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前ちゃん

2度目の来訪、今度は詰城 (2021/11/29 訪問)

今回は、指月山へ。山頂部は詰城であり、石切場でもあったのですね

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にのまる

その9・尾山神社 (2021/10/31 訪問)

 玉泉院丸庭園から鼠多門橋でつながる尾山神社は金沢城の出丸(金谷出丸)だったとのことです。二の丸唐門を移築した東神門の彫刻に目を惹かれました。宝暦の大火で城の大半が焼失した際、彫刻の二頭の龍が水を呼び類焼をまぬかれたとの言い伝えがあるのだそうです。
境内の前田利家公の像は母衣を担いだ騎馬像でかなりかっこいい!三層のモダンな神門は国の重要文化財。設置された避雷針は日本最古のものだそうです。

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赤い城

城跡で学べるのは羨ましい (2021/10/21 訪問)

城跡が学校になっている例は多いですね。
関東では太田城、龍ヶ崎城など。
真岡城も主郭は真岡小学校。
北東側の虎口が遺構として見れる感じです。
公園として整備されていますが、公園には見どころはなさそう。
二郭には本城稲荷神社があり、主郭との間の道路は堀切の跡のようです。
別名は芳賀城で宇都宮氏菓子芳賀高貞が築城したとされています。
無料の市営駐車場があるのでそこから行くのが良いと思います。

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カズサン

奥州藤原氏初代清衡の父経清居館と言われてる (2021/11/15 訪問)

 伊達政宗の右腕伊達成実菩提寺小堤城/大雄寺を終えて国道6号線を約10km程南下し中島館を目指す、途中の道すがら10年前の東日本大震災の爪痕、ここまで津波到着、津波で浸かったエリアとか標識があちこちに有りました、津波の酷さを実感した次第。
 
 情報源とガイド:古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップ

 駐車:宮城県亘理郡山元町高瀬舘下の中島舘登城口標柱の在る南約50メートル国道6号線東の脇道、アパート西面の路肩が広く路駐可(37°56'50"N 140°53'38"E)

 登城は路駐場所から北に約50メートル程国道6号線沿い下り方面、西側の丘陵スロープに中島舘跡の白い標柱が有り道なりに登って行く、西、道なりに進み堀底道の様な個所もある、50m程登って行くと城塁土塁が目に入り手前には土橋が有り城塁を登ると主郭に成る結構広い杉林に覆われてる、中心部は杉を伐採し少し観える化、白い標柱中島館跡、案内説明板が有る、主郭下には帯曲輪?を思わせる空堀?が東の土橋から南、西に伸びている、北は出郭で共に崖下に成ってる。
 案内板に在った伝藤原経清居館跡の時代築城と有りましたが戦国期に亘理氏、相馬氏、伊達氏攻防の中、改修が繰り返されてのか?とも思ったりしたり、静かな中での探訪観察でした、帯曲輪?空堀?は樹木が茂り倒れ主郭から眺めただけです。

 歴史:中島館跡は亘理権現太夫藤原経清の居館であったと言われてる。 経清は奥州の戦乱「前9年の役」の際、源頼義に従って陸奥の俘囚長阿部氏を攻めた人物で、後に源頼義と袂を分かち囚われて処刑されている。 経清は奥州平泉の地で黄金文化を築いた藤原清衡の実父であり、事実であるならば奥州藤原氏ゆかりとして歴史上由緒ある館跡である。(館跡案内板一部抜粋に由る)

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いんげん丸虫

天王山砦 岐阜県恵那市 (2021/11/13 訪問)

木曽川の左岸にある山城です。
主郭を半周する土塁を伴った横堀、そこから伸びる数本の竪堀。
コンパクトながら実に見応えのある遺構です。
詳細不明のようですが、武田氏の可能性があるようです。
国道からほぼ廃道のような古い道に入り100m、城跡の麓に駐車可能です。
山城好きならかなり堪能できると思います。
説明会でもあったのでしょうか、遺構に沿って紐が張ってありました。

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Hawkwind

片田小学校付近から (2021/11/29 訪問)

片田小学校の反対側に降りる道があり、空き地に駐車。空き地脇に水堀があり土橋を渡ると空堀に入れます。右手の堀を登り、その後は山上を目指して登っていくと土塁に囲まれた単郭があります。

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北条氏綱

再び犬山へ (2021/11/28 訪問)

大学の野外実習で先日訪れました。約3年ぶりに訪れてみて改めて魅力のある城だと思いました。天守閣登る際には頭上にご注意ください。

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todo94

ここで良いのだろうか (2021/10/30 訪問)

白滝山嶺岡浅間コースから分け入ってみましたが、ここで良いのか全くわかりません。城の遺構のように見えなくもないのですが、何しろ表示が全くありませんでしたので。

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1X

箕作城 (2021/11/28 訪問)

