みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

城好きのメガネ

「淀古城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
淀古城は、三面を川に囲まれた天然の要害であり、守護・畠山政長が応仁の乱に西軍の畠山義就に備えるため築いたとされる。摂津と河内の抑えの城として使用されてきた。戦国時代には、三好長慶の甥に当たる三好義継が城主となる。1568年に織田信長が上洛を果たすと、淀古城も織田軍の焼き討ちにあい、落城した。その後、将軍・足利義昭が織田信長と敵対すると三好三人衆の1人・岩成友通が、淀古城に籠城する。織田方に包囲され、友通は奮戦するが討ち死にする。1582年、本能寺の変の後、明智光秀が淀古城を改修し、山崎の戦いで利用された。1589年に、豊臣秀長が淀古城を改修し、茶々に与え産所とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになる。最後の城主であった木村重茲も秀次事件に連座し、廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩約10分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「芥川城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
芥川城は国人領主であった芥川氏が築いたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR高槻駅 徒歩20分

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

「続々日本100名城」選定の伏線か…?! (2021/03/28 訪問)

書店でこんな本を見つけてしまい,「続々日本100名城」選定の伏線ではないかと勘ぐってしまいました。注目すべきは,各都道府県から最低1城のピックアップではないこと。ここは,選定時に議論になるところだと思います。京都新城の記事も掲載されていたので,即買いしました。2021年3月25日発行です。
しりとり的には,「ま」で終わる城が激増したな…と…<笑>。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

むねしげ

+ 続きを読む

ぴーかる

大内氏館 (2021/03/13 訪問)

【続百名城48城目】
<駐車場他>龍福寺駐車場
<交通手段>車

<見所>土塁・庭園跡
<感想>1泊2日中国地方西部の旅3城目。大内氏館は勢力拡大とともに5回の改修がなされた居館。現在は内部居館跡は龍福寺となっています。山門前に石碑と説明板があり、山門を通ると左手に当時居館時代の豊後岩が置かれている。東手に池泉庭園跡、奥に資料館、資料館は閉館していました。奥の本堂には入らなかったので本堂に大内氏時代の遺構があるかもしれません。南辺以外の3方の土塁や復元西門等の遺構を見て終了した。

<満足度>★☆☆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

コンパクトながらテクニカルな遺構が良く残る城 (2021/03/07 訪問)

日近奥平氏の城ですが、発達した構造であることから、天正期の徳川氏による改修ではないかともいわれます。

二の曲輪への虎口から本曲輪南西下の帯曲輪への虎口の間は城道がクランクしています。
また、本曲輪を囲む土塁は東側で屈曲していますし、本曲輪の北東下と北西下には横堀があり、確かにテクニカルな縄張りです。

帯曲輪東側の土塁は大きく、その大土塁と本曲輪の間の堀切も大きく、見応えがありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とまんど

伊豆半島を睨む興国寺城 (2021/03/27 訪問)

今川、北条、武田、徳川が治めたことのある城ですが、訪問時は三つ鱗の旗がはためいていました。
なんといっても伊勢新九郎盛時(北条早雲)旗揚げの城ですしね。納得。
本丸、二の丸、三の丸は今ではなだらかな傾斜地になっており、本丸を囲むコの字型の土塁と北側の堀切が印象的でした。特に堀切は圧巻でした。
北曲輪は入れなさそうだったので諦めました。
本丸伝と続く土塁からは駿河湾まで一望でき、その先に伊豆半島が見えました。伊勢新九郎はこの景色を見て何を思ったのだろうと思うととても感慨深かったです。
訪問時は本丸北側にある土塁の桜が満開で綺麗でした。また、キツツキが木に穴を開けていてその音が響いていました。
JR原駅から乗り合いタクシー的なバスが出ており、東根古屋で降りてすぐの場所です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

麓のお寺のご厚意が嬉しい (2020/12/19 訪問)

