仙台藩21要害三ヶ所目は岩谷堂要害を訪問。旧江刺市岩谷堂(現奥州市江刺区岩谷堂)は私が大学を卒業して就職し、初めて出張で訪れた町。当時から城に興味は持ってはいたが、土で築かれた中世城館の認識が無く、50年ちかくを経て初の攻城となった。城の歴史は古く、奥州藤原氏の祖経清・清衡との関わりも伝わっているようだ。中世には千葉氏、江刺氏、葛西氏が城主。仙台藩領となり伊達家臣の桑折氏、古田氏を経て万治2年(1659)に御一門岩城左兵衛宗親が拝領、大きく改修した後、岩谷堂伊達家(5510石)の要害として明治維新まで使用された。
縄張は東に人首川が流れ、北から南にのびる標高115mの丘陵の南端部に築かれ、北側一番奥に本丸、次にニノ曲輪、中ノ丸、二ノ丸が続く。本丸は帯曲輪と横堀で守られており、それぞれの曲輪は空堀で隔てられている。
近世には二ノ丸(東西150m、南北100m)に多くの建物が置かれ、要害屋敷として使われたようだ。
訪問当日は人首川に架かる夢乃橋を渡って城址「館山史跡公園」に入ったので、城の東側が切立った崖であり、堅城ぶりがよく理解できた。
水沢ICから11km、17分。本丸下に駐車場があり。
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