清和源氏頼光流能勢氏の陣屋、室町幕府では中枢で勢力を誇って居ましたが光秀に加担した事で秀吉勢力に本城丸山城、城下町焼討にあい、能勢氏離散、関ヶ原での能勢頼次軍功により旧領復帰し新たに石垣造りの陣屋を築城し明治維新まで治政を行う。
平成23年10月兄と三田陣屋初登城、城下町散策し地黄陣屋の手前で史跡マークの有る野間の大けやきを参拝見学、この欅は大阪府内一の大きさ、国内で四番目の大木でゆうに千年以上の樹齢を誇ってる。
車は能勢町立東中学校目指し、駐車場が無く分からず大手食違い石垣門の前のスペースに路駐。
探訪は以前より雑誌、写真集で認知して居ましたが初の登城、西側中央の大手門跡食違い石垣虎口、西から南へぐるっと築かれてる高石垣、南には排水石樋も有る、西側の北方向は高石垣で築かれてるが住宅が有り良く観察出来ない処も有る、北側は地形の関係で低い石垣、内部は校庭等で利用?当時、北奥中学校の下段に水堀が残ってる、奥中央に石垣で囲まれた小区画に能勢氏古城跡の石碑と鳥居、灯籠で祀ってる。
陣屋石垣域は南北約110m超、東西約60mの長方形で南、西、北が石垣、東は水堀と上段の段丘に成ってる、西中央に大手門虎口と石垣が良く残ってる、万石以下の旗本ですが築城時が関ヶ原から大坂の役の前、戦国の気風も有り、清和源氏の流れである能勢氏の意地、一旦離散した苦渋への反発など相まって過分なる石垣の城(陣屋)を築城したのでしょうか?
でも城好きには有り難い城郭遺構で能勢氏に感謝です。整備保存の能勢町にも感謝です。また登城が10年前なので写真は古く、最近投稿の写真は中学校体育館も無くなり石垣周囲の樹木、住宅が撤去整備されてる様です、また機会があったら訪ねたい城です。
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