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赤い城

戦国最強、武田氏の居館 (2021/02/23 訪問)

甲府駅から北に徒歩30分。
武田神社が建っています。
武田氏が拠点とした方形居館で周囲を土塁と堀が囲んでいます。
東側が大手で整備されています。
北側は味噌曲輪などの発掘調査中、途中、主郭の堀に降りることができました。
主郭、西曲輪には石垣が一部残っています。
西曲輪北側には枡形虎口、土橋も良好。
ここ3回目の訪問ですが初めてじっくり観ることができました。

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じっぱ

西尾城 (2021/02/20 訪問)

今回は愛知に足をのばし西尾市に来て見た。歴史公園なる中に三層の建物が一際目を引く。下調べもせず来たので、これが復元?天守かと思ってしまったが、本丸!丑寅櫓とのことで、本瓦葺きの規模の大きな櫓で城内で2番目に高い建物だったようです。足利義氏が築城以来廃藩まで650年?の歴史があり、近年櫓や門が再建され公園として整備されて市民の憩いの場所となっている。西尾城の特徴とされる二之丸天守・天守台が近年一部発掘された石垣の石材を利用して再構築されているとのことです。又野面積みの石垣と本丸表門の礎石が残されています。園内には旧近衛邸の書院、茶室が移転・移築され風情を醸し出しています。

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ぴーかる

高槻城 (2021/02/06 訪問)

【高槻城】
<駐車場他>高槻市立しろあと歴史館
<交通手段>車

<感想>芥川山城登城後のスタンプ押印のお決まりパターンの訪城です。しろあと歴史館内は芥川山城と高槻城に関する展示物もあって無料なのにかなり充実しています。高槻の名産は寒天で、北西部に広がる山々の吹き下ろしの乾いた風が生産に適しているのです。内陸ですが、昔は淀川水運で運ばれてきていたそうです。生産の様子も展示物がありました。

 次に城跡公園に行ったが遊ぶ子供達や散歩のお年寄り等驚くほどの人がいたので、高山右近の銅像を撮影して早々にあとにした。商工会議所傍にある厩郭枡形門の石垣石、永井神社の移築唐門、本行寺の移築城門を見に行って終了した。

<満足度>◆◆◇

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たぬぬ

登城記録 (2021/02/24 訪問)

養老鉄道美濃津屋駅から徒歩5分で城跡とされる本慶寺に至りました。目立った遺構はありませんが、城址碑と案内板がありました。

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にのまる

石垣展示 (2021/01/06 訪問)

 舞鶴城公園に隣接する山梨県庁防災新館(やまなしプラザ)B1Fの「甲府城石垣展示室」に行ってきました。
 防災新館建設工事に伴って行われた発掘調査で確認された石垣の移築復元と、実物の胴木の展示、パネルとビデオでの解説で、石垣内部の構造などをしっかりと学習してきました。
 胴木のハサミ石や敷石など萌えポイントも発見です。あまりお目にかかることができないものなのでうれしい出会いでした。

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たぬぬ

登城記録 (2021/02/24 訪問)

大垣駅からバスで横曽根で下車し、福束大橋を渡って堤防沿いの道を歩いて、案内板のある福満寺に至りました。揖斐川の治水工事で遺構は消滅しています。

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昌官忠

房総日帰り攻城⑩:飯沼陣屋➡城びと未登録(千葉県銚子市) (2019/05/27 訪問)

中島城(琴平陣屋鳥居前)から転戦。車で20分くらいでした。
陣屋町公園北側の道路(35.730505、140.837876)に路駐して攻城しました。

1590年(天正18年)徳川家康の関東入国に伴い松平外記伊昌が飯沼領二千石で入部した。
この時の陣屋は中世の飯沼城跡(飯沼観音の地か?)か、後に高崎藩が用いた陣屋の地かは不明。
その後、幕府領、旗本知行地などとなっていたが、1709年(宝永6年)海上郡17ヵ村、5000石が上野国高崎藩領となった。
その後、1717年(享保2年)幕府領となるが、同年中に海上郡17ヵ村、5619石余が再び高崎藩領となり大河内松平氏によって陣屋が築かれます。
明治五年(1872)高崎県支庁が廃されるまで、百五十余年の間、この地に陣屋が置かれました。
飯沼陣屋は高崎藩の飛び地である銚子領を管轄する出張陣屋で、郡奉行1名と代官2名が派遣常駐していました。
現在の「陣屋町公園」一帯に築かれており、公園の一角に「旧陣屋跡」の石碑と公園内に陣屋の案内板が設置されています。