那須氏あるいは福原氏一族が森田氏を名乗って断続的に居住したお城で、麓の芳朝寺に「森田城跡駐車場」との表示がなされているのは実に有難い。ただ肝心の城跡は四阿などがある割には草深く、整備後の維持の難しさも垣間見える。

+ 続きを読む

だめなこ

清洲城 (2021/03/27 訪問)

車を停めて 桜の下を抜けてお城へ!
ちょうど桜がキレイでヨカッタ♪

+ 続きを読む

昌官忠

リハビリ15城巡り⑧:池上氏館 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り8城目は池上氏館です。
池上駅より徒歩7~8分くらいで本門寺門(総門)前(35.576748、139.704923)に着きました。

池上氏館は鎌倉時代に、この地を領する豪族・池上氏によって築かれました。
日蓮上人が1282年(弘安5年)病気療養へ向かう途中に宗仲の館に逗留し、そこで入滅したそうです。
宗仲は館の敷地を日蓮宗に寄進し、本門寺としました。

池上駅から本門寺に向かう途中に「池上本門寺参道碑」がありました。
加藤清正が造営したと伝えられる本門寺の石段(96段)を登ると立派な仁王門が迎えてくれます。
遺構は何も残っていませんが、境内には日蓮上人の像が建てられていました。(写真撮り忘れました)
攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

リハビリ15城巡り⑦:河崎氏館 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り7城目は河崎氏館です。
京急川崎駅より徒歩6~7分くらいで稲毛神社側面入口(35.530936、139.704230)に着きました。

河崎氏館は、平安時代後期に桓武平氏の流れを汲む、秩父氏の一族・河崎基家がこの一帯に土着し構えた居館とされています。
稲毛神社の弁天池と呼ばれる場所は、館の水濠跡と伝わっているそうです。
稲毛神社の境内には小さな神社がたくさん祀られていました。境内の桜も綺麗でした。
攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

朝駆け (2021/03/26 訪問)

前日の19時前に出立。西宮名塩SAにて仮眠をとり朝7時過ぎに到着しました。ETC休日割引がきかない平日の移動になってしまったので浜田ICまで一万円を超える高速料金がかかってしまいました。聖徳寺に説明板がありましたが近づけなかったので、写真に撮って内容は確認しました。墓地の上の方から登城路が伸びていて迷うことはありませんでした。堀切ははっきりと視認することができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

着いた→帰った。 (2021/03/16 訪問)

 「行ってはいけないお城」という認識だったのですが、都内の城びと登録城フルコンプのためには行かざるを得ません。
 畑や住宅が点在する山あいののどかな道を辿ると登城口。山の中に入るとすぐに祠と土塁。普段なら行けるところまで行ってみようとか思ってしまうのですがここはスタート地点=ゴール地点。左に続く道を少し進んだところで引き返しました。大人の行動が出来た自分を褒めてあげようと思います。あとは、縄張り図を見ながら妄想の世界で楽しみます。


⭐︎みなさま方の「絶対に行くな!!」という本気のメッセージに心を打たれました。なんて優しい方々🥲
「みんなの投稿」は実際に行った人にしかわからない現地の大事な情報を(惜しげもなく‼︎)教えてもらえてありがたいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

sakappa

土塁と空堀が残っています (2021/03/27 訪問)

竹藪の中に、立派な土塁と空堀が一部残っています。以前はもう少し残っていたらしいですが、道路ができた時に削ってしまったとのこと。竹藪の奧には民家があり、敷地内に知らない人が入ってくるため、柵を設けたらしいです。敷地内には井戸が残っているとのことでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

sakappa

城跡を示すものは何もなし (2021/03/27 訪問)

豊山町商工会の建物の隣に、戦没者慰霊などの石碑がいくつか建っている広場があります。しかしながら、溝口城跡を示すものは何もなし。

+ 続きを読む

赤い城

普済寺に残る土塁 (2021/03/20 訪問)

