宇都宮城から2kmくらいです。
途中、中央通りといちょう通りの交差するところに大きないちょうの木が見えました。
近づいてみると、この場所は宇都宮城の三の丸と百間堀の境の土塁で、いちょうの木は宇都宮城の清明館で催されていた「うつのみやの戦災展」でいただいた資料にあった「復興のシンボル 大いちょう」でした。宇都宮空襲で被害を受けて黒焦げになってしまったものの翌年には新芽を吹き、青々とした葉を茂らせたのだそうです。隣接するビルの9階よりも大きいです。
推定樹齢400年ということは、宇都宮家終焉の頃に芽吹き、秀忠から家慶までの日光社参や、本多正純の町づくりから改易までも見てきたのでしょう。戊辰戦争では、この木自身が危ない目に遭ったかもしれません。
その先には宇都宮城大手門跡。
戸祭城に向かっているのですが、まだまだ宇都宮城内です。
県庁の西側、昭和小学校の裏の路地に戸祭城の城碑がありました。お住まいの方以外の人や車は通らないような静かな通りです。
石碑が城址を示すだけではありましたが、戸祭城のおかげで宇都宮城の見ていなかった遺構や跡地を通ることができたので、行ってみてよかったです。
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