10年前の平成23年7月中旬、R29を中国道山崎ICへ向かい近くに在る山崎城を初登城する、遺構建物の紙屋門が残って居り一度見学したいと思って居ましたので今回の国道29号線沿い城廻り最終番に入れました。
山崎城は池田輝政4男輝澄の築いた城、段丘の先端を利用した平城、徳川家康の孫としての力なのでしょうか38000石から68000石と成るもお家騒動で領地没収、鳥取鹿野に堪忍料10000石で鳥取藩池田光仲にお預けと成る。
鳥取鹿野の輝澄の居地は鹿野城の西麓で現在は我が家の檀家寺と成って居り庭園跡の築山が残って居ます、寺域の石垣は明治以降寺が火災で移転したあたりで積んだとの事と寺の方から伺ってから池田輝澄にも関心が湧いた次第。
輝澄の後は松井松平氏、池田氏3代、本田氏1万石で明治まで継承される。
現在、民俗資料館の前、東向きに移築門の紙屋門が続き土塀を左右に構えて残って居ます、周囲には山崎小学校、図書館、山崎中学校と文教地区に囲まれて居ます、南側は用水、川か? が流れ一段下がってグラウンド場に成って居ます。
今回の投稿が令和3年大晦日、最後の投稿と成ります、1年間拙い投稿をご愛読いただき有難うございました。
来年も武漢コロナウイルスオミクロン変異株を乗り越え、御迷惑に成らない範囲で未踏の城、復元の新規建造物を見学観察し楽しんで行きたいと思って居ます、皆様の投稿が登城する為に大変参考に成りますので投稿も宜しくお願い致します。
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