JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の13城目は馬伏塚城です。
久野城から転戦。案内板前(34.710779、137.933494)に路駐しました。
築城年は不明。初代城主は小笠原信濃守長高とされます。
長高は信濃から尾張を経て、三河国幡豆郡の吉良義堯を頼り、後に今川氏親に属しました。
遠江国山名郡浅羽荘を領して馬伏塚城主となり、1544年(天文13年)城内で没する。
長高の子春義は、福島上総介正成が今川氏に叛いて北条氏に属すと、代わって高天神城主となり、馬伏塚城主も兼ねました。
その子氏清も今川氏に属し、馬伏塚城・高天神城両城主を務めるが、1568年(永禄11年)今川氏に叛き、徳川家康に転仕、1569年(永禄12年)に没しました。
1574年(天正2年)6月高天神城が武田氏の攻撃で落城すると、家康は馬伏塚城を修復し、大須賀康高を城主として入れ、武田氏に備えます。
1578年(天正6年)家康は康高に命じて横須賀城を築城、城主とさせ、1580年(天正8年)9月高力清長を馬伏塚城主としました。
1581年(天正9年)に家康が高天神城を攻略して遠江を勢力下に置くと、その翌年に廃城となりました。
また袋井市郷土資料館には馬伏塚城の模型が展示されているようです。
現在は諏訪神社・住宅・畑に変わり、曲輪、土塁、堀切などが残っているようですが、雨が降っている為、説明板付近をウロチョロしただけです。
攻城時間は5分くらいでした。
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