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ぴーかる

近江望月城居城址 (2019/11/17 訪問)

【近江望月城居城址】
<駐車場他>望月城跡北東方向登城口前
<交通手段>車

<感想>下調べせずに行ったので、車を杉谷川を渡った道路脇に停め、登城口を見つけられず、北側の崖を直登りしてらしきものを発見、あとで調べて地図の位置的に城跡はもう少し南にあり、私が見たのはどうやら望月氏の居館址らしかったので、ここではマーキングせずに居館址の投稿のみとします。

居館跡は3方を土塁で囲み、その南側に登ったところに竪掘りのような横堀のような山の尾根の曲輪を囲むように堀跡がある。ここはここでまあまあの見応えだった。先達の方々の城跡のすごい土塁見たかった(>_<)

日帰り甲賀市城攻めの旅一応5城目。

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カルビン

セクシャル、バ~イオレッ♪ (2014/11/23 訪問)

お城巡り初三重県のトリに訪問した桑名城。
大体戦国時代に興味ある人なら高確実で本多忠勝の最後の支配地が気になると思います・・・勿論自分もそのクチでして(ーωー;)ゞ

期待して訪問した割には遺構があまり残っておらず、ちょっとガッカリしたものです。

その時は城址公園内にある水堀と本丸跡、本多忠勝像くらいしか見なかったのですが、後で菩提寺や櫓がある事を知り(当時櫓は見えていたハズなのに、何故か櫓と思わなかったんですよねww)

んで約1年後の後日、名古屋泊で近鉄線始発で桑名に行き、無事櫓と菩提寺(浄土寺)を見学してきました。


大多喜もそうですが、本多忠勝の支配地ってどちらも当時の遺構がほぼ残っていないのが残念です・・・
戦闘の強さばかり目立つ本多忠勝、意外と治世もうまくやっていたとはいえ、里見支配の跡地の大多喜や十楽の津と言われる桑名は支配が難しかった為か、お城にそこまで手がつけられなかったのかな?と思ってしまいます。


・・・どうしても本多忠勝というと高田総督を思い出してしまいますな~(真田丸とハッスルがごっちゃにww)


あ、タイトルは桑名正義さんのセクシャルバイオレットNo.1で特に意味はありません(桑名つながりだけwww)

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tac

スタンプ押せました! (2019/12/19 訪問)

先週、興国寺城にスタンプを押しにいきました。
看板の近くの箱に入っていました!

傳天守台からの眺めいいですね^_^
ちょっと杉で見にくいけれど。

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todo94

神奈川台場関連 (2019/12/21 訪問)

京急、JRが走っている部分、堀切のようにえぐれていますが、かつては青木城と尾根続きだったようです。神奈川台場築造に際して土取をされてこのようになったとのこと。本覚寺から幸ヶ谷公園を見ると天辺が広く削平されていますが、かつてはもっとワイルドな佇まいだったのではないでしょうか。神奈川台場から歩いても簡単にアクセスすることができました。

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JPN-AZE

忍城攻防戦の紙芝居 (2019/12/08 訪問)

忍城へ来る前に、ぶらっと♪ぎょうだで行われたちょん髷ワークショップに参加しました。この時は、忍城おもてなし甲冑隊の柴崎和泉守が受付をし、正木丹波守が工作のお手伝いでした。そのあと、忍城へ行き、この時はのぼう様成田長親公が休みになってしまったようなので、紙芝居がありました。甲斐姫がナレーションで、酒巻靱負が音響担当をしていました。ちなみに、忍城へは何回か訪問しています。当然、忍城おもてなし甲冑隊による演武も何回か見てます。

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JPN-AZE

名古屋城本丸御殿 (2019/11/22 訪問)

岡崎城訪問のあと、名鉄に乗って、金山駅乗り換えで、名古屋市営地下鉄で名古屋城を訪問。2018年夏にも訪れましたが、本丸御殿の長蛇の列を見て、あとの予定を考え断念しましたが、この日は、本丸御殿は必ず見るつもりで来ました。そのあとは、売店の横から、名古屋おもてなし武将隊の豊臣秀吉公が登場し、あとに槍を手にした前田利家公、加藤清正公が続き、陣笠隊の二人、更に徳川家康と服部半蔵忍者隊も後に続き、壮観だなぁ、と思いました。

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JPN-AZE

雨上がりの岡崎城 (2019/10/22 訪問)

今上天皇即位の日、雨の東京を新幹線で出発し、晴れ間が広がり始めた名古屋に到着し、名鉄に乗り換え、東岡崎で下車し、バスで行きました。東京は冷えていましたが、岡崎はちょっと暑かったです。グレート家康公葵武将隊の方々も、ちょっと汗かいてたようです。あと、からくり時計の音声が演武中、ちょっと気になってしまいました。

