ここも大河ドラマ前に行ってきました。
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2021/08/22 14:27
2021/08/22 13:49
大河ドラマの前に、 (2018/05/03 訪問)
天龍寺へお参りもかねて行ってきました。
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2021/08/22 13:33
2021/08/22 13:16
信長はここから飛び出して行った (2021/05/29 訪問)
鳴海城を囲む三砦のひとつで、織田信長は三つの砦を順番に進軍し、最後はこの砦から今川義元の本隊めがけて飛び出していった。遺構は何も残らないが個人宅の敷地内に石碑が立てられていて、砦の位置をここだと教えてくれている。
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2021/08/22 13:11
清須 (2015/08/12 訪問)
ここも息子と、
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2021/08/22 13:01
2021/08/22 09:20
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー40城目 (2021/07/22 訪問)
1回目のスタンプラリーの時は台風被害で上陸がかないませんでした。今回は能島上陸&潮流クルーズにネットで予約しておいての参戦です。能島水軍にて海鮮丼の昼食を済ませて出発。この日は大潮に当たっていて見事な渦潮や段差のある潮流も目の当たりにすることが出来ました。毎年、4月の第2土曜、日曜に開催されていた能島の花見は、台風被害に続く新型コロナウイルス感染症の拡大でもう長いこと実施されていません。
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2021/08/22 03:44
中世山城の見本のよう (2021/08/21 訪問)
お隣、栗原市訪問の帰路に数年ぶりに姫松館を攻城。時節がら雑草などを心配したがさほどでもなく、中世山城の世界にどっぷり浸かることができた。
この城は宮城県北地域では屈指の規模をほこる山城。一迫川左岸の丘陵最南端に、西から東へ曲輪を並べ、切岸、土塁、横堀、竪堀を駆使した見事な縄張となっている。
当地にお出での「城びと」の皆さんにも是非攻城をおすすめしたい場所です。
城址は東北自動車道築館インターチェンジから12キロメートル、約16分ほど。姫松館森林公園を目指し県道17号沿い龍雲寺前の姫松館入口の標柱が目印。最西端の曲輪下まで車で登ることができる。駐車スペースは2から3台分。
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2021/08/22 02:04
2021/08/22 00:00
2021/08/21 22:53
2021/08/21 20:46
特別史跡・特別名勝指定城跡 (2021/08/12 訪問)
一乗谷朝倉氏遺跡は戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡です。山城の一乗谷城と山麓の朝倉氏及び家臣団の居館からなっています。遺跡全体が国の特別史跡で居館跡に残る4つの日本庭園が国の特別名勝に指定されています。
一乗谷は東西約500m南北約3kmで東、西、南を山に囲まれ、南北に城戸が設けられ1.7kmの城戸ノ内に朝倉館・侍屋敷・寺院・町屋が計画的に整備され、周辺の山峰には城や砦が設けられ地域全体が要塞であったとされています。
遺構としては、土塁・虎口・石垣・礎石などが残っており、日本初の町屋跡が復元されています。
二度目の登城で、娘が嫁いだ金沢に行く途中に立ち寄りました。今回は、一乗谷朝倉氏館のみで一乗谷城へは時間の都合上行っていません"(-""-)"
朝倉館散策中に一風変わった方が居り(和装で雨が降っていないのに雨傘をさしている)、目を合わせないようご挨拶。諏訪館跡庭園で立石の画像を撮っていた所、その方が近寄ってきて、「観光の人かね?何方から来たの?」と尋ねられ「はあ、愛知県です」「すみません」と返答。「いやいや、貴方が熱心に庭園跡を見てるから、つい、嬉しくて」とのこと。その方は、朝倉氏庭園に興味があり、毎日のように来て画像に収めているとのことでした。「450年前には、この紅葉の木もなく、周りの杉の木も生えていなかったでしょう。でも今はね、杉の木の間からの木漏れ日が庭園の立石に射し込んで凄くいいですよ」等など(*'▽')その方の話が面白く、30分程お話を伺ってお別れしました。庭園に興味がある方は、朝8時頃一乗谷朝倉氏館に行けばその方と会えると思います。是非どうぞ(#^.^#)
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2021/08/21 20:05
多胡館に行ってきました (2021/08/21 訪問)
群馬城めぐり(岩鼻代官所→矢田代官所→多胡館→神保館→長根城→吉井陣屋→赤堀城)
多胡館に行ってきました
ここは今から1000年くらい前に築城された古い城です
設名板があり分かりやすいです
平安時代の武将、木曽義仲の父義正が1140~1150年に住んでいたと
言われています。その跡は不定です
説明板の裏には堀があります
〔城情報〕
・築城年代 ?
・築城者 ?
