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姫街道

二つの顔を持つ城 (2022/05/05 訪問)

千曲川から城を見上げると、台地から突き出た山城だが、台地から見れば台地の先端部で下っている立地で穴城のようでもある。この城に入り悩んだ事は、、表札が立つ本丸部の曲輪端部、等間隔で残る土取りした箇所………破城では??個人的な意見で、全く根拠は無いが、この城が重要な拠点であった事は間違いなく、廃城時には破城を命じられたとしても不思議ではない。

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赤い城

圓頓寺 (2022/05/05 訪問)

京急蒲田駅から徒歩で7分。
圓頓寺周辺が館跡となります。
遺構は残っていません。
門前にお寺の由来が記された石碑があります。
以前訪れた時には門が閉まっていましたが今回はオープン。
境内には北条家家臣だった行方氏の供養塔があります。
蒲田駅周辺は賑やかですがこの辺りは静かな住宅地でした。

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姫街道

穴城である事 (2022/05/05 訪問)

まず驚いたのは、大手門の位置と向き・門周りの石垣だ。これだけの門なのに、石垣と門がアンバランスで不思議だ。大手門から本丸までがまたまるで迷路のようだ。大手門の次が三の門になるが、大手門から高低差がどれだけあるだろう…とにかく低い位置に立派な三の門が現れる。そこから本丸は、総石垣と言っても過言ではない。石垣に囲まれた曲輪内に弓道場があり、風情がある。城下町より低い位置にある穴城だが、曲輪はさらに石垣に囲まれていて、より一層低い位置にある感覚を受ける。本丸は武者走りがぐるりとまわっており、見応え十分だ。

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宗春

遠江攻略戦④掛川城 (2022/05/02 訪問)

お茶切絵の御城印と、ウクライナ支援の御城印を目当てに3度目の登城。1度目は天守が再建された当時、2度目は百名城スタンプを押しに、3度目は御城印を頂きにと、何度も足を運ぶ事になりました。その度に新しい発見があり楽しいのですが。

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姫街道

見所満載! (2022/05/05 訪問)

雲興寺の駐車場から登城。山頂を見上げるに、「恐ろし断崖絶壁の岩城」が現れました。山頂は、階層的な曲輪。曲輪間は堀切+土塁に石積が多く見られました。石積がいつの時代なのか不明ですが、もし戦国期の築造であれば、個人的には国指定級に感じます。虎口と想像される箇所に巨石が使用されている箇所もあり、「凄い!」を連呼。城も大切にされているようで、刈り込まれた細枝で逆茂木が所々組まれてました。必ずまた来ます!

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いんげん丸虫

綱取城 福島県耶麻郡北塩原 (2022/05/03 訪問)

松本氏により築城、蘆名氏に攻め落とされ改修され
たようです。
標高390mの山城です。北塩原中学校のわきに登り
口の看板があり、その付近に駐車可能です。
いきなり弓型になった鋭い堀切があるのですが、、
これは遺構では無いような。妙に広い斜面を登り、
尾根道に入るとNHKの電柱があったり、今一つ明確
でない主郭部等、残念感があったのですが、その先
が凄かったです。深い堀切は横堀となり。
角度を変えた方角に曲輪が続き土塁と横堀がと伴っ
ています。段々になったテラス状の平場や崩れてい
るが石積の虎口があったり竪堀も確認できました。
かなり複雑で面白い城跡だと思います。

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ぴーかる

池上曽根遺跡 (2022/04/30 訪問)

