久しぶりに犬山城に行ってきました。
木曽川沿いの舌状台地に建つ国宝犬山城は、1937年に織田信康によって前身の城であった木之下城より城郭を移して築城しました。
これは通説ですが、新説も有ります。
1537年の新築ではなく1585年〜1590年にかけて建築されたと言われておりますね。
さて、今回私は木之下城跡にも行ってきています。
木之下城は、犬山城の前身の城です。
1565年に織田信長が織田信清と対立して、一族の領地争いの中で犬山城を攻略しました。
1581年に、織田信長の四男である織田勝長が城主となりました。
その翌年の1582年に本能寺の変で父の織田信長と運命を共にしました。
1584年に豊臣秀吉と徳川家康と織田信雄連合軍との間で小牧長久手の戦いが始まりました。
当時の犬山城主は、織田信雄の家臣の中川定成でしたが不在だったので、豊臣秀吉軍の池田恒興が木曽川を渡り城内に侵入して落城となりました。
その後、豊臣秀吉が入城しました。
豊臣秀吉が没すると、1600年に関ヶ原の戦いがはじまります。
犬山城は、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍側の武将たちが退去した為に、東軍によって占拠されました。
1617年に、犬山城は徳川家康の重臣成瀬正成が拝領しました。
このときに、天守に改良が加えられて現在の姿になったと言われております。
以後、成瀬氏が幕末まで城主を務めることになります。
明治維新後に廃城令によって、一旦愛知県の所有となります。
1873年に天守以外の一部の建物が取り壊されたり、払い下げされたりしました。
1891年の濃尾地震によって犬山城は半壊してしまいます。
その時、愛知県全体の被害も重なり犬山城の修復が出来ないでおりました。
そこで、1895年に幕末まで犬山城の城主だった成瀬氏に、犬山城天守の修繕、維持を条件に譲渡することになりました。
そして、1899年に犬山城の天守の修復が完了されました。
それ以後、成瀬氏が犬山城天守を個人所有することになりました。
1935年に、天守は国宝に指定されました。
国宝天守の中で一番古いとされております。
1961年から4年に渡り、天守の解体修理が行われました。
2004年に第27代犬山城主だった成瀬正俊さんがお亡くなりになり、公益財団法人犬山城白帝文庫が設立されました。
今も公益財団法人犬山城白帝文庫が所有者となり管理は犬山市が行っています。
私は、2003年に犬山城に行って当時の個人所有者だった成瀬正俊さんとお会いしております。
なんと、実に1903年から2003年までの101年間も個人所有だったのです。
今は、犬山城天守だけでなく城山一帯を含む犬山城跡の総合調査を経て、2018年には犬山城跡が国指定になりました。
今回は、5連続外枡形の確認と前身の城の木之下城跡の確認でした。
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