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2022/04/24 23:33
【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2020/11/15 訪問)
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2022/04/24 22:13
2022/04/24 21:55
畠山重忠公園
馬を背負って下りてみせ……末代までの語り草になった銅像がこちらです。
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2022/04/24 21:43
小俣城 栃木県足利市 (2022/04/10 訪問)
県道218号線沿い、叶花集会所に登山者用の駐車場があります。
駐車場からカタクリ群生地方面に向かい、獣よけの柵から入ります。
カタクリ群生地に登城路が付いているので進んでいくと途中からかなり急な坂道となり、トラロープも設置されています。
ようやく尾根に辿り着くと城山方面に。
尾根道を進んでいく感じです。
尾根上には3つ堀切が施されていました。
主郭虎口は枡形となり、石積みも残っていました。
山頂の主郭には小さな祠、見晴らしもよかったです。
南側にも尾根が伸びていた感じですがゴルフ場造成により消失しています。
かなり急峻で小規模な城ですがハイキングコースとなっていて歩きやすい感じでした。
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2022/04/24 21:26
真壁氏のお城なのだ (2021/12/05 訪問)
真壁城の最終形は浅野氏だとばかり思っていたが発掘成果ではそれが証明できないらしい。在地勢力の範疇に入る真壁氏がこれだけ壮大で技巧に富んだ縄張を構築できるということをまずは素直に受け止め、驚きたいと思う。
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2022/04/24 21:26
かつては繁栄していた美濃守護土岐氏の居城 (2022/04/17 訪問)
美濃守護土岐氏の第3代 土岐頼康が1353年に築き、第11代 土岐頼芸までの居城となり、当時は都文化が広まり繁栄していたようです。
遺構は消滅して残っていません。
済美高校の一角に石碑があります。
その少し南西には、土岐氏の菩提寺でもあった市史跡の正法寺跡があります。
その更に南に川手城の推定地があり、どうも石碑がある場所は城跡から外れているようです。
推定地の北側には水路があり、その水路を境に高低差があって推定地側が高くなっている事が分かりました。
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2022/04/24 21:19
根本城跡の縄張り図 (2018/10/29 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/04/24 21:14
今城案内板 (2018/10/29 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/04/24 21:10
高島公園案内図 (2015/06/18 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/04/24 21:06
高田城案内板、高田城図間尺、高田城復元鳥観図 (2016/12/04 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/04/24 20:57
高山陣屋順路案内図 (2020/08/22 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/04/24 20:55
高崎城復元図、高崎城址周辺案内図 (2015/09/04 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/04/24 20:53
2022/04/24 19:08
【城と標柱】 (2022/04/10 訪問)
畑の中(Ⅱ郭)にある「船山城 本丸趾」標柱
史料がほとんど存在しないため、確かなことはわからないそうです。山城と丘城の二つの構造を持ち、大きく二時期にわたって築城されたと考えられています。
標柱があるⅡ郭は、第二期の本丸だと考えられています。
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2022/04/24 17:14
2022/04/24 17:11
陣城でしょ (2022/04/05 訪問)
松尾山城は、築城年代は定かではありませんが、応永年間に富島氏によって築かれたとされています。戦国期に入ってからは、織田氏との関係が悪化した浅井氏が、樋口氏に命じ松尾山を占拠させ砦を築きましたが、樋口氏は織田方の竹中半兵衛の調略により、織田氏に降り織田氏家臣の不破氏が守備したとされています。
関ヶ原の合戦で、廃城となっていた、松尾山城を石田三成公の要請を受けて伊藤氏が修築し布陣しましたが、小早川秀秋公によって追い払われ、小早川勢が松尾山に陣を布陣したのは周知のとおりです。
松尾山城は、松尾山の山頂にあり関ヶ原を一望でき、関ヶ原の合戦の折、若干19歳の小早川秀秋公が布陣した城として有名ですが、「所詮、急ごしらえの陣城でしょ」とあまり乗り気ではありませんでしたが、登城してびっくり(@_@)単純な陣城ではなく、しっかりと曲輪・土塁・堀切・竪堀などが残り、本格的な山城だといえます(*^▽^*)
なだらかな、登山道を40分程登れば、山頂に辿り着きます。山麓に駐車場も有り、そして何とトイレも山頂に完備されています。何より、関ヶ原が一望でき、関ヶ原の合戦の陣形図があり、西軍の優位性がはっきりと分かります。西軍は鶴翼の陣形で、東軍は車懸の陣形。この西軍の優位性を徳川家康公が分からないはずはなく、やはり、合戦の前から小早川公は調略されていたものと思われます。(想像です)
ただ、登城して思ったのですが、確かに良い山城ですが、小早川勢1万5千の兵が駐屯できるほどの規模ではなく、小早川公の側近1千程が山頂で待機し、残りの兵は山麓、山腹に配置されていたと思われます(想像です)煮え切らない小早川公の陣に家康公は鉄砲を撃ちたてたとありますが、絶対火縄銃では小早川公の陣まで届きません。
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2022/04/24 17:07
2022/04/24 16:00
歴史館の開館を待てずに鉢形城訪問 (2022/03/06 訪問)
滝山城へ行って以来、小田原北条氏の主要な支城として興味があった鉢形城。
先週投稿した杉山城とセットで、先月は埼玉県寄居町の鉢形城へも行ってきました。
このエリアは荒川が秩父山地から関東平野に出るポイントで、鎌倉街道上道と秩父往還が交差する要衝。
鉢形城は、荒川の断崖と深沢川の深い谷を天然の要害として築かれています。
山内上杉氏家臣の長尾景春が築いたとされ、景春の乱抑圧後は山内上杉氏が城を管理。
1500年代後半に北条氏の時代となると、氏康の四男氏邦が城主となり城郭を拡張。
秀吉に攻め落とされるまで、甲斐・信濃からの侵攻を防ぎ、上野へ進出する拠点となりました。
現在は鉢形城公園となっており、三の曲輪には四脚門や掘立柱建物、石積土塁、木橋などが復元されています。
訪問時は諏訪曲輪をスタートして笹曲輪まで行き、外曲輪を通ってリターン。
まずは大きな堀に北条スケールを感じましたが、公園内を通る車道が紛らわしい上に大手付近が発掘調査中だったため、本来の城の動線と仕組みがわかり辛かったのが難点。
大手から大手曲輪(?)経由で伝逸見曲輪に入り、二の曲輪へは木橋で東の馬出から入るルートと、三の曲輪を経由して西の馬出(伝御金蔵曲輪)から入るルートの2つがあったのでしょうか。この伝御金蔵曲輪まわりの堅牢さは見所の1つでした。
滞在時間は3時間弱。
マンボウで閉館中の歴史館の開館を待てずに訪問した鉢形城が、私の城巡りの121城目となりました。
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2022/04/24 15:34
究極の一枚 (2020/09/21 訪問)
神奈川県山北町の河村新城の畝堀跡です。新東名の工事によって現在は埋め戻されもう見ることができなくなってしまいました。 フェンス越しでしたが埋め戻される前に見れて良かったです。
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