仕事の後、時間があったので和歌山城へ。城内は1年前にひとめぐりしていますし、外周も岡口門から西の丸までの内堀沿いは歩いたことがあるものの、西辺と南辺の外周は歩いたことがなかったかも(自動車では何度も走ってますが)、ということで、この日は西南辺の外周めぐりです。
吹上口からスタートし、西外堀沿いに南に進むと堀越しに天守群がよく見えます。連立式天守は見る方向によって違った表情を見せてくれるので楽しいですね。西外堀の南端で砂の丸の高石垣が国道側にせり出していますが、国道沿いの面(西面)はコンクリートで不自然に覆われており、近くの説明板によると、かつて高石垣は現在の国道の真ん中付近まであったのが、明治に路面電車敷設のために取り除かれたんだとか。そこから少し南に行くとまた高石垣が復活し、折れを加えながら追廻門まで続いています。追廻門は徳川期和歌山城の搦手にあたり、門前の馬場で馬を追い廻したことからその名が付いたとされますが、昭和の解体修理で朱塗りの痕跡が見つかったことから、現在は朱で塗られ「赤門」とも呼ばれています。
追廻門から南、さらに東へ。建ち並ぶ建物の合間から高石垣がずっと続いているのが見えます。そして不明門に到着。不明門は「不浄門」として通常は閉ざされていたとされますが、現在では和歌山城公園駐車場の出入口として多くの車が行き交っています(喰い違いで見通しが悪いのでご注意)。不明門の脇には、徳川吉宗の普請とされる切込接ぎ石垣による高櫓台が聳え立っています。
なお、不明門から道路を挟んだ南側の岡山には徳川吉宗が建立した時鐘堂があり、その鐘は大坂夏の陣で鹵獲した豊臣方の青銅製の大砲を改鋳したものと伝わります。岡山は高櫓台越しに大天守を望む高台(かつては砂丘)で、ここから江戸期のみならず大正に至るまで城下に時刻を撞き知らせていたそうです。
不明門まで戻り、岡山砂丘との間の切通道だった三年坂を東へ。南の丸との間の南堀は水を抜いて公園化していますが、石垣は往時のまま遺り、南堀越しに大天守を仰ぐことができます。そして岡口門でゴール。寄り道しながら約45分の散策でした。
この日は外周を北西部から南東部まで半周しましたが、石垣を除去した痕跡とか時鐘堂とか、マイナーながら意外に楽しめましたので、
主な見どころはめぐり尽くしたという方にはおすすめかもしれません。
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