高山城は、沼田小早川4代当主・茂平が築いた城で中世346年間、この地方の拠点でした。小早川氏の血脈を継いだ最後の当主・繁平が病弱であったことから、小早川氏の相続に妹婿である、毛利元就の三男・隆景が18歳で沼田小早川の家督を継承し、高山城に入城したとあります。小早川隆景といえば、豊臣政権下で、四国平定・九州平定などで功績をあげ、五大老の一人に任じられています。(パンフレットより抜粋)
高山城は、標高190.2mの山頂に築かれた山城で、東西450m 南北350mの規模で、谷を挟んだ南北に曲輪群が配置されていますが、北側が城の中心と推察され、本丸・二の丸・北の丸・扇の丸などが配置され、南側には、南の丸・イワオ丸・西の丸などの曲輪群が配置されています。
遺構としては、曲輪・石垣・井戸・土塁・堀切などが残って現在に伝えています。
高山城へは2度目の攻城で、最初の攻城は2016年6月4日で、まだ続100名城が開始されていませんでしたが、本郷生涯学習センターに車を駐車し、徒歩で登城したと記憶しています。(現在、本郷生涯学習センターにスタンプが設置されており、イワオ丸まで40分~50分程)
2度目の攻城とは言っても、前回の攻城はイワオ丸など南側の遺構しか確認できておらず、(草木が生い茂り北側に通ずる道が分からず撤退((+_+)))今回、リベンジ致しました。
今回は、搦め手口方面から登城し、確認していなかった北側半分をしっかりと確認致しました。(*^-^*)しかし、城域全体を確認するには、2時間ほどの時間が掛かり、この季節、草木も生い茂っているため迷路のようになっており、パンフレット等が無ければ、全体像がつかみ難く迷子になってしまいそうです( ゚Д゚)でも、この城は時間をかけてでも攻城するに足りる素晴らしい城跡です。
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