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ぴーかる

宇利和利城/志紀長吉神社 (2021/05/09 訪問)

【宇利和利城】
<駐車場他>駐車場はなし。花塚山古墳前は墓地内なので駐車可能
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾6城目。宇利和利城は南北朝時代、楠木正成の3男楠木正儀の居城だったそうです。瓜破城とも書き、大阪人にとって瓜破の地名があるのでこちらのほうがなじみがあります。先達方の投稿で城びとポイントには何もないとのことで私も城の出城(出丸?)だった可能性もある花塚山古墳の方にのみ寄った。古墳は市設瓜破霊園内にあり車両も自由に入れ古墳前まで行けます。古墳丘陵部はフェンスがしてあり立入ることはできません。
 ここもイオさんの投稿に習い、大坂の陣で真田幸村が戦勝祈願したとされる志紀長吉神社にも立寄ってみました。六文銭の勝守り等があります。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

八上城の支城、土居ノ内の帰りチョイ寄り (2021/05/14 訪問)

 舞鶴若狭道丹南篠山口ICを降りた辺りからナビに篠山城、八上城が画面に表示され存在の大きさが分かります、先に土居ノ内(大渕館)の探訪を終えて、西に直線2、3km程の沢田城に初登城、八上城からは北西に2、3km程、篠山城からは北東に1km程の所で直ぐ近くです。
 Googleの地図で見ると篠山盆地の田圃に浮かぶ小山に築城した様子が分かります、小林寺のすぐ裏が切岸で本丸、両翼に出丸か?出羽丸を控て馬蹄形、北奥が二の丸、搦手、周囲に池が点在し外濠の名残なのでしょうか?(現地案内板の城址平面図参照)

 先ずは小林寺を目指します。
 駐車場:小林寺山門前に参拝者駐車場(N35°04'45" E135°13'36") 10台以上は可能。

 登城ルート:駐車場⇒山門を潜り⇒本堂参拝⇒奥、本堂横の渡通路を潜り⇒長い階段を登る⇒三蔵法師聖骨塔⇒左横登城口⇒堀底道を歩き本丸、城石碑、説明板が有る⇒更に奥の北が二の丸搦手、回り込むと東の出羽丸、馬場と成る。私は本丸城石碑辺りで引き返す。
 お寺さんのお陰か地元保存会のお陰か本丸までは整備され歩きやすく見学しやすい城跡です、西の出羽丸は檀家さんの墓場に成ってます、東の出羽丸は行ってません。車で行け駐車場も有り大変ありがたい。
 
 歴史:同説明板によると沢田城は戦国の昔八上城主波多野秀治の命令で小林氏が此の地、滝山に築造したものである。小林氏は沢田及び、現在の黒岡・郡家の1100石余を領してた、小林氏4代が城主を務め初代城主長任が築城天文年間(1540年頃)、2代城主長治が父の菩提とし庵を建つ、4代重範天正7年(1579年)柏原八幡山で戦死、沢田城落城。(沢田城案内板による) 光秀の丹波侵攻で波多野氏と共に小林氏も滅亡。

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イオ

眺望は抜群! ですが… (2021/05/04 訪問)

南北朝初期に足利方が金ヶ崎城攻略の拠点として築いた城で、戦国後期には金ヶ崎城の支城として朝倉氏の支配下にありましたが、織田信長の侵攻を受けて落城。そのまま廃城となったようです。

金ヶ崎城から尾根伝いに登城しました。山麓の永厳寺からの登城道が切通道として交わる大堀切からが城域と思われます。大堀切からは10分弱で見張台跡の説明板がある削平地に至ります。その一段上の天筒山頂には展望台があり、西には金ヶ崎城から敦賀湾、気比の松原を、東には天然の要害となる中池見湿地を見渡す眺望を堪能できます。展望台の奥にも休憩所やトイレ、東屋が建つ削平地が広がっていますが、公園として綺麗に整備されていて、遺構らしきものは見つけられませんでした。

山頂から中池見湿地に下りて行く途中には堀切があるようですが、下調べ不足で未確認です。また、大堀切から金ヶ崎城側に少し行った尾根道西側にあるのは竪堀? それとも自然地形でしょうか?? 下調べで縄張図を入手できず、現地の案内板に加えて旧敦賀港駅ランプ小屋や金崎宮で入手したパンフレットを参照しながらの散策でしたが、ちょっと消化不良でモヤモヤした感じが残りました。
 

