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todo94

鹿 (2021/07/23 訪問)

前日に立ち寄った時は、駐車場が満車で断念。結構人気のスポットのようですね。朝一でなんとか駐車することが出来ました。往復の渡船料金と駐車場代、あわせて520円でした。渡船の屋根には鹿が載っていましたが、島で鹿に会うことは出来ませんでした。説明板の近くに石積が残っています。山頂の石積が古いもののようですが、よくわかりませんでした。

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織田晃司

夏草や (2021/08/29 訪問)

藪化と化して
蜂も居り
二の成先は
前に進めず

雪が気になりますが冬のほうが散策しやすいかと…

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城好きのメガネ

「星崎城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
星崎城は築城時期は不明だが、織田氏の岡田重善・重孝が城主を務めたとされる。岡田重善は織田信秀の家臣として今川氏との小豆坂の戦いで功をあげ信秀より「七本槍」の一人として賞賛された。織田信長にも仕え、本能寺の変後は織田信雄に属した。子の重孝は、1583年に豊臣秀吉に通じた容疑で織田信雄から誅殺される。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 本星崎駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「大高城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
大高城は、織田信秀の死後、織田信長が家督を継いだが鳴海城主・山口教継は今川氏に城と共に寝返る。大高城は沓掛城とともに今川氏の支配下に入る。織田信長は鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。桶狭間の戦いでは、今川氏の鵜殿長照が守備を任される。大高城に松平元康(徳川家康)が兵糧を届け、長照に代わり元康が城の守備についたとされる。その後、今川義元が戦死したため、大高城は再び織田氏の支配下に入るが廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
Jr大高駅 徒歩15分

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三浦の晃ちゃん

出世城 (2021/08/29 訪問)

石垣が好きです。
ショックだったのが、続100名城のスタンプが、押せなかったことです。コロナで、閉館中なので、休止でした。
どこか、近くに場所を変更して、置いて欲しかったです。
遠出してきたので、次は、いつ来られるのか、分かりません。(涙)

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三浦の晃ちゃん

カッコいい (2021/08/29 訪問)

緊急事態宣言が、出ていることは、100も承知なのですが、ガマンの限界にきてしまいました。遠出しました。
豊川が天然の要害であることが、良く分かりました。
石垣が、崩れていましたが、400年の歴史を感じました。
受付の方、換気と消毒の作業をされながら、お城のことを、いろいろ教えてくれて、感激しました。地元の誇りなのだと、いうことを、知りました。

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小城小次郎

結城秀康双子説は知らなかった・・ (2021/05/29 訪問)

池・鯉・鮒で「ちりゅう」と読ませる東海道の宿場町にはヤマトタケル伝説を持つ知立神社があり、知立城の永見氏はここの神職だった。結城秀康の双子の弟が永見氏に預けられていたかもしれないという話を今回初めて知った。

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higekam

朝倉義景の末路をたどる (2020/09/26 訪問)

越前と若狭を仕切る木ノ芽峠。その東西に延びる山稜に東から西光寺丸城、木ノ芽峠城、木ノ芽峠、観音寺丸城、鉢伏山城と峠を挟んで並ぶ。
 想像以上に高低差が厳しい峠で、整備された部分も限られていて最高位の鉢伏山城は登城を断念。城というより砦というべきで、最新鋭の信長軍団に攻められたら一蹴されたであろう戦国初期の小規模な土塁と堀を活用した様式のように思えた。ほかに一部わずかに石が散乱していた程度。

