10年ぶりでした。現存櫓はもちろんですが石垣が素晴らしい✨
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2020/12/27 11:08
2020/12/27 10:24
みんなの投稿に至急、のろしを! (2020/12/26 訪問)
やっとこ、お城攻めしました。
日本全国たくさん「小山城」がありますが、山梨県の「小山城」です。
説明板に穴山 伊豆守さんの居城とあり、1450年、穴山さんは武田 信重さんを攻めました。
まだ、武田家臣団が形成していない時代のお話ですね。
1523年穴山 信永さんの頃は南部 宗秀さんに侵攻され「小山城」に籠城するも自刃しました。
南部さん東北の南部ではなく、甲斐南部の方で、武田氏の家臣なんだそうです。
穴山家を調べると、非常にややこしい、、、。
簡単に言うと、穴山家中は揉めてた、、、と、言う事です。
さてさて「小山城」立派な高い土塁に囲まれた お城でした。
東側に虎口がありました。
虎口右側に「小山城」の石碑と説明板があります。
車も駐車できます。
私は反対側に路駐して、裏側から攻めました。
こちら側は立派な空堀、見上げれば土塁の上に東屋風の建物があります。櫓台のようです。
しっかり守られているけど、寒い。が率直な感想です。
夏なら
しっかり守られているけど、暑い。になるでしょう。
山に囲まれた山梨県ですから。
そうそう、昌官忠さんの言う通り「滝山城」は我(?)領内です。
東京の端っこから、こちらの山梨県に行くために中央高速道路を使います。「高月城」と「滝山城」を右手に睨みながら武田家領内に侵攻します。
無理やり、土塁に登ろうとしている動きの悪い、おばちゃん がいたら私です。
これからも、よろしくお願いいたします。
すっきり晴れた青空に、のろし風の雲を発見。
私のグダグダに長い文書の のろしは青空を煙で覆いつくしそうです。
一言で伝えるなら「小山城」は素晴らしい お城跡です。
、、、スマホで投稿。
今更ながら便利な世の中になりました。
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2020/12/27 10:15
状態の良い遺構 (2020/12/12 訪問)
江戸末期、外国船の来航に備えるために紀州藩が築いた台場で、家老の三浦長門守が防備にあたりました。
トンガの鼻と呼ばれる岬の先端に築かれ、台場の周囲を土塁が囲み、土塁の下部は石垣造りになっています。西辺(海側)の土塁には2か所の開口部(砲眼)があり、砲床とみられる土壇もあります。また、埋め戻されていますが、発掘調査では砲座と考えられるV字状の石積みも発見されているようです(現地に説明板あり)。台場の南東下には、弾薬庫跡と思われる周囲が石垣造りの方形壇があり、その南下にも同様の造りの方形壇が見られます。
台場から東南東に少し行くと番所跡と思われる平場があり、海側を下部が石垣造りの長大な土塁で守っています。土塁の内側角部は地元産の緑色片岩による算木積みで、なかなか見応えがあります。番所脇から坂道を上った高台は、現在は「お城の見える丘」として整備されていますが、その名の通り和歌山城を見通せる位置にあり、史料にいう狼煙場だったと考えられます。
少しわかりにくい(訪れにくい)場所ですが、県道沿いに案内標識があり、県道から入ったところに3台ほど駐められる駐車場もありますし、30分程度で手軽に状態の良い遺構を楽しめますので、和歌山に来た際にはぜひどうぞ。
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2020/12/27 09:57
