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カズサン

草が伸びる前にと二度目の登城 (2021/03/26 訪問)

 前回は平成27年5月まだ続百名城の選定発表2年前です、今回下草が刈られ下草が伸びる前とひょっとして桜も咲いているかな?と作手地域の城廻りをしました。桜はちらほら程度、標高500mの高原盆地はやや寒し、長篠城は満開なのですが。
 先ずは古宮城、白鳥神社横の案内板は新しく且つ詳しく縄張図付で推奨探訪ルートも記載されて居り詳しくて丁寧です、駐車場は神社前の通りを約30m程の所に草地ですが3~4台可能、トイレ無し。
 下草も刈って有りまだ草も伸びて無く、所々小型の白い案内板が有り探訪しやすく成ってました、前回は一人占めの探訪が出来ましたが今回は続百名城指定の古宮城5、6組のパーティーが探訪してました続百名城効果抜群です。
 今回の探訪ルートは、白鳥神社横の登城階段から東城下横堀、東城枡形虎口、東城西曲輪、東城東曲輪、南北の大竪濠、中間の土橋、北大竪濠を北に降りる、竪濠が大き過ぎて写真に収めきれない、今回初めて裾の周囲にぐるっとある水堀の痕跡を確認、水堀り横の土塁、横の曲輪群を東がわ半周して神社側へ、今回草も刈られルート案内も有り探訪しやすい、下より初めて上部曲輪群を眺めましたスケールの大きさに驚愕。
 西城を探訪して無いので再度神社横の階段を東城枡形へ登り土橋を渡って西城へ東手前が西城の馬出、西奥西城本曲輪、上から西城ぐるりと横堀が取り囲んでる、伐採、刈られてよく確認する事が出来ます、馬出北虎口から西城半周の横堀を観察、西城側の方が見通しよく観察がしやすい状態です。(古宮城の曲輪名称は作手歴史民俗資料館で頂いた縄張図に依ります)
 約1時間初体験も有り楽しく過ごしました、何人かの方に尋ねられお答えしたり情報を得たりと他の山城に無い経験もしました、名古屋、多摩、大坂ナンバーの車も見えてます。
 また登城前に作手歴史民俗資料館に寄られて情報と資料古宮城縄張図、亀山城縄張図、作手地域城廻りコース図6城の縄張図付をゲットして登城されると良いでしょう。
 写真投稿は私の初観察場所を中心に掲載いたします。

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イオ

一日まるごと小谷城(清水谷) (2021/03/14 訪問)

(続き)

清水谷への道を下りながら、もっと早くに家を出ていれば…とか、あちこち寄り道し過ぎたか…とか、気分は沈むばかりでしたが、清水谷にある屋敷跡には石垣もあるようだし、と気を取り直して、大野木屋敷の石碑と説明板から奥の石垣を見に行ってみると、山王丸の大石垣にも劣らぬ見事な高石垣が! その下の三田村屋敷にも苔むす石垣が見られ、この2つだけでもこちら側に下りてきた甲斐がありました。

すっかり上機嫌で(←単純)たどる清水谷の沢沿いには、八畳岩や蛙岩、丸子岩と呼ばれる巨岩が続き、東側斜面には羽柴秀吉が攻め上った水の手道や主郭部から続く長大な竪堀が見られ、その先には浅井氏三代の居館があったとされる御屋敷跡や浅井氏の菩提寺の徳勝寺跡、遠藤屋敷や磯野屋敷など家臣団の屋敷が広がり、小谷城戦国歴史資料館に着くまで全く退屈することはありませんでした。

清水谷に下りると決めた時は、当初の目的を果たせず負けたような気になりましたが、すんなり一周できていれば清水谷を訪れることなく満足してしまったでしょうし、今回はむしろこれで良かったと思っています。とはいえ、やはり一周は果たせていませんので、再訪を期して小谷城戦国歴史資料館にはあえて入館せず、100名城スタンプも押しませんでした。次こそは必ずや!