登城当日は雨にもあい、散々に敗北を喫して帰国を急ぎ峠を越えた朝倉義景の無念さにわずかばかり触れたような気がした。

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城好きのメガネ

「丸根砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
丸根砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。桶狭間の戦いでは佐久間信重が守備を任される。今川側の徳川家康に攻められ討ち死にした。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR大高駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「鷲津砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
鷲津砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。鷲津砦には守将として織田秀敏、飯尾定宗・尚清父子が置かれた。飯尾定宗は織田信秀の叔父で、飯尾氏の養子となる。桶狭間の戦いでは鷲津砦の守備を任される。今川の大軍の前に奮戦するも討ち死にした。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR大高駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「鳴海城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
鳴海城は、織田信秀の支配下にあり、山口教継が城主を務めていた。信秀の死後、織田信長が家督を継いだが山口教継は今川氏に城と共に寝返る。その後、織田信長の策略により自害に追い込まれ、今川家・重臣の岡部元信が城主となる。織田信長は鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。桶狭間の戦いでは、岡部元信が今川義元の首級と引き換えに城を明け渡し、織田信長の支配下に入った。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「丹下砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
丹下砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。丹下砦には水野帯刀らが守備を任された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「善照寺砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
善照寺砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。鳴海城を包囲するために丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城との連絡を絶つために、大高城側に丸根砦、鷲津砦を築いた。善照寺砦は、織田家の重臣である佐久間信盛、信辰兄弟が守備した。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「中島砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
中島砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。桶狭間の戦いでは、中嶋砦の守将として猛将と名高い梶川高秀が置かれた。桶狭間の戦い後に廃城となる。現在、遺構は消滅している。※砦跡は私有地のため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩10分

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赤い城

近くに大河ドラマ館 (2021/08/22 訪問)

深谷駅から徒歩で15分。
深谷城址公園となっています。
石垣とか塀とかそれっぽいですがいずれも模擬。
遺構はほとんど残っていません。
公園隣の富士浅間神社の水路が外堀跡のようです。
上杉房憲により築城され、北条氏との攻防の舞台になりました。
近くの公民館が大河ドラマ館になっていました。
やっぱり深谷は今年が旬?

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ふゆづき

小田原城の外郭 (2021/07/22 訪問)

小田原城の外郭を形成する小峰御鐘ノ台大堀切になります。
小田原駅から見て北西の方角にあたり、大きな堀切が残されています。
堀切内は散策が可能で、土塁の高さが印象的です。
意外なことに、ここから小田原城天守閣(すなわち本丸)が丸見えであり、攻城軍にここを落とされると、場内の様子が丸見えになるようです。

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ふゆづき

街中に残る石垣 (2021/08/18 訪問)

高崎駅から徒歩約15分の場所にあります(駅の観光案内所で行き方は教えてもらえます)。
公園の一部となっており、乾櫓(群馬県唯一の城郭建築物)まわりと内堀が遺構です、
平城ですので、石垣の高さは低く、土塁もそれほど堅固という感じではありません。
寧ろ、関ヶ原の直前に築かれたということから、政庁としての性格が強かったのではないかと思います。
近隣には音楽堂などがあり、市民の憩いの場所となっているようです。

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キンヤ

長島一向一揆の本城で、大手橋の下に石垣が残る城 (2021/08/22 訪問)

城びとの先人の方々の投稿で石垣があることを知り、10年ぶり位に再訪しました。

長島一向一揆の本城で、今は小学校となり説明板が設置され、校内に樹齢3百数十年の大松があります。

城跡の東側に堀跡の川があり、大手橋の下には石垣が残り江戸時代のものとされます。
石垣の真ん中は後世の積み直しに見えますが、両端の隅部は当時の遺構と思われます。

蓮生寺には大手門が移築され残っています。

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キンヤ

今は長良川に沈んでしまい移転した城郭寺院 (2021/08/22 訪問)

城びとの先人の方々の投稿を参考にさせて頂き行きました。

織田信長と長島一向宗門徒の間で起こった長島一向一揆の中心となった城郭寺院です。

願證寺跡は長良川に沈んでしまっていますが、河川敷に説明板が設置されています。

その寺跡から南東へ5㎞位の場所へ移転した願證寺が城を思わせる佇まいでカッコいいです。
境内には長島一向一揆殉教之碑があります。

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キンヤ

レンコン畑と田んぼに囲まれ気持ち良い城跡 (2021/08/22 訪問)

戦国時代に織田氏が長島一向宗徒との戦いの為に築き、織田信長の弟の信興が守っていましたが、1570年長島一向宗門徒に攻められ討死したとのことです。

城跡には富岡神社が鎮座し、石碑と説明板が設置されています。
堀跡のような所もありましたが、遺構ではないかもしれません。
城跡の横に流れる川が当時は天然の堀だったのでないかと思いました。

城跡の周りはレンコン畑と田んぼで気持ち良かったです。
この時、ハスの花は、ほぼ散っていましたが、僅かに咲いており綺麗でした。

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