階段が梯子の様で 密になってしまいました。
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2021/05/05 05:10
想像していたより立派です (2021/05/04 訪問)
階段が梯子の様で 密になってしまいました。
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2021/05/05 05:05
感動! (2021/05/04 訪問)
天守台跡からの眺め最高です!
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2021/05/05 00:12
懸造りを持つ仙台藩一門筆頭石川家の城 (2021/05/04 訪問)
藩政時代の領主石川家臣団の武具を集めた「甲冑展」が角田市郷土資料館で開催中とのことで角田市を訪問した。江戸期の戦闘用甲冑や飾り甲冑、武具などが多数展示されており楽しめた。また同郷土史資料館には仙台藩主伊達家一門筆頭の家柄である石川家、三代宗敬(むねたか)に嫁いだ政宗の次女「牟宇姫」(むうひめ)、角田要害についての資料が常設展示されている。
今回特に目についたのが貞享4年(1687)に堀さらいを願い出た際の「角田要害図」である。要害とは仙台藩から上級家臣に地方知行とともに宛がわれた在郷屋敷で、そのほとんどが中世からの城館である。要害図の中央左、高い切岸で囲われた主曲輪の「居所」と書かれた文字の右に懸造りが描かれている。仙台城本丸の他に、懸造りが角田要害にもあったことの証であり、ちょっと驚かされた。
角田地方は多賀国府と霊山をむすぶ要地で南北朝時代から田手氏・伊達氏・亘理氏・相馬氏による騒乱の地であり、江戸時代に入っても仙台藩の南に対する防御は白石城・金山要害・角田要害が担っていたのだろう。
城は角田盆地の中央、西からのびる台地がくびれた独立丘陵の最高所を主曲輪とし周囲の曲輪を水掘で囲った平山城。東西400m、南北450m、標高28mの規模と云う。築城者は天正年間に相馬氏に備えて配された伊達成実とされる。慶長3年(1598)角田の地は石川昭光に与えられ、家禄2万1380石、一門筆頭として明治維新まで続いた。
城址は角田高校と角田中学校の校地となり、水堀も埋め立てられ、高校への通学路脇の切岸にかつての面影が残っている。また石川家の菩提寺「長泉寺」には大手門(臥牛門)が移築されている。
角田城(角田要害)と城主石川家を理解いただくため「角田市郷土資料館」への訪問をお勧めしたい。
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2021/05/04 23:39
残念!!写真ではこの城の凄さは伝わりません。 (2021/05/04 訪問)
写真よりは縄張図の方が伝わるかなと思って一枚目に縄張図の写真を挙げたのですが、実際に登ってもらうのが一番いいと思います。
いわゆる畝状竪堀群が有名なお城で、その数が半端ないです!!
普通、こういうのは敵が攻めてくる可能性が高い一方だけに築かれることが多いのですが、
360度張り巡らされているということは、それだけ戦国の世に生き残るのがが厳しくなっていたということですかね。
それから、竪堀以上に感動したのは「切岸」です。
非常に急こう配で高さがあります。近世のお城で言えば高石垣に相当するといっても過言ではないと思いますよ。
車は「古今伝授の里フィールドミュージアム」に駐車できます。
麓には国名勝東氏館跡庭園があります。篠脇城はこの東氏の居城です。
東氏9代目の東常縁(とうのつねより)は歌人としても有名で日本史の教科書にも出てきますね。
東氏記念館や大和文化財収蔵展示館には貴重な史料が展示してありますので、そちらにも是非足を運んでみてください。
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2021/05/04 21:28
凧揚げ祭りの折りに寄りました (2021/05/04 訪問)
5月3日から5日浜松市遠州浜海岸中田島砂丘の凧揚げ会場で初子の誕生を祝う凧揚げ祭りが有ります、去年は中止、今年は規模を縮小して初子の凧は揚げ、一般観客は入れないで各町内の凧揚げのみ、車での入場は会場周辺禁止に成ってますので会場から西に約1.5km程の米津海岸防潮堤で遠望する約40程の凧を確認。米津台場はその途中に有ります。
ルートは国道1号線米津交差点から南に約100m程の左手東側小山が米津台場、駐車は手前の三角コーナーに路駐余裕有、樹木が茂り立ち入れる所は、案内板、案内石碑、頂上部の小山、小山に昭和12年軽爆機殉難慰霊碑の有る所まで、南に用水路、用水路に台場橋が架かってる。
歴史、概要は案内板に依ると安政2年(1855年)幕命により浜松藩主井上河内守正直が武士と付近の農民に築かせた、当時台場は東、西、中の三ヶ所から成り、砲身約5.5m、重量約2t、口径人頭を入れるに足りる大砲3門を備え守らせた。現存する台場は高さ約6m、周囲約72mの円丘を成してる中台場である。築造当時は高さ27m、前面は全部石積で突角をなし内部の下層は穴蔵、上部に大砲を備えていたと。
当時は用水路前が海岸線で現在地盤隆起で海岸線が南に約200~300m伸びてます、また2011年の東日本大震災の津波被害を予想される東南海地震の津波対策として浜松市に在る一条工務店が約300億円の防潮堤への寄付を基に県、浜松市、企業有志の財源で天竜川から浜名湖約17,8kmに高さ約15メートルの大防潮堤が約8年かけ2020年3月に完成してます。