87 (2017/04/12 訪問)
桜の季節に訪問出来ました。
天気も良く、良い時間が過ごせました。
松本城の素晴らしい処は、堀が周回しており東西南北どの方向からも天守を眺めることが出来て、なおかつどの方向からもその雄姿が映えることではないかと思います。
さすが国宝って感じましたけど、現存天守に共通していますが、この急な階段を上り下り出来るのは一体あと何年持つかという不安も過りました。それだけ歴史ある場所へ行けるという贅沢な悩みなのかも知れません。
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2020/12/27 09:45
所用にかこつけた城巡り 8.5城目(オマケ) (2020/11/19 訪問)
所用を済ませ、帰路に。
山陽道沿いの城を踏破しようと走る途中、角牟礼城での海賊の話を思い出し、ルート変更。
しまなみ海道、大島大橋走行中に能島が見えた時には、潮流も見れるし島そのものが城という
珍しい城を巡ることができると、年甲斐もなくワクワクした。
9時に村上水軍博物館に入館して、すぐにその思いは打ち砕かれた。
舟は予約制だし上陸もできないことが判明。
(そりゃ、そうだ。 潮の時間もあるし、第一お客が集まらなきゃ舟は赤字だもんな。)
(”城びと” の皆さんは、こんなマヌケな思いはしないと思いますが…。)
ここの展示と角牟礼城の豊後森藩資料館で伺ったお話とが歴史的につながり、よく理解できました。
江戸期には多くの大名が転封を余儀なくされているが、転封元と転封先の歴史をつなげる巡り方を
やっても良いかな、と一瞬思ったほど。 (多分しないだろうけど…)
「村上水軍」 って響き、かっこいいなー と思っていたのですが 往時は 「村上海賊」 と
呼ばれていたのですね。
文化庁の「日本遺産」に認定されており、日本独自の歴史文化として、「海賊」 ”KAIZOKU” を
”NINJA” や ”SAMURAI” と同じように、世界に発信していきたいそうです。
突堤の先端から、なんとか能島の写真を撮ることができました。
「カズサン」の投稿で、カレイ山展望所から能島城が俯瞰できることを知り、(涙)です。
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2020/12/27 09:35
63 (2017/05/02 訪問)
別名:舞鶴城だそうで、所在地は舞鶴城公園内にあります。
ずいぶん整備された立派な公園だと思ったら、甲府市立ではなく山梨県立だということで、よくよく周りを見れば隣が県庁で納得しました。
城郭は残っていませんが、再建された門と石垣、そして櫓がいい感じです。
天守台も残っているので、一層のこと天守も再建すれば良いのに・・・などとお金の計算もせず言ってみただけです。すいません。
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2020/12/27 09:23
57 (2017/05/02 訪問)
人は城、人は石垣、人は堀・・・
武田信玄は城を持たず、こちらがその代わりと言われる館なのですが、どちらかというと神社に行く感じになります。
その神社の宝物殿ですが、余り期待はしない方が良いです。標準以上だけど合格点には届かない57点くらいが丁度良い評価ではないでしょうか。
旦那さんは城巡りが趣味で、奥様は神社巡りをして御朱印帳集めを趣味とする夫婦にはどちらも我慢することなく平和なスポットと言えるでしょう。(一体、誰?)