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赤い城

志木第三小学校 (2021/05/15 訪問)

東武柳瀬川駅から徒歩で12分くらい。
志木第三小学校が主郭跡となります。
校門脇に碑と説明板が立っています。
その東西に曲輪が配置されていたとされますが遺稿は残っていません。
南側のmansion裏の遊歩道が堀の跡。
説明板はありますが遺構としては見ることができません。
木曽義仲の子孫と言われる大石氏の居城。
住宅地のうえ小学校ということであまりうろうろできない場所の城でした。

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まーく

北陸唯一の現存天守 (2021/04/03 訪問)

独立式望楼型2重3階

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小城小次郎

眺望を楽しむのが正しい (2021/02/21 訪問)

ここが武田勝頼の手に落ちた時が、武田氏が小田原に最も近づいた瞬間だった(瞬間だったが)。そんな歴史の割にお城らしさに乏しいので、遺構探しは諦めてキノコ風展望台から富士・箱根が一望できる絶景を堪能しようではないか。

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カズサン

方形単郭の居館、八上城が南に聳えてる (2021/05/14 訪問)

 帰省の折に寄って見ようと思って居りましたので丁度母の13回忌法要に合わせ初探訪しました、篠山城の東、八上城の北に位置する戦国期後期方形単郭の城館で現在も子孫の方が住まわれて居ます。
 情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん城びとぴーかるさんの投稿を活用しました。
 
 駐車場:特に在りませんが今回県道305号線沿いの大渕福壽会館の狭い駐車エリアを利用(N35°04'59" E135°15'17") 一時的なら県道305線上の若干広い道筋に路駐可能かも?
 
 所在地:兵庫県丹波篠山市大渕47(N35°04'56.8" E135°15'22.1") 県道305号線を北上して来るとそれなりに見えて来ます。

 概要:車を駐めた大渕福壽会館より集落の道を100m程東に土居ノ内(大渕館)が在ります、よく整備され南側の土塁、濠、中央の平虎口に土橋を渡り屋敷門、門前に説明文が立ってます、門の左右は石垣で固め、西の土塁は隣家と接し、東の土塁は濠と更に東が畑川で外濠の役目を果たしてる北は樹木で覆われ田畑に接してる。
 南には大きく八上城が聳えて居り威圧を感じる距離間、且つ田圃が広がってる。西側3km程にゴルフ場を挟んで篠山城が在ります。
 先月伊賀の城廻りで点在してる方形単郭城館を思い起させて呉れました、いい感じに残って居ります。

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イオ

歴史の大きな舞台 (2021/05/04 訪問)

平安末期に平通盛が木曽義仲に対するべく築いた城で、南北朝初期には恒良親王、尊良親王を奉じた新田義貞が入城して足利軍と戦うも、尊良親王と新田義顕(義貞嫡男)は自害、恒良親王は捕縛され、落城しました。戦国後期には朝倉氏の城となっていましたが、織田信長の侵攻を受けて支城の天筒山城が落城したことにより開城。しかし、浅井長政の離反により織田軍は挟撃を避けるべく撤退、金ヶ崎の退き口の舞台となりました。

天筒山から敦賀湾に張り出した半島部に築かれており、往時は三方を海に囲まれた要害で、突端の最高所に本丸を配し、天筒山方向へ続く尾根には3つの木戸と堀切を設けて防衛しています。