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JPN-AZE

上田城の紅葉 (2019/11/03 訪問)

上田城へは、何回か訪問していますが、こちらは、2019年11月3日の、上田城紅葉まつりの時の模様です。信州上田おもてなし武将隊を始め、伊達武将隊、越後上越上杉おもてなし武将隊、忍城おもてなし甲冑隊、あいち戦国姫隊、熊本城おもてなし武将隊が参加していたので、とても賑わってました。

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JPN-AZE

清洲城の織田信長公、織田秀信公、佐々成政公 (2018/08/12 訪問)

東海地方へは何回か行った事があったのですが、なぜか清洲城は訪問していませんでした。そこで、2018年夏休みに、登城しました。武将隊がいるのは知っていたのですが、複数とは知らなかったです。この日、私が会えたのは、「清洲城信長 織田家臣団 天下布舞」です。いい出会いが出来たと思ってます。

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JPN-AZE

松代城と、真田信正公 (2019/11/23 訪問)

2019年に、松代城を再訪しました。冬を除いて、時々、真田信正公になって、おもてなしをする方がいるとの事です。ここには載せていませんが、私も一緒に撮ってもらいました。いい思い出です。それと、近くの和菓子屋の竹風堂(その真田信正公から、この和菓子屋の事を教えてもらいました)には、松代城の堀の一部があります。

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JPN-AZE

五稜郭と、五稜郭タワー (2019/08/11 訪問)

初めての北海道訪問で、是非行きたいと思い、両方行きました。五稜郭おもてなし隊とも一緒に写真も撮れました。奉行所の中を見る事が出来たのもよかったです。

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零汰

別名:藟嶽城(つづらがだけじょう)、ナビの検索は大津山城で。 (2019/09/16 訪問)

9月に熊本県の大津山城に行ってきました。城域の南側にある大津山阿蘇神社から登城しました。北側にも駐車場のあるルートがあり、途中に4か所の堀切に通行用の橋が架かってるようです。標高256m地点まで約800m、南北に延びる本丸は2段に分かれており建物の基礎が残っています。石積みは少なく2か所見る事が出来ました。北側の堀切は見ていませんが(北側ルートと堀切の存在を知ったのは攻城した後でした、リサーチ不足は毎度の事です)、南側には二の丸・三の丸がありなかでも何本もあるワイルドな竪堀がおすすめです。

こちらの大津山は城域と神域を兼ねているようで、お年寄りの参拝者が毎日のように本丸まで登って来られるようです(私が登城した時は終始ひとり)。本丸には参拝者名簿が置いてあり、木漏れ日溢れる遊歩道には「出会いの小路」なる魅惑ゾーンが。

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イシテル

北条氏照が築いた関東屈指の山城 (2019/12/21 訪問)

12月20日、翌日から始まるお城EXPO2019を参加したく横浜へ。
お城EXPOは、12月22日の予定として、その前日、関東屈指の山城「八王子城」に行きました。
インターネットで事前に調べたら台風の影響が残っていること、ガイドさんが同行していただかないと本丸跡へ行けないことを知り、御主殿までしか廻れないと覚悟していました。
管理棟へ行くと、数名のガイドさんが居て、同行をしていただけると声を掛けていただき、最初は私ひとりでは申し訳ないと断りましたが、気軽にご案内いただけるとのことでお願いしました。
大手門跡から太鼓曲輪と居館地区を区切った尾根に五つの堀切があり、滅多に案内しないそうですが、歩きながら話をしていると第二と第三の堀切を案内いただけることになりました。その経路はガイドさんに案内していただけなければ分らない場所であり、二つとも見応えのある堀切でした。
その後、観光スポットの御主殿へ廻り、そこから先ほど行った第二、第三堀切の位置や礎石などの説明や雪隠と湯殿が一体となった施設(ユニットバス)、居館地区東西の端にある石垣を廻っていただき、パンフレットやガイド本では見に行けない場所まで案内していただきました。
御主殿のある居館地区を見た後は山頂曲輪の本丸跡を目指してアシダ曲輪群、馬蹄段、金子曲輪と柵門跡の石垣を登りながら廻り、高丸へ到着。高丸では帯曲輪まで降りたり、本丸跡でも廻りにある帯曲輪の説明があり、八王子城の壮大な山城の構造を堪能しました。
今回は、一日で滝山城を廻ろうと計画したため、時間が三時間ほどしかなく、山頂曲輪まででしたが、その先の詰の城や大堀切、北尾根の石垣まで廻って見たく、今度は時間を取って行ってみようと思っています。
三時間もの長い時間、ご案内いただき、また丁寧にご説明いただいたガイドさんにお礼申し上げます。
大変お世話になりありがとうございました。