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2020/12/27 09:02
2020/12/27 08:02
56 (2017/05/03 訪問)
低評価でごめんなさい。城址系では至って標準的な位置だと思います。
地元八王子市がガイダンス施設なるもので啓蒙しているのが好感持てましたので、+6点です。
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2020/12/27 07:59
58 (2016/12/03 訪問)
江戸城というネーミングですが、小説などには良く「千代田のお城」という言い回しがあり、個人的にはこちらの方が庶民感覚的には合うのではないかと思うのですが。
ここは城郭というより、皇居東御苑という庭園です。
ちょうど紅葉の時期を狙って行ったのが大正解でした。
浜離宮庭園や六義園など東京都立の庭園は有名で当然有料ですが、こちらは国立(宮内庁管轄)で無名で無料です。
都心にこのような場所があることは、意外と知られていない穴場だと思いますので、城巡りには二の足を踏むパートナーや友人などにもお勧め出来る都会のオアシスです。
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2020/12/27 07:28
埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り④ (2019/08/04 訪問)
「埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り」4城目は大成館です。寿能城からの転戦です。
寿能城から大宮公園駅に戻り、大宮公園駅から東武アーバンクラインで大宮駅に到着。そこから普門院(大成城)を目指します。(大宮駅から徒歩15分ちょっとくらいです)
大成館は武蔵七党のひとつ、村山党から出た金子氏の一族、金子駿河守家光の館跡と伝わっています。
江戸時代には旗本・小栗忠政がこの地の領主となった際に復興させ、居館として利用したようです。
現在館跡は普門院と大成中学校になっており、普門院の入口脇には城址碑が建てられています。普門院は小栗家の菩提寺として現在も小栗一族の墓所があります。
普門院は小栗家の菩提寺として現在も小栗一族の墓所があるそうですが、自分は見ていません。
ちなみに、武蔵七党(むさししちとう)は、平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団の総称だそうです。
「七党」を構成する氏族は文献によって異なるようで、異同を整理すると横山党(八王子市)、猪俣党(児玉郡美里町)、児玉党(本庄市児玉郡)、村山党(多摩郡村山郷)、野与党(加須市野与庄)、丹党(丹治党)(入間郡・秩父郡・児玉郡)、西党(西野党)(日野市)、綴党(横浜市都筑区)、私市党(加須市騎西)となり、全部で九党あるようです。
攻城時間は10分くらいでした。(夏の暑い中を歩いたので、少し休みました)
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2020/12/27 07:22
埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り③ (2019/08/04 訪問)
「埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り」3城目は寿能城です。大和田陣屋からの転戦です。
大和田陣屋から大和田駅に戻り、大和田駅から東武アーバンクラインで大宮公園駅に到着。そこから寿能公園(寿能城)を目指します。(大宮公園駅から徒歩10分くらいです)
寿能城は岩槻城主・太田資正の四男、潮田資忠(母方の姓を名乗った)によって築かれた城で、1560年(永禄3年)頃に、岩槻太田氏の岩付城の支城として建設されたようです。1564年(永禄7年)に北条氏が資正の留守中に長男・氏資を調略し資正の追放に成功すると、資忠は兄に従い北条氏に属しました。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」では資忠と資勝父子は小田原城で戦死し、寿能城は村民の避難所となっていましたが重臣の北沢宮内と加藤大学らの奮戦も虚しく落城し、婦女の多くが見沼に身を投げました。
現在城址は宅地化のため遺構はほぼ失われていますが、物見櫓跡が寿能公園となっており、資忠の墓所があります。また見沼代用水を越えた大和田公園は出丸が置かれていた場所で、梅園や日本庭園の近くにある雑木林に土塁と空堀の遺構を確認できました。(写真を撮り忘れました)
攻城したのが朝8時40分過ぎでしたが、寿能町2丁目自治会の方がテントの回収作業をされていたので、邪魔にならないように早めに撤退しました。攻城時間は10分くらいでした。
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2020/12/27 07:19
2020/12/27 07:08
2020/12/27 06:47
埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り② (2019/08/04 訪問)
「埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り」の2城目は大和田陣屋です。岩槻城からの転戦です。
岩槻城から徒歩で岩槻駅へ戻り、岩槻駅から東武アーバンクラインで大和田駅に到着。そこから徒歩で大和田陣屋を目指します。(大和田駅から徒歩10分強くらいです)
大和田陣屋は岩槻城主・太田氏の家老であった伊達与兵衛房実の陣屋で、1590年の小田原征伐により北条家が滅んだ後、徳川家の旗本として仕え、旧所領の跡地であったこの場所に、陣屋を構えたと伝わっています。
インターネットで調べたら、大和田公園通り沿いに「大和田陣屋」の立て看板と案内板が設置されている旨の情報がありましたが、自分はみつけられませんでした。
陣屋跡のポイントは住宅街で土塁遺構らしきものも見あたりません。攻城時間は付近をウロウロした時間含みで10分くらいでした。(結局、何も見つけられず!)
