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todo94

朝駆け (2020/10/04 訪問)

米沢のホテルをチェックアウトし、朝駆けしました。なかなか良い感じで土塁が残されています。そして土塁の上には小さいながらも城址碑もありました。この後、近くのローソンにて朝食を調達しました。1週間後、この城にほど近い川西町の住宅近くで老人が熊に襲われるニュースが報道されました。

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橋吉

熊出没注意 (2020/10/25 訪問)

岩櫃山は、群馬県東吾妻町のシンボルで、標高802.6mの奇岩・怪石に覆われた山です。南側の正面は高さの200m断崖絶壁となっています。

平沢登山口の近くに広い駐車場があります。

少し歩いたところにある平沢登山口観光案内所で、続日本100名城のスタンプを押すことができます。
所在地: 群馬県吾妻郡東吾妻町原町1965-2
開館時間: 9:00~16:00(4/1~11/30)

東吾妻町ではここの観光に力を入れているようで、ポケットティッシュとボールペンを配っていました。

さらに、沼田城・名胡桃城とあわせて続日本100名城の真田三城を訪れたことを言うとクリアファイルがもらえました。

岩櫃城は、岩櫃山の中腹に位置するので、観光案内所から10~15分で本丸跡に着きます。

左は尾根通り、右は沢通り、どちらからでも本丸にいけますが、登りは尾根通りで下りは沢通りを選択しました。

栗がたくさん落ちていました。
中には実をほじくり出した形成も見られます。
人ならば現地でこんなことはしないので、熊のしわざでしょうか。
登山口には「熊出没注意」の表示もありましたし、今年は熊野被害があちこちから報告されていますので気をつけなければいけません。
もちろん、熊よけの鈴はつけています。

所要時間52分でした。

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にのまる

津軽富士と。 (2020/09/30 訪問)

「眺望クイズ」第1弾1枚目の写真で解説していただいた『今なら岩木山と天守の2ショット写真が撮れる』がずっと頭の片隅にあり、その姿を眺め、写真を撮るのを楽しみに向かいました。一昨年の訪問時には現存天守、櫓、門の計九つの建築遺構と烏賊の石と竪石を見る(探す)というミッションを掲げていて、でもそれがなかなか大変(北門と丑寅櫓が見つけにくかった)で、風景を楽しむ余裕が全くなかったのです。
 なので今回の第一目的地は天守のある有料区域の中なのですが、たどり着くまでに櫓や門、水堀、石垣といった数々のステキポイントがあり、それらに引きずり込まれてどんどん天守から離れていってしまいました。たくさんの遺構がある本当に素晴らしい城跡です。
 そして念願叶い展望デッキから天守と岩木山を望むことができました。太宰治の「津軽」を思い出します。弘前城は津軽の人たちの心の拠り所であり、太宰自身にとっても故郷の大切な場所であることが熱く語られ、また津軽の歴史についてもその地に暮らした人間の目と思いで綴られている津軽愛に溢れる紀行小説で、本州最西端出身の私の最北端の地への憧憬も含んだお気に入りの一冊です。
 弘前城、前回は夏、今回は秋の訪問だったので、この次は桜や雪の時期に行けたらいいなと思うのですが…。

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カズサン

岸壁切岸、堀切が凄い大城郭です (2020/10/27 訪問)

 彫堂七館を終えて南に約4km程の千石城を目指す、千石城も4年前素通りした城、今回初登城です、城跡の松山御本丸公園頂部まで車で登れるとの情報でナビを御本丸公園に合わせ走行、頂部の前に三段に成って駐車場が在るので三の丸直ぐ下の駐車場を利用、トイレ完備。
 標高70m程、駐車場から三の丸へ御本丸公園と成って居りコスモス園とも、コスモスの盛りは過ぎてましたが花は残ってます、駐車場には熊注意の看板、コスモス園のスピーカーから音楽が流れて居り熊予防に成ってる。
 丘陵先端が広い三の丸、西奥に大きな櫓台の様な展望台、南側の高みに向かって続曲輪、堀切、二の丸、堀切、本丸と続く、南側は崖、三の丸より本丸に向かって切岸下に通路が通ってる、特に二の丸南側は岸壁を削った様な垂直な切岸で絶品である、現在各曲輪は橋で繋がってる。
 本丸南側、東側下にも曲輪群が備わって居り、本丸南下に大堀切が有るとの情報でしたが登り降りが大変なので頂部の曲輪のみ、また三の丸周辺には土塁の跡が残って居り三の丸北側にも曲輪群が備わってる、丘陵全体を要塞化したような大城郭です、ここを探訪するまでこれ程の大きさとは想像もしませんでしたチョイ寄りは難しい。
 案内説明板は駐車場、三の丸、各堀切下、本丸に在ります。
 兎に角いい城です東北宮城にお越しの節は是非とも寄って見て下さい車で上がれて便利です。

