「官兵衛は中津城を手掛けるものの、完成させることなく慶長5(1600)年、黒田家は筑前、つまり福岡に転封(てんぽう)、国替えになります。
築城、修復を繰り返しながら形を整え、徳川家とゆかりの深い奥平家が維新までの約150年、中津藩主とこの地を納めました。
堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられるそう!
本丸上段北面石垣(模擬天守北面下)は、黒田家の石垣に細川家が石垣を継いだ境が見られます!
黒田は戦乱の時代に本丸にふさわしい堅固な石垣(右)を組んだのに対し、
細川は平和時に加工していない自然石(左)を使い合理的に石組みを行った。
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