かなり立派で巨大な館だったとの事です。
館といっても有事には守りの固い城に変わるのだからと当時の館の姿を想像しながら見学しました。
周りは堀に囲まれており、公園になっている館跡内に入ると当時の館の配置がわかるようになってました。
また、土塁に囲まれたその跡は先程も言ったように堅固な館だったのだろうな思いました。
駐車場もあり、よく整備されていて見学はしやすくなってました。
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2022/07/01 22:55
高梨さんの立派な館跡 (2022/05/24 訪問)
かなり立派で巨大な館だったとの事です。
館といっても有事には守りの固い城に変わるのだからと当時の館の姿を想像しながら見学しました。
周りは堀に囲まれており、公園になっている館跡内に入ると当時の館の配置がわかるようになってました。
また、土塁に囲まれたその跡は先程も言ったように堅固な館だったのだろうな思いました。
駐車場もあり、よく整備されていて見学はしやすくなってました。
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2022/07/01 22:37
五井駅 (2022/06/19 訪問)
五井駅が陣屋跡で遺構はありません。
五井駅は内房線の他小湊鐵道の起点にもなっています。
小湊鐵道は大多喜城方面に行きますが乗ったことはありません。
春先の桜と菜の花が有名ですね。
五井藩の藩庁だった陣屋です。
普通の駅でやっぱり何もありませんでした。
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2022/07/01 21:48
弘前城と岩木山
山と桜のコントラストがすばらしい!石垣が完成したら再訪したいですね。
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2022/07/01 21:00
ドリフターズ、島津豊久の生誕地 (2019/09/29 訪問)
梅雨に任せてアニメ・ドリフターズを視聴、かれこれ4回目だったと思います。古今東西歴史上の人物が死に間際に異世界に飛ばされてドリフターズ(漂流者)とエンズ(廃棄物)に分かれて戦うストーリー。日本からは魔王信長や安倍晴明・那須与一・源義経など豪華絢爛なキャスト、それがエルフやドアーフやらの異種族と絡み合う滅茶苦茶でダークな内容。が、何故か主人公は島津豊久。そこにコアな人物をチョイスした作者は目の付け所が違う、普通に考えたら主人公はもっと認知度の高い人物なんだけど。
当時は島津豊久を知らなかった。戦国期の島津四兄弟の事も知らずにいたが、アニメを見てから調べて知った。割とこの様な媒体からだとすんなり頭に入ってくる。中には歴史上の人物を愚弄して不謹慎だと思われる人々もいるかもしれない。
串木野城は3年前に一度訪問した。島津豊久の生誕地を知ってか知らずか覚えていない。1年目のせいもあり、的外れな訪問をしていた事を後に気が付き、去年整備されたとの事だったので最近再訪問しました。3年前は主郭などの存在さえ知らずに訪問しましたが、今回はメインの堀切道や各曲輪を見る事が出来ました。
今までで、的外れな訪問が残り4城有ります、機会を見て再訪問したいです。
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2022/07/01 15:24
2022/07/01 14:50
内膳丸と登り石垣 (2022/06/20 訪問)
二の丸、三の丸の景観探訪を堪能して、フィルムカメラ時代に山頂の郭群、天守台に以来の数拾年振りの登城、二の丸テニスコート裏からの登城路を登って行く、途中の尾根に南北に約150m程幅30m程、総石垣で上段、下段、下段下と三段の構造に見受けられる内膳丸が有る、下段下に続いて、5~6年前に発掘出現された登り石垣が山頂の曲輪群、遠見櫓台に向かって伸びている、当日新聞等で報じられたのでまだ最近の事の様に思い出される。
登り石垣は、伊予松山城、淡路洲本城が有名で雄大に残って居ます、米子城は吉川広家時代に石垣築城されて居り、朝鮮の役に参陣して居ますので、登り石垣の効果は体験済みなのでしょう、港に向いて内膳丸西側の石垣と登り石垣と遠見櫓までのつながりが、石垣防御ラインと成ったのでしょう。また新しい発見で今後の整備保全を期待します。
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2022/06/30 21:42
坂手島 (2022/06/30 訪問)
「行った」と押しましたが、石碑のある場所にあるホテルが廃業したために立ち入り禁止になっているとのことで、島に渡ることは断念しました。鳥羽マルシェ付近から撮影しました。
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2022/06/30 21:39
2022/06/30 21:38
2022/06/30 21:31
2022/06/30 21:19
2022/06/30 20:42
主郭が城址公園に (2022/06/12 訪問)
免許センター近く、ラーメンショップさんの隣にあります。
公園入口に説明板が立ち、階段を登ると主郭になります。
主郭は土塁で囲まれています。
土塁の外側には犬走りもありました。
南側の虎口から降りていくと深い堀がありました。
ただし藪、建物も建っています。
城は三つの曲輪が並んでいたとのことですが二郭、三郭は畑や宅地となっています。
戦国時代には高城氏の小金城の支城として機能していました。
今では静かな公園になっていました。
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2022/06/30 19:33
石の門砦 (2022/05/22 訪問)
【石の門砦】
<駐車場他><36.755183, 137.421679>道路脇に駐車可能
<交通手段>車
<見所>石垣
