静岡在住時に訪問。
天守閣はないけど、城内は市民憩いの場になってる。
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2023/04/29 00:45
お城でピクニック (2013/03/31 訪問)
静岡在住時に訪問。
天守閣はないけど、城内は市民憩いの場になってる。
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2023/04/29 00:37
お城で花見 (2017/04/12 訪問)
大多喜はタケノコの名産地。
タケノコ料理を食べた後、大多喜城で花見(^^)
サイコーの春気分。
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2023/04/29 00:28
2023/04/29 00:03
【かるた】一乗谷城の読み札
1)城戸を抜け タイムスリップ 一乗谷城
2)夢うつつ 戦国城下 一乗谷城
3)城下町 見下ろす詰城 一乗谷城
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2023/04/29 00:01
2023/04/28 23:39
2023/04/28 18:14
首里城まだ修復途中 (2023/04/08 訪問)
石灰岩城壁の壮大さ◎
風がとても強く、これは火事の火もすぐ燃え広がっただろうな
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2023/04/28 18:10
石垣を節約している (2023/04/01 訪問)
宇陀松山城に行きました。松山城は豊臣秀吉の家臣、秋山氏が築きました。今残っている遺構はほぼ秋山氏のものであり、昔から残る大変貴重なものです。秋山氏はこの山に大きな天守閣を築きました。
宇陀松山城はいくつか見どころがあります。宇陀松山城は本丸へ行くまでに数カ所門が設けられ、区画の多い道となっています。羅門が最初の門で周囲には堀切がありました。また、通路には石垣がちょこちょこあります。わかりにくいものもありますが、ほとんどがはっきりしていました。
天守閣はほとんど土塁で作られていますが、数カ所石垣があり、石垣を節約したと考えられます。
ルートとしては公民館に車をとめ、歴史資料館の背後を通って登城し、帰りは春日門方面へと下って行くのがよろしいかと思います。ちなみに春日門は松山城の門の後なのですが、今は隅櫓台が綺麗に残っています。これは見るべきです。
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2023/04/28 14:44
2023/04/28 08:13
【かるた】白河小峰城の読み札と絵札
端整な櫓 白河小峰城
戊辰戦争で焼失するも史料に基づいて木造復元された御三階櫓は、華美さはないものの、端整で大好きな天守(代用櫓)です。
石垣が睨む 白河小峰城
あの目のように見える積み方の石垣は、清水門をくぐり抜けて来る人を睨み据えているみたいだなぁ、と。
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2023/04/28 07:42
瑞竜中学校 (2023/04/23 訪問)
高台にある瑞竜中学校が城跡です。
日曜日で門が閉まっており、皆さんのレポートにある石碑は拝むことはできませんでした。
遺構も特になさそうですが、登ってきた道路はおそらく竪堀の跡なのではないかと。
佐竹氏の家臣、小野崎氏の居城です。
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2023/04/28 07:05
2023/04/28 05:14
【かるた】松阪城の読み札
牛目当て 城も目当ての 松阪城
牛に惹かれて 松阪城詣り
読み札のみの投稿です
旅の楽しみは食べる事でもあります
城を攻めてお腹が空いたら
奮発して美味しい物が食べたいですね
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2023/04/28 00:14
2023/04/27 23:26
聖地巡礼「いちいちご苦労さん」 (2023/03/31 訪問)
久能山城は、駿河湾を見下ろす標高 216mの有度丘陵に位置し、長い年月かけた浸食作用によって堅い岩層だけが残り、現在ある孤立した山の姿になったようです。南面は急崖で駿河湾に接し、東西両面は浸食谷、北面は屏風岩により日本平の高地と隔てられた天然の要害です。
1568年武田信玄が今川氏真を破り、駿河を占領、山頂から駿河湾沿岸を一望でき、遠く伊豆西海岸をも望むことができるこの地に着目、寺院を他所に移して城郭に改造します。東の清水城に水軍を編成し、西の持舟城とともに駿河湾の海上権を握るため、重要な役割を担ったようです。甲斐武田氏の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍艦」によると甲斐の岩殿城、上野の岩櫃城ともに武田三名城と言われています。この3城いずれも岩肌むき出しの急峻な岩山で視覚効果抜群の威圧感をもっていますね。
武田家滅亡後は徳川家康の所領となり、家康は江戸幕府を開くも終の棲家に駿河を選びます。さらに遺言でこの地に埋葬されます。そして東照大権現として祀られ、久能山東照宮の現在に至ります。人質だった少年期も含めて、駿河がとてもお気に入りなんですね。
アクセスは、風光明媚な日本平から快適極楽なロープウェイによる方法と南麓から試練のように自分の体力を信じてひたすら1,159個の石段を上る二択になります。
私も勿論、1,159段(いちいちご苦労さん)してきました。ご褒美は、信玄、家康も眺めていたであろう山頂から、駿河湾の眺望を満喫すること。達成感は、あります。
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2023/04/27 19:36
2023/04/27 19:27
高堂城 (2023/03/19 訪問)
【高堂城】
<駐車場他>瓜巣公民館または瓜巣公民館横の砂利道を北上しゲート先300m程の城跡分岐地点に駐車できます。
<交通手段>車
<見所>尾根曲輪
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅ラスト5城目。現地説明板によるとこの城は古くはタカウドの城と呼ばれ、天文年間(1532~1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたとされます。天正年中(1573~1592)に三木自綱が本城を攻め落として以降は三木自綱の居城となりますが1585年に金森長近の攻撃を受けて落城します。この高堂城が詰城、山の塁線を北東側に寺洞砦、さらに北東側に出城として広瀬城がありました。
瓜巣公民館に駐車し登城しました。公民館からは1.8㎞の登山となります。上記分岐から更に奥の轍が無くなるまで(城跡まで1.2㎞)は車で進めますが少し悪路です。登城路は踏み跡、道になっているので城跡まで道のりは長いですが迷うことなく山頂に行けます。途中に真っすぐな尾根上を少し削った細長い曲輪や土橋上を歩いて行きます。城跡は主郭を中心に2方向に2段づつの連郭の曲輪があり登城路の方の曲輪に現在は薄くなってしまった堀切が見られます。比高が高いのが理由かどうかは分かりませんがそれ以外の凝らした防御設備遺構が見受けられませんでした。出城の役割をしたと思われる広瀬城とは正反対のかんじの山城でした。
下山して車に戻ったのが18:00過ぎ、日が長くなってきたおかげで日帰り強行軍とはいえ早朝の松倉城から高堂城の5つの城たっぷり楽しみました。月曜日の勤務は疲れが残りゾンビみたいでしたげど‥‥(笑) 走行距離684㎞無事走破。
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2023/04/27 16:00
マンガ「斎藤新五利治」好評発売中! (2023/04/27 訪問)
令和5年3月に 「マンガふるさとの偉人 斎藤新五利治」 のマンガが発売されました。
★斎藤新五利治 加治田城2代目城主
このマンガは関高校の生徒さんと富加町の合同で制作されたものです。
巻末には資料編もあり、とても読み応えのある1冊です。
半布里コミッティも制作に携わらせていただきました。
令和5年3月26日には、タウンホールとみかにて刊行イベントも行われました。
富加町郷土資料館にて販売されています。(郵送で購入も可能です。)
販売価格:400円(税込)
半布里コミッティのYoutubeチャンネルに制作の様子を配信しておりますので
そちらもご覧いただけると嬉しいです。
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2023/04/27 15:01
2023/04/27 14:41
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