超入門! お城セミナー 第134回【歴史】江戸時代に造られたお城ってどれくらいあるの?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回は江戸時代に築かれた城について。江戸時代は「一国一城令」「武家諸法度」により城の新築・修理が規制されていましたが、例外的に築城が行われることもありました。どのような事情でどんな城が造られたのか見てみましょう!

和歌山城
元和5年(1619)の徳川頼宣入城により大改修された和歌山城。弘化3年(1846)に落雷で天守を失うが、御三家の城であることから特例として天守再建が許可されている。現在の天守は、昭和33年(1958)に再建された鉄筋コンクリート製

規制されればされるほど欲しくなる…? 江戸時代のお城事情

時代劇などの影響から、一般には、江戸時代といえばまっさきに「お城」をイメージする人が多いのではないでしょうか? ところが実は、江戸時代は“お城受難の時代”でした。関ヶ原の戦い後、“慶長の築城ラッシュ”と呼ばれるほど大名がこぞって築城したこともあって日本全国に3000ほどもあった城が、大坂の陣後にはなんと170ほどに減ってしまったのです。実に95%もの日本の城を消滅させた原因は、江戸幕府が出した「一国一城令」と「武家諸法度」。これらは幕府の政治体制を強固にするため、慶長20年(元和元年/1615)に布告されました。

武家諸法度
「武家諸法度(元和令)」に書かれた築城制限に関する条目(『詳説 日本史史料集』を参考にかみゆ歴史編集部で作成)

「一国一城令」とは、国(のちに藩)を治める大名が住んで政務を司る城=“居城”以外の城はすべて無くしてしまいなさい、というもの。また、大名が居城を修復する時は必ず幕府に届け出て許可をもらうことと、修復以外の新工事を(原則)禁止することが、幕府の根幹を形づくった「武家諸法度」の中の一条に書かれていたのです。これを守らず広島城(広島県)を無断修復した福島正則が、容赦無く改易となったことは結構有名なお話……。ともあれ、江戸時代はこれらのお達しによって、基本的に城は一国に一つだけとなり、さらに新規の築城もほとんどされなくなったため、城が激減してしまったというわけなのです。

お城のイメージが強い江戸時代なのに、築城が禁止されていたなんて! と意外な感じがしますよね。とはいえ実はこれ、それほどガッチガチの決めごとだったわけではなかったようで、中には大規模な拡張が許された城もありました。また、一国内を複数の大名家で治める場合は、その数だけ城が存在したという例もあります。修復以外の新規工事が行われた城も、意外にも40城ほどもあったそう。まぁ、ほとんどは幕府の戦略的事情によるそうですが……。ということで今回は、一国一城令・武家諸法度下の江戸時代に改修・築城されたワケアリ(?)の城たちを紹介しましょう。

江戸時代に新築・改修されたお城たち

新規の築城として代表的な例が、明石城(兵庫県)や福山城(広島県)です。小笠原忠真・水野勝成という譜代大名の城で、これは西国の外様大名たちににらみを利かせる重要な役目がありました。2棟の櫓が現存する明石城は石垣も壮麗で、映画『レジェンド&バタフライ』では安土城(滋賀県)として登場しています。そして昨年築城400年事業として大規模な再整備が行われた福山城は慶安2年(1649)完成。ドーンと五重天守が構えられていて、山陽地方屈指の威容を誇りました。

福山城
福山駅から見た福山城。幕府の肝いりで築かれた大城郭は、西国街道を通る人々を威圧した

四国の讃岐は生駒氏が一国全域を治めていましたが、生駒氏の改易後、高松城(香川県)は東讃岐を治める城となり、西国大名の監視役として親藩の松平頼重が送り込まれて、改修や増築が行われました。こちらも昨年、御殿の正門だった桜御門が復元されています。また、現存天守のある丸亀城(香川県)は一国一城令で廃城となっていましたが、西讃岐を治めるための城として山崎家治が入城して丸亀藩が誕生。城も再築されました。

この山崎氏のように、国替え先に禄高に見合うだけの居城がない場合は、外様大名でも大改修や新規築城が認められていて、フォトジェニックな城として人気の白河小峰城(福島県/1629年に丹羽長重が大改修開始)や、江戸軍学に基づく複雑な縄張で築かれた赤穂城(兵庫県/1648年に浅野長直が築城開始)もこれにあたります。

丸亀城
城下から見た丸亀城。山崎氏は丸亀城再築中に改易となったため、城が完成したのは山崎氏の後に領主となった京極氏の時代である

決して多くない禄高ながら立派なものを築いたといわれることが多い松倉重政の島原城(長崎県)ですが、これはキリシタンの取り締まりのため、幕府の権威を見せつける必要があったから。現在も五重の復興天守がそびえ立ちます。また、徳川御三家の城である和歌山城(和歌山県)も国替えにともなって拡張工事が行われた城で、新旧のバリエーション豊かな城内の石垣はそんな歴史を物語っています。

また、川越城(埼玉県)、宇都宮城(栃木県)、水戸城(茨城県)、古河城(同)、鶴ヶ岡城(山形県)、上山城(同)など、関東・東北の譜代大名や親藩の城も多くがこの時期大改修されています。そして、幕府の命によって、大名が持ち場を分担して行われる天下普請も、もちろん継続的に行われていました。江戸城(東京都)の増築工事は何度も繰り返されていましたし、大坂夏の陣で焼け落ちていた大坂城(大阪府)の再築工事や、二条城(京都府)の大拡張工事も行われました。この時の江戸・大坂の天守は史上最大の規模で、将軍家の権威をこれでもかと見せつけていたそうです。いや〜見たかったですね!

川越城
江戸の「北の守り」として重視された川越城は、松平信綱によって明正16年(1639)に大改修された。また、一部が現存する本丸御殿は嘉永元年(1848)に再建されたものである

以上、“お城受難の時代”だった江戸時代に誕生した城、見事に生まれ変わった城の一部をご紹介しました。この連載の「第130回【歴史】お台場がお城だったって本当?」で紹介したように、ペリー来航を皮切りに外国の脅威に直面した幕末には、海防目的で海城の強化や台場の新築など、全く別の意味合いの築城が増えています。現地でお城の歴史年表を見る時、元和以降に注目してみると、「おお、このお城も江戸時代に頑張ってたんだ!」という新たな発見があるかもしれませんね!


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。主な制作物に、戦国時代を地方別に紹介・解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(朝日新聞出版)や、全国各地の模擬天守・天守風建物を紹介する『あやしい天守閣 ベスト100城+α』(イカロス出版)、お城の“どうしてそうなった!?”な構造や歴史を紹介する『ざんねんなお城図鑑』(イカロス出版)、スタンプ帳付の子ども向けお城入門書『戦国武将が教える 最強!日本の城』など。24人の人気戦国武将が様々なテーマで戦いNo.1を争う『歴史バトル図鑑 最強!戦国武将決定戦』が好評発売中!