遺構はなく、公園東側に石碑(写真撮り忘れました)と案内板がありました。
攻城時間は5分くらいでした。

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たぬぬ

登城記録 (2021/02/24 訪問)

城跡は城山小学校になっています。職員の許可をいただき、校舎裏の本丸跡も見学することができました。土塁や虎口が良好に保存されています。

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑨:中島城 (2019/05/27 訪問)

須賀山城から転戦。車で22~23分くらいでした。
中島城跡説明板前(35.750532、140.762329)に路駐し、説明板の写真を撮った後、本丸跡➡琴平神社と移動して攻城しました。
本丸に向かう為に道路脇(35.751508、140.763169)に路駐。
琴平神社鳥居前(35.751009、140.762676)に路駐。

築城年代は定かではないが、1190年〜1199年(建久年間)に千葉六党の東氏の一族、海上与市常衡によって築かれたと云わっています。
海上氏(うなかみ)は平安時代末期に千葉常兼の子が海上与市常衡を名乗り、その子常幹は海上太郎と呼ばれたが一時途絶えました。
鎌倉時代に千葉介常胤の六男東胤頼を祖とする東系海上氏が現れます。
胤頼の子東平太兵衛尉重胤の次男は海上次郎胤方、その三男は海上四郎胤久、四男は海上五郎胤有(森戸城主)と長子東中務尉丞胤行以外は海上を名乗っている。
戦国時代は北条氏に従属していたため、1590年(天正18年)に北条氏の滅亡とともに徳川方によって廃城とされました。
現在城址には琴平神社(金比羅神社)があり、土塁や空堀などの遺構を確認できます。
また、東側にある銚子市三門町青年館の前と、西側の琴平神社前の道を南へ降りていく途中に案内板が建てられています。

説明板は確認できましたが、本丸(耕作地)を散策するが、石碑は発見できませんでした。
琴平神社(金比羅神社)では、石段に沿って竪堀らしきものがありましたが、遺構かどうか不明です。
攻城時間は25分くらいでした。

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赤い城

水上バスから (2021/02/21 訪問)

浅草から水上バスに乗り隅田川を下りました。
満席だけど密にならないよう予約人数は制限されていました。
隅田川エリアから東京湾エリアに進むと船上に出ることができました。
天気もよく気持ちいい!
しばらく進むとレインボーブリッジが見えて来ます。
品川台場には何度か行きましたが船上からは初めて。
幕末の江戸湾防衛のための軍事施設は今では若者たちで賑わうスポットになっています。

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ダイエティシャン

ライフジャケット必要⁈ (2021/02/26 訪問)

石見国 大田市温泉津町温泉津
櫛島キャンプ城近くの海城。温泉津町観光案内所【ゆうゆう館】から車で約10分で、キャンプ場駐車場に到着。
歩いて約5分でキャンプ場に着きます。そこの屋外テーブルに櫛島城案内図(2枚目)右に進み、岩と海を結ぶコンクリート橋(3枚目)を渡り、
コンクリートの通路を(4枚目)進みます。通路から降りると、岩肌を踏み締めて進みます。満潮や波が高い時は恐らく通れません。海を渡る感じです。浮き輪とか必要かも?と思ってしまいましたよ。
あまりにも波の音が大きく、怖くなり、遠景(1枚目)だけ撮影し、引き返しました。
次回、浮き輪と、心の準備をして攻城します。

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ダイエティシャン

沖泊港 (2021/02/26 訪問)

石見国 大田市温泉津町温泉津
かつて、石見の銀を運び出され、栄えたそうです。
海路は無限大
交易された様子を伺い知れる品が、温泉津町観光案内所【ゆうゆう館】で無料展示中。
銀山グッズと共に、しまねっこグッズも見逃せません。

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ダイエティシャン

鵜丸城跡(うのまるじょうあと) (2021/02/26 訪問)