<感想>1泊2日富山城の旅8城目。初投稿いただきます。石の門砦は戦国時代に椎名氏?によって築かれました。この虎口は松倉城と松倉城支城群に入る西の虎口になり、石の門砦のすぐ西側が鹿熊地区といい当時の城下町で東側が早見川があり入城口となっていました。入城口から北の海側にかけてはなだらかな傾斜となっているので城下町の防御と強固な石組の虎口を設けていたのはなるほどと感じる。虎口の内側に削平地の曲輪が広がっているので虎口要塞的な施設であったと思われます。石組の石は川の石を使用しているのでかなりの大玉石で最大で3m程の高さがあり圧巻です。大城郭群の入口にふさわしい造り。
<満足度>◆◆◇
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2022/06/30 17:11
二の丸石垣城塁が見える化景観整備 (2022/06/20 訪問)
二の丸の石垣城塁が良く見える様に成って居ました、今回の伯耆未踏の城廻りの途中に、三の丸発掘調査で元球場、諸施設、石垣周辺の樹木が伐採され、三の丸の調査整備区域には工事中で入れませんが、工事枠外で二の丸石垣が大変良く見える様に成り、且つ天守台の前面樹木も伐採されて、三の丸、二の丸石垣城塁、天守台石垣群も良く見える様に成り、城好きにはたまりません。
三の丸は通り掛かった方に尋ねると公園化されるようで、探訪途中に公園化予想図が掲示されて居ました、完成が待ち遠しい限りです。
駐車場:新しく三の丸駐車場が完備、トイレは有りません、トイレは二の丸テニスコートのトイレ使用と有りました。
他の駐車場は:二の丸テニスコート側と湊山公園駐車場、トイレ完備、湊山公園側からは裏からの緩い登城路が有り水手御門曲輪に登る事が出来ます。
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2022/06/30 16:18
由利高原鉄道沿線の城 (2022/06/23 訪問)
前郷駅から徒歩で20分程度です。城跡は小学校になっていましたが、移転したので自由に見学できます。土塁や堀跡が残っています。
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2022/06/30 00:05
衣笠合戦 (2022/05/29 訪問)
三浦半島城めぐりのラストです。
幹線道路から案内が出ていたのでわりとスムーズに行けましたが一か所悩んでしまった案内がありました。急坂を上へ上へと登っていくのが正解です。帰りに通りがかった際に立ち止まっている方をお見かけしたので声をかけてみたら、やはり同じように悩んでいる方でした。この日は朝から同じ方を別の場所でお見かけしたりしたので、午前中の新井城址一般公開から半島の城めぐりをされた方が多かったのではないかと思います。
城址までの上り坂は長かったですが、「三浦一族ゆかりの地」の幟がゴールフラッグのように迎えてくれて、疲れも吹き飛びました。
階段を上がると平場が現れました。危険を感じずに見学可能な範囲は広くはなかったけれど、曲輪を囲む土塁など充分に雰囲気を感じられましたし、木々に覆われた物見岩が砦感を醸し出していました。只この巨岩自体は物見というより信仰と関わりがあるような気がしました。「遺物発掘處」の石碑の裏には「大正八年發掘陶器貳個銅筒壹個鏡壹面石釼数口於此處古色蒼然不疑爲衣笠城時代物翌年二月獻之宮内省」(←多分)とあり、鎌倉時代にタイムスリップした感じでした。ほかのところでもこんな風に「ここでこんなものが見つかったよ!」という碑があるといいのにと思いました。
説明板に「丘陵状の一番裾が大手口で……」とありますが、帰りに信号待ちをしているときに歩道に「衣笠城追手口遺址」の小さな石碑を見つけました。(写真⑩)この日いちばんテンションが上がったのはココでした(・ω・)ノ
…衣笠と言えば触れずにはいられない鉄人衣笠祥雄氏。同じく京都出身の清川投手も推しでした(^^)/
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2022/06/29 22:37
戦闘抑止効果はあったのかもしれない (2022/01/25 訪問)
整備が終わったばかりで、部分復元され公開を待つ築地塀の姿も見ることができた。瀬戸内に点在する古代山城は戦いの場となることはなかったがその威容が十分な戦闘抑止効果をもたらした可能性はあるものと思っている。
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2022/06/29 21:31
2022/06/29 20:40
伯耆未踏の城廻りを終えチョイ寄り (2022/06/21 訪問)
伯耆未踏の城廻り5城を終え、最終の槻下豪族館、隣接の斎尾廃寺跡を後に頃合いは昼食時間、約5km程と近い道の駅大栄へ、9号線南の地道を通って、コナン駅(由良駅)からのコナン通り、コナン大橋を抜けて終点は道の駅大栄到着、隣接地にコナンの青山剛昌ふるさと館がある。
コナン通りはファンの方がスマホ片手に何人か歩いている、人気が有るんですね!
道の駅大栄は現在レストランがコロナの関係で閉鎖中、地産販売店で山菜おこわ弁当を購入し車中食、昼食後西方向移動多目的広場、お台場公園を経て8年振りに由良台場跡に寄りました、車は由良台場跡の南側駐車場に駐める。
台場虎口から入り、草は深いが人踏道が付いている、人踏道を通って探訪、西側はの土塁に上がり西から4砲台を巡り東土塁から虎口を見下げ戻って東土塁下から降りる。
草は延びてますが整備は良好保存されて居ます。登城者は私一人、コナンのふるさと館・コナン通りは人出有り。
今回はお台場公園の大砲レプリカは見学をパスしました。
由良台場は鳥取藩で幕末築かれて8箇所の内、現在構造が残ってる東から浦富、橋津、由良、淀江、境の5台場の一つです。昭和63年7月27日に国指定史跡・鳥取藩台場跡の一つに加えられ他の台場に比べて良く構造を残しています。
砲台は四門あり台場内部は三段の土塁で固めてる、東西125m、南北83mの広さ、文久3年(1863年)高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎総指揮のもと、藩財政窮乏していたが農民動員され費用は中・大庄屋、豪農らの献金でまかなわれたと伝えられる。
幕末農民パワーは強大の様で幕末維新の源泉なのかもしれません。
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