楠公八臣に数えられる恩地左近満一が南北朝期に築いたと伝わりますが、近年の研究では、恩地左近は戦国期に畠山氏に仕えた恩地左近大夫貞成をモデルとした架空の人物とされ、恩地城も戦国期に恩地氏が築いたものと考えられるようです。
高安山西麓に位置する恩智城址公園が城跡で、西側の高台が二の丸とされ、恩地城趾の石碑と説明碑が建てられています。比高はさほどではないものの、丘陵の突端だけあって西方向の眺望は意外なほどに開けていました。二の丸の西下にも城址碑がありますが、この高低差は切岸によるものでしょうか。遊具のある公園東側は堀跡で、堀の中の小島に一の丸があったとされ、南東部にわずかな土盛りが見られますが…どうなんでしょうね。また、公園の北西下には恩地左近の墓があり、その北の恩地神社鳥居の奥には恩地城の見付石が目ナシ地蔵として祀られています。
恩地城に登城したのは3年ほど前のことなんですが、城の見付石を見落としてしまったので、近くに行った時にちょい寄りして写真を撮ってから投稿しようと思っていたら、こんなに時間が経ってしまいました。写真の最後の2枚は2025/07/27撮影、その他は2023/02/11撮影のものです。
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