石見国 大田市温泉津町温泉津にあります。
石見銀山の銀搬送で栄えた、沖泊港の近くの、海城です。
温泉津町観光案内所の【ゆうゆう館】の方に登城口を丁寧に教えて頂きました、ありがとうございました。
ゆうゆう館から、温泉津港管理所を通り過ぎ、釣り人、船を通り過ぎ、車1分程で白い倉庫(2枚目)が見えます。空きスペースを探し、攻城します。猿を2回 見ました。
登城口は、倉庫の左後ろです。(3 4枚目)登城口に説明板あり(5 6枚目)
階段を登り(7枚目)明るくなった(8枚目)と思ったら、本丸に到着
本丸迄は登城口から約5分。灯台があります。
海が見えます。(1枚目)ここで、船の往来を監視していたのでしょyか?
二の丸、三の丸は藪に覆われ、進めませんでした。(10枚目)無理に進み、海城で今年初滑りをしてしまいました。

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ダイエティシャン

福光城Ⅴ 本丸 上の丸 御屋敷 (2021/02/26 訪問)

本丸(1枚目)から、岩肌を越え、(2枚目)シダ植物をかき分け(3枚目)、約10分で、上の丸に(4枚目)到着。
眺めは、木々が生い茂り、イマイチ(5〜7枚目)。攻城は明るいうちに。
下山途中に、広い郭らしい場所を見つけました。もしかしたら、御屋敷跡でしょうか?

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ダイエティシャン

福光城Ⅳ 本丸 馬洗い池 上の丸 (2021/02/26 訪問)

本丸(1枚目)から、上の丸を目指します
途中の急斜面(2)3枚目も、ロープ付きで安心。出雲高瀬城の登城路を思い出す路(3枚目)です。亀ような岩あり(4枚目)
岩を通り抜け(5枚目)岩肌を滑らないように登り(6枚目)様相が変わり、シダ植物が出迎えてくれます。(7枚目)
馬洗い池(8 9枚目を越え、上の丸に到着(10枚目)

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ダイエティシャン

福光城Ⅲ 本丸 二の丸 三の丸  (2021/02/26 訪問)

駐車スペースから本丸迄、約15分で着きます
本丸に、詳しい説明板(1〜6枚目)
本丸が一番広く(7 8枚目)二の丸(9枚目)と続き、急斜面下った所に三の丸
本丸は眺めが良く
ここが温泉津港初め、要所であることが伺い知れます
本丸は、猪か猿か何物かが、木の根と闘った跡があり、とても土臭かったです。
続く

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ダイエティシャン

福光城Ⅱ  谷山の石仏 登城路 本丸 (2021/02/26 訪問)

谷山の石仏の標識(2枚目)から奥に進むと、石仏(1枚目)があります。説明板もあります(3枚目)コロナの収束と無事の攻城をお祈りしました。
井戸跡(4 5枚目)水が湧き出ています
落ち葉の山道をどんどん進むと、本丸が見えてきます。(7枚目)
本丸の標識(8 9 10枚目))要所だったんですね

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ダイエティシャン

福光城Ⅰ 登城口 登城路 (2021/02/26 訪問)

登城口は、9号線の大看板(1枚目)から、橋を渡り、左手です。大看板の所の駐車スペース(2枚目)に駐車し攻城。
橋を渡り、左手に説明板(3枚目)があり、少しその右側に細いコンクリート道(4枚目)を進むと、藪に覆われた標識(5枚目)が見つけました。そのまま水路に沿って(6枚目)進むと、また標識が(7枚目)、落ち葉の中をどんどん進むとまたまた標識が(10枚目)
分岐点毎に、標識があり、わかり易いです
続く

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pascal

市街地への城郭復元のお手本 (2018/01/20 訪問)

 ほとんど更地から本丸の約半分が復元された宇都宮城。
実はこの時期に、宇都宮に住んでいたので、その一部始終を目の当たりにした城です。

【アクセス】
 宇都宮市役所の東隣にある宇都宮城、地図の◎印が目印の判り易い立地です。
市役所の広い駐車場が城址との間にあります。
電車は、東部宇都宮駅から南東に400m、JR宇都宮駅からだと、西に真っ直ぐ伸びる大通りを進み、PARCOとドンキーの間の通り(バンバ通り)を真っ直ぐ南進すると城址が見えて来ます。