金崎宮バス停のある金ヶ崎公園駐車場(無料)に車を駐めて登城開始。駐車場西隣の旧敦賀港駅ランプ小屋には金ヶ崎城と周辺の城のパンフレットが置かれていますので、金ヶ崎城の縄張図をお持ちでない方はまずこちらからどうぞ。
参道の石段を上がって行くと5分ほどで金崎宮に到着。金崎宮は尊良親王と恒良親王を御祭神とし、境内には金ヶ崎城と天筒山城の模型や、金ヶ崎の退き口についての説明板が展示されています。また、お市の方が兄・信長に夫・長政の離反を知らせたとする逸話にちなんで、袋の両端を縛り小豆を入れたお守りが難関突破守として授与されています。
金崎宮から花換の小道を進んで鴎ヶ崎へ。かつては海中に突き出した尾崎だったため、幕末には台場として整備されたようですが、今は周囲も埋め立てられ、台場の遺構も見当たりません。
鴎ヶ崎から少し上がったところに案内標識があるので道をそれて行ってみると、尊良親王御陵墓見込地の碑が建てられていて、親王の自刃の地と考えられるようです。南北朝期の歴史には詳しくありませんが、太平記に描かれたようなことがこの地であったのだとすると…ひと時ただただ手を合わせてきました。
もとの道に戻って5分ほど登って行くと金𥔎古戦場の石碑があり、その先が月見御殿(本丸)です。月見御殿という名は、散在する石灰岩を庭石に見立てて月見の宴をしたとする伝承によるものだそうです。突端からは敦賀湾が一望でき、麓には恒良親王が落ち延びる際に松の木に御衣を掛けたと伝わる絹掛崎があります。
月見御殿から天筒山へ続く尾根を進むと三の木戸と堀切(竪堀)があり、その先の水の手と呼ばれる曲輪からは炭化した米が出土していて、兵糧庫があったと考えられています。また、水の手曲輪の東斜面には畝状竪堀群があり、朝倉氏の頃に設けられたもののようです。その先の二の木戸、一の木戸で金ヶ崎城はひと巡りになりますが、そのまま尾根道を進んで天筒山城に登城した後、二の木戸から金崎宮に下りて駐車場に戻りました。

遺構も期待以上にはありましたが、何より南北朝期にも戦国期にも歴史の大きな舞台になった地であり、南北朝期を描いた小説を読むなりしてもう少し知識を得た上で、また訪れたい城でした。
 

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刑部

予想以上の城址 (2021/05/02 訪問)

とても良かった!

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todo94

上高地からの帰りがけに (2021/04/30 訪問)

4月30日に休みを取って7連休としましたが、もはや県外に出かけるわけにはいきません。この機会に上高地デビューを果たした後、この城に立ち寄ってみました。鉄塔の辺りから竪堀が下っているように見えました。その後も堀底道のような登城路を登っていきましたが、まさか麓からの比高が450mもあるとはつゆ知らず、頂上は極めずじまい。またの機会に再チャレンジします。

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のん

高石垣と六段壁が見応えあり (2019/08/02 訪問)

岩村城→苗木城と二つのお城を廻りました。どちらも山城のため、車でないと行かれません。

高石垣と六段壁が有名な岩村城。
間近で見ると、高さ、段々になっている形ら石の量など迫力満点でした。

スタンプは歴史資料館にあります。
駐車場が資料館ともう少し上までいける駐車場と二箇所えりますが、資料館から続く石畳の道が風情があり、オススメです。 

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ikkobasan

広島城で勉強しました (2021/05/02 訪問)

緊急事態宣言前に行ってきました
お城の中にはトイレがないので、済ませてから入るといいですね

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城好きのメガネ

「松田城」 (2020/03/30 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
松田城は国衆であった松田氏が築いたとされる。松田顕秀は後北条氏の家臣であり、小田原衆の筆頭でもあった。松田憲秀は伊勢宗瑞以来の股肱の家臣であり後北条氏を支えた。現在、遺構の多くは高速道路により破壊されている。また、城内も畠となっているため遺構の確認は難しい。

<アクセス>
JR松田駅・小田急新松田駅 徒歩40分

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のん

是非ぜひみなさん行ってください! (2019/08/04 訪問)

駐車場から天守台まではかなり歩きます。真夏の暑い日に行ったため、お城までの遠さと暑さに途中くじけそうになりました。が、これが最高に見応えあり大感動!
いままで見た中で一番感動したお城です。
日本のマチュピチュとはよく言ったもの。その通りでした。

天然の岩盤があちこちゴロゴロする無骨な箇所と、人の手で緻密に計算された石垣 で造られた箇所とのアンバランス感。木曽川を見下ろす断崖絶壁に建てられた天守台、見上げれば真っ青な空。自分がどこにいるのか不思議な気分でした。

一体どんな人が、どんな風に造ったのか、人数や期間…当時を覗いてみたいものです。

ここに住んでいたら、戦国時代の戦も忘れてしまうのではと思うほど、世俗と隔離された仙人のような気分になりそうです。でも、ここは戦に明け暮れた緊張感溢れる場所だったんですよね。

山登りの支度で、飲み物や軽食を持って行くことをお勧めします。
スタンプはふもとの資料館にあります。
トイレやベンチ、ドリンクの自販機などもここにあります。山の方にはありませんでした。


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のん

偶然の出会い (2021/04/26 訪問)

横浜周辺のお城や史跡巡りをして、Googleマップを見ながら駅まで歩くうちにたまたまひどく急な坂道に出くわしました。ここは城向きの地形だわ…などと思っていたら、帰宅してから気付きました。青木城でした。

偶然の発見に嬉しくなりました。

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のん

看板が見応え、読み応えあり (2021/04/26 訪問)

横浜周辺のお城めぐり。
小机城と同じく、北条氏傘下のお城ですので、雰囲気が似ていました。空堀の深さや土塁が見応えあります。

見所は、お城のあちこちにある丁寧な説明の看板です。
お城を愛する方が作った物なのではないでしょうか。当時高さや深さを正確に記したり、現在との違いを比較できるようになっており、看板一つひとつ見ているだけで楽しい物でした。続100名城などに入ってなくても、地元で愛され、大切にされているお城なのではないでしょうか。

トイレも入り口入ってすぐにあり、広場あり木陰あり、気持ちの良い場所です。

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のん

石垣 のみあります (2021/04/26 訪問)

権現山城からの帰り道、立ち寄りました。石垣 のみが残っていました。台場公園もありますが、工事中ではいれませんでした。
大通り沿いに進むと魚の市場があり、通り沿いには海鮮丼の看板が何件か立っていました。朝イチ行くと食べられるのかな。

近くにイギリス領事館あとや神奈川宿などもありました。

さすが横浜、お城以外にの史跡があちこちにありました。

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のん

大手門跡が公共の施設として… (2021/04/26 訪問)

おそらく大手門跡だった場所に公共の子ども用の施設ができていて、櫓をくぐるような気分が味わえ、思わずシャッターを切りました。

わかっていてあえて建てたのか、ここを建築された方と意向を聞いてみたい(笑)

普通の公園になって、あまり遺構的な雰囲気はありませんが、門側の急坂あたりはお城らしさを感じ、ワクワクします。

この坂の下にある小さなカフェの珈琲、注文してから豆を引いて入れてくださいます。人柄の良いマスターがお一人でやられているようです。美味しかったです。

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のん

深い堀が美しい! (2021/04/26 訪問)

柔らかな若葉の色をした竹林が本当に美しく、4月終わりのこの時期に訪問してよかったです。
小机城→茅ヶ崎城→権現山城→横浜台場と廻りました。

この城の見所は、とにかく空堀の深さと土塁の高さ!
空堀の底を歩き回ることができるため、高さが実感でき、ため息をつくばかり。石垣 も好きですが、空堀と土塁の迫力を感じたい方、こちらのお城オススメです。

城跡を楽しむために綺麗に保存されており、歩きやすく、立て看板や説明などもあちこちにあります。広いため長い時間歩き回ったのですが、二の丸広場などに雰囲気壊さない程度に休憩できるベンチやテーブルもあります。平日ということもありましたが、人もほとんどいなかったため、満喫しまくりました。 

三の丸は第三京浜で完全に分断されています。急な階段を上り降りして向かったのですが、三の丸側から見ると、地形の断面図のように横から見る形になり、もともとあった地形をうまく利用した城だということが実感できて、また、楽しいです。こちら側は、個人の所有地なのか、畑になっていて住民の方がいらっしゃいました。お気をつけください。

この後近くの茅ヶ崎城にも行きましたが、同じ北条氏の作りからか、規模は全く異なりますが、似た雰囲気がありました。

また、すれ違う方から挨拶されて、横浜でもこんな見知らぬ人に挨拶するような地域なのかと、親しみが湧きました。

注意!スタンプは城から15分ほど離れた小机地域センターにあります。設置場所は入ってすぐの玄関です。(コロナ感染予防のための変更かもしれません。確認してください)小机駅からは近く数分歩いたところです。
電車で行く方は通り道ですが、車などで行く方は注意してください。駐車するにもコインパーキングを利用するようにとの注意書きがありました。センター閉館日、開館時間外にはスタンプできないそうです。

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ぴーかる

古河藩陣屋 (2021/05/09 訪問)

【古河藩陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。大念仏寺は山門前に参拝者駐車場あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾5城目。古河藩陣屋は天明年間(江戸中期)に下総国古河藩主が土井家の時河内国平野郷を飛地として与えられ、その知行所として置かれました。廃藩置県後郷役場→警察署→現在は平野小学校になっていて遺構は残っていません。陣屋屋門が西に少し行った大念仏寺南門として移築されています。

<満足度>◆◇◇

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