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hata

日本100名城 No,006 石垣に守られた公園です。 (2011/08/12 訪問)

■100城の33城目(初登城)【不来方城】
●大東北遠征4泊5日城攻めの4城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:多賀城から渋滞で180km、3.5時間
【駐車場】「プラザおでって」(30分150円) 岩手公園地下駐車場(30分150円)
【スタンプ】「プラザおでって」2階観光案内所
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆ 大規模石垣が数多く残っています。が、公園です。もう少し城跡整備を期待します。
【お土産】「プラザおでって」にてフルーツなど
【昼食】なし
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】大きな縄張りをゆっくりと歩きました。
【柴犬のクウ】楽しく歩いたワン!

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釜次郎

太田本郷城 (2021/02/28 訪問)

解説版と城跡碑がありましたが、遺構は見当たりませんでした。

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あぽちゃん

興国寺城

2020年12月5日に透明愛鷹PAのスマートICからすぐ近くでした。愛鷹山裾野の斜面に城址が残っています。三の丸が駐車場になっています。

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宗像氏貞

片脇城 (2021/02/27 訪問)

片脇城の出城の秋葉山城までの道を紹介してます。

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hata

日本100名城 No,005 中世の城跡です。 (2011/08/14 訪問)

■100城の35城目(初登城)
●大東北遠征4泊5日城攻めの6城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:宿泊地、青森市浪岡から十和田経由170km、2.5時間
【駐車場】八戸市博物館(無料) 
【スタンプ】八戸市博物館
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 大変きれいに整備してあり、とても清清しい感じ。
【お土産】なし
【昼食】途中で十和田バラ焼きの有名店に寄りましたがお盆休み。八食センターも寄れず。残念!で、盛岡冷麺。
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】予想以上に良かったです。八戸市の南部氏に対しての敬愛の気持ちを感じました。ボランティアの方々が待ち構えています。
【柴犬のクウ】弘前から遠かったワン!

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hata

日本100名城 No,004 日本一の桜が見事です。 (2011/08/13 訪問)

■100城の34城目(4回目の登城)【鷹岡城】現存天守12城の3城目
●大東北遠征4泊5日城攻めの5城目(山形城→仙台城→多賀城→盛岡城→弘前城→根城→久保田城)
【移動手段】車:宿泊地、青森市浪岡から約20km、0.5時間
【駐車場】追手門近くの弘前市立観光館地下駐車場(30分100円) 
【スタンプ】天守内売店
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆☆ 現存天守は趣があり、佇まいに落ち着きがあります。
【お土産】たか丸くんのグッズなど
【昼食】青森市大釈迦の「峠の茶屋」で天ぷらそば950円・美味!
【同行者】姫は熱中症気味ですが北の郭・武徳殿の甘味で姫は復活!
【他】今回の東北廻りのメインです。現存天守以外にも重要文化財として数多くの遺構が現存しています。桜の時期も良いですが、盛夏の緑にも弘前城はあいますね。町並み散策は暑さのため断念し次回に。レンタル自転車人多し。
【柴犬のクウ】有料ゾーンに入れず、ここも駐車場待ちでしたワン!

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hata

日本100名城 No,003 本丸御門は素晴らしい (2012/08/17 訪問)

■100城の57城目(初登城)福山城
☆北海道大遠征、最後の3城目(根室半島チャシ跡群→五稜郭→松前城)
【移動手段】車:五稜郭から片道96km約2時間強、遠かった。
【駐車場】松前城前(無料)
【スタンプ】松前城有料ゾーン受付○
【天気】快晴(気温:最低18℃・最高30℃)
【印象】☆ 道の駅・北前船松前で腹ごしらえ。本州がくっきりと見えます。 復元天守は遠くから見るといい感じ〇 本丸御門◎、石垣、良いですね。
【お土産】色々たくさん買いました。
【昼食】道の駅・北前船松前で「松前殿様丼ぶり」◎¥980 
【夕食】ラッキーピエロ・ベイエリア本店〇
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】旅行8日目、五稜郭→青函トンネル記念館○→横綱記念館○2館セット¥700→道の駅・北前船松前○→松前城○→元町・茶房「無垢里」○→トラピスチヌ修道院→湯の川の共同浴場○→函館ベイエリア○→津軽海峡フェリー→青森市で1泊し東京へ。3500km走破と遠い道のりでした。
今回の北海道3城塗りつぶしで東日本制覇となります。 秋からは西国攻めに出陣します。
【柴犬のクウ】また北海道に来ようねワン!