小谷城を全部めぐるのは一日がかり、とはよく言われますが、周辺の帯曲輪など寄り道し過ぎたとはいえ、6時間では全く足りないとてつもない巨大山城で、規模が大きいだけでなく、御馬屋に馬洗池、黒金門、大堀切、山王丸の大石垣、月所丸に清水谷など見どころも満載で、帯曲輪に下りていけば思いがけず石垣に遭遇し、歴史に大きく影響した合戦の舞台として戦国のロマンにあふれ、夢中でめぐるうちに一日があっという間の素晴らしい城でした。
 

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todo94

ひっそりと (2021/03/27 訪問)

桜がきれいに咲いていましたが、訪れる人はなく、静かに過ごすことができました。尼子氏の軍事を支えていた新宮党粛清という歴史を今回初めて知りました。

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赤い城

当時はこの辺りまで入江で海に面していた (2021/04/03 訪問)

袋井市郷土資料館に車を駐めて徒歩で登城。
資料館にはパンフレットもあり、ジオラマも展示されています。
遺構は主郭周辺にしか残っていないようです。
神社の裏手に深い堀、馬出の跡や当時船着場だった羽城曲輪を見ることができます。
県道から北側に城域が広がっていますが宅地化で遺構入れませんなさそう。
小笠原氏ゆかりの城で高天神城を攻めるための徳川方の前線基地として使用されました。
高天神城攻めの際には合わせてどうぞ。

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小城小次郎

ごくごくわずかな高低差が残る (2021/01/24 訪問)

松下屋敷とも呼ばれるこの城には秀吉最初の仕官の地という伝承も。松下之綱が大名になったのは秀吉が旧恩に報いたのだとか何だとか。屋敷地の一部は公園となり、よく見ると土塁がごくごくわずかな高低差となって残っている。

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キンヤ

眺望と石垣が素晴らしい 天空の城 (2008/10/19 訪問)

竹田城のアヤコ様達の投稿を拝見し、やはり素晴らしい城だなと思いました。
2008年に行った時の写真ですみませんが、私も投稿させて頂きます。

※昨日、写真を追加編集しようとした際、誤って削除を押してしまい失礼しました。

天空の城とも言われ、眺望が素晴らしく、この時は雲海がない代わりに麓を見渡せ、どこからでも敵を見つけることができる事がよく分かりました。
また、見事な石垣がよく残っていて、感動しました。

今まで行った石垣の山城でベスト3に入る位に好きな城です。

その後、大人気になり見学できるルートはロープで限定され、マットのようなものが敷かれているようで少し残念ですが、遺構保護や安全の為には仕方がないと思います。

コロナが収束したら、いつかぜひ再訪したいです。

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しゅわっち

4月で天気が良いので臼井城趾公園につい行ってしまいました! (2021/04/07 訪問)

4 月の天気の良い日、京成臼井駅で電車をおりました!約10分位小山を越えてテクテクと、入り口がわかりづらく、googlemap片手に到着しました!本丸跡から印旛沼を眺めると昔の人も見たんだろうなと感慨深くなってしまいました!

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イオ

一日まるごと小谷城(六坊・月所丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

山王丸から尾根道を下って行くと、浅井久政が領内の六つの有力寺院の出張所を置いたとされる六坊が広がり、南部に低い石垣、東辺には数条の竪堀が掘られています。

六坊を抜けて少し行くと、山頂の大嶽、北東尾根の月所丸、南東・南西尾根の間の清水谷への分岐がありますが、まずは月所丸へ。月所丸は越前へ続く山道の付け根に築かれた東西二段の曲輪で、西南部に竪堀、西北部に畝堀(畝状空堀群?)、各曲輪の東辺にそれぞれ分厚い土塁をめぐらせ、東端の土塁下に二重の堀切、さらに東のもう一条の堀切で尾根を遮断しています。越前への道の起点でもあり、朝倉氏の関与により築かれたと考えられますが、土塁といい堀切といい畝堀といい見事な土の城で、寄り道して訪れる価値は充分すぎるほどにありました。