【池上曽根遺跡】大阪府和泉市池上町・泉大津市曽根町
<駐車場他>池上曽根遺跡史跡公園駐車場無料あり。
<交通手段>JR信太山駅より徒歩

<見所>復元高床式大型建物
<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅3城目。日本城郭検定公式参考書にその記述があり、また日本城郭検定1級の正解問題として出題されているのに何故か城びと未登録の環濠集落遺跡である池上曽根遺跡に行きました。一度来てみたかった所です。
 池上曽根遺跡は弥生時代中期の環濠集落遺跡で南北1.5km、東西0.6kmの範囲の大集落であったようです。現在は国道が走り集落箇所は宅地化されて神殿となる中心部分が残されている。大型・小型の掘立柱建物・竪穴住居が復元され、当時は井戸を中心に背後の高床式建物(神殿)・立柱で囲んで祭事を行っていたそうです。井戸跡横にサヌカイト(石器に使われた石)が出土していてその遺構が見られます。池上曽根弥生情報館(無料)には遺跡の模型がありますが展示品は少ないです。

<満足度>◆◆◇

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Fカット

資料館が見れなかった。

調べて行かなかったので青森市中世の館は月曜日と第三日曜日が休館日で訪問できなたったです。(泣)スタンプは入口に設置されてありました。城跡案内所の駐車場に移動したらここも締まっていました。城址跡は見学ができたので堪能できました。全体地図の模型も設置してありました。

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おいでやす子

信長四城の御城印 (2022/05/02 訪問)

御城印張の最初は近場からと、清洲城へ参上しました。
小さな可愛いお城で、平地に建っているのに天守からはちゃんと城下が見渡せて素敵です。
大河ドラマの展示やビデオ?が沢山あって、ちょっと商業化しようとしたのかな?と思います。
ビデオは視聴に何分掛かるか提示されていたら、もっと沢山の人が見るのではないでしょうか?
なんちゃって戦国新聞が凄く面白かったです。
人が多く写真が撮れなかったので、ちゃんと読めず残念。
全文ネットで読めると嬉しいです。
信長四城の御城印は無料だったのでラッキーでした(笑)。

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赤い城

殿山公園と住宅地 (2022/05/05 訪問)

この日は生麦駅から徒歩で30分くらい。
高台の住宅地に位置しています。
民家の脇に説明板と石碑があり、この辺りが主郭のようです。
少し離れたところに殿山公園。
ここに少しだけ竪堀や土塁が残ります。
遺構の説明板がありますが草が茂っていて分かりにくい。
諏訪氏が築いた城で、諏訪氏は後に北条氏の家臣となりました。
武田信玄の小田原攻めで落城したとされています。
近くには城を連想させる地名もあるようです。

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しか

甲賀の水口岡山城へ (2022/04/30 訪問)

東海道スロージョグの一環として、関宿から鈴鹿峠を越え、土山宿まで17キロほど走ったところで、足を傷めてしまいました。
予定通り甲賀の宿に入り、水口城を見ただけでは物足りず、「古城山」に登りました。

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おっちゃん

神戸城跡縄張り図 (2017/01/28 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

新府城跡概要図 (2017/10/14 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

新発田城城郭図、新発田城復元予想図 (2020/08/22 訪問)

現地案内板より抜粋。

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朝田 辰兵衛

鬼小島弥太郎墓所(長野県飯山市)~鬼小島弥太郎編③~ (2022/05/04 訪問)

1561(永禄4)年9月10日の第4回川中島合戦は,上杉軍優勢で始まり,次第に武田軍が盛り返す展開に。謙信は越後に引き返す判断をしました。飯山・安田の渡し(現在は綱切橋となっている。飯山城の南側約800m付近)にさしかかった時,謙信に従う者は弥太郎ただ一騎だったという。千曲川を渡り,追っ手をさえぎるために渡し綱を切って落とす。北へ向かい,市ノ口から小佐原にさしかかるも,弥太郎は深傷に堪えかね,主君の無事を祈り割腹して果てました。
鬼小島弥太郎最期の地は,鬼が峯と呼ばれるようになりました。弥太郎の墓は,鬼が峯と数100m隔てた英岩寺墓地に,1595(文禄4)年,弥太郎ゆかりの者に建てられたという。

