みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:尾引城 (2023/04/19 訪問)

松尾古城から転戦ですが、途中、信綱寺楼門横空スペース(36.447839、138.309332)に駐車し、真田信綱公夫妻・真田昌輝公墓所(36.448792、138.309876)のお墓詣りをし、その後、尾引城に向かい、登城口付近(36.446254、138.302868)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、横尾采女正が築いたとも伝えられています。
横尾氏は1400年(応永7年)大塔合戦に禰津越後守遠光の配下として参加しています。
戦国時代には村上義清に従っており、1548年(天文17年)の上田原合戦で武田軍と戦い横尾采女正は戦死し、残された幼君は家臣に連れられ上野へ逃れたそうです。
その後は真田氏の属城となったと云われています。

主郭に秋葉神社があり、公園として整備されています。
真田信綱公夫妻・真田昌輝公のお墓の写真も併せて投稿します。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=洗馬城に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:松尾古城 (2023/04/19 訪問)

天白城からの転戦ですが、途中、長谷寺駐車場(36.446590、138.335520)に寄り、真田幸隆公・昌幸公のお墓詣りをし、その後松尾古城に向かいました。
松尾古城駐車場(36.455114、138.339673)に駐車し、登城口(36.455823、138.3406)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、南麓にある「日向畑遺跡」の発掘調査で室町時代から戦国時代にかけての墳墓跡が発見され、真田氏初期の居館跡と考えられていることから、松尾城も真田氏初期の居城と考えられているようです。

脇を通る巻道でなく岩場を登って行きましたが、自分には岩登りは無理でした。
途中でペットボトルを落とし、自分も滑落しそうになりビビりました。
水なしの攻城は無理と判断して途中で引き返しました。あと少しだったので残念です。
真田幸隆公・昌幸公のお墓の写真も併せて投稿します。
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=尾引城に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

福井城 (2023/04/30 訪問)

天下普請で築城された福井城はかなり立派な石垣が残っているものの、1948年の福井震災で石垣が崩れたり、石垣面が
膨らんでいたり、割れていたりと保全が大変そうで心配となる。
少し北へ抜けると強度歴史博物館の北側に舎人門の遺構と復元された門があり、廊下橋とともに見どころの一つ。
内濠は残っており、本丸に渡る橋がなかなかに風情があるものの、夜間ライトアップされているのは廊下橋と石垣の一部のみ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

弘前城 さくらまつり (2023/04/21 訪問)

染井吉野は記録的な早さでの開花により、GWより一週間早めただけでは全然間に合わず…
しかも黄砂の影響か、岩木山も見えず…
ただ、その分、今年は市内の行きたかった店は一通り回ることができた。

+ 続きを読む

ぴちょまる

鶴ヶ城 桜散り際 (2023/04/08 訪問)

保科正之公が、高遠藩主であったこととも関係してか、鶴ヶ城には高遠桜がかなり植えてあって、
黒鉄門付近から走り長屋と天守を見るのが好きなのだけど、最近は人気の撮影スポットとなっている模様。

桜の時期は天守の工事が終わっておらず、一部フロアの限定公開のみ。とりあえず展望フロアから赤べこを探してみた。
日中は気づかなかったが、夜に3頭発見。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

松本城 夜桜 (2023/04/01 訪問)

今年は松本城も、染井吉野と枝垂れ桜が満開で、両方を見ることが叶った。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

高遠城 (2023/04/01 訪問)

記録的に早かった桜の開花、当初予定より1周間前倒しに変更して高遠へ。
少し早いかとも思ったら丁度満開の時期となった。
染井吉野よりもピンク色で、一般に桜色としてイメージするのは、高遠桜が一番近い気がする。
当日はやはり大変な賑わいとなり、高遠閣と桜雲橋は人が絶えることもなく。それならばと五郎山の白山観音へ挑戦。
条件が良かったので軽装で登れたものの、泥濘んでいたりすると途中危ない場所が何箇所かある。運が良かった。
ライトアップも行っているが、地元の人か近隣に宿泊した人でないと夜間は厳しそう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

杵築城 (2023/02/18 訪問)

河岸段丘からなる町で、段丘崖を上り下りする坂と、古風な町並みが有名な場所。
城があった場所は、段丘崖の絶壁の縁というかなりインパクトのある場所。
坂以外にも、八坂川の堤防沿いを歩くと段丘がよく分かるので楽しい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

春の烏城灯源郷2023 (2023/05/04 訪問)

岡山城の春のライトアップイベントを4年ぶりに開催!
隣にある岡山後楽園の「春の幻想庭園」も同時開催。
天守閣は再現だけど、漆黒ボディーに8つの金チャチが映えててかっこいい。
現存する月見櫓も見所。
新しく発売されたばかりの城カードもGETできて大満足(^^)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

小倉城 (2023/02/17 訪問)

大分から中津~小倉へ移動。ソニックが便利。
40年ぐらい前に訪れたことがあったのだが、名前の印象と模擬天守だったことから、小さかったように
思っていたが、かなり大きく、至る場所から見ることができる。

