旧仙台藩に於いては元和の一国一城令の後も、城とそれに付随する城下町の機能を持った「要害」と呼ばれる地域の拠点となる施設が21ヶ所あった。中世城郭を再利用したものがほとんどであり、その配置は他藩と接する南北の境と、奥羽仕置き後に一揆の起きた葛西氏・大崎氏の旧領を押さえる意図があったと思われる。
これまで旧仙台藩内にある城跡(要害として使用された場所を含め)を数々訪問して投稿してきた。長引くコロナ禍で遠出のできない今、改めて21要害を訪れてみようと考えた。その第一回目として旧仙台藩最北の藩境に配置された上口内(かみくちない)要害を訪れた。
上口内要害は仙台藩と南部藩を結ぶ脇街道を押さえる役割を担っていたと考えられ、藩政時代の口内領主は瀬上氏、小梁川氏、藤田氏、田手氏、古内氏と変わり、最後は中島氏(一族1880石)で明治維新を迎えた。
築城者は安倍貞任との伝もあるようだが、戦国時代は葛西氏家臣の口内氏が居住したが奥州仕置き後に仙台藩領となり要害に格付けされた。
城址は口内の街並みの北側に位置し、口内川に架かる橋を渡った先が大手門跡となり、その先を左に登れば本丸・腰曲輪方面、正面に向うと二曲輪跡となる。明治五年の調査をまとめた富原文庫蔵「陸軍省城絵図」によれば、本丸は南北三十一間、東西四十四間、二曲輪は南北五十三間、東西八十五間と記載され、本丸の切岸とそれを取り巻く腰曲輪、城の南側から東側を囲む水堀、北側から西側を囲む空堀、門、当時存在した屋敷・土蔵・小屋などの建物群も描かれている。
現況は二曲輪は農地や民家となり、水掘も埋立られてかつての面影は失われているものの、本丸と腰曲輪は良く保存されている。また空堀は北西部は残っているらしいが雑草が生い茂っており確認できなかった。
東北自動車道北上・金成ICから県道14号・国道107号経由19分(16.2km)
城址専用駐車場は無く、口内郵便局向いの集会場か、あぐり夢くちない駐車場に停めさせていただくと便利。
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