 歴史的には鎌倉時代遠藤氏によって築かれた、戦国期伊達氏の対大崎構えの城、北の鳴瀬川が境か?奥州仕置き大崎葛西一揆を経て伊達領に遠藤氏は御一門として登米に移封、伊達家臣が城主と成り、麓に館を造り城主は移り、三の丸に城番が務めたと。

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shige

米沢城、上杉神社へご参拝! (2020/10/18 訪問)

上杉神社にお参り、参道には上杉謙信公、直江兼続公、上杉鷹山公と銅像がお出迎えしてくれ、撮影スポットになってます。伊達政宗公の生誕の地でもあるようです。

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赤い城

おそらく私有地だが整備されている (2020/11/01 訪問)

江曽島駅から徒歩で30分くらい。
入口の案内板に沿って行くと民家。
矢印が分かりにくくさらに進んだ先に登城口がありました。
説明板の先にいきなり土橋と横堀。
墓地があるのでここはおそらく私有地なのでしょう。
見学路は整備されていました。
主郭と二郭の間にある空堀や土橋が見所でしょうか。
よい城でした。

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ぴーかる

金鑵城 (2020/10/25 訪問)

【金鑵城】
<駐車場他>城跡公園駐車場無料12台分程あり。
<交通手段>車

<見所>横堀
<感想>この地は青野ヶ原台地とよばれるところで、比高差60m、城が築かれる以前の弥生時代には高地性集落がありました。竪穴式住居があったそうです。城は赤松氏の家臣中村氏が城主だったらしく、後に別所氏の持城となったようです。
 城跡は夢の森公園という名で公園整備され、駐車場・トイレ完備です。駐車場が西の郭跡にありすぐ横が主郭との堀切がはしっています。主郭は土塁囲みで礎石建物跡がありますが、モルタルで埋めています。主郭の東方向に物見曲輪に模擬物見櫓がありますが櫓内は立入禁止となっています。主郭・物見曲輪から北方向以外の小野市の平野部が見渡せます。

<満足度>◆◆◇

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カルビン

勝見城 [千葉県長生郡睦沢町寺崎1932] (2015/02/14 訪問)

個人的に訪問した中でどこからどこまでが城域か解らずに不思議な気分になったお城が千葉県にあります。

東光山歓喜寺~キャンプ場を含めた[やすらぎの森]一帯が城域と思われます勝見城になります。

キャンプ場の奥の池付近に駐車して、そこから適当に道を進んだのですが、正直お城の遺構なのかどうかはっきりしない不思議な地形が続きまして。
(窪地になった井戸の無い井戸郭のような場所や、山裾を堀切が複数分断したとも言えるようなジグザグ裾道とか)

道筋あっているか不安になる中、裾道を進んだ先にあった人工的な鎖つり橋を発見。
事前調査でこれが目印だったのでやっと一安心も、足場不安定でつり橋揺れまくり(汗)

つり橋の先の細い曲輪と思われる場所にようやく勝見城の解説が。。。やっとお城と証明されるものが ε=(ーДー;A

この場所を起点にして周辺散策しましたが、見れば見る程不思議な地形で。。。お城の遺構と解る事は解るんですが、今まで見た事無いアメージングな雰囲気を味わう事が出来ました。
(※あくまでも個人的感想なので・・・しいて言えばちょっとだけ真里谷城に似てるかもw)


公共交通機関での訪問が厳しい場所の為気軽に訪問し辛いですが、お城好きな方なら行って損は無いかと思えた勝見城でした。

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カズサン

曲輪、土塁、堀が公園とし良好に保全管理されてます (2020/10/27 訪問)

 古川城、搦手門を終えて東約10km程の彫堂七館(エリドウシチダテ)を目指す、途中昨夜ゲットしたGoTo割クーポン券をコンビニで昼食用の食料等に変える。
 ナビは彫堂七館、蜂谷森公園の西側に在る駐車場に合わせ小牛田駅方向から入り駐車場にピッタリ到着。駐車場東に聳える切岸にビックリしっかりした造りだ探訪にワクワク感が満ちる。
 トイレも完備、駐車場は10台は可能かな?、駐車場北の登城路から探訪開始、余湖図コレクションさんの俯瞰図頼りに探訪1郭(小館)北虎口より1郭内部高い切岸で護られてる、1郭と2郭(陣館)間に堀切、橋が架かってる、2郭と3郭(狼之介館)は一段低い、3郭と4郭(彫堂館)の間に堀切と木橋、4郭は現在浄水場タンクが設置、その先東は下に降りる登城路、南側全体は高い崖で防御されてる、東、南からの勢力を意識してる造りでしょう。
 私一人の探訪でした構造物を観察しながら熊注意看板も無く私一人の時間を堪能しました。
 4年前に岩出山城、涌谷城を探訪した折、国道108号線沿いに気に成ってた城郭群の一つでした、4年振りの初登城です。
 