【城の歴史】
 平安中期の“前九年の役”で功の有った藤原宗円が、宇都の宮(現:二荒山神社)の別当に任ぜられ、赴任して居館を建てたのが宇都宮城の始まりです。
宗円の孫:朝綱の代からは“宇都宮氏”を名乗り、以後500年にわたり、関東の名族としてこの地に勢力を拡げ君臨しました。
居城として拡張・改修が繰り返された宇都宮城は、関東七名城に数えられる壮大な名城でした。

 戦国が終わり、秀吉の天下でも領地安堵されていた宇都宮氏でしたが、『石高の過少申告』という理由で改易されてしまいます。
後には会津から蒲生秀行が入りますが、関ヶ原以降は奥平家昌を入れています。
大坂の陣が終わり徳川幕藩体制になると、家康は腹心の本多正純を入れて要地:宇都宮を統治させましたが、将軍が家光になると、突然改易されてしまいます。
俗に言う“宇都宮吊り天井事件”ですが、これは明らかに幕閣との政争の結果ですね。

 以後は譜代と親藩の8家がつないで明治になるのですが、戊辰戦争では藩主(戸田家)が新政府に恭順したため、宇都宮城は幕府軍に攻められ占領されてしまいます。
そこに新政府軍が攻め寄せたので、激戦が繰り広げられた城と城下は殆ど灰燼に帰してしまいました。

 戦後は幕閣の城の常で、城地は民間に売却されて市街化が進み、平成15年の時点では城址の痕跡を見付けるのも難しい更地状態でしたが、翌年から復元工事が始まり、本丸の西半分が外観復元されました。

【見どころ】
☆平坦地の平城ですから、堀を掘った土砂での掻き揚げ土塁で囲まれる本丸ですが、ここの土塁は3倍以上の土砂を積み上げた感じの高土 塁です。この高さは他では見られません。
 夏の夜は暑くて寝られなかった事でしょうね(^^;
☆土塁も堀も現代工法で、正直ガッカリな印象も抱きますが、外寸は寸分違わず復元されています。櫓2棟は木造です。
☆利用者の客層や使われ方を観察して見てください。この城、活きてますよ。

【感想】
 数々の城めぐりをして来ましたが、復元整備の動きが無い名城の多さを嘆く一方で、忠実に復元された城址の惨状も目につきます。
税金を掛けて整備したものの、興味を持って訪問する人は殆ど無く、住民の益になっていないのです。
その割に維持管理の費用は莫大で、特に城址を覆っていた木々を伐採すると風雨による損壊は驚くほど早く進みます。
 そう考えると、文化財指定の無い宇都宮城を、城の姿形は忠実に再現しつつも、現代工法で丈夫で壊れにくい構造にし、さらに文化施設やイベント会場、緊急災害時の避難場所にと、活用の付加価値を与えて行くという宇都宮市の判断こそ正しい様に思えます。
都市の城址の、あるべき姿ですね。

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ふゆづき

海賊の城 (2021/02/21 訪問)

九鬼氏が築いた平山城である鳥羽城を訪問しました。
鳥羽駅から歩いても10分程度の距離で郭内にたどり着けますので、観光の便を考えれば最寄りの中ノ郷駅よりも鳥羽駅の方が便利だと思います。
近鉄の鳥羽駅改札の外には観光案内所があり、御城印(今は3種類あります)が入手可能であり、鳥羽城までの徒歩での行き方を教えて頂けます。
城はこんもりした岡の上に築かれており、城の一部には廃校となった旧鳥羽小学校があります(本丸は校庭だったようです)。
全山石垣という訳ではありませんが、海沿いの三の丸から本丸に向けて段々畑の様に築かれた石垣は見事だと思います。
この城が築かれた時点では高石垣を作事する技術がなかったのかもしれませんが、その分、石垣の重なりを楽しむことができるように思います。
本丸や二の丸からは真珠で有名なミキモトや鳥羽水族館を見ることもできますが、この城の見所は、この三の丸から重なり合う石垣と本丸付近の石垣のように思います。
山の手にある市役所の方には家老屋敷跡が残されており、そこも見逃すことは出来ないように思いました。

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