夏見城➡塚田駅➡JR幕張駅と移動し、JR幕張駅から徒歩20分ちょっとで真蔵院(35.665988、140.066299)に着きました。
武石城は千葉常胤の三男、武石三郎胤盛の居城として知られています。
源頼朝に従い奥州合戦(1189年)に参加した千葉常胤の子らは千葉六党と呼ばれ、庶家は治めた領地名から相馬氏、武石氏、大須賀氏、国分氏、東氏に分かれて発展したそうです。
武石氏の祖である武石胤盛は、下総国千葉郡武石郷(千葉市花見川区付近)を領したことから武石氏を名乗ったそうです。
武石氏は「1538年の第一次国府台合戦」において小弓公方に味方した武石胤親が討死して滅亡しました。
武石嫡流没後、里見家に残っていた武石氏末裔により武石城跡に代々の神霊が祀られ「おたけし様」と称され、当地には古くから石塚が祀られていたが、神社の創建年代は不明。
1756年に末裔の武石胤清が武石神社に詣でて奉賽したと伝わるそうです。
なお武石氏の一部が亘理郡に移り住んで亘理氏を名乗っています。この子孫が涌谷伊達氏で、「伊達騒動」で知られる涌谷藩当主・伊達宗重は武石氏の子孫でもあります。
現在城址は真蔵院となっており、墓地からのぼった先の平坦地が主郭部とされますが遺構はありません。
また近くにある武石神社は胤親の居館跡、真蔵院は胤盛の曾孫にあたる4代・武石長胤の居館跡とされます。
遺構はわかりませんが説明板から城があったことが窺えます。
攻城時間は30分くらいでした。
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