは切岸になっていて木の丸太階段が朽ちて無くなっているのでストック要です。主郭部は一部土塁が残っており、中心部に巨石が散乱している。南出丸の南方向には2重堀切になっており南側は土橋があります。案内板の東側にも南北に曲輪群があります。
 土橋から数百㍍南に行った所に吉見氏時代の中荒城(城びと未登録)があります。この次に投稿致します。

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イシテル

壮大な一乗谷山城 (2021/03/26 訪問)

麓の朝倉氏遺跡を2018年7月に訪れ100名城のスタンプも押していましたが、一乗谷山城を巡っていないことが心の中で残っており、登城しました。
管理棟で地図をいただき、「下城戸」、「馬出」、「英林塚」の3コースがあるとの説明を受け、所要時間が約60分の「馬出コース」での登城を決めました。
管理棟前の道路を「馬出コース」のある八幡神社を目指して歩き、目印の八幡神社を左に見ながら進むと登城道入口の看板。これに従って入って行くと、右側に侍屋敷跡と思われる幾つかの広い敷地があり、石垣や石塁の遺構も見られます。
小見放城跡を過ぎると登城道の傾斜も少しきつくなり、ゆっくりと60分程登ると山城の様相に変わってきます。城域入口にある不動清水は、不動明王石仏の下から泉が流れ出ており、唯一の水源と説明があります。そこから上がると千畳敷跡に入り広い郭跡となっています。古絵図には「万畳敷跡」との記載もあると説明があり、次の観音屋敷跡、宿直跡も広く、広大な中心地の郭を形成し、観音屋敷跡と宿直跡の間には土塁で造られた虎口も綺麗に残っています。
ここを過ぎて登って行くと一の丸の表示があり、その先は尾根筋に二の丸、三の丸と続き、それぞれが堀切で区切られていて、堅い防御を備えていたことが伺えます。
大規模な郭と数々の切岸、堀切で構成された要塞、久しぶりに広大な山城を巡り感動しました。麓の朝倉氏遺跡だけでなく、足に自信のある方(翌日、足の疲れが....)は、是非とも一乗谷山城も巡っていただきたいと思います。

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カズサン

天守台石垣修復され天守閣復元が待たれます (2014/05/20 訪問)

 7年前の5月下旬JRフルムーンパスを利用した兄弟旅行で三朝温泉、松江城、玉造温泉を終えて岡山に上り、後の旅行日程は兄弟別行動、私達夫婦は瀬戸大橋線で高松へ高松駅から徒歩で高松城探訪へ、小学校の修学旅行が最初でもう50年以上も経っており、その間何回かプライバート、出張中の時間を割いて訪ねて居ります。
 今回は登城の前年H25年3月(2013年)にH18年からの天守台修復工事が竣工し一般公開に成って居ましたので是非見学観察したいと南九州旅行の途中に半日入れ込みました。

 天守台には以前高松松平氏初代頼重を祀った玉藻神社が鎮座してましたが移設され天守台の大修理、石垣の積直し立派に修復復元しました、地階の穴倉も有り、礎石、天守台虎口入口、天守台天端部を登って回れるように登り階段が付き、天守台上部からの眺めは絶景です、案内説明板も完備、天守閣復元を期待してる説明板、復元CG写真、図面で溢れてます。
 後に鞘橋を通って、月見櫓、水手御門、渡櫓、披雲閣庭園、披雲閣陳列館見学高松城天守閣の模型も見学、桜御門跡ここも復元計画が有るそうです、桜馬場、大手門枡形、艮櫓、旭門、旭橋、中堀越しに艮櫓を見学眺望し満足の探訪でした、是非天守閣の復元を望んでおります。
 展望車両のある特急で瀬戸大橋、瀬戸内海を眺め城と海を堪能し岡山駅へ新幹線さくらで鹿児島へ、南九州の旅へ出発。


 

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小城小次郎

行くたびに新たな魅力が見つかるお城だろう (2020/12/31 訪問)

二度目の訪問で初回訪問時に見落としていたところを眺めてきたが、このお城はなにしろでっかいので、訪ねる度に恐らく新しい発見があるのではなかろうかと思う。大手道のガイドツアーもいつかは体験してみたい。

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T-Shionoya

石垣山城訪問 (2004/05/22 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第7段は石垣山城。
秀吉が小田原城攻めのために築いた陣城です。

小田原城の中心部まで早川を挟み約3kmの、箱根外輪山の尾根の上。もともとは笠懸山と呼ばれた場所。
戦国期の箱根越えは湯坂道が主要道でしたが、秀吉軍はほぼ現在のターンパイクを通り、小田原を見渡せるこの地に陣を張ったのだとか。
一夜城伝説が有名ですが、実際は約80日でつくられた模様。完成まで秀吉軍は早雲寺に陣を敷いていました。

現在は石垣山一夜城公園となっており、広場の周囲に大きめの石が転がっていたというのが訪問当時の印象。
今回投稿するにあたり、先週再訪問してきました。
以前より石垣が見やすくなっている印象で、南曲輪や井戸曲輪の野面積み石垣は見応えあり。
南曲輪中門と本丸北虎口では、石垣が行く手を邪魔するように崩れてますが、枡形を確認できます。

井戸曲輪は城の北東部を守る堀のようでもあり、急斜面な城の北西部は箱根路の監視も可能。
関東から西への関所にする計画もあったのではないかと思える城でした。

※写真は先週撮影したもので、案内図と井戸のみ2004年のもの

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ミッピのパパ

これぞ日本の城 (2021/03/29 訪問)

人生で3回目の姫路城は、桜が咲き誇る最高の日和。
ただただ、その 美しさ と 壮大さ に圧倒された。
おかげでお城ファンとしての、
城を見る、観察する、歴史に思いをはせる が
全く機能しなかった。

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ミッピのパパ

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で知った御着城 (2021/03/29 訪問)

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で御着城のことを知り、念願かなって訪れてみた。
” ここに昔、御着城がありました ” という碑があるくらいで、残念ながら城の痕跡を
垣間見るものはなかった。

でも、現場で城主の小寺政職(こでらまさもと)を演じる片岡鶴太郎さんの顔が
ちらつくのはなぜだろう。

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カズサン

安土城にそっくり直登大手道 (2014/05/04 訪問)

 名神高速道を何回となく上り下りし車窓眺めてる小牧山城ですが7年前の5月連休に平成大修理で修復成った伊勢亀山城を探訪散策終えて小牧山城を初登城しました。
 車は麓の駐車場と狙い走行するも入れず小牧市役所駐車場、隣接の商業施設駐車場と廻り昼食を兼ねて商業施設の駐車場を利用。

 昼食後、直登で有名な大手道からスタート、大手道を登り切った所から曲がりくねって本丸、天守曲輪へ天守閣風の歴史館を見学、本丸周辺は発掘調査中、発掘後の調査結果展示が所々地表表示さる、来た道を戻り大手道の上部より桜の馬場経由発掘調査後復元整備されてる史跡公園を探訪散策、小牧山全体が城域ですが全てを観察するのは大仕事です。
 大手道を見た時には安土城の大手道とは小造ですが同じ思想を感じました、天気も良く本丸の歴史館からの眺望、史跡公園散策とゆっくりさせて頂きました。

 古い投稿で同日重なり「だめなこ」さん ごめんなさい。投稿観てますよ❣

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