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しんちゃん

城主が目まぐるしく変わった城。水俣氏は領地と城に名を残す。 (2023/01/04 訪問)

水俣城はかつて水俣氏によって築かれたと伝わります。城主が何度も入れ替わり
天正9年(1581)相良義陽配下の犬童頼安が城主の時代に島津氏の大群に取り囲まれ
相良義陽は降伏、葦北郡を島津氏に明け渡し水俣城から撤収しました。
今回は北側の駐車場に車をとめ、そこから攻めていきます。
入る口付近に古い石垣らしきものが見えます。
一度最高所にのぼりますが、このあたりが高城の本丸でしょうか。下に赤い社が見えますが
この下側に井戸跡と石垣があるらしいです。(今回は未確認)
一度中段の東福寺まで降り、東の古城跡に登ります。
この古城と呼ばれる郭は高城の時代にも見張り台や郭として機能していたと思います。
現状で確認できる石垣は北側にある部分だけでしょうか?
次はいつ来れるかはわかりませんが、その際には井戸跡も確認しておきたいです。

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しんちゃん

詰めの城の無い仮屋の跡。かつては寡兵で大軍を相手取る。 (2033/01/04 訪問)

平佐城は応永14年(1407)ころから記録が残る、島津氏の城です。
豊臣秀吉の九州征伐の際、島津氏の地頭桂忠昉が300の兵をもって籠城し
8500の豊臣勢を相手に戦いました。
江戸時代は島津系列の平佐北郷家の私領となり、かつての二の丸跡に領主(地頭)
の仮屋が置かれました。
現在の平佐西小学校がそこに当たり石碑が立っています。
訪問した際には、正月でもグラウンドで子供たちが遊んでいましたが、
同伴の保護者の方にお願いして石碑を確認させていただきました。

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しんちゃん

元八代城で国の史跡。キリシタン殉教者列福公園がある。 (2023/01/04 訪問)

国の史跡、麦島城は天正16年(1588)小西行長が重臣の小西行重に命じて築かせた城です。
球磨川に面し、海上交通の要所であり、南蛮貿易の拠点として機能したとも考えられています。
後に加藤清正の預かるところとなり、後の一国一条令以降も
熊本城との二城体制が維持されました。(宇土城は破却)
元和5年(1619)の大地震により城は倒壊し、今の八代城が築かれたといいます。
麦島城跡は球磨川と前川の境に浮かぶ中州の中にあります。
キリシタン殉教者列福公園の南にある少し高い土盛りがかつての天守台になり、
この周辺が本丸になります。少し南に進むと広い道路につきあたり、東側が二の丸の方向になります。
今回は本丸、二の丸の周辺を散策し、三の丸のあたりは車でざっと周回して
麦島城をあとにしました。

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ぴーかる

願証寺 (2023/05/03 訪問)

【願証寺】
<駐車場他>願證寺駐車場またはやすらぎパーク駐車場
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅9城目。城びとポイントの願証寺は明治時代の木曽三川分流工事によって長良川に水没しているため先達の方達と同じく、長島城跡近くにある願證寺の山門前まで訪れました。
 願証寺は少なくとも1492年までに本願寺蓮如の6男蓮淳によって創建されています。1570年頃から本願寺顕如は信長と敵対することを表明してここから約4年間信長VS長島一向一揆の戦いが起こります。1574年に長島城の落城とともに願証寺僧侶と妻たちも次々に討死や入水自殺したそうです。願証寺は木曾三川の中州のデルタ地帯、砂州にあったそうです。

<満足度>◆◇◇

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巨石ゴロゴロ (2023/05/27 訪問)

ゴロゴロある巨石をうまく守りに使っているとの城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。登城口へは山あいをずいぶん入って行きますが、登城口の駐車場近くまで集落や水田が続きます。また、本郭からは、日本海までも見張らせ、そんなに辺鄙ではない感じ。
登りは左ルートで本郭を直接目指し、下りは、天女伝説の巨石や西尾根の郭、石垣を見る右ルートを取りました。期待通り、本郭下の帯郭から巨石ゴロゴロ。また、西尾根の郭は、発掘作業中で礎石が現れてました。登城口に四阿があり、自然及び城関係の説明パネルがあります。
本郭の模擬天守は、いかがなもんでしょう。本郭に金属板の地図があるのですが、とてもアバウトで、登城口の地図が正しいです。

赤い城さん、転職先でのご活躍をお祈りします。転職をひかえて、関東制覇をされたのでしょうね。高麗山城、東京単身赴任時に登りました。良いですよね。四国レポート期待してます。

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todo94

天草の城③~14年ぶりの本戸城 (2023/05/03 訪問)

