仙台藩寛文事件の主人公の一人原田甲斐の墓がある、登米市東和町米谷の東陽寺を訪れた。原田家は伊達家の重臣で宮城県南の船岡を領していた。その墓が県北の米谷にある理由は添付画像の東陽寺説明書きをご覧いただきたい。秋晴れの下、本堂裏手にある甲斐の墓は、密かに埋葬した場所の目印に植えられて、今は大木となったイチョウの落ち葉に彩られていた。
米谷城は建治2年(1276)に葛西家家臣の亀掛川氏により築城されたと云う。奥羽仕置により葛西家が滅び、伊達家の所領となると、柴田氏、次いで高泉氏(準御一家2,700石)が配され維新まで続いた。
城は市街地の北側、米谷工業高校にほど近い山の中腹に二の丸を、頂上に本丸を置く縄張。仙台領古城書上には「山 米谷城 東西十六間 南北十八間」との記載がある。藩政時代には旧二の丸が米谷「所」の中心として居所が置かれたものと思われる。
道路脇の登り口に高泉家十九代当主による米谷城跡の碑があり目印となっている。
見学者用の駐車場は無い。三陸自動車道登米東和ICより2.4Km、5分。
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