防潮堤上からの眺望は西は浜名湖、渥美半島が見渡せ、東が今日4日は凧揚げの凧が40基ほど遠望出来、天竜川、竜洋までの海岸線及び砂丘を眺望出来、遠州灘は洋々としてます。
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2021/05/04 19:29
2021/05/04 19:01
2021/05/04 17:03
夏樹文庫 (2021/05/04 訪問)
登福寺前の駐車場より案内に従い寺の右手より登城しました。石上氏の館跡と言われている大頭龍神社を経て主郭へ向かいました。道は整備され歩きやすい。主郭へ行くまで、また主郭の背後も一騎駆けのような細い尾根道となっています。帯曲輪の他、浅くなっていますが堀切、竪堀などを確認することができます。
なお登福寺前に駐車場には作家の夏木静子さんがこの地に疎開していた縁でできた夏樹文庫があります。
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2021/05/04 16:20
2021/05/04 15:55
ドローン撮影失敗 (2021/05/04 訪問)
玉ノ岡中学校横の臨時駐車場から攻略。ドローン飛ばして撮影を試みたが、高度が足りず、何の写真だか…
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2021/05/04 14:53
素晴らしい石垣遺跡が残っている (2021/05/04 訪問)
場所はわかりにくいですが、天守台跡の石垣が残されており、一見の価値があります
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2021/05/04 13:45
2021/05/04 13:11
2021/05/04 12:33
野崎城 (2021/05/03 訪問)
【野崎城】
<駐車場他>野崎観音駐車場
<交通手段>車
<見所>曲輪
<感想>野崎城は室町時代に畠山氏によって築城されたと推定される。三好氏が飯盛山城築城後はその飯盛山支脈東端の支城として利用された。野崎観音のすぐ山手から曲輪があり、曲輪には石塔・展望所・休憩所の東屋がある。主郭部分には10分程度で登れるので楽々です。主郭の奥には堀切があり、周回コースの東側には巨石の間を通る道があります。眺望は抜群で南はあべのハルカスから北大阪まで見渡せます。
府内で近場朝駆けでまあ良かれと思い来ましたが、そこそこ人が来ていました<(_ _)>
<満足度>◆◆◇
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2021/05/04 09:40
大阪平野を一望におさめる (2021/05/03 訪問)
楠木氏配下の恩智氏の居城。東側の高安山から下る尾根筋の先端を利用し、水堀で尾根筋から隔離したとあります。西側の平地からはかなり急な坂を登って行き、大阪湾側が一望できます。石碑がある一画が二ノ丸です。その東側が、一段低くなっており、現在は、公園ですが、ここがかつては水堀で、中の小島が一の丸であったとのこと。
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2021/05/04 09:25
素晴らしい山城 (2021/05/03 訪問)
下の駐車場から登りました。自然の岩を活かした石垣の迫力は凄まじいですね。
天守からの眺めも絶景です。
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2021/05/04 07:08
2021/05/04 00:08
季節を考えよう、、、 (2021/05/04 訪問)
猿掛城は毛利元就が青年期を過ごしたお城らしいです。
毛利弘元夫妻の墓所の前にある駐車場に車を止めて登城。
本丸まではそんなに時間はかからないですが、地面が濡れてる&杖なしだったのでなかなか大変でした。
それ以上に大変だったのが、、、虫です、、、
この時期は毛虫が非常に多く、本丸は毛虫だらけでした、、、
投稿者は虫が大の苦手なのでビクビクしながら本丸を散策してましたが、耐えられずにとっとこ下山。
遺構は全く見られず、、、
この時期に行くのは本当にやめた方がいいです(個人的に)
もし行くならば、肌露出無しで行ってくださいね〜。
それに対して出丸は整備されている&虫あまりいない
素晴らしい所でした!笑
もう二度と毛虫の恐怖を味わいたくないのでしばらく山城は控えたいと思います、、、
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2021/05/03 23:56
歴史に埋もれた城 (2021/04/08 訪問)
長野市方面から車で403号から入りました。ナビは城址公園では探せなかったので、Googleアースとナビを照合しながら目的地設定しました。
一応、最寄駅は「坂北駅」です。Google検索だと徒歩1時間とありますが、かなりの山道なので、車が断然オススメです。
城址公園入口にゲートがあり、手動で開閉して公園に入ります。入って直ぐ右手にトイレと駐車場がありますが、トイレはかなり汚く、虫も多いのであまりオススメできません。(ゲート入って直進すると、林道なので、途中から未舗装になります。行っても何もないかと…)
公園は、案内看板や櫓門が再建されています。
この地を治めていた「青柳氏」は、天正壬午の乱によりこの地を離れ、子孫は真田家に仕え大坂の陣にも参戦してるようです。
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