成東城から転戦。車で15分くらいで着きました。
山武市立松尾中学校校門前(35.642005、140.455805)に路駐して石碑の写真を撮った後、松尾自動車教習所へ移動。
松尾自動車教習所門前(35.641703、140.452552)
柴山藩(松尾藩)は1868年(明治元年)、遠江国掛川藩主であった太田資美が、明治政府によって上総国武射・山辺郡内の領地に移転させられたことで成立しました。藩は武射郡柴山村(現在の千葉県山武郡芝山町)の観音教寺に仮藩庁を置き、柴山藩と称しました。
松尾城は太田道灌の子孫である太田資美により、版籍奉還後の1869年(明治2年)に築城が開始された珍しい城です。
しかし1874年(明治7年)の廃藩置県を受けて、完成することなく築城は中止されました。
縄張りは西洋風の稜堡式城郭でしたが、函館五稜郭のように星型要塞ではなく、多角形要塞(三稜郭)だったようです。
残念ながら遺構はほとんど残っておらず、松尾中学校の校内に城址碑が、松尾自動車教習所の教習コース内に藩庁跡碑があります。
校内で受付を済ませて校門入ってすぐ左側にある”別名「太田城趾」石碑”の写真を撮りました。
松尾自動車教習所の門は閉まっており中には入れなかったので、望遠で「松尾藩公庁跡」石碑の写真を撮って撤退です。
星形稜堡の遺構は土塁なんだと思いますが、中に入れず断念です。
攻城時間は15分くらいでした。(移動時間含みます)
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