さて、この日は一日かけて小谷城を一周する予定で、6時間もあれば充分かなと考えていましたが、月所丸から分岐に戻った時点ですでに4時間半が経過。この後、大嶽から福寿丸、山崎丸を経て下山するには少なくとも2時間はかかりそうです。日没まではまだ時間があり、行って行けなくはないでしょうが、駆け足で見て回ることになるのも嫌だし…ということで、大嶽から先はまた日を改めることとして、清水谷から下山することにしました。(続く)
 

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にのまる

多摩の山城一気攻めの② (2021/03/17 訪問)

 檜原城に続けて戸倉城に登りました。 西戸倉バス停、駐在所左手の道から神明社側の登城口まで案内が出ています。
 登城口に立てかけてあった何本もの木の枝の杖から下山された方の「持ってけよー!」という無言のメッセージを受け取り、猪用?の箱罠から「出るかもよー」という警告を受け取りましたが、ロッククライミングや罰ゲームのようだったとご投稿のある光厳寺口ではないので大丈夫、きっと行けると自分に言い聞かせて登城開始。
 山頂までの道のりは危険なところはありませんでしたが30分近くかかり、視線の先に石積みを捉えたときは、それが一目で後世のものとわかるものであってもー寧ろ人の手で整備された場所に着いたとわかってー、ほっとしました。
 山頂には小さな郭が二つ。狼煙台や物見台説に首肯します。滝山城主大石定久隠居城説もありますが、それが史実ならば、山頂であれ麓であれ、楽隠居などではなく背負うものがあったと感じます。五日市方面に開けた眺望、周囲の山々の景観がすばらしかったです。説明板を見ながら主郭まわりを偵察中に10円玉を発見。すっかり緑青に覆われていましたが、山の神様へのお賽銭かもしれないと思い三角点の上に置いてきました。これから行かれる方、まだそこにあったら置いたのは私です。
 世界中の山々を巡っておられるというハイカーさんと遭いました。臼杵山から登ってきてこれから光厳寺に下りられるということでしたが臣従は辞退し、登ったのと同じ神明社に下りました。説明板にあった水の手を見つけたかったけれどわからずじまいだったのが心残りです。

 戸倉城は標高434メートル、比高210メートルで先に登った檜原城とほぼ同じですが、こちらの方が急坂だったような気がします。下りは20分ほどでした。
 武蔵五日市駅に戻り、3城目の阿伎留城へ向かいました。

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todo94

尼子十砦2城目 (2021/03/27 訪問)

王子神社から無理矢理登ってみました。堀切、郭らしきものを視認いたしましたが、説明板や標柱など、現地の表示は何もなかったのでなんとも言えません。一応、これが2015年に攻略した十神山城に次いで尼子十砦の2城目になります。

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赤い城

綺麗に整備された城 (2021/04/03 訪問)

城址北側に駐車場があり、説明板もあります。
駐車場にパンフレットが置いてあります。
駐車場脇から登ると北の丸、更に進むと北下段と本丸の間に堀切があります。
二の丸、高見とよく整備されていて歩きやすい。
大手門に周り、東の丸方面に登っていくと竪堀や堀切も確認できます。
全体的によく整備されています。
個人的には本丸と東の丸の間の堀切が良い感じ。
地元の武将、久野氏の居城で久野氏が関東移封後は豊臣家臣の松下氏、徳川時代には北条氏重が治めた城です。
地元の方が力を入れている感じがよくわかりました。

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小城小次郎

お城公園っぽくなってきた (2021/01/24 訪問)

かつて駐車場だったところに施されたカラー舗装はよく見ると埋もれた堀の平面復元のようだ。中世浜松城の想像復元図も大きく掲示されているし、周辺施設がなくなってから一気にお城公園っぽくなってきた。

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雨の庭瀬城 (2021/04/04 訪問)

道の細さに恐れをなして、城域の外に駐車して歩いていきました。歩くと、堀や堀を兼ねる川にすぐ行き当たります。雨も降り、かつての低湿地の雰囲気がしました。城の中心地から少し離れたところも歩いたので、城びと先達がアップしてない写真(主に説明板)があり、投稿します。
町並みは、昔栄えた面影が残ります。瀬戸内と内陸部の交易で栄えたと。