天守は、最上段に縁側を巡らせ黒塗りの戸板で覆うことで下階よりも大きく見せたり、白漆喰とのコントラストを描いたり
当時としてもかなりインパクトのある層塔型の天守だったようだ。
現在の模擬天守にある千鳥破風や唐破風は、無いと天守っぽくないということで足してしまったらしい。
今となっては無かった方がインパクトがあったような気がする。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

中津城 (2023/02/17 訪問)

姫路城の黒田時代の石垣が野面積みなのに対し、中津は、打込ハギっぽい石垣が黒田時代で、
野面積みの方が後の細川時代のもの。
黒田時代の石垣の形が整っているのは、川上の古代山城「唐原山城」から持ち出したためとのこと。
江戸時代に描かれた「中津城下図」には、天守はなく鉄門付近に三重櫓が描かれているのみだったらしい。
鉄門跡は確かに絵図面通りの形で残っているものの、現在は埋められていた。石の種類、積み方が異なるので
辛うじて見て取れる。

というわけで、現在の天守がある場所は、本来は隅櫓のあった場所で、萩城をモデルにした模擬天守ということらしい。
ハミ出ているようにも見える模擬天守の形が面白い。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

明石城 (2022/11/27 訪問)

本当は、築城400周年の時に訪れたかったが、コロナ禍となり断念し、ようやくこの2022年に訪れることができた城。
有名な本丸の巽櫓・坤櫓は良く紹介されているが、実は、その東側に二の丸、北側には北の丸が広がっており、
かなり広い城郭となっている。
特に本丸から二の丸まで続く長い石垣が圧巻。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

JPN-AZE

The festival and parade (2023/05/03 訪問)

2023年5月3日、神奈川県小田原市にて開催された「第59回小田原北條五代祭り」を見ました。その時、小田原城も見ました。湘南新宿ラインで行きました。小田原駅西口にある北条早雲公銅像は、この日のみ、陣羽織などが付くようです。天守閣は、恐らくこの日だけかと思いますが、大混雑でした。他の日なら私も入ったかもしれないですが、祭りの日は入らないです。北條五代のパレードの経路上で、剣舞・火縄銃演武、忍者演武がパレード通過前に数ヶ所で開催だったので、その内の一ヶ所、なりわい交流館近くで見ました。プログラムによれば、今回は、銅門ステージでの出陣式はなかったそうです。パレードは、早雲公に合田雅史氏、氏政公に高嶋政伸氏、氏直公に柳沢慎吾氏が扮しての行列でした。北條五代以外の方々も参加してました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

JPN-AZE

Under Construction (2023/04/16 訪問)

2023年4月16日、長野県長野市松代町の、松代城へ登城。行ってみると、堀の水がかなり水抜きされていました。そして、太鼓門の前の橋がありませんでした。工事に関する看板があり、見てみると、今年二月から、来年三月半ばまでの期間となってました。あと、去年暮れに、近くの真田邸前に、ここを治めた名君の真田信之公の銅像が、設置されました。その信之公の従兄弟に当たる、真田信正(真田昌幸公兄の、真田昌輝公の嫡子)公が、不定期にはなりますが、おもてなしをしてます。芝生広場にお出ましになるそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

姫路城 (2022/11/26 訪問)

漆喰が白いうちに、と前回訪れたのが、2015年。
それから7年経ち、だいぶ落ち着いた感じになってきたな、と思っていたが、ライトアップではやはり真っ白。
とはいえ、このあと、LED照明に変更されたので、案外貴重なタイミングだったのかもしれない。

+ 続きを読む

ぴちょまる

龍野城 (2022/11/26 訪問)

南北に長いたつの市で、そうめんの揖保乃糸を作っている街でもあり、薄口醤油のヒガシマルもある。
復元ではあるものの埋門の他、本丸御殿、隅櫓が建てられている他、小学校の水練場(プール)も
隅櫓から続く土塀、門となっていたりと洒落っ気のある街。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

府内城(大分) (2023/02/16 訪問)

隅櫓はかなりの数が復元されている城で、廊下橋もあって、濠の外を巡るのが楽しい。
また、かなり多くの種類の鳥が集まる場所でもあるようで、野鳥を見に来る方も多いとか。



+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

1泊2日の大阪遠征最後に。 (2023/03/05 訪問)