なお,新潟県長岡市栃尾大野町3-4-2(デイサービスセンターおおの苑)地内にて,鬼小島弥太郎戦死の地と呼ばれる碑とパネルが存在します。ここには「鬼小島弥太郎貞弘は背丈6尺2寸(186㎝)で,その力は三十人力であったといわれ,その豪勇の故に鬼の一字が付けられたといわれています。弥太郎17歳の時,見出されて景虎の家来となり,槍の名手として活躍しました。永禄3年正月の刈谷田川合戦の折には,三条方の広瀬十郎と一騎打ちを行い,これを討ち,味方を大勝に導きました。しかし,帰陣の途中ここ天神橋で広瀬十郎の子二人の不意打ちにあい,おどりかかる広瀬兄弟を斬り伏せたものの,深傷のため割腹して果てました」とあります。
この記述が真実だとすると,1561(永禄4)年9月10日の第4回川中島合戦には参陣することは不可能。その後の逸話もあり得ないこととなります。私はこの栃尾説の後半部分は後世に盛った話と判断します。

大人の自由研究を終わります📖

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トク

壇ノ浦(源範頼が矢を射た田野浦海岸) (2022/05/16 訪問)

壇ノ浦での源平合戦がNHKの「鎌倉殿の13人」で描かれ「歴史探偵」で解説されました。私は今まで合戦があった場所は、下関側の「みもすそ川公園(赤間関)」には「源義経と平知盛」の銅像(写真①)や「壇ノ浦古戦場跡」の石碑(写真②)があり、現地の説明板などから、ここの目の前が合戦の中心場所で、潮流の流れが変わった時ここで勝敗が決したとばかり思っていました。しかし、今回のドラマとその実験解説で、公園の前の場所はあくまで合戦が始まった場所で、そのまま東の方向に潮の流れに乗って平家が攻め押し、千珠島と満珠島の付近まで押され不利になった源義経軍が「漕ぎ手を射る」という禁じ手を使い、漕ぎ手を失って制御不能となった平家の船が「還流」により、門司側の「田野浦」の海岸まで流された所を、陸上から源範頼軍(北条義時を含む)が矢を射かけ、潮の流れが変わり追ってきた義経軍と挟み撃ちになり勝敗が決した事が、最新のAIと潮流の研究に文献を照らし合わせて分かったと解説され、自分の今までの認識とかなり異なっていたので、驚いてしまいました😲。よって、それを聞いて自分で図③を作成し、実際にその場所を訪れてみる事にしました。

門司側の「和布刈(めかり)公園」(門司城跡)に歩いて登り、そこから壇ノ浦を眺めてみました。ここから一望できるかと思いましたが、みもすそ川公園は遠望できましたが(写真④)、田野浦側は予想外に木が生い茂っていて見えませんでした。よって、また降りて今度は海岸の「和布刈神社」から見る事にしました。

和布刈神社東側にある、安徳天皇句碑の前から田野浦を眺めてみました(写真⑤)。現在の田野浦は、当時とは海がかなり埋め立てられて変わっており、工場が立ち並んでいました。弓矢は達人で200m(足軽なら100m)くらいしか飛ばないので、現在埋め立てられている付近まで平家の船は流されてきた事になります。今まで自分が思っていた合戦の様子とはずいぶん異なっていましたが、こちらが主戦場である方が現実的でありえるなと納得してしまいました。ここの海は潮の流れがとても速くてさらにとても深いです(時速18kmなので川より速い!水深は約47m)。私が訪れた時は、合戦の時と同じ西から東に向かって潮が流れていて、確かに渦から還流が確認できました。和布刈神社の前に立つと、怒涛のような音をたてて流れる海が間近に見られ、見ただけでとても怖い感じがしました😱(写真⑥)。飛び込んだらあっという間に流されてしまいそうな・・・ 写真⑤の句碑の先あたりが実際は安徳天皇が入水した場所ではないかと私は想像しました。安徳天皇や平家の女人たちはさぞかし怖かっただろうなと思いました。また三種の神器の宝剣は見つからなかったとの事ですが、この海では発見するのはまず困難だろうと感じました。

この後、この海の真下には人が歩けるトンネル(関門人道トンネル)があるので、歩いて対岸へ渡り(写真⑤)、みもすそ川公園の銅像を見て(写真①)、そこから田野浦を遠望してきました(写真②)。

