日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行の2日目白河小峰城を終えて3城目二本松城へ13年前の平成21年5月中旬登城。レンタカーは二の丸城塁高石垣前の専用駐車場利用。
私は過去に探訪済みなので平成7年に発掘調査の上復元整備された山上の本丸・天守台を主に観察探訪、二の丸下の千人溜り二本松少年隊群像を拝み、二の丸高石垣を仰ぎ見て、箕輪門(昭和57年復元)から入り、ぶらぶらゆっくり山上を目指す、山上の本丸・天守台の復元修復整備後は初めての探訪観察、天守曲輪の様な本丸・天守台、北角に天守台を設け西側に西櫓台続き多聞櫓台、東側に東櫓台続き多聞櫓台、南中程に枡形虎口の構えに成って居る。見晴らしも素晴らしく360度見渡せる、資料によると天守閣は建って無かった様子です。
天守台から下城、搦手側石垣、山々の新緑、藤の花が綺麗でした。
歴史的には室町期畠山氏が9代約150年治め戦国期伊達政宗の治める所と成り、小田原征伐後の奥州仕置き後蒲生氏郷が会津に入り二本松城は会津の支城へ、蒲生氏後上杉氏の会津支配、関ヶ原後再び蒲生氏支配、寛永4年(1627年)松山より加藤嘉明が会津に入る、二本松城は会津若松城の支城扱い、加藤氏の時代には石垣改修が成されたのでは?寛永20年(1643年)白河より丹羽氏が10万石余で入封し今日の石垣の姿に大改修し丹羽氏10代継承し明治を迎える。
しかし戊辰戦争では本体が会津方面に出向いてる所を婦女子少年で守も陥落、二本松少年隊の悲話が伝えられて居る。
二本松城を終わって、会津若松城、天守閣に登る、会津若松城のシアター鑑賞、幻の神指城の復元映像も上映、白虎隊の飯盛山見学参拝、会津さざえ堂を昇り降りを見学して今夜の宿泊先東山温泉へ、老舗旅館向瀧は無理として湯川渓流沿いの和式ホテル、温泉と地酒にビール、窓から見える渓流、渓流の音、新緑、所々に藤の紫が点在し五感に癒される温泉ホテルでした。
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