投稿するものが何もなく(城びとで示されたポイント:空地の写真は私有地のようなのでやめました)、陣屋と大和田駅間で見つけた神社の写真を投稿しました。場所はGPS座標(35.927526、139.648062)です。
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2020/12/27 06:34
埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り① (2019/08/04 訪問)
「埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り」の1城目は岩槻城です。
自宅最寄り駅から岩槻駅に到着。そこから徒歩で「岩槻城址公園(岩槻城)」を目指します。
ナビでは西口からのルートで誘導されましたが、東口から諏訪神社経由の方が早いような気がします。(岩槻駅から徒歩20分くらいです)
岩槻城は1457年(長禄元年)に太田道真・道灌父子がはじめて築城したといわれていましたが、近年では、忍城主・成田親泰の祖父にあたる成田資員が築城したとする説も有力で、築城者と築城年については定かではないようです。
元荒川を天然の外堀として利用した総曲輪(惣構え)の縄張りで、扇谷上杉氏と古河公方足利氏の領地の境目に築かれた最前線の城として活用されていました。
城は大改修されるも小田原の役で2万の軍勢に囲まれ降伏開城しました。江戸時代には高力清長が2万石で入り、以来、幕府要職に就く譜代大名が入封しました。
本丸・二の丸・三の丸等の城の中心部のある主郭部、その周囲を取り囲む沼の北岸に位置する新正寺曲輪、南岸に位置する新曲輪という、3つのブロックから 構成されており、大きな沼に囲まれていたことから水に浮かぶように建っていたと言われています。
現在は岩槻城址公園として整備されており、黒門と裏門が移築されているほか、当時の土塁がいまでも残っています。
大部分が開発され沼も埋め立てられていますが、鍛冶曲輪・新曲輪のあたりが城址公園として残っており、高い土塁に囲まれた空堀の底を歩くことができます。
黒門、裏門も見応えあります。時の鐘を見るのを忘れました。攻城時間は60分くらいでした。
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2020/12/26 23:16
木造復元天守閣・現存御殿 (2020/12/24 訪問)
木造復元された天守閣と二の丸御殿が現存
天守閣内部は所々金属による補強がされているところをみると
掛川城より規模の大きな名古屋城の木造復元はかなり難しいことのように思えてきます
御殿の長囲炉裏間の天井には当時の藩主太田氏の家紋が入っています
その他にも大手門が元の位置とは少し違うが復元され
その裏手には番所が現存しています
十露盤堀は元はもう少し大きかったようですが腰曲輪を削っって埋められてしまったようです
なので腰曲輪ももう少し広かったみたい
お城から北東へ300メートル位のところには古掛川城があり
徳川家光を祀った御霊屋と大堀切が残っています
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2020/12/26 22:31
川連城 [栃木県栃木市大平町川連] (2016/05/22 訪問)
ここに来てのコロナの猛威炸裂と先週のぎっくり腰(軽度)の為、近々ではお城訪問はおろか通勤以外で電車に乗る事さえ出来てませんorz
もう最後に史跡訪問してから9ヶ月経過してます。。。(たまに運転慣らしで近場の滝山城や高幡城脇を通過はしたw)
流石に残っているのは在庫処理的なお城が大半になっております(@投稿の旬の過ぎた100名城w)
そんな見所の乏しいお城の中の1つ、栃木県にある川連城をご紹介。
周辺に勢力を誇っていた皆川氏による築城のお城らしいのですが、昭和後期の道路整備によって遺構の大半が失われた様です。
実際車で訪問しましたが、現地はバイパス道路沿いにあり、車を停めるスペースさえ見つけられませんでした。
(すぐ傍に川連天満宮があったので、そこの駐車場利用できると踏んでいたのですが・・・)
