片脇城は宗像大社の大宮司「宗像(むなかた)氏」の居城とされています。神社の宮司がなぜ城を持っているのだろうか?🤔と思って調べたら、この宗像氏は宮司でもありますが、この地方を古くから治めていた領主でもあり、宗像水軍という水軍まで持っていた戦国武将でもあったようです。その宗像水軍は、古くは壇ノ浦の戦いでは平家側についていたという記録もあります。そして最も有名なのは「宗像氏貞」です。前回お伝えした「門司城の戦い」の時は毛利側に付きましたが、毛利が撤退すると今度は大友側に寝返ります。しかし島津氏が北上すると今度は島津に寝返り、大友方の立花山城を攻めたようです。しかしその後に島津が豊臣秀吉に敗れると、氏貞は秀吉から宮司以外は全て奪われて宗像氏は取り潰され、ここで武将としての宗像氏の名前は歴史上から消えてしまいます。
JR鹿児島本線「東郷駅」からバスで10分「宗像大社前」で下車しました。せっかくなので先に宗像大社にお参りしました(写真⑥)。ここは日本神話にも登場する皇室に大変ゆかりのある神社です。今では航海の安全を守る神としても有名です。門にはその天皇家のゆかりを示す菊の紋章がありました(写真⑦)。
宗像大社から南に歩いて10分、宗像氏の菩提寺とされる「興聖禅寺」があり、その背後の山が「片脇城」とされています(写真①)。お寺の横の道(写真②)を5分程登った中腹に、歴代宗像大宮司の墓所がありました(写真③)。この墓所の左には秋葉社(出城)がありました。私の調べでは山の頂上が片脇城で削平された曲輪があるはずなので、そこを見たいと思い行ける道を探すと右側に道があったので(写真④)、ここかな?と思って入ってみましたが、竹藪だらけで倒竹があまりにも多く前へ進めません(写真⑤)。蚊の大群にも囲まれてきたのでとりあえず引き返し、墓所を清掃されている方がいたので聞いてみると、
「こん先は道らし道はなかけん竹藪だらけじゃごて慣れんもん(者)は無理せん方がよか」
なるほど~🤔(私はよく理解できました)。それを聞いたら無理して行くのはあっさりとあきらめました(笑)。
そこで目標を変え、ここから戻ってバスで30分、福間経由で津屋崎橋まで行き、そこから30分程歩いた丘の上に「東郷神社」という所があるので行ってみました(写真⑧)。ここには日露戦争で日本海海戦の英雄「東郷平八郎」が祀られている場所で、その記念碑がありました(写真⑨)。ドラマ(坂の上の雲)でも中盤から登場します(渡哲也さんかっこいいです)。
丘の上からは日本海が一望できました。とても気持ちのいい眺めでした(写真⑩)。あの水平線の左から右へ北上するバルチック艦隊を、右前方の神が宿る島と言われる沖ノ島にいた宗像大社の宮司が発見し「敵艦見ゆ」と通報します。そして砲身が指す先の海で、日本海海戦は行われたようです。
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