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sally

姫旅!ハートで埋め尽くされた犬山城 (2019/04/12 訪問)

犬山城はお城はもちろん、城下町が女子旅にはピッタリです。

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生太郎

犬山城に行ってきました。 (2019/12/23 訪問)

飛騨・美濃産の材木は、木曽川に流して、墨俣〜朝妻間は陸送、朝妻からは琵琶湖水運で京都に流通していたそうで…。

犬山城は流通を監視するのに最高過ぎる場所だなぁ、と感動しました。

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朝田 辰兵衛

お城EXPO初参戦。 (2019/12/21 訪問)

「大坂冬の陣図屛風」を観たいために,パシフィコ横浜に来ちゃいました。14:30~16:00まで潜入。キャリーバッグを預ける場所がなく,ずっと引きずりながら人ごみの中をうろついてました。

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ぴーかる

圧巻の土塁壁 (2019/11/17 訪問)

【新宮支城】
<駐車場他>駐車場なし。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀切
<感想>甲賀郡中惣遺跡群のうちのひとつ。主郭は方形の四方を土塁で囲み、最大で9mを誇る。虎口は東中央に1箇所。主郭東側虎口のある方向は武者走りっぽい帯曲輪になっている。北側・南側は見事な大堀切、西側も谷なのか人工的な堀切なのかというくらいの堀切となっている。
 圧巻はやはり主郭西側の高土塁。虎口に足を踏み入れた時おもわず「おーすごい!」と声に出してしまうほど。土塁上に登ってこその攻城、頑張って登り上からの主郭・西北南それぞれの堀切の状態を堪能した。
しかしこれほどの高土塁、山を削る時に土塁の形状に残しているのかというくらいのスケールだった。
伊賀・甲賀の単郭式の見た中での城跡のなかでは1番の見応えでした。おすすめです。

日帰り甲賀市の城攻めの旅4城目。城跡へは東の新宮城登城口の隣にあります。

<満足度>◆◆◆

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チェブ

お城Expoの後で。 (2019/12/21 訪問)

お城Expoの後で行こうと、前々から思っていた「太田 道灌屋敷」です。
お名前の通り、太田 道灌さんのお屋敷です。
「太田 道灌屋敷」は太田小学校辺りが推定地とあります。
大岡川沿いの道は平坦でしたが、「太田 道灌屋敷」方面に曲がると いきなりの急坂が迎えてくれます。
坂の左手が太田小学校、右手が三春台公園です。
三春台公園の後ろの高い場所に、関東学院中学校高等学校があります。
道灌さんなら、こっちの高い方に築城するのでは?
ちなみに、太田小学校の名前の由来は、道灌さんからきているようです。
それじゃ~やっぱり、こっちが屋敷跡ですね。
この辺りは昔、太田村と呼ばれていたそうで道灌さんのお屋敷があったからなんだそうです。

実は「蒔田城」もお城Expoの会場から近いので行こうと思ったのですが暗くなり、断念しました。
来年のお城Expoまで、取っておこうか考え中です。
遅くなりましたが、みなさん!メリークリスマス!

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イオ

遺構不明瞭! (2019/11/10 訪問)

応永年間(1410年代)の築城で、土岐氏の一族、羽崎光直の居城でしたが、天正11(1583)年に廃城となったようです。久々利氏と同族ですし、時期的に森長可にやられたんでしょうか。
比定地は二箇所あるようですが、今回は可児市の城址碑があるほうに行きました(もう一方は城びとの位置情報が示すあたり)。

なかなか登城口を見つけられず、しばらく周辺をうろうろしましたが、住宅地の中に小さな案内標識(35.416935, 137.080454)を発見。案内に従って進むと……どう見ても民家の敷地内です。ためらいつつも敷地内を通り抜けたその先には小さな祠があり、城址碑が建てられていました。祠の裏手には崩れかかった石垣や竹藪と化した曲輪っぽい空間もありましたが、これらが遺構なのか後世のものなのか、よくわかりませんでした。

この日は山城サミットのための可児再訪で、2週間前に可児周辺の主な城には行っていたため、城びとに登録されている未訪の3城(室原城、塩河城、羽崎城)をめぐってみましたが、それぞれあまり整備されていない上に縄張図もないとなると、今の私には遺構を見極めるのは難しかったようです…。
 

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おうごんたまご

細長い「雁児童公園」 (2019/12/21 訪問)

「雁児童公園」に城跡碑ですが、背後の民家が気の毒。。。 倉賀野の町は城下というより「本陣」を中心に歴史の町のようです

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