移動効率優先で、いつも大阪遠征の最後に持ってきていた大阪城。時間がたりなくて、駆け足でまわる・少しだけ見る・行くのをあきらめるということが3回続いていました。
今回も千早城→烏帽子形城をまわったあとの訪問で、閉城(17時)までに許された時間は約2時間。
いつもより長めではありますが、とても2時間で見尽くせる城郭ではないので、心のままに歩きまわるのはやめて、あらかじめ見学ポイントを絞ってコースを決めてまわることにしました。
JR線移動だったので下車したのは森ノ宮駅です。
まずは外すことのできない南外堀越しの一番櫓と六番櫓。長大な石垣と2基の現存櫓は遠目で見てこその美しい景観。5基の仲間を失いながらも堂々としたその立ち姿に感慨も一入です。
続いて大手門と多聞櫓、千貫櫓。枡形内の個性的な石垣たちは眺めているだけで楽しいです。
太鼓櫓跡の近くに石山本願寺跡の説明板が立っていました。正確な位置や伽藍跡は未確認だそうですが、大阪城の歴史を繙くときに欠かせない石山本願寺。この地に拘った信長と秀吉の野望を垣間見た気がしました。
秀吉公・秀頼公・秀長卿をご祭神とする豊国神社は人がいっぱいで、やはりここは徳川ではなく豊臣の大阪城なんだなあと実感しました。
そしていよいよ桜門から本丸へ。枡形の蛸石をカメラに収め天守へと向かいました。荘厳な天守外観はカメラと記憶にしっかりと収めましたが、入館はかなりの行列だったので諦めました。再建天守シリーズの城カードもゲットできずです。
江戸幕府の金庫、金蔵は建設中の豊臣期石垣公開施設に埋もれるようにありました。あまり人目に触れることもないのかなという感じですが、これも今しか見られない光景なのでがっかり感はありません。石垣公開施設の完成後(来秋に再延期されているようです)、このあたりがどのようになるのか楽しみです。
ここから、梅林を見下ろす内堀沿いの馬印櫓跡、月見櫓跡、糒櫓跡を歩きました。大阪城にも“誰もいないエリア”が存在するんだなぁ……。銃眼や刻印石と静かに触れ合うひとときを過ごしました。
山里丸に抜け出て、石垣の機銃掃射痕、隠し曲輪、秀頼と淀殿の自刃の地の碑と忠霊塔、刻印石広場とまわり、極楽橋から京橋口へ向かいました。焼け跡の残る石垣など気になるところもありましたが、もうタイムアップ寸前、西の丸庭園は諦めざるを得ず、焔硝蔵も遠くからちらりと見るにとどまりました。
京橋口から退出後は西外堀から乾櫓の鑑賞を。名残惜しくもありましたが、夕日を浴びて水鏡に映る櫓がとてもきれいで、また来たいなと思いました。(今度は朝イチで!!)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

スミヤキ

山陰の巨大山城に感動する。 (2023/04/07 訪問)

山陰の覇者尼子氏に相応しい巨大な山城です。様々な曲輪群に削平段、土塁、堀切、石垣等多くの城郭遺構がみられる素晴らしいお城です。
月山山頂部の曲輪群を詰の城として、七曲りの急坂を高さ90m程下った中腹部に堅固な防御網を敷いた山中御殿を配置、西北方向に馬蹄状に延びる丘陵部に多数の曲輪が列なる複郭式山城です。
月山富田城は、尼子氏が骨格を築き、その後毛利吉川氏、1600年に堀尾氏が入城、総石垣造りの近世城郭に改修されて、松江城ができるまで、出雲支配の中心でした。1615年の一国一城令で廃城になります。

現在も発掘調査や復元、景観整備作業が施されて、麓の資料館から山頂の本丸までの登城コースも案内板やパンフレットで紹介され、たっぷり満喫できるルートになっていました。久びさに疲れも忘れてワクワク感が止まらない気持ちで歩きました。距離にして往復 3.4km、1時間から1時間半くらいの所要時間になります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伊那路城散歩の行き掛け駄賃 (2023/05/02 訪問)

 今年の連休前々から行きたかった上越市の城跡、天候、気温の予想を見ながらホテル予約、日程の調整と思案しながら中々条件が付かず諦め連休に入り、日帰りで伊那路の城廻を急遽計画しました。
 三年来武漢コロナ禍で行き来出来なかった遠江と信濃の国境新野峠越え国道151号線を使った信濃伊那路へ、行き掛けの駄賃と平成28年来の再登城でした。
 以前に比べて国道151号線前に新しき標識出来て幟旗も多く立っており入口が分かり易くなっています、狭いですが集落の道をそれなりに約200m程坂道を進むと駐車場に着く、遊歩道が付きよく整備されて登りやすい、が小さく熊注意の標識有り、鈴を鳴らしていざ登城。

 駐車場に案内板が三枚、縄張り図、俯瞰図がよく設楽城の構造遺構を表してる、登って大手口、手前に二の丸と次の曲輪間の大堀切左右竪堀につながる、大手口を入ると二の丸と本丸が在りその高低差は1m程、二の丸の南端の三日月形の土塁、本丸間にも東側に土塁が残って居る、本丸北側にも土塁跡、崖で大千瀬川に落ち込んでいる、二の丸には休憩所なる建物、二の丸の南には大堀切を挟んで次の曲輪の様な平場がある、踏み込んで居なくその先の様子は良く分かりません。いろいろ城跡の構造残っております。
 自宅から約50km程で国道151号線経由と中々行きにくい城跡ですが伊那路への行き来には途中下車が楽しい城です。
 

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ518