新府城の北側は山裾に東西に細長く帯曲輪、土塁を配し水堀と湿地帯で防いで居る、更に二ヶ所の東出構、西出構で横矢が掛かり縦横な銃撃戦が想定されてる構えです、西は七里岩岸壁で鉄壁の守り、東は山裾に水濠を数段に構え、織田軍を待ち受ける体制でした?が高遠城の奮戦虚しく落城を契機に応戦する事無く新府城を焼き捨てた事は歴史ですが、一回は北の防御ラインを試して欲しかった城好きです。
大変惜しまれる遺構で新府城の特徴の「出構」です、当時発掘調査、修復されて間がない時のようでした、調査では北側の堀は逆台形の箱堀と解説されてました。一部水堀は残され発掘調査はして無く樹木を一部間引き伐採し景観を揃えたと有りました。
また更に北は丘陵が続き現在果樹園と成って居り桃の栽培がされてます、登城当時まだ桃の花は咲いてませんでしたが咲いた時はさぞ綺麗な事で桃源郷を見てる様だと思います。勝頼公諸将も見てる事でしょう。
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