先月は茨城県古河市にある古河城に寄ってきました。
古河城があったのは渡良瀬川の東岸で、沼地に囲まれた半島状の微高地。
下河辺荘の北部に位置し、2代足利義満の時代からは鎌倉公方領となった場所。
元々江戸湾に注いでいた渡良瀬川(太日川)は古くから流通があったでしょうし、陸路は鎌倉期に鎌倉街道中道、江戸期には日光街道が整備され、関東の中心地と東北を結ぶ中継地点でした。
主な城主は、まず鎌倉を奪われ1455年に古河公方を設立する足利氏。
足利成氏は城の整備終了後、古河鴻巣館から移転。
江戸期は小笠原氏らが城を拡張し、長く城主を務めたのは土井氏。
土井利勝により御三階櫓や本丸御殿が建てられました。
現在の古河城は、中核部が渡良瀬川の堤防と河川敷の下。
遺構は住宅地に点在する丸ノ内、観音寺曲輪、諏訪曲輪(古河歴史博物館)の土塁と、公園になっている古河公方鴻巣館跡ぐらい。
個人的に縁ある古河ですが、初めて城郭を巡ると、その広さと諏訪曲輪の立派な土塁に徳川将軍の宿泊地であったことを納得。
カメラトラブルや落し物のタイムロスがあり、クルマと徒歩で滞在時間は3時間。
古河のイメージが少し変わった、私のお城巡りの110城目でした。
+ 続きを読む