五個荘駅から中山道沿いに、歩いて貴船神社(北の口)へ。そこから登り始めて、建部神社(東の口)へ至るルートを選択。貴船神社本殿の手前から登る入り口が、少し分かりづらかった。北の口から頂上まで30分弱。頂上まで200m手前に石碑。頂上(主郭)には、鉄塔。その裏手に石垣が少々。天気も良く、頂上からの眺めは良かった。建部神社へ下るには、来た道を引き返し、石碑のあった場所より手前を東側へ下る。(案内板があるが見落としそう。)途中、石がゴロゴロしており、破城の際の残石か?と考えながら下る。麓までは20分ぐらい。河辺の森駅より貴生川駅へ向かう。夕焼けが奇麗でした。

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牛若丸

昨日訪れました。 (2021/11/27 訪問)

当初、高岡に行こうとおもったのですが時間の都合でこちらを訪れました。
夕闇に包まれる富山城です。

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牛若丸

5本の指に入る山城 (2021/11/27 訪問)

初めての北陸です。
一度は訪れたかった山城で、本丸跡からみる七尾湾は絶景でした。
石垣や曲輪跡もきれいに残ってます。

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T-Shionoya

滝山城は500歳 (2021/11/28 訪問)

今日は滝山城築城500年記念講演会に行ってきました。

八王子の芸術文化会館大ホールがほぼ満員。

小和田先生が言っていた、天守や櫓がなくても戦国の城の魅力を放っている滝山城。
私も昨年末に訪問したここから、中世城郭にハマり始めました。

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ぴーかる

光竜寺山城 (2021/10/30 訪問)

【光竜寺山城】
<駐車場他>町民グランド駐車場<35.012797, 134.908438>を利用
<交通手段>車

<見所>竪堀・曲輪
<感想>北はりま攻城の旅3城目。光竜寺山城初投稿いただきます。光竜寺山城の築城年は定かではないが、築城主が在田氏となっていることから、在田氏は赤松範資の次男赤松朝範が在田殿と呼ばれたことから、南北朝時代から室町時代には城があったかと思われます。光竜寺山城は独立した山に築かれており西側の川と平地を挟んで対峙している野間山城が詰城とすれば光竜寺山城は「居城としてお客を迎えたり儀式として使われたでしょう」と現地説明版にあります。

 登城路は北と南の2つあり、南の大手道は未調査で私は北の搦手道から攻めました。北の登城口は<35.012992, 134.907794>のポイント、城跡までは15分程度で到達します。林道整備されているのでスニーカーレベルでもOKです。

 城跡は南北にはしる尾根上に曲輪を造り、主要部は北から搦手口、二の丸、主郭、下段の出丸、大手虎口、堀切を挟んで三の丸、主要部の北東部・東南部・西南部・北西部にそれぞれ竪堀が施されています。三の丸が未整備で進入不可でした。赤松氏の城だが珍しく石積遺構が見付けらなくて自分の中では立派さが無いので儀式や饗応に使われた居城というのは少し疑問に感じた。

<満足度>◆◆◇

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火ノ島豊後守正宗

新宮城 (2021/11/26 訪問)

続58城目。
新宮市街地にあるのでアクセスはかなり容易です。
頂上の本丸までは徒歩で10分程度で到着できます。
山頂から見た新宮市街地の景観は絶品でした。

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火ノ島豊後守正宗

赤木城 (2021/11/26 訪問)

続57城目。
JR阿田和駅前から公共バスで1時間程度で「道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里」に到着。
ここでレンタサイクルを借りて山道を30分程度走り抜けると城跡にたどり着けます。
城跡自体はそこまでの規模はありませんが、ここまで来るのに大変苦労します。
頂上の本丸跡の景観は最高でした。山頂で道の駅で購入した【めはり寿司】が大変美味しかったです。

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白うさぎ

記念‼️100名城スタンプ初押印✨ (2021/07/03 訪問)

どうしてもスタンプはここから始めたく😌
コロナが少し治まってきたので、100名城スタンプ開始🏯

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くっしー

【発掘調査の一般公開】古城山の山上にも庭園を確認!! (2021/11/28 訪問)

この城は美濃国守護・土岐氏の城で古城山(標高408m)にあります。築城は鎌倉時代で土岐頼芸が斎藤道三に追放されて焼かれるまで存在していたとされています。

2020年から山県市が発掘調査を行っており、昨年の調査では巨石を用いた城門などが見つかっています。今年の調査では、伝台所の発掘が行われ、今回一般公開されたのですが、庭園らしき遺構が発見されました。その最大の根拠は“玉石”が敷き詰められた遺構が見つかったということです。玉石は二か所から見つかっているのですが、黒い玉石が敷き詰められた場所と白い玉石が敷き詰められた場所に分かれています。要するに、建物から眺めた時にその色彩を意識しているのです。

今回の調査では多くの遺物も見つかっています。主なものを挙げると中国製の青磁・白磁、天目茶碗、土師器皿(かわらけ)、燈明皿、花器、銅銭、玉石などです。時期は16世紀前半のもばかりです。なので土岐頼芸の時代にはここに人々が居住していたんでしょうね。

現在発掘中の岐阜県郡上市の篠脇城からも山上に庭園や大桑城と同様の遺物が見つかっており、戦国期の山城は戦時に立て籠るのではなく常に居住している人がいた可能性が出てきましたね。

