逆井城に行ってきました!
この城は、1450年(宝徳2年)に小山常宗が逆井に城を構えたのが始まりです。
その後小山常宗は逆井尾張守を名乗りました。
さて、逆井城は、北側に飯沼、西側には入江の蓮沼に接する、天然の要害でした。
先ほど説明した逆井氏はその後、1560年頃に築田氏の知行地となりました。
そして北条氏康が関東に進出し、1567年、築田氏は北条氏康と盟約を結びました。
しかし1572年に北条氏康は、結城氏、佐竹氏と結び(策略とみられる)、
築田晴助の関宿城を攻め、進んで佐竹氏と戦いました。
ですが、1573年に再び関宿城を北条氏照が攻め、包囲しました。
そして1574年に北条氏政はまたもや関宿城を攻め、関宿城は陥落しました。
これにより、逆井城は北条氏の傘下になりました。
なので、逆井は芳春院松峰昌寿の知行地となりました。
その後は目立った逆井城に関係する戦はありませんでしたが、
1577年に、結城、山川、佐竹、宇都宮、那須が反北条連合を結び
逆井城を本陣とし、連日、結城、山川間で戦が続きました。
そして北条氏繁が逆井城より多賀谷領佐竹領に忍者などもって攻撃しました。
その後、逆井城主北条氏繁が飯沼城を築城しました。
ですが北条氏繁は逆井城にて死亡し、逆井城代は北条氏舜となりましたが、
その一年後に北条氏勝に変わりました。
氏勝は1589年に山中城修築を氏直に任されました。
そして秀吉の北条征伐が始まり、
氏勝は山中城を守っていたが豊臣軍の総攻撃で落城し敗走。
さらに逃げ帰った玉縄城も開城し、このころに逆井城も開城しました。
そしてついに小田原城も落城し、逆井城は廃城になりました。
【城情報】
・築城年 ❙1450年
・廃城年 ❙1590年(天正18年)
・築城者 ❙小山常宗(逆井尾張守)
・最後の城主 ❙北条氏勝
・廃城理由 ❙後北条氏が滅亡し、存続理由がなくなったため
・主な城主 ❙逆井氏→築田氏→松峰昌寿→後北条氏
・遺構 ❙鐘堀池、掘、土塁、関宿城薬師門
・主な建築物 ❙二階櫓、塀、橋、大手門、井楼櫓、主殿、関宿城薬師門、庭園、門
・説明看板、石碑 ❙両方有
・駐車場、トイレ ❙両方有
・天守 ❙二階櫓?
・保存状態(自身判断)❙遺構の保存状態がよく、復元建造物も存分にあるため予想しやすく
❙ おすすめ
・備考 ❙・二階櫓の瓦には北条家紋が記されている。
・わたしがいった時は、二階櫓の二階には登れなかった。
土、日、祝日は登れない?
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