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イオ

一日まるごと小谷城(主郭部詰丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

大堀切の先は中丸。南北三段の曲輪で構成され、あちこちに石垣が見られます。上段北東部には刀洗池と呼ばれる井戸跡があり、その脇を登って行くと京極丸に至ります。京極丸は大広間に次ぐ規模の曲輪で、浅井氏の庇護下にあった近江国守護・京極氏の居所があったとされ、東辺を巨大な土塁で守っています。京極丸から西下を見下ろすと大きな帯曲輪があり、石塁で築かれた枡形虎口がある…んですが、切岸は急で高さもあり、下りられそうにないので中丸まで戻って行ってみました。帯曲輪の南西部に苔むした石材が散乱しており、この虎口が羽柴秀吉が攻め上った清水谷からの水の手道に続いています。

京極丸の一段上が浅井久政が自刃したとされる小丸で、東西二段の曲輪で構成されています。さらに上って行くと、崩された石垣が目に飛び込んできて、その前を東側に回り込むと大石垣と呼ばれる小谷城最大の石垣が状態よく残っています。崩された石垣を乗り越えて進んだ先が主郭部の詰めの丸にあたる山王丸で、最高所の土塁にも石垣が見られます。

南東尾根の主郭部はここまでですが、小谷城はまだまだここでお終いではありません。(続く)
 

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todo94

布辨神社より (2021/03/27 訪問)

布辨神社脇の要害山登山道より登城いたしました。毛利対尼子の戦いが行われた地です。小規模な山城ですが、夕景城でのダメージが残っていたのでちょっときつい攻城でした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑪:白金館 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り11城目(ラスト)は白金館です。
目黒駅より徒歩10分ちょっと位で自然教育園内の土塁前(35.637133、139.721202)に着きました。

応永年間(1394~1428)に、柳下上総介という人物がこの地に館を築いたとされます。
上総介は、のちに白金長者と呼ばれるほどの財を成したとされるが、柳下氏と白金館に関しては、これ以上のことは分かっていないようです。
比定地周辺は、江戸時代に高松藩の下屋敷となり、明治維新後、屋敷の跡地は軍の火薬庫に使用され、戦後は国立自然教育園と東京都庭園美術館となっています。

自然教育園の入園料は320円ですが、65歳以上の自分は無料でした(ラッキー)。
お客さんの多くが植物を熱心に観察し写真を撮っていますが、自分は土塁の写真を撮って撤収です(すみません、植物に興味はありません)。
城びとでは遺構は消滅となっていましたので、自然教育園内の土塁は後世のものなのでしょうか?
攻城時間は25分くらいでした。

今回の歩行歩数=40144歩、歩行距離=31.31Kmでした。(2021/03/24の38527歩、30.05Kmを越えましたが、今回は筋肉痛ありません)

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アヤコ

城さんぽ (2021/04/06 訪問)

竹田城へ登って、降りてきて、
立雲峡からも少し見る。

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赤い城

コロナで時間短縮でした (2021/04/03 訪問)

掛川駅から徒歩で10分。
車なら大手門駐車場が良いかと。
前回9時開門だったのでそれに合わせて行ったところコロナで開門は10時。
終わりも15時半の時短営業中でした。
なので天守には入れませんでしたが散り際の桜を見ながら周辺散策しました。
元は朝比奈泰能が築城、徳川期になると山内一豊が入り天守が築かれ近世城郭となりました。
この街のシンボル的存在。
最近は山城が多かったけど建物のある城も悪くないと思いました。

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牛若丸

中世山城の遺構が良く残ってます。 (2021/04/06 訪問)

駐車場からすぐに登城できます。
遺構の保存状態もかなり良好で、枡形虎口や角馬出しなど随所に見受けられます。
さすが、関東の北西を抑える拠点だけあり、防御の固さがよく分かります。一見の価値があります。

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牛若丸

かなりキツイです。 (2021/04/06 訪問)

本日訪れました。
階段を登り天神社の裏が初沢城になってます。
かなり急な坂道で、本丸があったと思われる頂上までは30分くらいかかります。
遺構は郭が少し残っているぐらいです。

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