最後に、安徳天皇と亡くなった平家の人々を祀る「赤間神宮」(写真⑧)が公園から西に徒歩5分の所にあるので、そこに立ち寄り、平家一門の墓(写真⑨)と安徳天皇を弔う木造(写真⑩)に手を合わせて帰りました。

この合戦で平家はすでに弱かったように今まで描かれていましたが、実はそうではなく、九州の山鹿水軍(芦屋)や松浦水軍の600艘が加わり、最初からかなり優勢に攻めていたので、もし義経が禁じ手さえ使わなければ、そのまま平家の圧勝で終わっていたのではないかと思います。そうなっていたら日本の歴史はどう変わっていたのでしょうね?😊
 

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ぴーかる

貝吹山城 (2022/04/30 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>久米田寺駐車場(参拝前提として)
<交通手段>JR久米田駅から徒歩

<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅2城目。貝吹山城は橘諸兄の墓ではないかといわれる貝吹山古墳を改造した城で、1562年三好一族VS畠山高政・根来衆との闘いにおいて、三好方の岸和田城を畠山高政・根来衆が包囲し、後詰めに来た三好実休がこの貝吹山城とすぐ隣にある久米田寺に布陣しました。三好実休軍と畠山軍・根来衆はこの地で戦闘になり「久米田の戦い」、三好実休は討死します。
 先達のイオさんの投稿を参考にしてまず貝吹山古墳を散策しました。後円部分は段状に削平され、また古墳の南側全体も腰曲輪のように削平されています。くびれ部の堀切は土砂で埋まってよく分かりませんでした。次に久米田寺に立ち寄りました。久米田寺は738年行基によって創建されましたが上記の「久米田の戦い」や信長の「高屋城の戦い」でほとんどが焼失し江戸時代になり復興したそうです。駅に戻りがてら寄り道して三好実休戦没地碑<34.459485, 135.402942>に行きました。

<満足度>◆◇◇

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テンちゃん

鷲津砦 訪問 (2022/05/14 訪問)

桶狭間古戦場跡を訪問した後、大高城、丸根砦、鷲津砦を一気に訪問しました。
桶狭間の観光案内所で御城印を購入しました。大高城、丸根砦、鷲津砦の3枚セットで1000円でした。
大高駅前のコインパーキングに車を駐車し、徒歩で大高城、丸根砦を訪問した後。鷲津砦に向かいました。
住宅街を歩いて鷲津砦に到着すると児童公園みたいな遊具のある公園になっており、がっかりしましたが奥に入っていくと石碑などもあり雰囲気はありました。そのまま大高駅方面に降りていきましたが、裏手の住宅街から入るより大高駅側から登るように行くのが攻めて側の気持ちになれるので訪問する際は大高駅側から登っていくことをお勧めします。

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テンちゃん

丸根砦 訪問 (2022/05/14 訪問)

桶狭間古戦場跡を訪問した後、大高城、丸根砦、鷲津砦を一気に訪問しました。
桶狭間の観光案内所で御城印を購入しました。大高城、丸根砦、鷲津砦の3枚セットで1000円でした。
大高駅前のコインパーキングに車を駐車し、まず大高城に行き、そのあと徒歩で丸根砦に向かいました。
日頃あまり歩いていないため結構疲れました。
丸根砦は思ったより小高い丘の上こじんまりと存在しました。
桶狭間の戦いの前哨戦では松平元康が攻めて落としています。

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テンちゃん

大高城 訪問 (2022/05/14 訪問)

桶狭間古戦場跡を巡ったあと、大高城、丸根砦、鷲津砦を一気に訪問してきました。
桶狭間の観光案内所に御城印が置いてありました。
大高駅前のコインパーキングに車を止めて歩いて向かいました。
こんもりとした丘の城跡は思ったよりも広大で驚きました。
ここに松平元康が兵糧を入れて滞在していたと思うと感無量でした。

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