駐車場所を探して周辺を数周した時点で諦め、交差点の信号待ちの際に車内から城碑と解説を撮影致しました。
実際車で回った限りでは遺構の「い」の字も見つけられなかったので、仕方がないかと。。。
一応最寄りの駅となる栃木駅(JR線・東武日光線)からギリギリ徒歩圏内(直線距離で1.7km)ですが、そこまでして訪問するのはちょっと・・・
なので駐車し辛い事も加味して2輪での訪問がオススメの地となります。
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2020/12/26 22:20
その先に行ってみた (2019/12/03 訪問)
以前どこかの教授がこちらの城郭を鹿児島城郭ランキング2位と推している城郭関連本か記事を目にしました。教授が推すのだからきっと見どころのある城郭だろうと県内の名続100との違いも考えながら攻城しました。
周辺の山一帯が城域でとても広いです。整備のされている範囲は駐車場付近の本丸までの限られた場所だけ。本丸東の馬場跡の南側に本丸から続く高い土塁の間にポッカリ空いた堀切(虎口と言うべきか?)が有ったのでその先に行ってみた。案内板でいう蔵ノ城と呼ばれる場所です。駐車場から整備された範囲と蔵ノ城を含めて3.2km・累計高低差190m・2時間20分程の攻城です。なお、整備された範囲は先輩のレポートがあるので省き、倉ノ城と呼ばれる範囲だけの写真となります。
結論から言いますと、整備された入口周辺の遺構とは様子が違い、天然の浸食谷を幾つも利用し石は使われていない土の山城です。鹿児島でよく見られる荒々しくワイルドな堀切や堀切道が施されており遺構はほぼ揃っています。道に迷う事も有りませんが、特徴的で警戒すべきは二股に分かれた堀切道、隼人族の居城でも驚かされた片方が崖に落ちる仕掛け。時には折れ曲がって見えない先は崖だったりと。行かれる方は二股の道に出くわしましたら十分ご注意下さい。
初めの教授のランキングの件、好き嫌いが分かれるのかと、必然的に名続100との違いは万人向けではないだろう、フェイク堀切とか歴史的背景など。私はメジャーマイナー拘らずに浪漫の欠片探し大好きなのでビビリながらもとても楽しめて都合2度行きました。
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2020/12/26 22:08
今年の登城納めは掛川城❣ (2020/12/26 訪問)
冬型の気圧配置が少し収まり遠州は晴天、真っ青な天空です、今年の登城納めは掛川城にと出掛けました、流石百名城多くの方々が登城されてました、御殿、天守とも入場の感染対策はバッチリ、掛川城駐車場に車を駐める。
ルートは駐車場近くの復元大手門、大手門番所、三光稲荷神社、逆川沿いからの景観を愛でて三の丸下から二の丸へ、二の丸御殿入場しなく周囲を巡る、二の丸東の高土塁、四脚門から三日月堀、十露盤掘、四脚門では門松飾り付作業中、太鼓櫓、本丸、天守曲輪、登閣せず周囲を廻り眺める。
駐車場に戻り西に約14km程袋井市の油山寺に移築されて山門に成ってる掛川城大手門を久しぶりに観察する、年末に関わらず参拝者が多い。
駐車券を精算する時に財布忘れの現実を体験、全てのポケット、背負ってるリックを調べ財布無し真っ青、駐車場の管理人さんに事情を話した処、親切にもお金を立て替えてくれる事に成り大変ありがたくお世話に成り感謝です。自宅まで約30km程引き返して立て替えて頂いた料金と手土産を持って掛川城駐車場の管理人さんに手渡し重々お礼をして帰路へ。
この為本日は財布忘れの失敗も有りましたが2回掛川城を訪ねるラッキーと成り考え様で好事へ変換。
今年は復元建物が多く建てられ北陸、中部、北関東、南九州と出掛け未踏の山城も数多く廻り今年の登城数は135城と成って居りました、また感動し見応えの有る山城がまだまだ数多く在る事が分かった次第、来年も厳選しながら巡りたいと思って居ります。
1年間、投稿愛読?有難うございました、来年もよろしくお願いいたします。 良いお年をお迎えください。
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