立川駅から徒歩で15分くらい。
普済寺が館跡となります。
この日は三田城から歩き50分くらい。
ちょうどお彼岸でここも墓参客が多かったです。
遺稿は普済寺本堂南側に土塁が残っているくらい。
立川氏は武蔵七党の一つ、戦国期には北条氏に属しました。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

良く整備され、西三河で屈指の素晴らしい山城 (2021/03/07 訪問)

約5年ぶりに行きました。
愛知県で最大規模の山城とされます。

以前より見学ルートは伐採・整備がされ遺構が見易くなっており、見学ルート以外はそれ程整備されていないものの全ての遺構に立札があり分かり易いです。

特に東曲輪の東側の馬出しは、以前は木が多く分かり辛かったですが、西三河で珍しい馬出しの構造がよく分かり注目ポイントでした。

主郭からは昔は吉良道であったかもしれない県道が丸見えで、街道を押さえる場所である事がよく分かります。

主郭の西側の二の曲輪が最も広く土塁で囲まれています。

城の尾根筋全てに堀切があり、堀切好きの私にとっては堪らないです。

以前は遺構が見辛い面があり、それ程凄いとは思っていませんでしたが、整備後は西三河で屈指の素晴らしい山城だと思いました。

整備して下さった方々に感謝します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

小久保陣屋 千葉県富津市 (2021/03/25 訪問)

遠江相良の藩主田沼氏が維新後に上総小久保に移され藩庁を築いた所です。
現地の案内図によると公民館と駐車場になっているところが役所と藩校が築かれたていたようで
その南側に藩知事邸があったようです。藩知事邸の場所には当時のものかわかりませんが
庭園らしきものと井戸があります。
藩知事邸の東南かどは枡形の名残か少し広いT字の交差点が
その南側には堀の役目を果たすような小久保川が流れています。

古墳の上からは東京湾が望め眺めよし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

春の陽気に誘われて♡ (2021/03/27 訪問)

小牧山城は1563年織田信長が、美濃侵攻のため清州城から小牧山城に移り、山全体を城域とし多数の曲輪と要所に重臣の館を設け、城下町も設けたが、信長にとって小牧山城は美濃攻略のための一時的な拠点でしかなく、1567年に美濃を攻略すると稲葉山城(岐阜城)に居城を移し小牧山城は廃城となった。
歴史の表舞台に再度「小牧山城」の名が出てくるのが、本能寺の変後、信長の後継者争いで、織田信雄・徳川家康の連合軍と羽柴秀吉が激突した、小牧・長久手の合戦で信雄・家康の本陣として使用され、この戦時に、山麓の土塁と堀が整備されたとされています。
江戸時代には、尾張藩により立ち入り禁止の措置がとられている。
現在残っている遺構は、家康が陣城として整備したもので、山麓に残る土塁と堀は見応え十分です。

現在は史跡公園として、聚楽第飛雲閣を模して造られた模擬天守(歴史資料館)と土塁・石垣・空堀・井戸跡が残り今に伝えています。
駐車場は北東山麓にあり、(2時間半駐車し200円でした。(トイレも完備)
史跡情報館・歴史資料館は共通券で100円でした。(JAF会員証提示で60円に割引)

今日は朝8:30頃まで家でダラダラと過ごし、TVで27日は春の陽気で28日は春の嵐とのことで、折角だからお花見ができるところと検索したところ、小牧山城がヒット(^O^)/ 早速、東名・名神と乗り継ぎ1時間半程で到着。
搦手口の桜もほぼ満開で、城跡を散策するもよし、ウォーキングするもよし、Familyでお弁当もよし、マジリフレッシュできた一日でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

下湯江陣屋 千葉県君津市 (2021/03/25 訪問)

赤松則村(円心)の子孫の赤松氏置が徳川家康に仕え
この地に二千石余の知行を賜り陣屋を築いた所です。
画像に奥(段の上)に築かれていたようで
幕末までこの地を治めたようですが
今は住宅と畑が広がっています。

+ 続きを読む

ページ1194