・主要城主 木曽氏
・大きさと形 100×100の正方形
・主な遺構 堀、土塁
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2021/08/21 19:53
2021/08/21 17:41
岩鼻代官所に行ってきました (2021/08/21 訪問)
群馬城めぐり(岩鼻代官所→矢田代官所→多胡館→神保館→長根城→吉井陣屋→赤堀城)
岩鼻代管所(陣屋)及び岩鼻県庁跡に行ってきました
ここは城ではないのですが近くにあったので行きました
この代官所は1793年(寛政五年)に幕府の命により
この地につくられたといわれています。
そのときの代官は吉川栄左衛門と近藤和四朗が任命されました。
そして1865年(慶応元年)には木村甲斐守が着任しました。
その木村甲斐守は上野国の幕府直轄領と旗本領、寺社領、大名の預り地と
武蔵国六郡を支配し、世直し一揆で鎮圧に江戸北辺の守りの中心と
なりました
その四年後に陣屋崩壊になると成立した新政府は六月に
岩鼻県を設置し大音龍太郎を軍監兼当分知事にめいじ、旧代官所跡時代と
ほぼ一致する地域を支配し、1869年には吉井藩を併合したが
そこから二年後に岩鼻県は廃止となり第一次群馬県が成立し、
県庁は高崎城に移された
〔代官所情報〕
・設置年代 1793年
・設置人 幕府
・主な代官 吉川氏、近藤氏、木村氏
・主な遺構 消滅
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2021/08/21 14:35
石垣崩壊 (2021/08/21 訪問)
石垣が樹木や水で崩壊。今日は発掘調査説明会。たくさんの人でした。
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2021/08/21 12:32
熊本地震(2016/4月)で被災した奇跡の一本石垣「戌亥櫓(熊本城)」 (2021/06/24 訪問)
■平成28年熊本地震で大きな被害を受けた熊本城 2021年6月24日(撮📷)
西出丸の北西隅にあるのが戌亥櫓です。
木造2重3階の隅櫓で、戌亥(北西)の方向に位置することから戌亥櫓と呼ばれています。
地震後、踏ん張る石垣『一本柱』、櫓(やぐら)の崩壊を一本足で支えているように見える戌亥櫓(いぬいやぐら)
これだけ崩れたのに、一本柱は踏ん張っています、今も必死に耐えています。
頑張っている姿に感動!・・・そして”勇気”をもらいました!!!
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2021/08/21 12:21
2021/08/21 12:07
派手な遺構は少ないけれど (2021/08/13 訪問)
高尾駅から徒歩で10分くらい。
みころも堂を目指すと良いのですが緊急事態宣言中で入れません。
今回は高尾天神社の参道から登城しました。
山頂部にある主郭までは急な部分もありますがそんなに大変ではないです。
主郭部から腰曲輪に向けて浅く短い竪堀、関東ロームで滑りやすく、雨上がりのこの日は苦労しました。
主郭から西に降りたところに堀切もあります。
何回か来たのですが見逃していました。
椚田氏蛾築城したとされていますが扇谷上杉氏方の長井氏の築城説もあるようです。
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2021/08/21 11:00
城びと未登録のお城攻め「左入城」 (2021/08/15 訪問)
以前、カルビンさんが投稿してくれた「左入城」に行きました。
投稿を見た時、『あんな所に石碑があるなんて!』と驚きました。多分、「左入城」の石碑前を100回以上は通っていたからです。
私の住む東京の端っこ、車を運転する人は『中央高速道路の八王子IC近くの村内家具の前』と言えば『はいはい』と分かってもらえます。
そんな訳で、大雨の中、「左入城」出陣です。
ナビに頼らなくても大丈夫ですが、「左入城」よりは「村内家具」や「村内美術館」の方を選択した方が安心安全です。
私、村内家具の駐車場に車を置きました。
ちなみにお向かいは『お値段以上♪ ニトリ♪』です。大きな駐車場がありますよ。買い物ついでに石碑をパチッと撮影するくらい大丈夫だと思います。
大雨と石碑の前は交差点で、信号待ちしている方々がいるので早急に、パチッ。横からパチッ。
退陣です。
「左入城」は続100名城の「滝山城」の支城とあります。東西400m 南北175m 深さ9mの堀があったようです。
うーん、石碑の前は国道16号。想像が難しい。
裏手は谷のようにも見えるし、「滝山城」までは山を開いた道。ありそうな気になってきました。
中丸淡路守の居城と石碑には刻まれてました。
中央高速道路は山梨県に続きます。
武田家の進攻に、守り重要ポイントの場所になったのかもしれませんね。
そして、この石碑は17代当主 村内 道昌社長が建立してくれてます。
とても歴史のある家具屋さんなので、自社の石碑を建てても良いくらいなのに、、、、嬉しい限り。歴史は大切にしなくてはなりません。
村内家具はとても品質の良い家具が並んでいました。
大雨にも関わらず、お客さんが入ってます。
帰り道、「滝山城」近くを通ったら駐車場に車がありました。
いくらなんでも、どしゃ降りの山城は危ないよ~と城仲間の心配。モラルある『城びと』でありたいものです。
、、、と、たまに お城に失礼な投稿をしているのですが、、、、。
さてさて、カルビンさんの投稿のお陰で、また素晴らしい先人に出会いました。
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