14年前もゴールデンウィークの攻城でしたが、土砂降りの雨の中だったため、本丸城址碑と千人塚しかチェックできませんでした。今回は、殉教公園となっているキリシタン墓地やアルメイダ記念碑やアダム荒川の碑などかなりしっかりと見て回って、天草キリシタン館にも入館しました。ちょうど、重要文化財の天草四郎陣中旗の公開期間中でラッキーでした。14年前は帰路に大渋滞に巻き込まれてしまいましたが、今回は富岡城近くの民宿に泊をとるので問題なしです。

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赤い城

総構えを歩いてみた (2023/06/18 訪問)

高麗山城のあと小田原に足を伸ばしました。
駅に総構のパンフレットがあったのでそれに沿って歩いて見ることに。
西口の北条早雲像を過ぎ、白秋童謡の散歩道へと進みます。
しばらく歩くと山ノ神堀切。
みかん畑の中にあり整備されています。
さらに進む稲荷森。
竹林の中に空堀が残っています。
残念ながら上から見るだけで降りることはできないようです。
小峯御鐘ノ台大堀切はやはり圧巻。
東堀の堀底を歩きました。
深く長い堀底、折れもあり総構のメインとも言えます。
東堀から出たところに三の丸外郭新堀土塁。
公園になっています。
土塁は残るもののその隣の窪みはここにあった建物の跡だそうです。
少し残念な思いをしながらも海や石垣山城を。
少し霞んでいましたが気持ち良い場所ではありました。
坂を下っていき、ラストは八幡山古郭東曲輪へ。
天守の写真を撮るにはおすすめのポイントです。
今回は天守のあるエリアには行きませんでした。
まだまだ総構で見ていない場所もあるのでいつか行ってみたいです。
頼まれてた蒲鉾、お土産に買って帰りました。

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しんちゃん

島津氏の南九州支配の原点ともいえる城。 (2023/01/04 訪問)

島津家の祖、惟宗忠久が建久8年(1197)薩摩、大隅、日向の三国の守護(地頭とも)に任じられたとき
島津荘を本拠に定め島津左衛門尉と名乗ったと伝わります。
そして家臣の本田貞親をこの地に派遣し、貞親は山門院(やまとのいん)に木牟礼城を築城したそうです。
島津氏は5代、貞久の代でようやく薩摩に移り住み、碇山城(薩摩川内市)に守護所を移します。
やがて島津総州家と島津奥州家の内紛が起き、総州家が滅ぼされると木牟礼城も廃城になりました。
島津氏の南九州支配の原点ともいえる城ですが、現在は土盛りが残るのみで
これが削り取られた郭のなごりか、土塁の一部なのかは不明です。
周囲を散策して、かつての城の姿はどうであったか、いろいろと想像を膨らませてみます。
ちなみに出水市のサイトによると、当時の出水は和泉郡と山門院に分かれていたと記述があることから
山門院とは薩摩の入り口に当たる、ここの地名を指していると思われます。
江戸時代には野間之関所が置かれ、薩摩への入り口を厳重に守っていました。

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しんちゃん

古墳時代から戦国時代の終焉まで使われ続けた古城跡 (2023/01/03 訪問)

宇土古城は通称「西岡台」と呼ばれる標高39mの丘陵上に築かれていました。
その歴史は古く、平安時代の永承3年(1048)菊池氏の一族によって築かれたものと
思われます。室町時代になってからは、たびたび城主が変わり、小西行長が宇土城を
築き始めたころには使われなくなっていました。
古墳時代にも首長の居館として使われていたらしく、城内の案内板に千畳敷周辺に
壕がめぐらされていたことが表記されています。
宇土古城は東側に駐車場があり、そこから竪堀跡の通路を通って行って、主郭である千畳敷に
向かいます。千畳敷の周囲には堀がめぐらされ、入り口には古めかしい門が立っています。
千畳敷にはかつての掘立柱建物を模した建造物が立っていて周囲には建物が立っていたことを
示す木のクイが並んでいます。
主郭である千畳敷の西に三城と呼ばれる郭があって、ここにも掘立柱建物の跡があります。
西側には土塁が連なり、端部は大きな土の高まりとなっています。
北側の斜面には石積みが連なりますが、いつの時代のものかはわかりません。
城の中央の南側に住宅地に通じる通路があって、どうやらこれがかつての大手の跡らしいです。

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しんちゃん

小西行長と加藤清正の築いた城跡。破城の跡は妄想で補う。 (2023/01/03 訪問)

