<オススメ>★☆☆☆☆
淀古城は、三面を川に囲まれた天然の要害であり、守護・畠山政長が応仁の乱に西軍の畠山義就に備えるため築いたとされる。摂津と河内の抑えの城として使用されてきた。戦国時代には、三好長慶の甥に当たる三好義継が城主となる。1568年に織田信長が上洛を果たすと、淀古城も織田軍の焼き討ちにあい、落城した。その後、将軍・足利義昭が織田信長と敵対すると三好三人衆の1人・岩成友通が、淀古城に籠城する。織田方に包囲され、友通は奮戦するが討ち死にする。1582年、本能寺の変の後、明智光秀が淀古城を改修し、山崎の戦いで利用された。1589年に、豊臣秀長が淀古城を改修し、茶々に与え産所とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになる。最後の城主であった木村重茲も秀次事件に連座し、廃城となった。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩約10分
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