 駐車場に在る案内板によると大崎氏の東端の守りを固めた城なのかと?対葛西氏、対伊達氏として。(抜粋)
 詳細説明は地元先達のぎりょうさんの投稿をお読み下さい。

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カズサン

移築搦手門が有名 (2020/10/27 訪問)

 4泊5日の下越奥州城廻りの最終日GoTo割を利用して泊まったホテルを朝早く出発し古川城を目指す、現在は古川第一小学校に成ってる。
 車は近くの大崎市役所駐車場を利用、出勤前でガラガラ、徒歩で数分、緒絶川を渡って東より校門に至る、校門を入り写真でよく見てる石碑案内板が有る、昨日人首城で動かなく一眼レフカメラの調子が戻り写真を撮る、ここから南に古川城の搦手門が移築されてる瑞川寺が5、600m程の所に在る、同参拝者駐車場を利用し参拝と見学、立派な2階楼門です。
 古川城は大崎氏の城ですが奥州仕置きで改易、秀吉配下の木村氏が入城するが大崎葛西一揆の不始末で改易、後伊達領に家臣の鈴木氏が入部、瑞川寺は鈴木氏の菩提寺に成って居り鈴木氏が搦手門を山門として寄進した模様。

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カズサン

名生城の帰りチョイ寄り (2020/10/26 訪問)

 名生城を終わって南に約1km程の中新田城に寄りました、近々ぎりょうさんの投稿が有り近くに在る事を認識し今回の城廻りに予備として加えて置きました、陽が沈み頃でしたがぎりぎり写真を撮れる光量も有りナビを長興寺駐車場に合わせ走行しましたが国道347号線の走行車が多く城石碑を目視し駐車場入口を通り過ぎUタンして長興寺参拝者駐車場を利用させて頂きました。
 城跡は駐車場の直ぐ北、国道347号線沿いです、大崎氏の城で立派な城名石碑、大崎氏の祖斯波家兼公の像、神社が鎮座、陽も陰りその辺りを探訪し引き揚げ古川駅前のホテルへ直行。
 説明解説は地元先達のぎりょうさんの投稿をお読み下さい。

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カズサン

以前より認識しやっと初登城 (2020/10/26 訪問)

 高清水城を終えて陽が沈み前急いで名生城を目指す、以前より大崎地区の名城として知っていましたが4年前に岩出山城を登城しながら近くの名生城を越えて涌谷城の桜を優先、今回下越奥州城廻りに加えました。
 ナビを城郭放浪記さんGoogleMap地図より取り敢えず史跡マーク名生城と浄泉院北の進入路辺りに合わせ走行、近くの大崎神社に着きほっとしましたが丘陵を登り村中の道が狭いナビ目的地に着くと名生城の案内解説板が有りその前が私有地の駐車可能場所、浄泉院への案内指示板も有り、道も狭く不安なので史跡マーク名生城周辺での探訪に終わりました。
 名生城は低い丘陵地北東に各曲輪を堀で囲み群郭式の城郭、案内板が有る所が大館、浄泉院の有る所が北館、大崎神社の有る所が小館、名生城、名生館官衙遺跡に詳しい方にガイドをお願いしてゆっくり探訪したい、一人でふらっと来ての探訪は難しいような気がします。

 歴史的には名家斯波氏の流れで斯波家兼が大崎氏の祖、奥州探題を務め大きな勢力を持ったが小田原征伐に参陣せず奥州仕置きで領地没収改易と成る。
 詳細説明は地元先達のぎりょうさん投稿をお読み下さい。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/09 訪問)

城びと未登録の「上茜部城」について投稿します。川手城から徒歩15分くらいで着きました。
堀秀政の先祖にあたる堀資重によって築かれた城で秀政の生誕地とされています。秀政は「名人久太郎」の名で知られ織田信長、豊臣秀吉に仕えました。現在、城址に遺構はありませんが、国道157号の道路脇に城址碑と説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。攻城後、名鉄岐阜駅に戻るのにバス停で30分以上待ちました。寒かった記憶があります。

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イオ

湖中に沈む石垣 (2020/10/24 訪問)

比叡山焼き討ちの翌年、比叡山への抑えとして、また琵琶湖水運の拠点として明智光秀が築いた城で、安土城に先がけて天主を擁した先進的な城でしたが、山崎の戦いでの光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に入った明智秀満が堀秀政の包囲を受ける中、天主に火を放って自刃。豪壮華麗と評された城も灰燼に帰しました。その後、丹羽長秀が再建しましたが、浅野長吉(長政)が城主の時に大津城を築いて移転したことにより廃城となったようです。

