『小幡城を観ずして土の城を語る勿れ!』…とまでは言われていませんが、マニアに大人気の小幡城です。
【アクセス】
3年前の訪城でしたが、とにかく交通は不便な場所です(^^;
クルマでしか行けませんが、ナビが頼りです。
道路も狭いので、近隣へのマナーとしても軽自動車がお奨めですね。
駐車場は当時は北東の堀底道の入口に停めましたが、その時に城の北側で造成工事をしてたので、もう専用駐車場が出来てるはず。
【城の歴史】
ほとんど記録資料が無い城で、素性も不明な点が多いのですが、応永24年(1417)に大掾詮幹の三男:義幹による築城という説が有力な様です。(異説あり)
城は湿地帯に付き出した台地の先端を堀で断ち切って縄張りされています。
郭内は七つの郭が空堀で仕切られた連郭の城ですね。
大掾氏だと、水戸城の支城という扱いでしょうか。
しかし上杉禅秀の乱で大掾領は江戸氏に与えられますから、戦国末期まで江戸氏が改修し使った事でしょう。
廃城後は、湿地帯の小丘という環境が上手く作用し、山に還って遺構は破壊を免れて、良好な状態で今日に伝わりました。
【見どころ】
見学の登城口は北東の空堀から入る様になっていて、堀底道を彷徨いながら七つの郭を見て行きます。
何がそんなに大人気なのかと言えば、城内に入った時から感じる“戦国疑似体験”なのですよね。
遺構の状態が良いので、両側に立ちはだかる土塁の底を歩いていると、なぜか上から狙われてる様な、妙な緊張感に襲われてしまうのです(^^;
そして、堀底道は絶妙に曲がっていて、枝分かれを繰り返すので、同じ様な景色の繰り返しで、最後には今何処にいるのかさえ判らなくなる…まるで迷路の世界ですね。
いったい本丸は何処なんだ!?
【感想】
病的なマニアとしてはすぐに、この城は何処からどう攻めたら良いのか…などと考え悩んでてしまいます。
しかし、縄張り図をよくよく見ると、東と南は当時は沼なので、多くの舟が無いと押し渡れないので、実質の攻め口は地続きの西と北からに限られます。
つまり、いきなり堀底道から攻め込むというシチュエーションは元々無いのです(^^;
ただ、狭い土塁で堀底を仕切った“二重堀”などはとても良く考えられた構造で、攻めにくい絶妙な縄張りなのは間違いないですね。
実戦の記録は不明ですが、一見の価値がある城です。
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