しかし、この城も解明されていない謎がたくさんあります。例えば、主郭が小さすぎます。せいぜい櫓が一つ建つぐらいの広さしかありません。それから、谷部にある曲輪群。なぜ谷部に曲輪が並ぶのでしょうか。城ではなく寺ならその立地でもわかりますが、城なら普通そんなところに建物並べないですよね。そして、16世紀前半の遺物しか出ていないこと。鎌倉時代に築城されたなら、もっと古い時代の遺物が出てもよさそうなものですが、どうしてなんでしょう。
いづれにしても今後の調査に期待しています。

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カズサン

伊達成実の菩提寺、東の土塁が見所 (2021/11/15 訪問)

 鵜ヶ埼城を終えて国道6号線を南下、直線で約9km程に大堤城が在る大雄寺門前をナビに定め走行、門前に参拝者用駐車場、トイレ完備、大変ありがたい。
 探訪参拝ルートは、大雄寺山門を仰ぎ、横に在る小堤城標柱で内容を確認、山門を潜り本堂前で参拝、小堤城の見所の土塁を東側、南東角と確認し、戻り登れる所から土塁上に上がる、南東角から南の土塁上に亘理伊達家の霊屋、墓石が祀られている、一番立派なお霊屋が亘理伊達家初代伊達成実、大雄寺が亘理伊達家の菩提寺と成って居る。
 小堤城は現在の寺院敷地全体で土塁に囲まれてた、土塁は東側と南側に残ってる。

 小堤城は千葉氏の流れ亘理氏の城、伊達氏の養子を迎え伊達氏との繋がりも深まり、小堤城から亘理城に移る、以後に亘理氏は涌谷城へ移り片倉小十郎景綱が入り関ヶ原後伊達成実が入り以後亘理伊達氏が明治まで代々治める。
 大雄寺を伊達成実が小堤城に移し菩提寺を新しく整える。

 近くの亘理城へは平成28年4月に登城してるのですが小堤城はパスしており今回5、6年振りに訪ねる事が出来ましたお霊屋を見れば伊達成実の凄さが分かります伊達政宗の重臣で従兄弟の伊達成実、片倉小十郎景綱が両腕、大河ドラマのシーンが甦って来ます。

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カズサン

JR岩沼駅近の岩沼要害 (2021/11/15 訪問)

 大鳥城、桑折西山城を含む城廻りの2日目、宮城県亘理郡辺りから福島県相馬郡の浜通りに未踏の城が在り小堤城からと思って居りましたが北側の近くに未踏の鵜ヶ埼城が有りそこを目指す事に、白石のホテルを朝早く出発し国道4号線を北上。
 情報源:古城盛衰記さん、グーグルマップ拡大し航空写真と周辺地図に由る。
 車は鵜ヶ埼城の在る公園のドン詰りにナビをセットし岩沼駅西側から進行周りは住宅街狭い道、若干行き来はしましたが鵜ヶ埼公園のドン詰まり本曲輪下に路駐、(ここはUターン出来ませんのでバックしT時点でバックで曲がって帰路へ)、駐車場は有りません。
 
 鵜ヶ埼城は江戸期仙台藩21要害の一つ岩沼要害として機能して居ました、最上部が本丸か?下に二の丸、土塁が見られ、二の丸南、西下に帯曲輪らしき平地で更に西側は落ち込んでおり空堀、沼地跡なのか?しかし小公園鵜ヶ埼公園の周りは市街化、住宅地に成ってる、約150m東にはJR岩沼駅で旧岩沼要害はJR、市街化で埋没したようです。

 歴史:鵜ヶ埼城は古くは「武隈館」と呼ばれ、平安中期の歌人・源重之が奥州に下向した時築城したのが始まりと伝えられてる、戦国期は城として機能したが江戸期一国一城令後は仙台藩内に21箇所ある要害の一つと位置付けられ岩沼要害と呼称、寛文元年(1661年)岩沼藩3万石として仙台藩の内分大名田村宗良の居城となった、延宝9年(1681年)田村氏が一関へ転封となると、以降古内氏が拝領し居館としていた。
 明治維新後は廃館と成り明治20年東北本線が施設された際に要害の一部が駅と成るなど大きく姿をかえていった。(案内板/標柱による)

 路駐も気に成りサラッと巡って撮影し10分ほどで次の小堤城を目指しました。

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赤い城

別名は高館城 (2021/11/21 訪問)

西明寺から登城路がありますが脇の道路で登城口まで行けます。
車を停めるスペースもありました。
登城口に説明板があり、そこから少し登ると主郭へ着きます。
三方に延びる尾根筋に曲輪が配置されています。西側のキャンプ場へ向う尾根には深い堀切も。また、道路を挟んで西明寺方面に降りていくと竪堀や堀切もありました。
権現平が旧主郭とされています。
城域はかなり広く、全部見るにはかなり時間が要りそう。
麓の西明寺では閻魔様の御朱印が有名ですが頂ける時間帯と枚数が限られています。
興味のある方は事前に確認されるのが良さそうです。

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