遺構としては、平成6年の琵琶湖大渇水の際に確認された本丸の石垣があるくらいですが、この日は前日が雨だったこともあり、湖中に沈んでいて見えませんでした。本丸跡は普段は非公開ながら、大河ドラマ放送期間(来年2月7日まで)の土日祝は一般公開されていますので、この機会にぜひ。

それ以外にも周辺には坂本城の痕跡が随所に見られ、本丸跡から北西に徒歩1分行くと落城時に宝物を埋めたとも、明智一族の墓所とも伝わる明智塚があり、本丸跡から西に徒歩2分の東南寺にも落城時の死者の供養塔があり(未確認)、東南寺から西に徒歩1分行くと坂本城址の石碑と説明板があります。石碑から北に徒歩5分の両社神社の北西部には外堀の名残の水路が見られます。また、本丸跡から北北東に約1.5kmの聖衆来迎寺、北北西に約2.4kmの西教寺にはそれぞれ坂本城からの移築門が残されています。

城域からは少し南に外れますが、坂本城址公園には光秀の石像と曲の流れる歌碑「光秀(おとこ)の意地」があります。どちらも何というか……独特の味わいがありますよね(笑) 坂本城址公園ではボランティアガイドの方に丁寧にご説明いただき、下調べである程度わかっているつもりでしたが、現地で方向を指し示しながらの説明でより理解を深めることができました。ありがとうございました。

(次回・城下町編に続く)
 

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/09 訪問)

加納城から徒歩10分弱で川手城に着きます。
現在城址は済美高校の敷地内で隣接する公園(遊具があったので公園?)に石碑と説明板がありました。攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/09 訪問)

城びと未登録の沓井城について投稿します。といっても沓井城は別名=前期加納城と呼ばれ城址は「加納城跡公園」です。
加納城が別名=後期加納城と呼ばれており、両城とも同じ場所になります。
沓井城は土岐氏の重臣である斎藤利永によって築かれた城で「船田合戦」では斎藤妙純の居城でした。「関ケ原の合戦」ののちに同じ場所に加納城が築かれた為、前期加納城と呼ばれているようです。
~以上 インタネット上のいろんなサイトから得た情報です~

上記より加納城公園の石垣も沓掛城の遺構になるのかな?(正確には不明です)
攻城時間は加納城攻城と一緒に攻城したということで0分ですかね。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/09 訪問)

岐阜城からの転戦です。計画では「岐阜公園歴史博物館前」から岐阜バスで「名鉄岐阜駅」経由、「加納付属小学校前」下車で加納城を目指す予定でしたが、ズルをしてタクシーを使用しました。自分で攻城計画を立てる場合、原則タクシーを使用しないのですが、今回が2度目です(もう一回は五稜郭攻城の際、バスに乗り遅れてタクシーを使用しました)。
タクシーの運転手さんとお城談義をしながら加納公園で下車。加納城跡は加納公園になっています。
加納城は徳川家康の義理の息子である奥平信昌の居城ですが、破却された岐阜城の代わりとして天下普請で築城されたようです。
本丸を囲む高い土塁と石垣が確認できます。攻城時間は15分くらいでした。

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うさぎ屋

品川歴史館 (2020/08/23 訪問)

品川区立台場小学校が品川御殿山下台場跡です。
その礎石が品川歴史館の入口に移されています。
歴史館の中に台場に関する常設コーナーがあります。

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todo94

宿泊地に向かう途次 (2020/10/03 訪問)

この日最後の攻城は、羽前中野城。山形市立大郷小学校の校門付近に城址碑と説明板が立っていました。ごく僅かながら遺構もあるようですが、今回はノーチェックです。

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ひろし

雲海も見れました (2020/11/08 訪問)

まずは竹田城向かいの立雲峡に向かいました。
早朝3時に行きましたが、思ってた以上にすごい人でした!
すでに駐車場は満車で、かなり外に出たとこに止める始末…。
でも、暗く寒いなか、30分ほど歩いて第一展望台まで、かろうじて竹田城が見える位置に行けました!
ちょっと雲海の形はアレでしたが、かろうじて拝むことが出来ました。

下山してそのまま、竹田城跡に登城しました。
こっちもまだ早い時間だったため、かすかに雲海が残っていました。

それにしても、よくこんな高い山の頂上に築城したもんです…
先人の知恵や技術に脱帽です。

どちらもそうなのですが、たぶん有名になったおかげか、道が比較的整備されていて、思ったよりは登りやすかったです。
竹田城跡の方は、春は桜がキレイだろうと思うので、また暖かくなったら来てみたいと思いました。

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