中島城(滋賀県長浜市小谷丁野町)
(2021/11/21 訪問)
中島城(城びと未登録)は、築城者や築城時期は不明ながら、織田信長の小谷城攻めに際して来援した朝倉氏により現在の姿に改修され、浅井氏の重臣・中島宗左衛門直親が守将となったことから中島城と呼ばれています。中島城も丁野山城と同時期に落城し、そのまま廃城となったと思われます。
中島城は丁野山城(岡山)から東にのびる大鳳山と呼ばれる尾根上に位置し、両城の間を遮断する施設は見られず、丁野山城の出城として機能したと考えられます。
丁野山城から東に下って行くと展望所があり、午前中にいた小谷城の南西尾根がすぐそこに横たわっています。さらに下った尾根の鞍部は丁野山城と中島城、北麓と南麓の登城口への分岐になっています。鞍部から少し上ると中島城に到着です。説明板の建つ虎口から入ったところは出丸で、土塁で囲まれベンチが設けられています。東側の虎口の先が主郭で、四方を分厚い土塁に囲まれています。主郭の北辺、東辺は横堀と土塁で防御し、小さい出城ながら厳重な構造です。さらに、主郭の北東麓には堀切を設けて東尾根からの侵攻を遮断しています。
堀切を越えた東尾根上には古墳が点在しており、その先の頂部にはほぼ自然地形ながら数段の平坦地があり、大鳳山砦の案内標識が設けられています。「丁野山古砦圖」にある砦跡なのかもしれませんが、遺構らしきものは見当たりませんでした。
これまで、朝倉氏というと転がり込んだチャンス(足利将軍)を優柔不断で逃したばかりか、そのチャンスを活かした織田信長にあっという間に滅ぼされた残念な大名というイメージがありましたが、この一日、朝倉氏の改修した陣城をめぐってみて、土の城の築城については先端技術を有していたことを実感。ちょっと見直しました(笑)
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