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hata

日本100名城 No,002 函館は何度でも来たい、大好きな街になりました。 (2012/08/17 訪問)

■100城の56城目(初登城)
☆北海道大遠征の2城目(根室半島チャシ跡群→五稜郭→松前城)
【移動手段】車 函館朝市から約4km、10分
【駐車場】五稜郭タワー前(1時間¥200)
【スタンプ】タワー展望台受付
【天気】晴れ(気温:最低18℃・最高28℃)
【印象】☆ 8時に開館してすぐにタワーに入場。人も少なくゆっくりと五稜郭全体を見ました。その後、五稜郭公園・奉行所など散策〇
こちらは朝一番で訪問するのが良いですね。11時頃に帰る頃には、タワーは人があふれ駐車場も満車状態でした。
【お土産】色々たくさん買いました。
【朝食】函館朝市でイカソーメン定食〇
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】前日に函館に到着。五島軒◎で夕食をとり、ロープウェイで函館山の夜景◎などを堪能。元町エリアのライトアップされた歴史的建物群◎散策。
翌日の旅行8日目、函館山モノレール近くの宿△→函館朝市〇→五稜郭タワー〇入場料¥840△→五稜郭公園〇→松前へ
函館は坂が多く歩き回るのは大変ですが、とても素敵な町です。
【柴犬のクウ】涼しくて気持ち良いワン!

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hata

日本100名城 No,001 ヲンネモトチャシ跡、やっとたどり着きました。 難関な位置の城跡です。 (2012/08/15 訪問)

■日本100城の55城目(初登城)
☆北海道大遠征の1城目(根室半島チャシ跡群→五稜郭→松前城)
※根室駅に離接した、根室市観光インフォメーションセンター(根室市観光協会)でチャシ跡群の案内図を頂きました。
【移動手段】車:東京から1500km 根室駅から約20km、30分程度。
【駐車場】温根元チャシ跡 駐車場(無料)
【スタンプ】根室市観光インフォメーションセンター
【天気】小雨(気温:最低16℃・最高25℃)
【印象】☆ ヲンネモトチャシ、やっとたどり着きました。温根元チャシ跡 駐車場、「コンテナ」から先は草刈などされており、すぐに碑までいけました。“群”なので複数いきたかったのですが、案内所ではあまり勧められませんでした。
車で移動していると、何カ所もチャシ跡のすぐ脇を通り過ぎましたが、どれがなんなのか良くわかりませんでした。こんもりしているところがチャシ跡か?
【お土産】納沙布昆布など。
【昼食】最東端の鈴木商店でサンマ丼セット(花咲ガニ◎)
【夕食】厚床のムートンブラン
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】夏休みに北海道城攻めを敢行。すべて車での移動です。
旅行4日目、阿寒湖の宿◎→釧路湿原→根室駅→納沙布岬→ヲンネモトチャシ→東根室駅(JR最東端)→スワン44ねむろ→厚床ムートンブラン→標津町の宿へ。
【柴犬のクウ】北方領土は雲で見えなかったワン!

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橋吉

鳴海城→丹下砦→善照寺砦→中島砦と徒歩でまわりました (2021/02/23 訪問)

永禄3年5月19日(1560年6月12日)、丹下砦に寄った織田信長は、善照寺砦へ移動。今川軍の先陣を確認したのち、多くの旗指物を掲げ、大軍がいるかのように見せつけた後、2,000の兵と共に善照寺砦を発ち、中島砦に移動を開始しました。

これに従い、私も善照寺砦を後にして、徒歩にて中島砦跡に向かいました。

途中、旧東海道を通りました。
街道の名残を残す建物や昭和の香りがする商店があり見ていて楽しいのですが、新しくできた空き地も点在し寂しい気持ちも感じざるを得ませんでした。

やがて、扇川に突き当たります。
中島砦は扇川とその支流の分岐点あたりにありました。

現在、中島砦は私有地にありますが、所有者のご厚意により自由に見学できます。
よって、感謝の気持ちをもって、ご迷惑がかからないように注意して訪問しましょう。

遺構はとくになく、塚が残されている程度です。
その中に中島城祉の碑が建っていました。

(鳴海駅)→鳴海城→丹下砦→(成海神社)→善照寺砦→中島砦→(鳴海駅)と徒歩でまわりました。
5.7km、1時間39分の散策でした。

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ヒロケン

大和三大山城 (2021/02/20 訪問)

信貴山城は河内国守護職であった畠山氏の家臣、木沢長政が1536年に築城したと云われています。1542年河内太平寺の戦いで木沢長政が討死し、信貴山城は廃城同然となったが、この城を大改修したのが戦国時代三大梟雄と云われた”松永弾正久秀”です。
三好長慶の家臣であった松永久秀だが、長慶が亡くなると大和一円に勢力を伸ばし、畿内随一の実力者にのしあがった。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、久秀は天下の名器「付藻茄子」を信長に献上し大和一国の所領を安堵されたが、織田信長に反旗を翻して、この信貴山城に立て籠もったが、2万3千の大軍で信貴山城を取り囲まれ、「古天明平蜘蛛」とともに久秀は爆死したとあります。

大和三大山城と云われる信貴山城は標高433m、河内国と大和国を結ぶ要衝の地で、山上に東西・南北とも500mを超す放射状連郭の城です。現在は郭・土塁・堀切が残されていて、特に松永屋敷跡はよく整備されており、散策しやすくなっています。

この日、大和三大山城の一つ、信貴山城を攻略すべく豊橋を朝4時に出発。朝護孫子寺をナビにセット、迷わず朝護孫子寺に到着。駐車場代500円を支払い駐車。朝護孫子寺を抜け城跡に。山上から下りながら城跡を散策したが、正直、城址が広過ぎるのと、松永屋敷以外は整備されていないため、縄張り図で確認したところ、半分も巡り切れていませんでした。ちょっと残念でしたが、城跡で戦国の世を妄想しているだけで幸せな気分に浸れました。

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑫:桜井城 (2019/05/27 訪問)

飯沼城から転戦。車で35分くらいでした。
桜井城址付近(35.783981、140.646445)に着き、車で麓を一周すれど登城口も駐車場所も見つからずに攻城を断念しました。

桜井城は鎌倉時代初期、源頼朝より東ノ荘、三崎郷を与えられた千葉常胤六男・東六郎胤頼により築城されたといわれています。
それ以前は上代越後守が居城し、東庄町小南の御門城に移る際に胤頼に譲ったとされています。
その後、千葉氏一族上代氏が居城としたが、1565年(永禄8年)掃部助胤正(かもんのすけたねまさ)の代に里見義弘の侵攻を受け落城しました。
1592年(文禄元年)徳川家康の臣・松平家忠が忍城から桜井城(上代城)に入りましたが、1594年(文禄3年)に家忠が小見川城に移されると廃城となりました。
現在城址では土塁、空堀などの遺構を確認することができるそうです。(残念ながら自分は攻城できませんでした)

まだ、どなたも投稿されていません。せめて遠景でも写真を撮っていればと悔やまれます。
攻城時間は15分くらいでした。(麓をウロウロした時間です)

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑪:飯沼城 (2019/05/27 訪問)

飯沼陣屋から転戦。車で2~3分くらいでした。
圓福寺・飯沼観音参拝者駐車場(35.731443、140.8402)に駐車して攻城しました。

飯沼城は2回攻城しています。
①2019/05/27(今回) 一人で車で攻城。
②2020/08/28 妻と二人でGO TOトラベルを利用して車で攻城(投稿済)。

飯沼城は築城年代は定かではないが、千葉氏の庶家である海上氏によって築かれたといわれ、海上氏は千葉氏の庶家で中島城を代々の居城とし、飯沼城はその支城と考えられています。
南北朝時代には海上筑後守師胤、海上六郎公胤。文明年間(1469年〜1487年)にも海上備中守師胤など海上氏一族が代々城主であったそうです。
1479年(文明11年)、古河公方・足利成氏と扇谷・山内両上杉方の争いの中、中島城城主・海上師胤は千葉孝胤とともに臼井城を支援したために両上杉方の攻撃を受け、飯沼城は落城したと伝わっています。
現在城址は円福寺の境内になっており、遺構は残っていません。

市街地の平地で地形的な城址感もあまりありません。
屏風ヶ浦や犬吠埼の帰りにでも寄ってみてください。
攻城時間は10分くらいでした。

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まーやん

上林城跡(京都府綾部市八津合町) (2021/02/06 訪問)

山家陣屋から東へ上林川を遡って行くと、綾部温泉の少し手前に独立した小高い山が見えるのが上林城址だ。
城主上林氏は丹波の赤鬼で有名な赤井氏の一族。
光秀に攻められて一族は離散したが、宇治で茶業を興した上林氏はコカ・コーラから発売の綾鷹ブランドを手掛ける上林春松本店だ。
綾鷹は初めて濁りを残した茶飲料として世に衝撃を与えた。
色々と歴史は繋がる面白さをこの小山から感じた。
遺構は本丸に石垣が見られるのと腰曲輪らしきものが見られる程度かな。

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北条氏の水軍基地 (2021/02/27 訪問)

 北条氏に属した富永氏の城で、水軍基地であった城址です。
修善寺駅から東海バスにて土肥丸山公園まで約60分。そこから徒歩1~2分で出丸の登城口に着きます。そこから少し先の道路を挟んで反対側に本丸方面への入口があります。
 出丸へは道路の標識から5分くらいあるけば案内板のある曲輪に着きます。その先も段々となった削平地があると思われますが藪がひどくて探索していません。
 本丸の方へ向かうと段々となった削平地があり石積みを見ることができます。少し海岸方面を探索しましたが、こちらでも石積みを見ることができます。農地のために後世に作られたものかとも思いましたが、本丸の案内板を見ると「当時の曲輪跡や石垣が残っている」と書かれていました。以前の発掘調査でも石積み工法が使われたことが報告されているとのことでした。写真は掲載しておきます。竪堀もあるように描かれていましたがわかりませんでした。
 詰めの城の中心部と言われている津島神社まで行きましたが明瞭な遺構は見つけられませんでした。その先が大空堀ということでしたが、道路や畑があり多分ここかなと思い引き返しました。
この日は天候に恵まれ海越しに富士山が見えました。

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まーやん

山家陣屋~山家城(甲ヶ峯城)(京都府綾部市広瀬町) (2021/02/06 訪問)

綾部市の南、国道27号に程近い由良川と上林川の合流部に谷衛友(モリトモ)が築いた山家陣屋跡があり公園に整備されているが、その横の伊也神社から和久氏の築いた山家(甲ヶ峯)城址に登れる。
和久氏は一旦光秀に従い城郭破棄命令に従うことで許されたが、照福寺境内であるとして応じなかったため攻め滅ぼされたらしい。
遺構としては本丸、二ノ丸が良好に残っている他、土塁や空堀が残っており、特に北側の照福寺側の横堀は圧巻である。
山家陣屋は和久氏滅亡の後、美濃より谷氏が封じられたらしい。
藩祖谷衛友の父衛好は本願寺攻めで功があったが播州三木城攻めで討死する。本能寺の変後、衛友が秀吉より山家に封ぜられ13代にわたってこの地を納めた。
衛友は関ヶ原の時は舞鶴の田辺城に籠る細川幽斉を包囲したが、歌道の師弟関係にある幽斉を討てるはずもなく、全て空鉄砲だったとの逸話が伝わっている。

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響ちゃん

公園でした…ぽい (2021/02/27 訪問)

公園をぐるりと回って、公園西側の富士浅間神社にある外堀跡を見てきたぽい

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チェブ

事前に公開日時をチェック。 (2021/01/02 訪問)

この前 投稿した「宇田家屋敷」と同じように遠くから眺めた「和井田氏屋敷」です。

大阪からお引っ越しして来た、和井田氏のお屋敷です。和井田氏は八條35ヶ村の名主の取締役を務めました。

道沿いに説明板がありました。
路駐して写真を写し、すぐに退陣。
今までのお城攻めで、最短記録です。

こちらの「和井田氏屋敷」は公開日時がありますので、事前にチェックが必要です。

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赤い城

戦国最強、武田氏の居館 (2021/02/23 訪問)

甲府駅から北に徒歩30分。
武田神社が建っています。
武田氏が拠点とした方形居館で周囲を土塁と堀が囲んでいます。
東側が大手で整備されています。
北側は味噌曲輪などの発掘調査中、途中、主郭の堀に降りることができました。
主郭、西曲輪には石垣が一部残っています。
西曲輪北側には枡形虎口、土橋も良好。
ここ3回目の訪問ですが初めてじっくり観ることができました。

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じっぱ

西尾城 (2021/02/20 訪問)

今回は愛知に足をのばし西尾市に来て見た。歴史公園なる中に三層の建物が一際目を引く。下調べもせず来たので、これが復元?天守かと思ってしまったが、本丸!丑寅櫓とのことで、本瓦葺きの規模の大きな櫓で城内で2番目に高い建物だったようです。足利義氏が築城以来廃藩まで650年?の歴史があり、近年櫓や門が再建され公園として整備されて市民の憩いの場所となっている。西尾城の特徴とされる二之丸天守・天守台が近年一部発掘された石垣の石材を利用して再構築されているとのことです。又野面積みの石垣と本丸表門の礎石が残されています。園内には旧近衛邸の書院、茶室が移転・移築され風情を醸し出しています。

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