織豊期に九鬼嘉隆が本拠地として築いた城で、江戸前期に九鬼氏がお家騒動で国替えになって入封した内藤忠重により改修され、その後、城主は次々と替わりましたが、江戸中期以降は稲垣氏のもとで明治に至ります。明治に天守をはじめとする建物が取り壊され、昭和には本丸南下に小学校、西麓に市役所、家老屋敷跡に幼稚園が建てられました。
伊勢・志摩の国境の妙慶川河口南岸の丘陵地に築かれた城で、鳥羽湾に面した東側を大手とし、水門や舟蔵を設けた海城でした。さすがは水軍を率いて戦功を挙げた海賊大名の城ですね。
鳥羽城には3年ほど前にも登城していますが、本格的に城めぐりを始めたばかりの頃で見落としもあったので、再訪しました。家老屋敷跡下の無料駐車場に車を駐めて登城開始。まず家老屋敷跡の石垣と案内図を眺め、城山公園を抜けて本丸へ。本丸は小学校の運動場になっていたため目立った遺構は見られませんが、小学校移転後の発掘調査で、天守台や本丸御殿、大井戸が確認されています。また、本丸の周囲には野面積みの石垣が状態良く残っています。前回は本丸南側(小学校側)の石垣は未確認でしたが、こちら側にもなかなか見事な石垣が見られます。城山公園に戻って、前回行った三の丸広場には今回は行かず、ハートTOBAのモニュメントや天守型のライトアップを横目に北麓に下りて、堀代わりだった妙慶川と相橋の下の石垣を確認し、堀と堀代わりの蓮池を埋め立てた錦町通りを歩いて駐車場に戻りました。
それにしても、本丸から鳥羽湾を見渡していると、いつか九鬼嘉隆の首塚と胴塚がある答志島や坂手村砲台のある坂手島、神島、菅島などの離島めぐりをしてみたくなりますね。
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