宇土城は天正16年(1588)に肥後南半国の領主となった小西行長が
翌年から築城を始めたを伝わります。
関ヶ原の合戦の後、肥後の国一国の領主となった加藤清正が自分の隠居城とするため
普請を行ったとされています。今現在、現存している石垣は清正時代の物らしいです。
清正は隠居することなく没し、慶長17年、幕府の命により城は壊されました。
寛永14年(1637)の島原の乱の後、さらにこの城は徹底的に壊され今は本丸の
一部の石垣が奇跡的に残っています。これは破城の際のお目こぼしなのでしょうか。
城を破壊した人たちも命令でやったことなので、加藤清正の築いた見事な
石垣をすべて壊すのも忍びなかったかもしれません。
現地の城の絵から確認すると本丸の西側の墓地が二の丸。南の宅地が三の丸に
なりますが東の高校も堀の内にあり第四の郭の役を果たしていたと考えられます。
もしくは果たす予定だったのでしょう。北の広大な住宅地も家臣団や寺社、住民の家として
城の外郭として機能していたと思われます。
いまはバーチャルがはやりですが、やはり古城跡を巡るうえで欠かせない物は
想像(妄想)力でしょう。

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ぴーかる

小木江城 (2023/05/03 訪問)

【小木江城】
<駐車場他>道の駅立田ふれあいの里に駐車しました。城跡碑がある富岡神社内にも1台くらいなら駐車できそうです。
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅7城目。小木江城は古木江城ともいい、1567年頃に伊勢長島の一向一揆の抑えと攻略の拠点として織田信長の弟の織田信興よって築城されたとされます。1570年に石山本願寺と信長の戦いが本格化すると長島の一向一揆も蜂起して古木江城を襲撃します。織田軍は後詰めの援軍が出せずに古木江城は落城、織田信興は落命します。城もその時廃城となったようです。
 現地に遺構は残っていないようで富岡神社に石碑と説明板があります。しかしながら瀬戸川から見た雰囲気は城跡感が残っています。

<満足度>◆◇◇

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chiroru

武田信玄さんすごいです (2023/06/21 訪問)

平日の貴重な休みを利用して噂の古城へ。まずは続100名城のスタンプ。作手歴史民俗資料館で界隈の歴史を学習。ちょっとした繁みは城跡なのではないかとあれこれ思いながら今日の最大の目的地へ到着。お車でお越しの方には、白鳥神社の鳥居前を西にほんの少し走ると3台ほどの駐車スペースを設けてくださってます。(助かります)

資料館でいただいた案内図を手に、時々カサッと音が聞こえたりすると野生の動物さんとの遭遇も心配しながらもなんとか順路に沿いながら、関心しながら、セルフバーチャル体験?しながら、楽しい!です。

大堀切も初めてすごく近くで見れるし、土塁の高さや、北側の湿地帯の感じもわかるし、近くで見たいがために寄りすぎてしまったりと、やはり写真とかでなく本物とはいいものです。ひと言では言い表せないくらい勉強できた気がします。信玄さんすごいですね。

散策中は夢中でして、見終わったらお腹がすいたのでプラン通りで道の駅「つくで手作り村」で力うどん食べました。いいお出汁で適度な塩分チャージもできました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/18 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/18 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/17 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/17 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/17 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/16 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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トベシュン

南東北百名城巡り+名古屋城 (2023/06/15 訪問)

南東北百名城巡り+名古屋城 会津若松城、白川小峰城、二本松城、仙台城、多賀城、山形城の六城を巡るため、名古屋発のツアーに申し込み、名古屋城も見物しました。

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岩崎城

岩崎城歴史講座のお知らせ

第2回歴史講座 小牧・長久手の戦いのきっかけの地「犬山」

小牧・長久手の戦いは、秀吉と家康が戦った唯一の戦いで、真の天下分け目の一戦であるとして
発信を続けています。その名前から、小牧・長久手で戦が行われたと思われがちですが、
実はきっかけが犬山にあることはあまり知られていません。
そこで、今回の講座では小牧・長久手の戦いの緒戦の舞台である犬山での動きと、
令和3年に実施した犬山城大手門枡形跡発掘調査で発見された、
戦国期と江戸時代の堀の比較から、小牧・長久手の戦いを考えます。

ぜひお気軽にご参加ください!

※講座は一回ごとに募集いたしますので、お好きな講座にのみご参加いただけます。
募集期間等はその都度こちらでご案内します。


募集期間:7月8日(土)9:00~
開催日時:7月23日(日)13:30~15:00


場所 :岩崎城歴史記念館2F 多目的ホール

対象:どなたでも(日進市内在住・在勤・在学の方を優先)

講師 :中野 拳弥(犬山市歴史まちづくり課)

定員 :30名(先着順)

参加費:無料

申込方法:期日までに当館へお電話にて申し込みください。

お問い合わせ  岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
Tel 0561-73-8825
HP  http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/
開館時間 9:00~17:00 休館日/月曜日(祝日の場合は開館)、12月28日から1月4日

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